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慶應義塾大学大学院・夏野剛×志水巨宜(全2記事)

夏野剛「考えるチャンスが僕を育ててくれた」新人時代の恩人と振り返る、新規事業での日々

第一線で活躍する人々の陰に「恩人」の存在あり。彼らは恩人からなにを学び、活かしてきたのでしょうか。本企画は今活躍する起業家や実業家、経営者らが恩人と対談するログミーオリジナル企画です。今回は、慶應義塾大学の夏野剛氏が登場。夏野氏が「恩人」と呼ぶのは、新人時代の上司・志水巨宜氏でした。当時「どうせたいした仕事はしないだろう」と構えていた夏野氏を待ち受けていたのは、新規事業での日々。そこで出会った志水氏から学んだこととは?

「ここなら社畜にならないかも」で選んだ東京ガス

――本日はよろしくお願いします。今回はログミーオリジナル企画「恩人対談」ということで、夏野さんと、その恩人として志水さんにご登場いただきました。

さっそくですが、お2人は東京ガス時代、上司部下の関係だったとうかがっています。当時、夏野さんは新卒社員だったという。

夏野剛氏(以下、夏野):そうですそうです。僕が東京ガスに入ったのは1988年。最初の3ヶ月は新入社員教育というのがあって、めちゃくちゃ暇で……。

(一同笑)

だから僕、だいたい半日くらいは喫茶店で暇をつぶしたりしてて。……今だから言いますけど、最初の3ヶ月は夜な夜なリクルートでバイトしてたんですよ。

志水巨宜氏(以下、志水):それは知らなかった(笑)。

夏野:学生時代からリクルートでバイトしていて。当時、僕自身も東京ガスのような会社へ就職するとは思ってなかったんですよ。ではなぜ東京ガスを選んだかというと、ひと言で言えば生活のすべてを会社に握られたくなかったんです。

住居の移転を伴う転勤がある会社って、身も心もプライベートも土日も、すべて会社に捧げることになるじゃないですか。でも、東京ガスにはそういったものがなかった。内定をもらったときに考えたのは「社畜にされるのは嫌だけど、東京ガスだったらそうならないかもしれない」でしたね。

入社してみたら案の定、新入社員研修なんかがあって暇でした。「どうせ最初の3年くらいはどこの会社でもたいしたことない仕事をやらされたりして、能力なんて問われないだろう」と思っていたんです。なので、新入社員期間中は学生時代から引き続いてリクルートで違う仕事をやっていたんですよ。リクルートの人たちもおもしろがってくれて。

なので当時は、17時半には退社して、18時にリクルートに出社。そこで22時まで働いて、翌朝8時半にはまた東京ガスの研修に出る……という生活をしていました。これは、もう時効だから言えるんですよ。

志水:時効かどうかは……?(笑)。

夏野:時効ですよ!(笑)。当時は見習い期間だったし、正式な社員じゃなかったですし。

志水:なるほどね(笑)。

配属された新規事業の部署で、上司・志水氏と出会う

夏野:入社した当時は「つまらない部署とか支店に配属されるんだろうな」と思っていました。そうしたら、いきなり本社配属だったんですよ。当時「空調営業部」って言ってましたっけ? 今で言う都市エネルギー事業部です。

志水:そんな名前でしたね。民生用の、非家庭用のお客さんに……。

夏野:そういうガス用語を使っちゃダメですよ!

志水:(笑)。

夏野:そもそも都市のエネルギーのほとんどが空調用なんです。電灯よりも、冷暖房のほうがエネルギーをたくさん使っているわけです。都市の再開発をするときは、再開発地区全体のエネルギーシステムを東京ガスと東京電力で取り合っていました。その最前線……まぁ、新規事業ですよね。

建築とか設備工学とかエネルギー力学とか、あとは新技術。当時はコージェネレーションという、熱で併給するものが出始めてました。現在六本木ヒルズに入っているものですね。そういったものを、電力vsガスで陣取り合戦をやっていたわけです。

――じゃあ、配属されてからリクルートでのアルバイトは……?

