2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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吉岡(以下、吉):皆さん、こんにちは! いつも若い人には何を話そうかなと思うんですけど。皆さんに僕が一番最初に言いたいのは、これから起業したり、自分で何か新しいチャレンジをしたいと思っていると思うんですけれど、一番大切なのはとにかくアウトプットする事。
アウトプットを準備しながら行動して、あるいは習得していく事ですね。これがなければ、人生変わらないですね。日本の教育の今一番の問題は何かと言うと、とにかくインプットばかり教えている事です。教える方が楽なんです。みんな学ぶの大好きで、セミナーがあると言うと今回みたいにやって来て、こういう所に座って、大学の授業があるといったら大学の講義を聞いて、終わり。そして人生何も変わらない、という事なんです。
セミナーに出たり、何かを聞いたり、あるいは何かを学んだりする事は、貯金するような作業だと思ってもらったら良いですね。貯金をするでしょ? 貯金をすれば気持ちが良いんですよ。いつも貯金通帳をこうやって見て、あぁ今日は100万、今110万、120万になった、にんまりしている人は世の中にたくさん居るんです。でも、それは一時気持ちが良いかもしれないですけど、人生は何も変わっていないです。
お金というのは、使った時に初めて人生が変化するでしょ? どういう風に使うかで変化するでしょ? それと同じで、セミナーに出たり、人の話を聞いたり、良い出会いを持ったり、それは貯金してる作業ですから、必ずアウトプットしなければ。
今日、皆さんここに座ったでしょ? じゃあ、今日ここに座って、何をアウトプットしてやろうかと構えて来ないといけないです。小さな一歩でもいいです。小さな投資でもいいです。10年後に花開く投資でもいいんですけど、必ずアウトプットを常に自分のこの辺に意識して、とにかくこれをどう使ってやろう? どうアウトプットしてやろう? と。
そして教える方もね。今日教えたこの物理学が、あるいはこの数式が、この古典が、この和歌が、みなさんにとってどういう風に人生に役に立つのか、どうアウトプットされるべきなのかという事を説けないといけないですね。人様々ですけれども。
今、僕たくさんの事をやっているんですけど、今48なんですね。だけど、じゃあ30年カチカチカチっと時間を呼び戻して、皆さんと同じ歳くらいになった時に何をしていたかと言うと、本当に僕は勉強も出来ず、とにかく毎日ふらふら遊んでたんですね。だけど、毎日少しずつアウトプットして、そして時間やエネルギーをかければ、今みたいな事が出来るようになってきたんですね。
2004年にジャパンハートという組織を作ったんですけど。2004年から始まって、色んな事を色んな所でやっているんですけど、海外では、ミャンマーとカンボジアとラオスで手術をしていますね。ミャンマーでは、1年間に2000件以上の手術をします。30年前に時間を引き戻せば、全然大した事ない、ただの若者というか若僧だったのが、30年の時を経て今、2000人以上の人たちの人生を握るような事をやるわけです。
これは、皆さんだって同じ事が出来るんです。やった事が大きいか小さいかはあまり重要じゃないんです、自分の人生にとっては。例え小さな事でもいいんですね。だけどやっぱり前にエネルギーを出しながら、少しずつアウトプットしていくという事を、自分のテーマに添えて、とにかくガンガン前に進んでください。
驚くべき事に、時間が、エネルギーがかかれば、今から考えられないような、10年後の自分とか5年後の自分になっていますから。僕は48でしょ? 医者になった時に、本当に良い医者になりたかったんです。腕の良い医者。世間から評価される医者。
去年僕はここで同じ会で喋った時に、こう言われた事があるんですね。「先生、その良い事って色々ある。だけど俺は金持ちになりたいです」と言われたんです。「成功して金持ちになりたい」と言われたんです。で、僕は「なれなれ!」と言ったんですけど。
ひとつ言えるのは、金持ちになったからといって、何も幸せじゃないです。金握りたい人は握ったらいいですけど、別にお金が自分の人生の幸せと直結しないから。さっき言ったように、それをどう使うかで人生は決まるんですけど。金を一生求めて彷徨っとけと思うわけです、僕は。それを自分でどう使うかが大切なんですね。
