2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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――ちょっと戻りますが、昨日あなたが他のカメラマンとスチール撮影をしているのを見ました。あなたはジャズをかけていましたね。それはほとんど音楽的体験のようでした。あなたにとってなぜ音楽が重要なのですか?
カルメン:音楽は神経をリラックスさせてくれるの。それから、音楽は感情の中心を打つの。それはダンスから来ているものよ。私はとても身体的な人間なの。後になって学んだことなんだけど。
土曜日の絵画教室に行くために母が私をベッドから連れ出してくれたところまで戻らないといけないわね。その絵画教室が終わったら、母は私をプールのあるパークセントラルホテルまで連れて行っていたの。母は泳ぐのが好きだったから。もちろん私も、私が産まれたウェルフェア島のイースト川に入れてもらった時からこのかた、ずっと泳ぎは続けていたわ。ウェルフェア島は今はルーズベルト島と呼ばれているわね。1931年の頃は、市立病院だったのよ。
このプールとホテルを経営していた女性が、私が泳ぐのを見たの。彼女は母に、「あなたの娘さんは水泳の才能がありますよ、ここに連れてきてくれませんか、私がコーチしますから」と言ったのよ。その女性はオリンピックで優勝したエセルダ・ブレイブトリーだったの。彼女が私を鍛えてくれた。私はそれが大好きだったわ。
もちろん、それはつまり、私がベッドから出ることができたということよ。そう、私は週に4回ベッドから出ることができた。医者の命令に背いてね。でも泳げば泳ぐほど、私の心臓は健康になっていったわ。彼女は私を水泳へと大きく引き入れてくれた。
――リハビリのようなものだったんですね。
カルメン:1948年のオリンピックに向けてトレーニングしていたの。選抜テストも受けたわ。その頃には私はAAU(アマチュア運動連合)の水泳選手だったの。西海岸でもう1人の女の子と競争しなければならなかった。でもその頃にしては、私の記録は速かったわよ。タイムは聞かないで。50メートル自由形でね。その時みんなが、私は背泳ぎもできるってことを知ったのよ。あらまあ、何の話だったかしら? 完全にそれちゃったわね。
――話を戻しましょう。寒かったりしないですか? 何か必要なものはありますか?
カルメン:ちょっと肌寒くなってきたわ。多分、少しね。
――少し温度を上げますね。
カルメン:ああ、あなたはそんなことないといいんだけど。あなたのために私のセクシーな靴を履かせてもらうわね。私、何か話そうとしていたんだけど。何の話をしていたかしら?
――ジャズ、水泳……ええと、ジャズ、水泳、オリンピックです。
カルメン:そうね。私たちがアストリアに住んでいた頃、無原罪の御宿りの教会とカトリックの教義を知った頃、全部私の人生のこの時期のことだけど、私はアストリアのプールに行ったの。そのプールは1931年だったか、確かにはわからないけど、オリンピックのために建てられたものだった。そのオリンピックはそのスタジアムで行われたのよ。
そこには3つのプールがあった。飛び込みプールが1つと…そのプールはすごく大きくて、プールショーのためにモーターボートを入れてウォータースキーを乗り回させたのよ。それから一番奥には子供用プールがあったわ。
6歳までに、私はそこでプールショーを運営していたヴィグ・ゾベルに目をつけられたの。彼はこう言ったの。あなたの娘さんは……あれはエセルダ・ブレイブトリーよりも前のことだったわ。話が逆になっちゃったわね。思い出がいつも時系列になってるわけじゃないから。本当にごめんなさいね。
ヴィグ・ゾベルが母のところへ来て言ったのよ。あなたがこのお嬢さんのお母様ですね。私のプールショーに、彼女を参加させてもかまいませんか、とね。母はもちろんです、と言ったわ。私たちはもう一度、無料で入場することができたの。私はその頃にはもう、3メートルの飛び込み台から飛び降りていたわ。
そのプールショーでの私の出番だけど、スタジアムみたいな感じの、立派なコンクリート製の観覧席で観客と一緒に座っていたの。全部コンクリートでできている16フィート(約4.9メートル)の台が1つ、26フィート(約7.9メートル)の台が2つあったわ。一番上には30フィート(約9.1メートル)の台が1つあった。ええと、私は観客の中で座っていて、6歳か7歳かそこらの子供だったわ。7歳以上ではなかったってことは断言できる。私の人生だからね。ゴリラが観客の中に乱入してきて、そこから私を引っぱり出して肩に担ぎ、一番上の台まで連れて行って放り投げたのよ。
――つまり、ジョークだったわけですね。
カルメン:慎重に投げてくれたわよ、もちろん。でもそれは私の母の能力なのよ。母は一風変わったステージママでね。彼女はもちろん…。
――彼女はあなたにパフォーマンスをさせて、それで彼女は…。
カルメン:そう。それは母を喜ばせ、母と一緒に過ごした私の人生を楽にしてくれたわ。母には私しかいなかったから。母は、とても一生懸命に働いていて、家に帰ってきた時は疲れていたわ。私は母の足をもんであげていた。私たちはそうやって共生していたのよ。
――再び、情熱を持たずに仕事をする考え方についてですが、あなたはこういう人に何を言いますか? 私が知っている何人か、友達の友達などは、まったく興味のないことを仕事にしています。そういう人に、またはあなた自身の友達にでもいいですが、アドバイスをするならどのように……いつも100パーセント情熱を持って、100パーセントで仕事をするためにどんなアドバイスをしますか?
