2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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上村嗣美氏(以下、上村):ここまで私のキャリアラインを簡単にご説明しましたが、サイバーエージェントに入社した理由からお伝えしようかと思います。
先ほど「社員数30人くらいで、上場すら決まってない会社に入社した」とお話ししたんですけれど、その時になぜサイバーエージェントに入社しようと思ったのか?
大学のゼミの先生にも、「ほかに内定をもらっている会社のほうがいいじゃないか?」と反対されたり、友人が大企業に決まるなかで「何、そのサイバーエージェントって会社?」と言われたんですね。
では、なぜここで働こうと思ったのかというと、先ほどもお話しした通り、いろんな大企業を選考過程で見てきたなかで、サイバーエージェントが性別年齢関係なく、力がつけられる環境なのではと思ったんです。
あとはその当時、就職活動を葉書で……多分ここにいらしゃる方は「就職活動ではリクルートから冊子が送られてきて、葉書を出して会社説明会の予約をしていた」と言われてもピンとこないと思うんですけれど、インターネット黎明期だったので、「ネットで就職活動をする」ということも限られていました。それくらい、インターネットがまだこれからという産業だったんですけれど、「インターネットは成長する業界だ。成長する会社だ」と思えたことが正直大きかったです。
あと、「一緒に働きたい」と思える人がいたことですね。これは社長だけではなく、社員だったり、同期になる人たちですね。「この人たちと一緒に働きたいな」「この人たちとだったら一緒にいろんなことを乗り越えられそう」と思えたことが大きかったです。
因みにこの(スライドの)背景にぼんやりあるのが、実は内定者のときに働いていたビルの写真なんです。表参道にある雑居ビルで、当時はなぜかシャワールームがあって(笑)。私は内定者バイトだったんですけれど、出社すると男性社員がヨレヨレしながら出てくるという、本当に“ど・ベンチャー”な状況でした。
入社してからは先ほどもお話ししたのですが、秘書のときに、「隣の芝は青くない」ってことに気が付いたんですね。
秘書になったばかりのときは、正直、秘書という仕事の価値を理解できていなかったんです。今はものすごく秘書という仕事の重要性を感じているのですが……。経営者を経営に集中できるようにする重要な仕事だし、経営者の近くで働けるということは、学べることもすごく大きい。大企業では、秘書室長が出世ルートだったりもします。今でこそわかるんですけれど、正直22、23歳の私にはそんなことがわからなくて。それよりは、「ちゃんと受注をもらって売上を上げて」という、そういったことをしている同期社員が本当にキラキラ輝いて見えたんですね。
同期社員を見て、「それに比べて私は……」と言ったり、「違う会社に転職すればもっと明るい未来が描けるんじゃないか」と、勝手に想像してたんですけれど、お伝えした通り、いろいろやってみて結局「隣の芝は青くないな」と。
もともと入社したときに、「サイバーエージェントで働きたい」って思ったんじゃないか、と。それが今、自分が上手くいっていないからって、環境のせいにしてすぐ転職というのは違うなと思って。
「隣の芝が青くない」と気付いたんですけれど、この秘書時代、体力的にというよりは精神的につらかったんですね。精神的につらかったのはなぜかというと、もちろん周りと比べて「自分ができていない」という思いもありましたし、ネットバブルが弾けて逆風だったこともありました。
当たりが強いだけじゃなくて、毎日のように個人投資家、株主の方から電話が掛かってきたんですね。IR担当者が電話に出られないときは、「私、担当ではありません」なんてもちろん言えないので、「会社の状況はこうこうで……」とIR担当者に代わって個人投資家の方の電話対応などをしていました。自分も新入社員で、相手からは厳しい意見や質問を受け、毎回電話で話をするたびに大きなプレッシャーで。
また会社のイメージも下がっていたので実際に知人から「なんでそんな会社に勤めてるの?」とか言われるのもつらかったです。
環境がものすごく悪かったときだったので、やっぱりそういうことを言われ続けると精神的にも疲弊してきて。体力的にというより、ものすごく精神的に落ちてきたことはありました。
ただ、それも先ほどの転職の話と一緒なんですけれど、自分がサイバーエージェントのことを信じて、「今、結果が出なくても、将来的に結果を出せるようにみんなが頑張っているし、自分もそれを信じて貢献できるようにしなきゃいけない」と気持ちが切り替わったら、わりと自分のローな状況を脱することができたんです。
自分自身のモチベーションと体のコンディションを、いかに自分でコントロールしていくのか。そこに耐え切れずに辞めていく人がいるなか、それがものすごく重要だなって思いました。
ただ、そんなしんどい環境だったんですけれど、結局は後々資産になっています。今、広報になって、もちろん広報っていいときや攻めの姿勢でいられる状況だけではないので、会社にとって悪い状況になると、それを広報として受け止めて、きちんと対応しなくてはいけません。、それでも「あの時があったから大丈夫」って思えるようになったことがものすごく大きいです。
そんなふうに秘書として前向きに仕事に取り組めるようになったのですが、やっぱり「広報がやりたい」と言う気持ちがあったんですね。どんな仕事でもそうだと思うんですけれど、1つの仕事をずっとやっていると、スキルも高まり評価もされ上り調子になっていく。でも、ずっと同じことだけをやっていたらどこかで踊り場がくると思っていて。だからこそ同じ職種だったとしてもなにかしらの新しいチャレンジをが必要だと思うのですが、秘書という仕事の中だけでチャレンジすることは難しいかもしれないと思ったんですよね。
