2024.10.01
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セカンドキャリアに幸あれ!! 河野淳吾×玉乃淳(全1記事)
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玉乃淳氏(以下、玉乃):ジュンゴ、今日はよろしくね。
河野淳吾氏(以下、河野):事前にちゃんと言ってくれれば、スーツでビシッとキメて来たのに。
玉乃:まあ、どっちでもいいや(笑)。早速だけれど、競輪選手ってどんな生活サイクルなの?
河野:練習は毎朝6時30分からで、午後ももちろん練習。サッカー選手の2部練と似ているって思われるかもしれないけれど、サッカーの場合、シーズンが始まったらメチャクチャ身体を追い込むことってないよね。
競輪はシーズン中も体を追い込む。正直言って、練習はJリーガーだったころの10倍は厳しく感じるよ。
玉乃:監督とかコーチみたいな人っているの?
河野:サッカーの監督にあたる「師匠」と呼ばれる人がいるんだけれど、俺の師匠(注:高松宮記念杯などのGI競走を制した高木隆弘選手の元へ住み込みで弟子入りした)はこの世界でもとくに厳しいと有名な人で、Jリーグ時代の監督の100倍は怖いよ(笑)。
師匠が言うことは絶対で、どんなに理不尽なことを言われても、黙って従うしかない。たまにカチンときたりもするけど、すべては俺のことを思ってやってくれていること。俺にとっては親と同じか、それ以上の存在だよ。こうして今、プロとしてやっていけているのも師匠のお陰だし、感謝してもしきれない。
多少の理不尽さも愛情として受け止められるようになったよ。まあ、最初のころは何度やめようと思ったことか……(笑)。
玉乃:そういう師弟関係って、今の時代にもあるんだね。僕なら2日ももたないわ(笑)。
河野:2日? ジュンだったら2時間もたないよ(笑)。でも、師匠がこうして厳しく指導する理由が今はわかる。だって、この世界は「生きるか死ぬか」だから。安易にそんな言葉は使いたくないけれど、実際そうだからね。
身近にも下半身不随になって、車椅子生活を余儀なくされている人もいるし、稀にレース中の事故で亡くなる人もいる。そんな世界だから、日々の練習を怠れば、恐怖心でレースに臨めなくなるんだ。言ってみれば“練習量が精神安定剤代わり”みたいなものなんだよ。
玉乃:月に3回ぐらいレースがあるんでしょ? 毎回「これが人生最後のレース」みたいな感じなの?
河野:レースに行く前は、とりあえず、なにがあってもいいように、身の回りをきちんと整理してから出掛けるよ。それと、必ずお祈りもする。親がくれた御守りと、前の妻と子供にもらったペンダント……レース前にグッと握り締めてね。
玉乃:うわっ!! とんでもない覚悟だね。ジュンゴはサッカー選手時代も人一倍気持ちが強いDFだったけれど、競輪でもガツガツ行くの?
河野:うん。性格的にガンガン行っちゃうタイプだよね。サッカーやっているときも、怖がったりしたことは一度もなかったな。相手が誰であってもね。
競輪でも当たりにこられたりすると、やり返したくなっちゃう。危ないから本当は引いたほうがいいんだろうけれど、逆にやり返すくらいの気持ちがなくなったら、こうやって身体を使って稼ぐのをやめるんじゃないかな。
玉乃:ジュンゴのなかでは、サッカーをやっていたときと同じ気持ちなんだね。
河野:一緒だよ。競技が変わっただけで、気持ちは一緒。
玉乃:なんだか、生温い生活を送っている自分が恥ずかしくなってきたよ。でも、なにがジュンゴをそこまで突き動かしているんだろう? だって、普通にサラリーマンとか、少なくとも命がけでない仕事にも就けたんじゃない?