カルメン:あらまあ。私が人生で学んだ1つのことは、まあいつもそのことを理解していたように思うけれど、誰も私に意味のあるアドバイスをすることはできないということよ。話される言葉は信用しないの。子供の頃から、人は、本当に意味することは、絶対またはほとんど言わないというのを見てきたから。だから私にとってはいつも、言葉を信じることは難しいことだったわ。
――あなたの心や、内なる本能を信じることは……?
カルメン:それは感情でなければいけないわ。満足を感じられない場所にいて、それが仕事である人々に対しては、勇気を出してみるようにただ励ますでしょうね。何をすべきかなんて、誰にも言うことはできないわ。自分の想像を分析し、考え、利用すること以外にはね。想像のスピリチュアルな質を求めるの。考えはどこからやってくるのかしら? それは私たちが周りの物事をどう処理しているかということよ。私たちが聞き、見、感じ、触ったものすべてを。私たちがさらされているものすべてを。
この奇跡のような世界で何をなすか? 選択肢はとても多いわ。人は自らを狭い箱の中に閉じ込めているのよ。なぜなら人間は文明にとっても、また自分の家族単位の小さな文明にとっても、共生的かつ平和に機能するための、何かを達成して物事を幸せにするための、非常に重要なルールを最初から与えられているのだから。幸せは訪れるはずなのよ。人はいい気分になるようにできているの。
もしあなたがいい気分を感じていないなら、あなたが自分の船の船長よ。あなたが参加しているものの何が自分を不幸せにしているのかを見つけ出し、それをやめるかどうかはあなた次第。それが何かをあなたに教えてあげることは私にはできないわ。
――あなたを笑わせるものは何ですか? あなたを本当に前進させてくれるものは何ですか?
カルメン:私を笑わせるものは何か?
――はい。あなたを幸せにするものは何ですか?
カルメン:幸せ? ほとんど何でもよ。雨の日、雨が止んだ時の石畳の匂いとか。本当に感覚で生きているから、必要なものはとても少ないの。どんなささいなことでも、自分だけの喜びを与えてくれるわ。太陽の光や、花や、他の人の子供たちとかね。
――この動画で私たちが見ることになるものは、過去の自分の写真の何枚かを詳しく見ていくあなたの姿と、鏡とそこに映るものを見つめるという考え方です。一緒に仕事をした人により、そのカメラマンやその人の持つビジョンをあなたはどう反映させていますか? それともあなたがそれと折り合いをつけるのはいつも少し賭けみたいなものだったのでしょうか?
カルメン:あら。そうね、仕切っているのは彼らよ。仕切っているのはそのカメラマン。あの頃は、カメラマンはアートディレクター、ファッションエディターと一体となっていたの。彼らはスタイリストとは呼ばれていなかった。全員がスタイリストだったのよ。みんな、その頃は……こういう人たちはそんな人生を生きていたの。それはとても進化した嗜好だったわ。
彼らはみんなヨーロッパの祖国を捨ててきた人たちだった。第二次世界大戦の間、アメリカはスポーツウェアとセパレートを通じて自らを発展させたわ。お金持ちの女性たちに届くようなものは作れなかったから。
優雅にランチをとるような女性たちは、私はそのうちの1人だったことはないけれど、ヨーロッパに年に何回か行くのよ。自分のマネキンがデザイナーのところにあるからね。ワードローブのために行くの。
潜水艦や進行していた戦争によって、彼女たちが海を渡ることができなかったとき、若い国アメリカは自分で考えなければならなかった。セパレートとその製造法を開発し、着る準備は整った。それから戦争が終わって、ディオールのスタイルが入ってきた。それはまた違うシルエットだったわ。まったく、あなたは私にとても多くのことを考えさせてくれているわ。いい話題だけを素早く選ぶことはできない。ごめんなさい。
――大丈夫ですよ。カメラを調整するため、素早く5分の休憩を入れますね。
カルメン:あら、どうぞそうしてちょうだい。
――はい。では、ちょっとひと息入れましょう。
カルメン:ええ、私も少し…。
カルメン:物事をどう感じるかに責任を持つのは、私自身だと常に分かっていたわ。選択するのは自分なのよ。どのような時に、私が解決してほしいと思っている物事を、周りの人が解決できないかも分かっているわ。1つの事にそれほど関心をもたないの。
もし幸運なら、母親はそうしてくれるかもしれない。けれど大抵は、母親や父親は人生を共に生きられるわけではないわ。良い子育ては子供の自己充足の質を反映し、そして子供が1人の人間になることを助け、生涯持ち続けられるような規範を形作ることを助けるの。そうして子供に出発点を与えるの。それが私の両親が私にしてくれたことで、大恐慌が多くの人々にしたことなの。
ちょうどその頃、人々は飢えていた。住まいもなく、人々はセントラルパークで眠り、橋の下で眠ったのよ。それにパンの配給の列、酷い時代だったわ。
――その頃と比べて、現在女性として働くことはどのような感じか知りたいのですが。どのように変わったでしょうか? どのくらい楽になったでしょうか? 今もまだその頃と同じ課題があるでしょうか?