夏野:リクルートのバイトは続けられなくなりました。あまりにも忙しくて。完全に新しい部署で、次から次へと仕事が出てくる。そこにいたのが、志水さんでした。

志水:そうだね。先ほど、夏野さんが入社したのが1988年と言っていたけれど。1985年くらいからバブルが始まって、大型案件が急に増えたんですよ。それまではえらく冷え込んでいたんだけどね。

夏野:都市開発も、1985年以降に一気に活性化した。1987年にアークヒルズができて、いきなりブワーッと都市開発が出てきたんです。

志水:だから、人がいなかった。

夏野:いないいない。そもそも新規事業だから、ガス事業の経験がまったく活きない。だから、社内から人を集めるのも難しかったんです。

志水:僕は研究所にいたんだけど「新しい仕事だから移動するように!」と突然言われて。実際に行ってみると、その仕事に関して経験がある先輩がほとんどいなかったんですよね。

夏野:もろに新規事業(笑)。でもスケールが超でかい。1プロジェクト、最低でも10億円単位でお金がかかっていたんですから。

志水:おもしろい仕事なんだよ。でも、みんなわからなさすぎて常に手探り。「誰が電話をかけるか」すらも役割分担から決めないといけなかったんですよね。

夏野:そうでしたね。

配属されて3日目で「いいものを作りますよ」宣言

志水:僕たちは、いいペアだったんですよ。なにが良かったかというと、夏野くんが部署に配属されて3日目くらいに「志水さん、僕に提案書を書かせてください。いいものを作りますよ」って言うんですよ。

夏野:そこまで言ってないはず……(笑)。

志水:言ってるよ、だって覚えてるんだから!(笑)。

夏野:要するに、僕はコンピューターおたくだったから。実は、当時は営業先の設計事務所やゼネコン、デベロッパーへの提案書をみんな手書きで原稿作っていたんですよ。それを印刷会社に頼んで1週間くらいで印刷されたゲラができる。それに修正を加えて何日かかけて修正する……ということをやっていたんです。

志水:下手すると、提案書を作るのに1ヶ月くらいかかってた(笑)。

夏野:僕からすると、そのやりとりが信じられない。だから「こんなの、自分でやりますよ」といって、当時は一太郎というソフトで文章を、花子という描画ソフトを使って図面を……。

志水:あったあった! 写真をつけたりね。

夏野:そうやって、どんどん創意工夫して、フリー素材を持ってきて写真を付け始めたりしていました。だって、それ以前のやり方だと、1件あたり20〜30万円のコストがかかっていたんですよ!

――えっ!

夏野:「それ、俺の給料じゃねぇか!」って思って。だからいきなり自分でやり始めちゃったんですよ。そうすると、ほかの人から頼まれるようになって、僕は提案に行かないのに、資料作成だけ頼まれるように……。

志水:資料を作れるからねぇ(笑)。

夏野:カラーにしたり、フォントソフトを使ったり、ものすごくきれいな提案書をどんどん作るようにしていったんです。

そのときに感じたのは、同じ課長でも仕事のさせ方の違いです。作業として「やっておいて」という人と、「ここはどう思う?」と聞いてくれる人がいる。聞かれて答えたりした提案書のほうが、提案先がどういう気持ちなのか、どういうスタンスなのかがわかる。だから、聞けば聞くほど、いい提案書ができるんです。

一方、作業としてやらせようとする人の場合。例えば「君は新入社員だからわからないでしょ?」みたいな人はそもそも相手の気持ちや事情といった情報がないから、当然ながら、いい提案書はできない。

それでいうと志水さんは前者であり、「こういう背景があるんだよね」「だから、君の好きにやってみて」と言ってくれる人でした。考えるチャンスがあるんです。提案の場にも連れていってくれるし。すごく育ててもらいましたね。

夏野氏「コンピューターは僕の武器だった」

夏野:「コンピューターおたく」と言っていますが、僕は一応、文系です。でも、コンピューターが一番使えたし、武器だった。当時は誰も自分のパソコンなんて持っていない時代でしたけど、僕は家から持ってきたりしてて。