河野:俺はやりたいことをやっているだけだよ。だって、人生は一度きりなんだから。
玉乃:離婚はしてしまったけれど、前の奥さんとは今でも仲が良さそうだし、娘さんにもいつでも会えるらしいね。
河野:そうなんだ。家族には感謝の気持ちでいっぱいだよ。自分がやりたいことをやるって決断した以上、やるしかないし、やり抜くだけ。
サッカー人生が終わったからといって、河野淳吾の人生の挑戦が終わったわけじゃないからね。自分はなにも変わらない。生涯プロ選手だと思っている。そうした生き方を理解してくれた家族を、今は別れてしまったけれど、一生大切にしたいと思っているよ。
玉乃:ジュンゴ……。それ、わかるわ〜!! 僕も現役を引退したとき、大好きだった彼女にフラれたんだけれど、感謝する気持ちは変わらないもんね。
スポーツ選手って、引退直後に離婚するケースがけっこう多いじゃない? だから「金の切れ目は縁の切れ目」なんて言う人もいるけど、それは違うよね。別れても感謝しまくりだよねぇ……あれ? ちょっとカッコいいこと言っているようだけれど、2人して未練タラタラのダメ男発言かなぁ?
河野&玉乃:(笑)。
玉乃:ところで、あのサッカー選手生命を絶った大怪我(注:徳島時代の2006年6月、札幌戦でダヴィに足を踏まれ、右足下腿骨を骨折)の前に、引退後について考えたことなんてあった?
河野:一度もないね。だって、自分は生涯現役だと思っていたし、長くやっていく自信もあったからね。リハビリをしていても、まるで引退なんて考えなかった。でも、実際に復帰して、動いてみたときにわかったんだ。「もう、以前のようなプレーはできないな」って。それで、ちょうどその頃、仲の良かった競艇の選手が、「競輪をやってみたらどうだ?」って、勧めてくれたんだ。
玉乃:予期せぬ交通事故のようなアクシデントで、一瞬にして選手生命を奪われる世界だもんね、サッカー界も。
河野:ホントだよ。まさかあんなかたちで引退するなんて、夢にも思ってなかった。
玉乃:でもジュンゴは明るくて、社交的な性格だから、いろいろなジャンルの友達がいるよね。そうした人と人のつながりが、普通の人では想像もつかない競輪という世界へジュンゴを導いたんじゃない?
河野:確かにそう思う。生きているって、結局は人と人のつながりだからね。多くのジャンルの友人がいたから、選択肢がたくさんあった。それで自分は競輪を選んだ。選んだあとは気持ちひとつ! やる気があるかないかだよね。
玉乃:でも、ジュンゴみたいに気持ちが強い人はそう言えるけれど、現役引退後に自分のやりたいことを優先順位の一番上になかなか持ってこられないのが一般的な現実だよ。お金の問題や家族の問題……いろいろと障壁があるもんでしょ?
河野:うーん。「損して得をとる」とでも言うのかな、サッカー選手をやめたあとに、自分に先行投資するというか、種を蒔くみたいなことしないといけないよね、きっと。引退した選手たちを見ていると、そういう考えができない方が多いなって思う。
たとえ無給でも1年や2年、自分の将来のための準備をするべきだと思うよ。たぶんほとんどの人がしないよね……今月の給料が欲しいから。でもさ、引退してようやく雇われの身から解放されたんだよ。プロサッカー選手だって、雇われているという意味では実態はサラリーマンだからね。やめたらやりたいことをやらなきゃって思ったんだ。
玉乃:ジュンゴ、初めていいこと言ったんじゃない?(笑)。そんな起業家精神を持っているとは知らなかったよ。ごめん、これまで年下なのにずっとタメ口だったけれど、今後はちゃんと尊敬するようにするわ(笑)。
河野:もっと年長者を敬え(笑)。
玉乃:でもさ、ジュンゴみたいに社交的で、現役時代からいろんな人と交流してきたタイプのほうが、セカンドキャリアで成功している印象があるよ。サッカー一筋でやってきた人が、一番困っているというか……見ている世界が狭くて引退後の選択肢が限られるよね。
河野:ジュンもそうだけど、俺も異業種の人と飲みに行ったり、話をしたりすることが、自分の財産になると思っていたからね。今だってそうだよ。
もちろん練習はきっちりやるけれど、師匠にも自己管理ができるなら遊ぶときは遊べと言われているし、オンとオフはしっかり切り替えている。どんなに遊んでも、翌朝の練習は絶対にサボらないしね。
玉乃:遊び? どんな?