今たくさんの事をこうやって、海外で実際に人の人生に関わるような事をやっていて、じゃあ今幸せで満足なのかというと、全然それもないです。本当に良い医者になりたくて、たくさんの人を助けたくて、なってここまで辿り着いたけれども、だけど、別に満足なんかしていないです、全然。
今日例えば皆さんが、若い時にね、美味しいもの食べたいと思うでしょ? 食べるでしょ? 3日食べたら飽きるでしょ? 人生も同じなんです。どんな成果を残しても、恐らく同じ所に留まっていたら、人間というのはもう満足できなくなるんです。それは、人間の本能だから、性だから。
なれますよ、皆さんだって。成功したいとか、お金が欲しいとか、色々成功の雛型がありますけれど、でもそれはゴールなきゴールに向かって突き進んでいるみたいなもので、決して満足する所は来ないです。
だから大切なのは何かというと、例えば企業、大きな企業が、今回も社長達がしゃべるでしょ? 恐らく僕はわからないですよ。どんなに大きな企業を作ったって、迷いはあるし、不安感はあるし、ゴールがないから焦燥感があるんです。だから起業家はどこまでも自分の企業を大きくしようとするんです。満足しないから。
皆さんから見たら、相当満足なすごい人かもしれないけれども、本人達は満足していないです。生涯そうやって彷徨って、ずーっといくんです。僕はどうしたら人生満足してうまくいくかなぁと思ったら、もうたった2つの方法しかないと思ったんです。
1つは、人間というのは両面性があるでしょ? 同じ人間でも善なる部分とそうじゃない部分があるでしょ? 自分が本当はとことんその世界で一部突き抜けたいと思えば、もう徹底的に悪になれるか、徹底的に善になるか二つしかない。
例えば、ここで皆さんを一気に僕が撃ち殺したって心痛まないような、そういう人間だったら、そっちの世界でたぶんのし上っていける。でも普通の人間には出来ないから、そういう事をやり続けることは出来ないから、どっちにしろ悪い世界にいたって、中途半端になるんですよ。
それならば、良い事をやっていった世界の方が、心の葛藤もなく前に進んで行けるんですね。だから僕はそっちにいるのかもしれないですね。今から、僕がこれまでに経験した子供達を見せますね。
最初にちょっと言っておくと、日本で一番プロ野球のピッチャーで勝った、勝利投手で金田正一さんという人がいたんです。400勝。大リーグはサイ・ヤングですね。サイ・ヤング賞のサイ・ヤングですね。で、彼らは最も勝利を得たピッチャーです。でも実は彼ら二人は、最も敗戦の多いピッチャーでもあるんですね。
僕は恐らく、誰よりもたくさん患者を診て、誰よりも多分失敗をたくさんした人ですね。僕が子供の外科のテクニックを学んだのは、もう今77歳の人ですけれど、その人がその友人にね、「医者っていうのは、何人か子供を死なせないと一流になれない、一人前になれない」と言ってたんだよって、その友達の人から聞いたんですけど。
僕は知らず知らずのうちに……「僕はあの子死なせたのかなぁ?」とか思うわけですよ。普通はね「あぁ自分のせいであの子は悪くなったかな? 死んでしまったかな?」と、反省するんです。だけど僕は本当に確信犯なんです。確実に僕のせいで死んだっていうのが、何件もあるんです。
例えば僕がヤクザの人間で、殺そうと思って殺したら楽なんですよ。だけど、本当に人を助けようと思って、殺してしまった時のこの感覚は、やっぱりこれ以上辛いことはないかなというような感覚です。この感覚を味わわないために、何でも出来るようになろうと思うんです。
僕はミャンマーで、海外で手術する時に、ろくな道具は与えられていないし、日本と同じ環境ではないんですよ。だけど、この環境でやろうと決心したんです。で、やり続けて、自分のせいで人が死んでいくんです。だからもうそれは、言い訳しないと決めています。もう俺が殺したと思います。
親がそこで泣き崩れて、子供の亡骸を抱いているシーンをずーっと見ていますよ。その時は、自分が死んだ方が楽だなぁとも思う時も多いですね。だからそういう人生を、そういう経験を何回もしてくると、人をシンプルに診るようになってきて、色んなことに色んなことを感じるようになってきて、今日はそれを皆さんに話すんですけど。
