2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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田中研之輔氏(以下、田中):今日は働き方トリートメント第2回ということで、ゲストの橋本さんです。拍手で。
(会場拍手)
田中:須藤憲司さんのときにいらっしゃって。すごくおもしろい方で、タイミング的にも今一番乗っているときで、会社を起業されてこの前IVS(Infinity Ventures Summit)というところのピッチイベントで、御社のサービスについてのプレゼンをされて。これからどんどん事業が伸びていくところなのでお時間をくださいということでお呼びしております。
そして、呉社長です。
(会場拍手)
田中:呉さんと僕は同い歳です。株式会社クリエイターズマッチというところで、実はうちの法政からも3人インターンさせていただいています。知り会ってもう4年、5年ぐらいになります。インターン関連で質問もあるだろうし、呉さんのこれまでのキャリアを含めて、会社の事業も含めて聞いていきたいと思います。
僕はいつも質問を投げて聞きたいことをずっと言っていくんですけど、そうすると何が起きるかというと自分が得しちゃうので。自分が聞きたいことで全部時間を使っちゃうので、今日はオープンディスカッション形式で。みんなの質問が止まったら僕が質問をするので。
ただ方向性をちょっと決めようかなと思っています。社長になりたいというビジョンがあれば2人は社長なので、直接いろいろ聞けると思う。だけどたぶんここの多くのメンバーは、そのビジョンは遠くに見えているかもしれない。
今、大学を卒業して、あるいは大学在学中に起業っていうメンバーは何人かいるかもしれないけどマジョリティじゃないと思うんです。そこで、今日ちょっと2人にお願いしてたのは、よくあるんだけど社長というのは会社の先生であり会社のボスだから、どういう人材を自分の会社に入れたいか、どういう人材になってくれたら、どこの場面にいってもみんな活躍していけるよという本音の辺りを、90分で聞いていきたいなと思ってます。
ということで始めていきたいと思います。じゃあ自由に誰か聞きたいことある?
呉京樹氏(以下、呉):いきなりいいですか?
田中:いきなりで。
呉:簡単なプロフィールを言ったほうがいいんじゃないですか?
田中:じゃあ簡単に。一応、事前にお2人のURLは送ってあって、もう盗撮のように(笑)。
呉:変なURL送ってない?(笑)
田中:変なほう(笑)。変なほうを送ってあります。じゃあ、お一言ずついただきましょうか。
呉:はじめまして。株式会社クリエイターズマッチの呉と申します。
僕は今、田中研之輔さんと同じ年で41歳ですね。僕の名前は呉京樹っていうんですけどね、韓国名でOh Kyungsooっていいます。僕は在日の韓国人で生まれは日本なんですけど、神戸で育ってずっと朝鮮学校に通いながら、13歳から働いて、今社会人で28年目になります。
もうほとんどずっと仕事をしていて、29歳で会社を立ち上げたんですけど、29歳になるまでに27職種経験をして今会社やってます。というような、この業界にはあまりいない、ちょっと変わり種のキャリアを持っているんですけど、今は自分の夢に向かって会社やっています。
株式会社クリエイターズマッチという会社をやっていて、僕はもともと27歳までデザイナーをしてました。いろんな仕事をやってきたんですけど、最初は実はリサイクルショップから始まっているんですけど、物を作るのがすごい好きで。最終的にはゲームクリエイターになって、映像監督になってというので、デザインをする仕事がすごく好きで、25歳のときはカプコンのバイオハザードを作ってたり、いろいろやってきました。
日本国においてデザイナーの平均賃金が非常に低いというのは、自分も働いていたのでよくわかってたんですけど。27歳になったときに、この労働環境を何とか変えたいなというふうに思って。自分はデザイナーの道を諦めて、デザイナーとして伸びていく人たちをサポートする側にまわりたいと思いました。
それで27歳でものづくりのキャリアを全部捨てて、営業職に転職するために東京に出てきたというのが東京との最初の出会いです。何となく会社やるかって言っても、結局仕事がないとデザイナーさんたちを幸せにできないので。
仕事が取れる人間になろうと思って営業職をやり始めたんですよ。27歳でソフトバンクに入って2年で営業を勉強して、MVPもとりました。2年で約3,000社回って、企業ネットワーク作って29歳の時に独立しました。
今はデザイナーさんたちに仕事を供給するデザインワークの仕事を会社で集めて、それを全国のデザイナーさんに流して、地方にいるデザイナーさんたちまで幸せにできる環境をつくりたくて早10年。今年の8月1日が丸10周年になる会社です。よろしくお願いします。
(会場拍手)
田中:はい。こういうのってぜんぜん人数じゃないので、我々は30人ぐらいで、それが一番いい90分になるなというのがもう経験値的にわかっていて。よく300人ぐらいでやるじゃないですか。そうすると何も残らないので。はい。どうぞ。
橋本真里子氏(以下、橋本):ディライテッド株式会社の橋本と申します。
私の出身は三重県の鈴鹿という所です。私は呉さんとは逆で、大学を卒業して23歳のときから企業のいわゆる受付嬢という仕事を11年間やってきました。私は受付嬢という経験しか基本的にはないんですね。
受付嬢という仕事には基本的に女性しかつけないんです。何となくわかると思うんですけど、年齢制限がある企業もあったりするので、いつかは辞めなきゃいけない職業だったりするんですね。そのときに、せっかく11年やったんですけど、その経験を何かのかたちにできるのは私しかいないだろうという自負があったので、その経験をもとに、今度は受付の裏側の仕組みをもっと変えたいなと思いました。そういう会社が今までなかったので去年1月に今の会社を創業しました。
今年の1月に「RECEPTIONIST」というiPadアプリとWeb管理画面というWebの2つの構成でできているサービスをリリースをしていて、さきほどおっしゃっていただいたように、今月の頭にあったIVSというイベントで「Launch Pad」に出させていただいたというようなところです。
呉:すごいですね。あれは選考何社でしたっけ?