そこで、「広報としてもっと経験を積みたい」と、自分で広報の仕事を増やしていきました。
その結果、秘書からキャリアチェンジして広報になったんですけれど、では、秘書がすごく無駄だったかというと、私にとってはそうではないです。むしろ社長の近くで働いていたことが、広報になってからものすごく活きているんですね。
それはなぜかというと、広報って会社、経営の代弁者として世の中に情報を伝えていく側面があります。そういった仕事なので、経営とシンクロしていて、経営者と話ができないと意味がないんですよ。なので、秘書だったということがものすごく今、活きていると思っています。
今もし「自分が望むような環境にない」とか「仕事ができていない」と思っていても、遠回りに見えていても、結果的に将来それが役に立つことはあると思います。無駄なことはないし、無駄にするかどうかは自分次第だな、と今、思っています。
あとは、やりたいことは人に言われるのを待ってるだけじゃ駄目なんですよね。自分で「広報やりたいです」とか、積極的に手を上げてこそ、「じゃあ、これを任せよう」「これも任せよう」というふうになるので、誰かがなにかを指示してくれたり、環境を作ってくれるのを待ってるだけじゃ駄目だと。自分から働きかけをすることが大事だな、と思いました。
30歳って、私は、キャリアとかプライベートとか、一旦悩みやすいタイミングだなと思っていて。仕事も慣れて、ある程度できるようになり、結婚や出産はどうしよう、とかって女性ならではの悩みも出てきたり。もちろん全員ではないと思いますが、そういう声をよく聞くんですね。
私はこうやって広報としてキャリアを重ねていったんですけれど、30歳前後で考えてきたことは……「ロールモデルは求めずオリジナルな存在になろう」「何かあった時に選択肢を持てるようにしよう」といったことでした。
私が30歳のころ、2008年頃のサイバーエージェントはまだお子さんがいる女性社員が数人しかいなくて、「この会社で女性はすごく活躍できるけれど、出産できるかどうか、育児をしながら仕事ができるかどうかは、わからないよね?」と、そういった女性社員の声もあったんです。私は当時、出産とは無縁だったんですけれど、私のなかにはそういう気持ちはなかったんですよね。そういうロールモデルとか制度が整っていると、そのなかでしかできないって思ったんですよ。
ロールモデルを作ってしまうと、「その人みたいな働き方にならなきゃ」とか、「そうじゃないとこの会社に居られないんじゃないか」とか、そうなれなかったときに苦しくなる。
そうなってしまうと、みんなが自然体で働けなくなってしまうし、仕事とプライベートに関する価値観や優先順位は人によって違って当然って思ったんですよね。なので、「ロールモデルは求めない」って決めようと思いました。
よく「○○さんみたいになりたいです」とか、「○○さんに憧れてます」とか、そういった声も聞くんですけれど、私は誰かに憧れるとか、誰かを目指すということを止めて、「オリジナルの存在になろう」と思ったんですね。
とはいえ、私はなにかがすごく優れているとか、起業するとか、そういうわけではなくて。「広報という立場でオリジナルになろう」と思ったときに、「じゃあ、どうしていくのがいいのかな」と思ったんです。自分の置かれている環境と周りを見比べたときに、インターネット業界で長く広報をしてる人って当時はほとんどいなかったんですね。
どこかほかの業界から転職してきたり、そういう人はいたんですけれど、「インターネット業界は数年です」とか、「広報の経験はありますが」という人たちばかりだったので、「じゃあ、1999年のインターネット黎明期から業界に身を置いていることを強みにインターネット業界で、長く広報としてのキャリアを築こう」と。
それを思ったきっかけは、新しく業界担当になった記者の方に会社のレクチャーを求められて話をしたときに、業界のこれまでや背景、そのなかでのサイバーエージェントの立ち位置なんかを幅広く話したら「よく理解できたし、すごく役立った。ありがとうございました」と言われて。「そういうことを聞ける人がいないんですよね」と言われたときに、「ああ、なるほど」って思ったんです。
ほかの業界を見てみれば、長く続いてる業界で広報を長く続けている人もいたりします。逆に大企業だと、広報ってローテーションのポジションになっていて、数年で替わってしまう状況でした。それだったら、「広報として長くキャリアを築こう」「そしてインターネット業界の広報として名前が挙がるくらいになろう」と。ちょっと野心的に聞こえるかもしれませんが、「オリジナルの存在になろう」と思いました。
そう思って、仕事をものすごくがんばろうと思ったんですけれど、その時に考えたのが結婚とか出産とか、そのうち介護とか、いろいろ出てくるかもしれないということだったんですね。「それと仕事をどう考えよう」と思ったんですけれど、「考えるだけ無駄だな」と。ライフイベントって結局描き切れないものですし、いつ子供を産むと決めたって、その時に子供を授かるかどうかもわからないし。
急に自分が病気になったり、なにかがあって介護をしなきゃいけないとかももしかしたらあるかもしれない。結局、計算しようと思って計算できるものではないので、まずは今、頑張れるときに頑張るしかないと。
ただライフイベントで「どうなるかわからない」「いつ出産するかなんてわからない」と思ったので、そういったときに「自分で選択できるようにしよう」と思ったんですね。
例えば、「介護しなければいけないから、もう会社は辞めなければいけない」とか、「育児があるから時短でしか働けないんだったら、こういう仕事ですね」と会社から言われるかもしれない状況ではなくて、私は広報として続けたいから、私が広報として必要な存在になろう。それが、選択肢を増やすことだと思うんですけれど、そうなろうと思いました。そんなふうにキャリアを築いてきたのが、今までです。
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