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ライトニングトーク「今の時代に働く女性に伝えたい、失敗から学んだこと」(全6記事)

ほぼ日CFO「失敗からは学べない」マッキンゼー時代の突然の退職勧告を振り返る

まだまだロールモデルが少ない女性のキャリア、第一線を走り続ける先輩たちはどんな失敗をしてきたのでしょうか。さまざまな業界で活躍する女性が登壇し「今の時代に働く女性に伝えたい、失敗から学んだこと」をテーマに、「FCon 2017」が開催されました。本イベントはインクルージョン・ジャパン株式会社と一般社団法人Lean In Tokyoによる共催。トークの5人目は、ほぼ日の篠田真貴子氏が登壇しました。マッキンゼー時代に突然の退職勧告を受けた篠田氏。当時はその理由がわからず困惑していましたが、11年後のある出来事をきっかけに、その事実をやっと受け入れられたと言います。篠田氏は過去の失敗をどのように捉えているのか。貴重なエピソードを語りました。
※登壇者の肩書きや所属はイベント開催時の2017月7月8日のものとなります。

「アメリカでも、女性が家庭と仕事を両立するのは無理かもしれない」

司会者:ありがとうございました。それでは、5人目のスピーカーの方をご紹介させていただきます。ほぼ日CFO、篠田真貴子さんです。篠田さん、よろしくお願いいたします。

篠田真貴子氏(以下、篠田):みなさんこんにちは、ほぼ日の篠田です。よろしくお願いします。

5人目で若干お疲れかもしれませんが、もう少しお付き合いください。私の話をする前に、今日は受付に青いチラシを置かせていただきました。7月の終わりに翻訳出版される本『Unfinished Business 仕事と家庭は両立できない?』のご紹介です。

こちらの本の解説を書いたんです。今回のカンファレンスにあまりに本の内容がぴったりなので、出版社さんに頼んで先にご紹介させていただくことにしました。

仕事と家庭は両立できない?:「女性が輝く社会」のウソとホント

この著者のアン=マリー・スローターさんは、プリンストン大学で政治学の中でも外交が専門の教授でいらっしゃって、今はシンクタンクの代表をされています。

ホワイトハウス、要は政府の高官に抜擢されるというチャンスが、この方が40代くらいの時にあって。一大チャンスがきたということで、ワシントンD.C.で単身赴任されたんですが、その間に中学生の息子さんが非行に走られて、会議中に警察から電話がかかってくるような状況になってしまい、結局2年で途中でお辞めになって家庭に戻られる、という経験をされています。

その経験をふまえて、「アメリカにおいても、女性が家庭と仕事を両立するのは無理なのかもしれない」という論文を発表しています。ちょうど『LEAN IN』が出版された半年か1年後だったので、大変な話題になりました。その記事の反響もふまえて、さらに考えを進められて書かれたのがこの本です。

マッキンゼーでの“イケイケ”インターン時代

じゃあ、私の話に入ります。今49歳なんですけれども、30歳の時、アメリカのビジネススクールの1年生が終わって夏休みが3ヶ月ありました。インターンとして、マッキンゼーの東京オフィスで働きました。

マッキンゼーの仕事として、お客様との仕事に「新入社員です」という体で入って。2ヶ月間インターンがあって、内定をもらうわけです。

それやっている最中も非常に手応えがありましたし、実際評価も高くて。その仕事を担当していたパートナーに、「マッキンゼーに今来ればいいじゃない、このまま学校を辞めて手伝ってよ、このまま仕事を続けてほしい」と言われたくらいだったんです。

たまたま卒業に必要な単位も、あと1学期間がんばれば大丈夫な状況だったので、1学期間休学してマッキンゼーの仕事を続け、復学して学位を取って戻る、ということをしました。

復学した時、これまであまり話しかけてこなかったようなイケてる感じの同級生が、「すごいね、もうマッキンゼーで働いてるんだって」と言ってくれたりして、ものすごいイケイケな感じでした。さっきの田中(美和)さんの話の逆で、自己肯定感がインフレしていました。

(会場笑)

マッキンゼーに入って2年目くらいのときの、あるプロジェクトで上司のマネージャーに、「篠田さんってすごいすごいって聞いてたけど意外と普通だね」って言われていたんです。しかし「すごいすごい」の方が耳に聞こえてきちゃって。

(会場笑)

突然の退職勧告

そのインターンをしてから数えると4年ですかね。2002年6月、34歳です。一番いっぱい仕事をさせていただいたパートナーの役員の方と、お部屋でお話したんですけれども。

「篠田さんは本当によくがんばった、今回のプロジェクトも本当によくがんばった。けれども、マッキンゼーのコンサルタントとして必要な成長ポテンシャルが認められません」と。こう言われたわけです。

なんとなく、うすうす自分はそれほどすごくないのかなと思ってましたけど。正直、晴天の霹靂ですよね。でもそう言われてしまうということは、要は退職勧告なんですよ。

「わかりました。あともう1プロジェクトだけ、これが最後だと思ってやり残しがないようにやらせていただきたいです」とお願いしたんです。しかし「もう会社にはあなたに対するコーチングキャパシティはありません」とはっきり言われました。言ってみれば、一刻も早くお引き取りください。こういうことだったんです。

もう本当にショックで、家に帰ってポロポロ泣いたんですけれども、あまりにショックで恥ずかしくて辛くて、誰にも言えませんでした。もちろん辞めて転職するわけなので、辞めるっていうことはみんな見ればわかるし普通に言うんですけれども。その理由は、誰にも言えない。