橋本:140社応募があって。
呉:14人だけですね。
橋本:そうですね。(登壇できるのは)14社だけですね。はい。
田中:ほやほやの。今ね。
橋本:いわゆるスタートアップですね。
田中:ここから行くということね。じゃあご紹介いただいたので、自由にみんなのほうからどうぞ。16時40分まで。はい。
質問者1:呉さんに質問があるんですけど、今まで20職やってきたとうかがったんですけど、その20職はなんで次の仕事にいかれたのか、なぜ辞められたのか。自分に合わなかったから辞められたのか。そこで十分な経験ができたから次の仕事に就かれたのか。そこをおうかがいしたいのですけど。
呉:ポイントを2つお話しすると、みなさんはこれからたぶん就活とかを始められるんですけど、何のために働くかというのは最近僕すごく考えていて。振り返ると27職やっていて、13歳から働いてたので、最初はそんなこと考えてなかったんですね。他人から「手伝ってよ」って言われたことを手伝ったのが仕事の最初のきっかけです。
それから、だんだん物を作ったりしてると「誰のため?」というのが出てきて。自分のために働くのか他人のために働くのかという、バロメーターがずっとあるんですよ。
29歳で独立するまでも、働いてきた働き方が自分のためと他人のためというのはずっと波があって、そのたびに職を変えてきたというのがあるんですよ。他人のために働くと無条件に仕事に打ち込めるんですよ。実際。家族のためとかもそうじゃないですか。好きな人のためとなったら何でもできるじゃないですか。
だけど、自分のためとなると途中で「俺、何のためにやってるのか?」とか、「俺、これやってて他人を幸せにしてるのかな?」みたいなものがあって、そのたびにリズム良く仕事を変えてきたというのがあるんですよね。
例えば、リサイクルショップで働いたのは、僕元々、小学校時代からラジオを直したりとかは好きだったので。リサイクルショップって中古で買ってきたクーラーとか冷蔵庫を修理して直して売るっていう仕事なんですけど。
その現場にいることが楽しくて最初やってたんですけど、それで喜んでくれるお客さんの顔を見るのが楽しくなっていって、そこで商売に触れて、だったらもっとお客さんがいる仕事だったらいいなと思って、物づくり業界にグイグイ入っていくんですよ。そこで料理人やったり、物を作って人を喜ばすというのをやったり、それはどちらかというと他人のためにやって。
自分も楽しかったので、僕は18歳とのときにレストランで料理人やってたんです。でも、そのときに阪神大震災が起きて、朝起きたらお店がなくなってて。行ったら店が全焼で焼け野原みたいになってて仕事がなくなって、そのときに「人は、いつ死ぬかわからない」と思いました。自分の家もなくなったので、これはちゃんと考えないといけないなと。考える暇もなかったんですけどね。
そうこう考えたときに、まず神戸を元気にしないと働けないなと思って、それから建築の勉強をしてゼネコンの現場監督になって、マンション建設にずっと従事していました。阪神大震災が落ち着くまで、4年半ぐらい現場監督でマンションをいっぱい建てたんですよね。それで神戸の復興のためになってきたんですけど。
ふと気付いたときに「このままでいいんだっけ?」ということを考えました。たまたまスター・ウォーズのエピソード1が公開された年で、「これからの時代はこれだ!」と思って。退職届出してその翌月にハリウッド行って、映画監督になろうと思ったりとか。けっこう、無茶苦茶なんですよ。無茶苦茶なんですけど自分の中でちゃんとシナリオがあって、仕事が嫌だから辞めたということは実は1回もないんですよ。
基本的には絶対トップをとって辞めるということを自分の中では心掛けてたので。27職種全部、この会社で上を目指すことがないなと思ったときに、自分の環境を変えるという意味でどんどん職を変えていったというのが、僕の27職種の経歴ということですね。
田中:だから27職種がぜんぜんネガティブな転職じゃなくて。
呉:全くない。
田中:すごくキャリアをポジティブに。我々は学部的にもキャリアデザインをやっているんですけども、キャリアデザインで悪しき知識だなって思っちゃうのが、大学を出て1つのキャリアを1つ積み上げていくみたいなのを何か洗脳されちゃうところ。
もちろんそういう時代じゃないから、3つ4つ転職していく人がだいたいマジョリティになっているっていうのはわかってはいるんだけど。それでもファーストキャリアはこれで、何年間やって、その経験を元にしか次の転職はないみたいな。呉さんのって本当に業界を超えていくじゃん。
呉:超えていきますね。
田中:ただ共通項として「つくる」とかね。「他人を幸せにする」といった大義があって、動かれているんだけど、それ聞いてどう思った?
質問者1:どちらかというと、よく聞くのは自分に馴染まなくて辞めていくというのが多かったんですけど、トップをとって、しかもけっこう短い時間じゃないですか。
呉:そうだね。
質問者1:短い時間でやりきれるからすごいなと思いました。その中で最終的に自分がやりたいことを見つけて事業を開くというその流れは誰も真似できないことだなと思いました。
田中:そうだよね。呉さんの真似はほとんどできないから(笑)。
橋本:なかなかできないですよね。
呉:おもしろかったですけどね。
田中:真似はできないけど、こういうふうに生きている人がいるって知るのはすごい大事だと思うんだよね。だからキャリアとかは本当に自由に掴み取っていけばいいという。2人からのパッションというのを、僕はすごい学べてます。
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