河野:飲みに行くぐらいだけれど、それはいろんな人に出会うためなんだ。やっぱり、人と人とのつながりを一番大切にしているよ。
玉乃:ジュンゴみたいなタイプが、一風変わったセカンドキャリアを歩んでいる気がする。サッカー界のつながりだけだと、セカンドキャリアの選択肢が少なくなってしまうのではないかな。どうしてもサッカースクールのコーチとか……。
例えば、年俸250~300万円の選手に、「プロ選手だから、24時間サッカーのことだけ考えていろ」と言うのは、酷なのかもしれないね。将来のために視野を広げたり、違う世界を見たりすることも必要なんだろうね。
河野:すべてをサッカーに捧げるって生き方も決して間違いではないと思うけれど、なかなか難しいよね。人それぞれ、捉え方も違うわけだし。
玉乃:正解がない議題だよね。
河野:ああ。でも、それこそこの対談を読んで考えてくれたらいいよね。自分になにが必要なのかって。
玉乃:じゃあジュンゴは、多くの選択肢があるなかで、どうして競輪だったの? どこに魅力を感じて?
河野:自分の力1つで稼ぎが変わるって世界が、魅力的に見えた。知り合いに普通の仕事も紹介されたけれど、惹かれるものがなかったし、小さな枠には収まりたくなかった。稼ぐも稼がないも、すべて自分次第。そんな世界で、やれるところまでやろうって決心したんだ。
玉乃:ジュンゴは根っからのプロスポーツ選手気質で、この勝負師的な性格は一生変わらないんだろうな。
河野:サッカースクールのコーチでもぜんぜん悪くはないとは思うよ。でも、それだってあまたある職種のうちの1つにすぎない、そんなふうに考えられたほうが、きっとサッカー界はもっとおもしろくなるんじゃないかな。
ユースチームのコーチになって、トップチームのコーチを経験して、監督になる。こんなキャリアは想像しやすいし、今まででもけっこうあったと思うけれど、例えば、違うビジネスで成功して、サッカーチームのオーナーになって、監督までやってしまう……こんな発想の人はきっといないだろうね。
俺はプロサッカー選手になるぐらいの素質や才能があれば、そんなことも決して不可能じゃないと思うんだよね。
玉乃:プロサッカー選手になるのって、東大に入るより確率的に難しいって言われているくらいだからね。まして、引退後に競輪選手になるなんて、東大からカーネギーメロン大学を主席で卒業するくらい難しいことだろうね(笑)。
ところで、もし後輩からセカンドキャリアの相談を受けたら、競輪の世界を勧める?
河野:まあ、夢はあるよね、お金の面で。それに、すべて自分次第で勝ち取れる。俺は最初、自転車が好きでこの世界に入ったわけじゃないけれど、今はどんどん好きになっているし、毎日が楽しいよ。レースに勝って賞金を手にしたときの気分は格別だよ!!
玉乃:賞金はその場でもらえるの?
河野:うん、現金をその場で。だから、たとえ少なくても、仕事をしたんだっていう気持ちになる。俺は命がけで頑張ったんだって(笑)。
玉乃:でもJリーガーの頃みたいに、月々の固定給がないから大変じゃない?
河野:レースに出て、初めてお金になる。出なければゼロ、いや経費は自己負担だからマイナスだよ。だから毎日、死ぬ気で練習するんだ。
玉乃:厳しい世界で生きているんだね。サッカー界から引退後も、こうしてプロとしてチャレンジし続けているジュンゴが眩しく見えるわ!! 一度しかない人生をどう生きるか、どこまでチャレンジしていくか……。僕も考えさせられるよ。
【河野淳吾(こうの・じゅんご)プロフィール】東海第一中学、清水商業高校とサッカー名門校を経て、2001年サンフレッチェ広島入団。2005年横浜FC、2006年水戸ホーリーホック、2007年徳島ヴォルティスとJリーグ各チームを渡り歩き主力として活躍。2007年6月札幌戦で右足下腿骨を骨折し、懸命のリハビリ活動を続けるも2008年シーズンに現役引退。
2009年日本競輪学校入学、2010年に同校を卒業し、競輪選手登録。2011年1月、小田原競輪場でデビュー。6カ月ごとの競争得点によって分けられる階級で現在A級に位置する。転向組が多い競輪界で、初めての元Jリーガー。
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