僕がどういう子供たちと出会ったかを、よく見せている画像なんですけど、まぁ初めての人も多いと思うので見せますね。たくさんの人たちが傷ついて、亡くなっていく子も多いのでね。人は亡くなるんだけど、せめて心ぐらい救われたらいいなと思いながら。
あるいは、逆に肉体は助かっても心は救われなかったら、何のために生きているのかわからないので、せめて心だけでも救えるような医療を、この世に実現したいと思い始めたんです。それで、その話を少しします。
まず、僕が今行っているミャンマー。ミャンマーは、最近テレビでたくさん出ているので、知っている人も多いと思うんですけれど、まぁタイの隣の国ですね。東南アジアの国。僕が初めて行ったのは、1995年の時。ちょうど30の時だったんです。たった一人で、100万円握り占めて飛び込んだんです。軍事政権だったんですけど、去年まで。どういう政権かも全く知らなかったです。
ただそこに一人で、医療をするために乗り込んだだけです。当時、一日の彼らの収入が30円ぐらいです。小作でね、農家の人は。盲腸の手術をするのが2万円、3万円の世界ですから。保険は無いでしょ、当然。だから病気になったら、とにかく生きるか死ぬかというか、運が良ければ助かりますと。あるいは、今から見せるような子供達は奇形を抱えたまま生きるんですね。
これ日本では昔「ミツクチ」って言った病気で、口唇裂っていう病気があるんですが、13歳の女の子ですね。前から見たらこうです。
このまま一生生きているんです。このまま一生生きるんですよ。なぜかと言うと、1万円、2万円がないから。親も、可哀そうだけどこのまま生かしているんです。
この子は13歳でね、当然結婚は出来ないです、こういう顔をしているから。で、朝からこの子も農家ですよ。朝から田植えして、作物育てて、一生終わっていくんですね。僕らの所は今、外国人達が寄付してくれますので、ここへ辿り着けば手術タダ。タダなんです。
だから、ここへ皆さんやって来るんですね。それで1年間に1000人も2000人も手術しないといけないんですけど。これを1時間くらいの手術です、僕がすればね。こうなります。
こうなればね、学校も行って、結婚して、また子供がここから生まれてくるわけです。この子から、次の子供へ命が繋がっていくんですね。もうたった1時間でですよ、たった1時間。
医療があるっていうのは本当にありがたくて……。ある子供がね、生まれたばっかりの子ですよ。お尻の穴がない子がいるんです。生まれつき腸閉塞の子がいるんです。これは面白くて、人間というのは生まれた時から心臓病の子がいるでしょ? 同じように、生まれた時から腎不全の子もいるし、子宮の中から白血病の子供もいるし。色んな、生まれた時から癌がある子が沢山いるんです。
この子は生まれた時から腸閉塞だった。お尻の穴がないとどうなるかと言ったら、ご飯食べてもうんこ出ないでしょ? だから、段々段々お腹が張ってきて、段々段々出なくなってきて、空気のんだり、唾液飲んだり、腸の液が出るでしょ? 胃酸も出るでしょ? 溜まってきて最後どうなるかと言ったら、口からうんこ吐くんです。そして、死んでいく。
生まれて3日目くらいに、母親が気付くんです。うんこが出てないと。お尻の穴を見たら、お尻の穴がない。3日目ですよ、まだ産んで。それで母親とお祖母ちゃんとお父さんの3人がバス、満員のバスにですよ? イメージあるでしょ? キツキツのバス。あれに乗っかって3時間。一番近くの町へ行くんです。ずーっと並んで、医者に診せたら「ここの町では、ちょっとこの赤ちゃん、出来ない」と言われるんです。
「もっともっと一番大きな町に行ってくれ」と。またそこから8時間。その満員のバスで8時間ですよ。生まれて3日目。産後3日目ですよ。赤ちゃんも大変ですけど、母も大変ですね。で、行くでしょ? そしたら、一番大きな病院に行って、恐らく夜まで待たされたんです。
で、部屋に入れられて、まず最初に何を聞かれるかというと「お金いくら持ってる?」って聞くんです、医者が。だからその母親は「先生いくらかかりますか? この子の病気を治すのに」って聞くんです。
そうすると医者は「これこれこれくらいかかるよ」と言うんです。そうするとね、払えない。払えないんですよ、田舎の人だから。じゃあどうするかというと、黙って子供を抱いてくるっとひっくり返って、反対を向いて帰ってくるんです。トコトコと。村へそのまま帰って行くんです。要はそのまま死なせるためにね、帰っていく。