カルメン:今働くのと比べてどれほど違っていたかを表現するのはとても難しいわ。例をあげると、1930年代の最初の恐慌のあと世界は全体的にどれほど変わったでしょうか? どのぐらい多くの建物があるでしょうか? どれほど人口が増えたでしょうか?
私の仕事は、ほとんど家内工業のようなものでしたが、今や社会を動かす巨大な力の1つになっているわ。誰もが自分の物をとても重要視している。物というのは、衣服であれ宝飾品であれ身体に身に着けるものよ。自分の周りを家や、ボートや、飛行機でかためているけど、それはいったい誰なのでしょう? 個性はどうしたのでしょう? 生きることの意味への理解はあるのでしょうか?
自分がいずれ死ぬことを理解していたわ。ただ母親が死なないようにとだけ望んでいた。母のことをとても愛していたの。子供の頃、時折そのせいで泣いていたわ。母はこういって助けてくれたものよ。「私は今ここにいますよ」。痛烈なユーモアのセンスを持っていて、「もし死ぬときはちゃんと教えてあげるから。」って言うの(笑)
――お母様は、強い女性の見本だったようですね。今はあなたが、ご自身のお子様の見本となっています。職場において、強い女性であることはどのぐらい重要でしょうか?
カルメン:一番大事なことから言うと、自分自身がどういう人間なのかをはっきりさせるために学ぶことよ。確実に破滅をもたらす唯一の嘘は、自分につく嘘なの。それ以外の嘘は全て手段で、生活のための政治といえるものよ。ワシントンの政治とは違いますが、生活の全ては交渉事ですからね。
自分は、自分自身が責任を持つ領域なのだということを、すぐに心で理解しました。そこでは、自分が脚本家で、アート・ディレクターで、衣装係なのよ。外の世界に示すための、内なる演劇を書かなければならないのです。転々としていたせいで、私は読むことを習いませんでした。誰も私が、乱視で、活字を他の人と同じように見ることができないことに気付かなかったのよ。
理解はよく、教師に好かれていたから、学年を引き上げてもらえたわ。8年生まで進んだの。本当の私の教育は、学校の中ではなく、外でなされたのよ。障碍があり、読めなかったの。43歳になる前に何が悪かったのか分かりましたが、あまりにも長くかかり過ぎたわ。さまざまな人を眼医者に連れて行ったけど、自分は行かなかったのよ。自分が正しく物を見ることができていないと気付きもしなかったの。
ある眼医者がそれに気づいたわ。「ええと、なぜあなたは眼鏡をかけないのですか? 眼鏡をかけたことは?」「ありません」「学校の成績はどうでした?」「良くありませんでした」「見えないですからね」「ええ? なんですって?」
健康には気をつけましょう。軽視してはだめよ。他の人には、こうアドバイスするのです。タバコを吸わないこと。飲酒はできるだけ少なくすること。酒を飲むのは罪ではないけれど、そのせいで自分を害するのは罪。なぜ人生を無駄にするの? なぜ脳味噌を無駄にするの?
誰もが違っているから、私にとっては良いことが、他の人にとって良くないこともあるわ。けれどタバコはだめ。科学は多くの情報を与えてくれるので、十分予防的に生活することができ、私はそれを活用しているの。他の人に良く言うわ。自分自身のシステムを知らないなんてばかだ、って。彼らの答えは「ああ、でもそれをやらないのは理由があるんだ……」。そう、なぜ自分がそれをしないか分かっていて、意識的に、なにもしないという決断をしているのよ。
自分のバックストーリーは自分で作らなければなりません。そして、いつもその場の判断でやってはいけないことよ。時にはそれは有効ですし、私もそうして切り抜けることはあるわ。けれど、急いで行動して、しっかりした足場に立っているか自信がないときはいつも、振り返ってもう一度チェックし、正当さを確認するようにしている。決して自分を欺いて生きたくないの。それは、究極的には自分への不信につながるわ。
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