志水:そうだったね。

夏野:NEC98とか使ってましたね。しばらく自分のものを使っていましたけど、そのうち会社が買ってくれたんです。

志水:時代も元気だったけど、夏野さんも元気でしたね。

夏野:本当にありがたかったですよ。チャンスをいっぱいもらえて。

あのころ、勤怠管理とかしないんですよ。僕の勤務表を管理する人はいましたが、志水さんを含めて、みんなとくになにも言わない人ばかりだったんです。

――なんというか、柔軟な方が多く……。

夏野:いや、そうではない人もいましたよ。ちゃんと教えてくれなかったり、けっこうチクチクされました。でも、それはしょうがない。人間ですからね。

志水:夏野くんは明らかに周りとは違ってましたからね。周りの評価も良かったし。

夏野:いやいや、それは志水さんがどんどんいろんな人を紹介してくれるからですよ。通常だと、新入社員や2年目の若手とか、得意先から電話がかかってきて「志水さんがいない」「上司がいない」となると、「じゃあまた」って切られちゃう。でも僕の場合は、そのまま普通に相談してもらったりしてましたね。

通産省(=通商産業省、現・経済産業省)にもかわいがられましたよ、事業許可・認可をとるときにけっこう頼られて。他の案件の相談とかも来てたし。

志水:そうそう。

夏野:東京ガスには5年しかいなかったんですけど、3年目ぐらいにはけっこうもうベテランになっちゃって。なぜなら、その業界が新しいから。もうなんか、名前を知らない人はいなかったですよね。

志水:あの部署にはいろんな案件があったんです。いろんな案件が、いろんなシチュエーションで同時進行していた。だから、おもしろかった。

夏野:六本木ヒルズの構想も、エネルギーシステム以前の土地買収やってる頃から森ビルと話してたし。志水さんと一緒にやったのは千葉のそごうのところね、駅前とか。港北ニュータウンとか。

志水:日本たばこ(日本たばこ産業株式会社)もあったよ。

夏野:やりましたね。設計から始まって提案し、事業化し、料金作って、交渉して、全部やって。おもしろかったですよね。

志水:おもしろかった。

状況は変わる、でもブレなければ大丈夫

――当時はお2人が組まれて、なにか印象的だったこととか、今でも覚えてることとかありますか?

夏野:いっぱいありますよねぇ。

志水:あるねぇ。

夏野:なにしろ、新規事業だから、状況がいろいろ変わるんですよ。例えば競合の会社、我々の敵は東京電力だったんで。「東京電力から新しい提案が出た」「それは政治家から落ちてきた」とかね。

そういうなかで、志水さんはすごく臨機応変なんですよ。「今日はこの提案でいこう」と言って準備しているところで新しい情報が出てきたりすると、すぐその場で「じゃあ、ちょっと違う感じでやろうか」と打ち合わせなく変更して進める。あれはね、ほかの人はできないですよ。用意された通りのことしか言えない人のほうが多いですから。

こういうことは、志水さんがすごかったですよ。

志水:そうかな?

夏野:そういうことができる人たちと、まったくできない人たちが混在していて。

当時の僕は末端にいましたから、あらゆる人と仕事をするわけです。勉強になりましたね。情報の大事さ、それから臨機応変さ。とにかく状況が変わっていく。変わっていくことに対して、自分の会社にとって一番いいことさえブレなければ、フレキシブルでいい案を作れるんですよ。

志水:用意した内容でしかプレゼンできない人、あとは打ち合わせをやっても、自分たちの宿題を認識できない人。そういった人は、実は多かったですね。

新人・夏野氏、上司に注意する

――勝手なイメージですが、夏野さんは上司から注意されるような印象があまりないですね。

夏野:注意はねぇ……。まぁ注意めいたことをされたのはよくありますよ。

志水:僕は怒られてたんですよね、逆に。

夏野:えっ、それはないでしょう(笑)。

志水:あるよあるよ。腕時計が安っぽいって。「社会人なんだから、少しは立場を考えてください」って言われた。

夏野:ああ、そうだ。子供用の腕時計をしていたんですよね、確か。それで「年齢を考えてくださいよ」「その時計はないんじゃないですか」って言ったかもしれないです。

志水:新人に怒られるという(笑)。

夏野:まだ携帯がなかったですからね、あの時は。

志水:なかったよ~。むしろ馬鹿にしているところもありましたね。夏野さんがドコモへ行ったころでさえ、「携帯電話なんて」って言ってたんですから。

夏野:ところが。

志水:そうそう。「ところが」だよ。今日も携帯電話を忘れてコンビニに行って、「あっ、いけね、支払いができない」と思った(笑)。

夏野:いやぁ~、よくそこまで浸透しましたよね(笑)。

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