昨日か一昨日か、日本にミャンマー大使館がありまして、その大使とか公使と一緒に食事をしていたんです。そうしたら、大使が僕にこう言ったんです。「先生、信じられないかもしれないけど、これ僕の経験からだけど、周りにそんな人がいっぱいいたから、たぶんそうだったと思う。僕が生まれた頃は、11人兄弟で4人死んでいる」と。
僕はよく田舎に行くとね、田舎のおばちゃん達が多産なわけですよ。10人くらい、主に田舎の人たちは。そこで、よく言っていたのは「あそことそことそことそこに、子供が埋まっています」と。家の前に。もう10人産んだら4人くらい死んでいるんですよ、どこの家も。でも、5、60年前は日本も一緒ですよ。兄弟いっぱい亡くした人がいっぱいいたんですよ、5、60年前は。変わらなかったです。ただ、今の日本があるいは世界先進国がこうなっただけで。
その親もね、言われて帰ろうとした。帰ろうとしていたんですよ。そうしたら、医者が「ちょっと待て!」と言ってくれたんです。「そういえば、この大きな川の対岸に、日本の医療チームが来ていると聞いている。あそこならば、タダで診てくれるかもしれないから、帰って死なせる前に、一回訪ねてみたらどうだ」と言って、2時間また川をぐーっと迂回して橋を渡って来るんです。
もう来た時は夜の9時くらいですね。真っ暗になっていた。来た時はもう子供のお腹はパンパンで、口からうんこの臭いがしているんです。それを僕らの日本人のスタッフ達は喜んで受け入れて、その後、僕がいたので30分くらいの手術ですよ。ここに(右脇腹付近)肛門作るんですけど、それで助かった例です。
あと火傷の子も非常に多いです。
野口英世の時代と一緒ですから、時代背景はね。こうやって小さい時に火傷を被るでしょ? このままなんです。なぜかと言うと単純で、診る医者も居なければ、お金もないから。さっき言った通り。
これは10歳の女の子ですね。この子は足に火傷ですね。
もうこのまま生きているんですよ。これ小学校の高学年ぐらいの女の子だと思いますけど。
これは10歳の男の子ですね。これは全身火傷ですね。で、これは手首が……みんなの見ているのは、掌ですから。手首と、手の甲が引っ付いてるんですね。
この子は、さっきのDVDの中で出てきた子ですね。こんな感じです。
皆さん、この白い所、足の裏ですよ。足の裏とすねが引っ付いてて、あの膝の裏ですね。とにかくもう火傷とか、ものすごい多いんですよ。この日本みたいに、なかなか良い麻酔がないので、出来ないので、とにかく非常に簡易麻酔でやるんですね。だから一度の手術で長い時間の麻酔をかけられないんですよ。
日本だったら、ちょっとおかしかったら人工呼吸器とか、そういうのがあるでしょ? だけどさっきちょっと出たように、停電が激しいので、人工呼吸器なんて回したらいきなり止まったら死ぬでしょ? だから、なるべく人員的にというか、人がコントロールできるような道具でやるんです。人の力で。
ある時はそういえば昔、本当にね、気管内挿管ってこうやって入れるでしょ? 人工呼吸器がないですから。これでね5日間、もうみんなでずーっと酸素を送っていた事がありましたよ、自分で。代わりばんこでみんなが起きて。5日間ぶっ続けで。1分間に何回もやるでしょ? 5回とか10回、最低。それを5日間やったことがありますよ、人海戦術で。
そういう前提でやっているんですね。これも治療が僕の所だけでは無理なので、ガンガン子供達が来て、タダで治療が出来るので、入院期間も延ばせるんですね。これはまぁ、6ヵ月。6ヵ月治療にかかりました。
現地の医者では、これ足切られるんです、スポーンって。で、義足ぽこっとはめられて生きていかないと、杖ついてね。だけど、治る可能性が0じゃなかったので手術したんです。でも6ヵ月かかりました。何回もやって何回もやって。
この動画は看護師さんに撮らせに行かせたんですね。この子の夢は「小学校に行く事」。6歳だけど歩けなかったからね。これ6回くらい手術しましたね。で、今小学校に行っています、こいつ。
で、これはあれかな? さっき言った赤ちゃん、生まれて24日の赤ちゃんですよ。で、口の中から癌が出てきた、この子は。もうミルク飲めないんですよ。で、お母さんが「子供がおっぱい飲めません」って連れて来たんです。それでもう子供お腹空いているからね、口をちゅぱちゅぱやるでしょ、赤ちゃんって、お腹空いたら。ずーっとやっているんですよ。
