
2025.02.12
職員一人あたり52時間の残業削減に成功 kintone導入がもたらした富士吉田市の自治体DX“変革”ハウツー
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渡邉さやか氏(以下、渡邉):それでは始めたいと思います。今日は日曜日の午後に来ていただきありがとうございます。
私がここでトークイベントをやるようになったのは、東日本大震災がきっかけになります。みなさんも2011年に起こったことを覚えてらっしゃると思うんですけど、そのあとに私自身が「なにか仕事を作れないか」ということで現地に行きました。
結果的には、岩手県の陸前高田市で採れる椿の油を使って化粧品を作っています。
1つ目が2012年にできたハンドクリームで、2個目が2013年にできたリップクリーム。地元の高校生にも関わってもらっています。今年の3月にボディクリームができて、それをきっかけに新宿伊勢丹さんに置いていただいてます。
3月11日から伊勢丹さんで、女性の働き方とか、社会貢献に関するトークイベントをさせていただいていただいているんですが、今日で4回目です。過去3回は元AERA編集長の浜田(敬子)さん、リクルートジョブズの小安(美和)さん、『サンデーモーニング』でコメンテーターをやっているジェンダーの専門家・大崎麻子さんに来ていただきました。
私の10個ぐらい上の方たちに来ていただいたんですけど、今日は初めて同い年の真佐子ちゃんにぜひお願いしますということで。
真佐子ちゃんは4~5年くらい前に知り合って、仲良くさせていただいています。まさに女性の生き方、自分自身のキャリアなど、そういうことについてすごく考えているし、ご自身も子どもを出産されていて、母親としてもすごくみなさん勇気づけられるお話があるかなと思っています。
最初に、簡単に真佐子ちゃんから自己紹介をしていただいてもいいですか?
池原真佐子氏(以下、池原):みなさん、日曜日の貴重な時間にありがとうございました。大御所の方たちに続いて、すごく恐縮してます(笑)。私は今、株式会社MANABICIAという会社をやっていて、この9月で4期目になりました。
やってることは主に2つです。1つは、エグゼクティブコーチング。お客様は主に外資系の会社様です。企業の役員社長の方に、人事と一緒になっていい組織を作るためのコーチングセッションや研修をします。
もう1つは、産後の女性のキャリア支援です。ワーキングマザー、あるいは育児と仕事の両立に不安がある人をサポートするコンテンツを「育キャリカレッジ」と名付けて提供しています。
渡邉:ありがとうございます。
渡邉:ちなみに今日、「女性のキャリアに興味があります」みたいな方?
(会場挙手)
「東北に興味があるよ」という方?
(会場挙手)
ありがとうございます。あと、「真佐子さんの本を知ってて来ました」という方?
(会場挙手)
ちなみに私は、東北に限らずアジアとかの女性の支援をしているんですが、今日はその話はしないですけど、海外に興味があるよっていう方いらっしゃいませんか?
(会場挙手)
ありがとうございます。
そんなわけで本題に入りたいと思います。
今やってることについて話してもらいましたけれども、実は大学を卒業してから今までけっこういろんなキャリアをお持ちだと思うんです。そのあたりを簡単に紹介していただきながら、なにが転機になって転職をしていったのか、なぜ起業したのかというところまでお話をうかがっていければと。
池原:もともと親が教師ということもあって、教育にずっと興味がありました。ただ、学校があまり好きじゃなかったので、成人教育という、大人がどういう場で学んで変わっていくかということを研究したくて、早稲田大学の教育学部で成人教育を専攻していました。
そこから勉強がすごく楽しくなったのと、海外がすごく好きでバックパッカーとして1人旅ばかりしていました。
渡邊:見えないですよね。そういう雰囲気じゃないんだけど。
池原:そういうのもあって、そのまま早稲田の大学院に進み、オーストラリアの成人教育を研究していました。オーストラリア移民が多く、違う国から仕事を求めて来た人がどう学んでいくかを研究していました。
池原:そこからさまざまな団体で広報などのインターンの機会を経ました。その流れで最初にPR会社に就職をします。PR会社では女性向けの製品、アートやNGOなど、いろいろなことに関わらせてもらいました。
渡邊:幅広いですね。
池原:そのときにもっと教育に関わりたいなという思いが湧いてきたんです。PRはメディアを通して人を動かす仕事なんですけど、もっと人に直に関わりたい。そこでNPOに初めて転職をしました。
渡邊:NPOに入って、しばらくして辞めてそのあと企業にいかれるわけですけど、その転機はなんだったんですかね?
私はもともとIBMでコンサルタントをしていたんです。企業のほうからNPOにいくというは、最近は80年代世代でけっこう増えているんですけど、当時はNPOから企業にいくのはまだ少なかったんじゃないかなと思います。
池原:PR会社に行って、NPOに行って、NPOで2年働いたあとに、私はコンサル会社に転職するんです。でもその流れって、あまりない気がします。
渡邊:そうですよね。それはNPOだとなかなか難しいなって思ったのか、キャリア面もあるだろうし、女性として年齢的なことで考えたこともあるかもしれないですけど。
池原:キャリアを選ぶ上であまり年齢的なことを私は考えたことがないんですが、NPOでやるうちに、やっぱりインパクトが測りにくいなと感じたんですね。もう1回、ビジネスの世界にいきたいと思った。それで、コンサル会社の人材開発部で人の育成に関わってきました。
渡邊:仕事しながら、なぜかシンガポールの大学で修士をとっているんですね。日本にいながらですよ? それどうやってやったんですか? なぜシンガポールで修士を取ろうと思ったんですかね?