その後、ノバルティスというスイスの製薬会社で働き、それが事業買収でネスレに移り、2008年40歳の時にほぼ日に入ります。しかし、ずっと言えないんです。

マッキンゼーは辞めた人を「卒業生」と呼び、定期的な集まりがあってですね。そこに行くんですけれども、同期とか後輩とかそういう事情を知らないから、「辞めちゃったの、びっくり」とか、けっこう辞めてまた戻る人もいるので「戻ればいいのに」とか明るく言われたりして。

薄笑いを浮かべながら、内心辛い。元役員の方とかいらっしゃるんですけど、私が辞めた事情を知っているから、話しかけに行けない。そういう心情でいました。

初めてすべてを語れた相手、理解できた退職勧告の理由

そんな私が、なんでここでこの経験をお話しできているか。きっかけは2013年、45歳。もともとの自己意識インフレ状態から15年ですよ。辞めてから11年、ずっとその人に言えないっていう重みを抱えて、仕事的にも変化がありいろいろチャレンジもして、子どもも2人産んで。

なにが起きたかというと、伊賀泰代さんというマッキンゼー採用マネージャーだった方がその1年半前に独立をされて、ご自身でWebサイトを開設して、そこにさまざまなキャリアの方の紹介をされてたんですね。

その1つに、私にも出てほしいと言っていただきました。今では本当にありがたいことに、私のキャリアインタビューっていくつかのメディアでしていただいてますけども、パブリックで私の経歴が出たのは伊賀さんのWebサイトが初めてです。

私が入社した状況、辞めた状況、すべてご存知の伊賀さんが初めてのインタビュー相手だったから、隠し立てもなくお互いわかった状態で話せた。だから、私はその話が初めてできた。

マッキンゼーを辞める時に、自分の心理がそういう状況だったので伊賀さんに挨拶もせずに辞めているんです。伊賀さんはずっと採用マネージャーをやってらっしゃったから、その卒業生の集まりもいらっしゃらないし、辞めた後も来られてなかった。

本当に辞めてから11年ぶりに初めてお会いして、そうやって話を聞いてもらって、その時に「なんで自分が辞める羽目になったか、今ならわかりますよね?」って言われて、「わかります」っていう会話ができたこと。やっと、言ってみれば自分の失敗と初めて向かい合うことができました。

失敗から学ぶことはできない

ここからまた5年経っているんですけれども、この経験からまだまだ私は学び続けています。3点ほどあります。1つは本から学んだことです。

ピーター・ティールっていうPayPalを創業した方で、Facebookの外部投資家だったシリコンバレーの有名な方がいらっしゃるんですけれども。その方が『ZERO to ONE』という本を1冊書いてらっしゃいます。

その中で、ピーター・ティールさんが「失敗からは本当には学ぶことはできない」「成功からしか学べない」と書いておられて、私は本当にそうだなと思っています。

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

どういうことか、私が記憶している範囲でピーター・ティールさんが書いたことを紹介します。

成功ってけっこう大変なことなので、うまくいくのに大事な要因が5つあるとするじゃないですか。5つ全部おさえないと成功にならないわけです。

1つでも外したら失敗なわけですよ。そうすると、失敗経験だけだと「なんで失敗したのかな」は本当にはわからない。なんかこうかなっていう自分なりの仮説とかはあるけども、本当にはわからない。

成功してみて「この5つをすべて押さえると初めて成功なのね」とわかった上で、その失敗経験と照らして初めて「これがいけなかったんだ」とわかります。

私の場合はほぼ日に入って、2012年に会社がポーター賞をいただくんですが、取ろうっていうことを決めるところから全体を私が自分でやって、手応えを得て、実際に糸井重里がたぶんそのタイミングで初めて経営者として「会社の経営者だったんですか」という状態になったんだと思うんですよね。

ということもあって、ほぼ日の経営陣なのでそっちの目線で経験を積んだ。98年から2002年当時、30歳から34歳の私がなにをしていたのか、なにがまずかったのかと初めてわかった。これが1つ目です。失敗からは本当は学べない。

「他者から見たその時の自分」という視点

2つ目は、これは自分でそうかと思ったんですけれども、私にとっては後悔と失敗ってけっこう違うんですよね。

後悔とか悩みとかって、さっきお話ししたように人に言えないぐらい、冗談っぽく言ったり、あるいは悩みより愚痴を言ったりして終わるものなんです。それに対して、失敗としてこうやってお話しできるって、けっこうな客観視だったり自分なりの「こういうことだったのか」っていう糧になったものではないかと。

失敗だって言えるようになるまで、けっこう年月がかかる場合がある。少なくとも私はそうだった。

3つ目はこれに関わるんですけれども、その失敗をした状況において周りの方がいらっしゃるわけですよね。その周りの人から見た自分はなんだったのかなっていうのが、ちょっとずつわかるようになった。その過程はすごい大事なのかなって思ってます。

自分にとってどうこうってもちろんあるんですけど、その本質は「他者から見たその時の自分」の視点を獲得すること。

私が学び続けているというお話をしたのですが、これは本当です。今日もこのお話をどういうふうにしようかなって準備をする中で、マッキンゼーにいた時のことをこと細かに思い出していました。

例えば、先ほどお話ししたようにマッキンゼー時代の上司が私に話をするにあたってはきっと私が見えてないところでこれとこれをやって、調整をしてくれた上でだったんだと、今朝初めて思い立った部分ってあるわけですよ。20年経ってからね。

それぐらい、他者から見たその時の自分を分かるというのは、簡単なことではないんだと思っています。他にも、27年社会人をやっているのでいろいろございますが、この10分でここまでのお話にしようと思います。

ありがとうございました。

(会場拍手)

司会者:ありがとうございました。

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