僕は普通の医者でしょ? 日本にいた時。普通の臨床医だったわけです。特別、行政にも関わっていないし、ただひたすら患者を診てきた、子供を診てきた医者だったんです。
今の海外医療をやっているところっていうのは、いかに安いお金で、いかにたくさんの人間を助けるかがコンセプトなんです。ミャンマーは癌になったら絶対に死にますから、子供でも。もう治療続かないから。そういう人にお金を費やしたりするのはナンセンスなの。どうせ助からないから。だってすぐ死ぬでしょ? この子死にますよ、1ヵ月後くらいに。
だからそういう子に、本当はお金かけないんですよ。だけど僕は手術したんです、この子の。この塊を掻き出して、手術したんですよ。なぜかと言うと、この子になんか死ぬまでにね、もう一回だけ腹いっぱいミルク飲ませてあげたかったんです。
それでこの母親にもね、もう一回だけ、我が子をね、生まれてきて1ヶ月も経っていないのに死んでいくでしょ? 死んでいく前に、一回だけ元気になって、お腹いっぱいミルク飲んでくれた。そうして、すやすやとお腹いっぱいになって眠っている我が子の感覚をこの母親に残しておきたかった。
じゃないと、この子生まれてからずっと悪くなって、一回も良くならなかったら、辛い記憶でしかないから、家族にとってはね。もう忘れられていくんですよ、子供が。遠い記憶として。思い出したら辛いからね。だからとにかく生きている間に、家族にも、もちろんこの子にも、一度だけ、良い記憶をね、残しておきたかったんです。で、手術したんです。
これが次の日ですね。ミルク飲めるようになって、そして翌日帰っていきました。それから来てないです。たぶん死んだと思います、近い将来ね。だけど僕の出来る事は、これくらいが限界だったんですね。
これは甲状腺癌のカンボジア人の女の子なんですけどね。十何歳の子ですよ。死んでいくじゃないですか、癌の子供達。甲状腺の癌というのはちょっと普通の癌とは違うので、長生きするんですけど、とにかく生きている間に、家族と良い思い出を作ってもらおうと思って、医療者が一生懸命旅行させるんです。付き添って。
福岡の製薬会社が協力してくれたので、この子とポリオという病気になった女の子と二人、家族と一緒に連れて来たんですよ、日本に。連れてきて、ずっと旅行させたんです。これで良い思い出作ってくれててね、帰ってくれて、もう先はどれくらい長いか短いかわからないけど、良いなと思っていたんです。
そうしたら、製薬会社の人もみんな協力してくれてやったんですけど、お母さんが、この子のお母さん中学校の先生なんですけど、カンボジアで。「旅行楽しかったー!」って、「こんなに娘が本当に笑ったの久しぶりに見た」って言っていました。「あぁこれで治ってくれたらいいのにな」って言われたんですよ。
でね、僕はその時に思ったんですよ、急に。風呂入っていたら。いやぁ旅行も良いけど、やっぱり家族にとっては、娘の命が助かるっていう方がいいよなぁって思ってね。で、その可能性がないかなぁと思ってね、まぁだめかなぁと思いながら、スタッフに電話したんです。
看護師さんとかね、医者のご自宅に。「お前ら、この子の命助けたいか?」って聞いたんですよ。「だめかもしれないけど助けたい?」って聞いたら「はい!」って言うんですよ、みんな。で、また別の所に電話して「お前も助けたいか、この子」って言ったら「助けたいです!」ってみんな言うんですよ。「じゃあ助けるか!」っていう。
助かるかわからないですよ。これもなんか効率なんて全然無視していますけど、医療チーム作ったんです。この子カンボジアに帰っちゃったから、10人くらいで医療チーム作って、カンボジアに乗り込んで手術したんです。
これがカンボジアの病院ですね。手術終わった後で、もうばぁーっと肺転移しているんですよ、甲状腺が。もう癌がね。また日本に引っ張ってきて、今度ラディエーション、要するに放射線治療です。放射線治療をして、まだ完全に治らなかったんですけど、まだ元気にしていますよ。これもう何年も前の写真ですけど。
まぁそりゃそうやなぁと思って。人は生きてこそかなぁと。特に小さい子は、母親の人生も握っていますから。
これお母さん、中学校のお母さんと娘ですね。手術の痕もきれいでしょ? あんまり目立たないですね。これ最近の写真ですよ。
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