池原:コンサル会社の仕事が楽しくて楽しくて仕方がなくって、もっと人材開発の勉強がしたいなと。もっとリーダーシップやコーチングについて知りたくなったんです。
あとは、日本人だけで固まるんじゃなくて、世界中から来た人と議論をしたい思いがあったんですね。当時結婚していたので、夫を置いて留学に行くわけにはいかないし、仕事を辞めて行くにはちょっとリスクが高いということで、シンガポールに通うことにしました(笑)。
渡邊:そこで通えると思うのがすごいですよね(笑)。
池原:香港とかインドネシアとか中国とか、シンガポールなら行けるぞと。
渡邊:週末に通ってたんですね。
池原:1~2ヶ月に1回シンガポールに行って、集中的に1週間ほど講義を受けていました。日本にいるときはインターネットとか、電話をして。
渡邊:深夜便。
池原:深夜便。会社から羽田へ行き、シンガポールで勉強。羽田に戻りそこから大手町に行き、働く。そういう生活をしてました。
渡邊:起業の準備をするためにシンガポールで修士を取ったのかなと思ったんですけど、そうじゃないんですよね?
池原:まったく起業は考えていませんでした。会社の中でよりよくスキルアップしたいとか、会社にいる人を1人でも幸せにしたいという思いでまず学び始めたんですでも、シンガポールの大学院に行くと、そこの生徒はいろんな世界から来ていて、「生き方は1つじゃない」と思ったんですよ。
独立したりとか、転職の度に国を渡ったり、そういうの普通にしていてもっとフレキシブルな生き方をしてもいいんだと知ったことがが起業のきっかけですね。
渡邊:シンガポールでいろんな国の人に出会って、そこで変わってきた感じなんですかね?
池原:そこがたぶん、キャリアという意味では人生で一番の転機だった気がします。
「女の人ってこうあるべきだよね」「結婚したらこういうパターンだよね」というものを一人ひとりが見事に覆していくんですよね。それを見たときに、不可能は自分が決めてるんだなというのを改めて感じました。そこで、自分が社会に対してなにができるんだろうと考えました。会社の中で会社の人をハッピーにするのも1つの社会貢献だと思うんですね。それは素晴らしいことでした。
私は会社以外の人とももっと関わって、みんなをハッピーにしたいと思いました。その1つの選択肢として起業が出てきたんです。
渡邊:私も自分の会社とかNPOとか持っていたりして、ノンプロフィットの一般社団のほうではアジアの女性の社会進出を応援しているんですけど。「よく勇気を出して、一歩踏み出しましたね」「なにをやりたいかって、どうやってわかったんですか?」とよく聞かれるので、同じ質問をあえています。
なぜ起業しようと思ったのか、なぜ一歩踏み出せたのか。「これで起業しよう」「自分はこれをやりたいんだ」を、本当にどこまで確信を持ちながら起業したのか。あるいは起業してからだんだん確信に変わったのか。起業してからけっこうあるんですよ。自信がついたり。たぶん自分のコミットメントが高くなったりとかあると思うんですけど、そのへんいかがですか?
池原:そうですね、私もいろいろ考えました。でも、「死ぬまでの間になにを成し遂げたいんだろう」というのを考えた時、失敗や怖さはまったくなかったです。
渡邊:なるほど。
池原:人の成長や教育はずーっと代々の、脈々としたミッションだとはわかっていたので、そこからスタートしました。
渡邊:仕事でエグゼクティブの方々ももちろんですけど、すごく多くの女性に出会っているんですよね。そんな中で自分がシンガポールで感じた多様性、一方で日本人の女性たちに感じてることって、けっこうたくさんあるんだろうなと思っているんです。そのへん、どういうふうに感じてたりしますか?
池原:日本の女性の社会的なプレッシャーってけっこう高いと思うんですよね。「女だからこうしろ」「こうあったほうがいい」、あるいはファッション誌を見ても愛されファッションとか「なにもかも手に入れましょう」みたいな。たぶんそういうプレッシャーが1つあります。
あとは、女性自身がそれを繊細に敏感に自分に取り込んでいるというところが2つ目です。そのあたりが、日本の女性ではすごく特徴的だなと思いました。
渡邊:そうなんです。私も長野の田舎出身なんですね。福岡は都会ですけど、どっちかというと田舎出身です。
東北のこの商品を作っている岩手県の陸前高田や大船渡は本当に田舎なんですけど、そこで衝撃だったのは女の子はいまだに……いまだにって言い方が合っているかわからないですけど「大学なんて行ってもしょうがない」「あなたは田舎出身なんだから、かわいく育ち、結婚することが目的なんだ」と言われるんですよ。
私が陸前高田に入って、この商品(椿油の化粧品)を、高田の高校生とか大船渡の女子高生とやってるんですけど。こういう化粧品ができて、「新宿の伊勢丹さんで売ってるよ」「六本木で売ってる」と言うと、ちょっと自信になって話し始めるんです。「これ、自分が関わったんだよ」って。
高校生からするとちょっと高めで、1,100円くらいで陸前高田で売っているんですけど。3月になると売れるんですよね。卒業式シーズンに買ってくれたりするんですよ。
「こうじゃなきゃいけない」は感じているし言われている、「地方の人だから」とかも。だからあまり夢を見ない。すごくもったいないなと思っているんです。でも、それは地方に限らず、東京の大企業にいる女性とかも意外とそうですよね。たぶん多いですよね。
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