2024.12.24
「経営陣が見たい数字」が見えない状況からの脱却法 経営課題を解決に導く、オファリングサービスの特長
ミシガン大学 卒業式 2013 ディック・コストロ(全1記事)
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やっぱりまずは(この現況を)ツイートしなくてはいけないので、皆さんちょっと待ってくださいね。私はプロですからね、すぐ終わります(会場の写真を撮り、Twitterに書き込む)。
(会場笑)
はい、終わりました。まずは学校長、卒業生の皆さん、ご家族、ご友人の皆様、先生方。そして私の後ろで静かに座って事の成り行きを見張っている委員会の方々。今日来てくれた私の両親にも、皆さん今日は本当にありがとうございます。皆さんもこれが終わったらご両親、そしてお世話になった周りの方々に「これまで支えてくれてありがとう」と感謝の気持ちを伝えるのを忘れないでください。15時30分には終わりますからね。約束します。
今朝起きて、今日のスピーチの準備をしているときに、この大学に入った最初の月のことを思い出しました。学内フットボールチームがアメリカ国内プレシーズンでナンバーワンとなり、大学中が盛り上がっていたことを覚えています。最初の試合は対ウィスコンシン、21対14で負けてしまい、大学中に悲壮なムードが漂いました。考えてみてください。ものすごく期待していたことが最悪の結果に終わる、これをこの後、20分の私のスピーチで皆さんが体験することになります。
(会場笑)
何年も前に私が皆さん側の席に座っていたとき、つい昨日のような気がしますがね、私はコンピューターサイエンス専攻でした。当時コンピューターサイエンスは文化文芸部に属していました。なので、卒業するのにアートのクラスも取らなくてはいけなかったんです。
四年生の初めの学期に、「そうだ、芝居のクラスを取ろう! みんなを楽しませるのが好きだし、宿題も少ないだろうし。夜はオぺーレーティングシステムをつくる作業に没頭できるだろう!」と思ったのです。それなのに、芝居のクラスが本当に楽しくてハマってしまったんです。次の学期も、また別の芝居のクラスを取りました。
その結果、学校イベントで人生で初めてのコメディトークをやることになります。卒業する頃には3つのテクノロジー会社からプログラマーのポジションのオファーが来ました。でも私はシカゴに行って、即興劇グループ「セカンドシティ」に入り、コメディの道を追求し、有名になってやることにしたのです。
ハリウッド映画的シナリオで言えば、私はシカゴに引っ越し、大変つらい境遇に陥ります。寂しいBGMが流れ、夜には愛犬が待つロフトに戻り眠る日々。そして突然、敏腕ディレクターに出会い、大ヒット! レッドカーペットの上を歩く私を見守る両親……みたいなことになるのかもしれませんが、現実はそう甘くありませんでした。
私は自分の夢を追いかけた結果、とても長い下積み期間を過ごすことになります。お金もまったくありませんでした。昼間はリハーサル、夜にはタダでステージに上がりました。それに加えて、日中は芝居のクラスに通い即興劇を学びました。お金の無い私は生活を支えるため、ミシガン大学から受けたコンピューターサイエンスの学位を使って、食器や生活用品を包む仕事を手に入れました。
即興芝居を極めるため、何年もシカゴで過ごしましたが、シカゴで過ごした最初の年に、とても大事な2つの教訓を学びました。
セカンドシティで教えていたある監督がいました。その時は、4人くらいがステージに上がっていて、私を含めて計10人くらいのクラス規模でした。ステージの上では、コインランドリーにいる設定で即興劇が繰り広げられていました。監督が私たちに聞きます、「ステージの上に何が見える?」「何もありませんよ」と私たちは言います。「今日君たちが設定した劇の背景はアパート、アパート、コインランドリー、アパート。何がそんなに怖いんだい?」「何が怖いかって? 何を言ってるんだ?」とクラスメイトと顔を見合わせました。
「もっと自信を持たなければならないよ。ステージに何もない、セットが何もない。つまりこれは君たちが自分でストーリーを作り上げることができるという意味だろう? 例えば、キーブラーエルフの工場にいる、だとか。または宇宙船に乗っているのだけど、君たちは今まで一度も宇宙船を操縦したことがない、さあどうする!? みたいな壮大なストーリーさ。もっと大きく視野を持って、大胆にリスクを取らなきゃだめだ!」
数か月後にセカンドシティで、また別の有名監督のクラスを取っていたのですが、スティーブ・カレルがステージの上で即興をやっていました。スティーブと私は同じグループで学んでいました。私はバックステージにいたのですが、すごくいいセリフを思い付いたんです。「よし、ステージに上がってこのセリフを言いたい! 言ってやる!」と思い、ステージに上がりました。このセリフにマッチするシーンをつくるため、即興劇の方向を誘導し、「よし、ここだ!」と思ったときに、監督は「一旦やめ!」と劇団員の動きを止めました。全員にストップをかけましたが、彼は僕にストップをかけていたのです。
「ダメダメ! 何を言うかなんて考えちゃダメだ! 台本などない。即興とはその瞬間に想うことを表現することなんだ。次のセリフは……なんて考えたらがっかりするだけだよ。だって、君が思うように周りは動いてくれない。え、こんなはずじゃなかった、と思うのがオチだ。この時、この瞬間を感じるんだ。皆、ちょっとやめて考えてみるんだ。この瞬間だけを見るんだ」
その後もシカゴに残り何年も即興劇をやりました。結果的に、たくさんのショーのオーディションを受けましたが、どこにも合格しませんでした。幸運なことに、この頃にインターネットが生まれました。皆さんは「え?」と笑うかもしれませんが、私が皆さんの年齢の頃には、パンツの中(!?)にインターネットは常備していませんでしたからね。
(会場笑)
パンツどころか、どこにもなかったですからね、インターネット。わかっています、ものすごく年寄りじみているでしょ? 世代の違いを感じますよね。
(会場笑)
インターネットに無限の可能性を感じた私は、その後20年ほどに渡って、多くの会社を立ち上げていくことになるのですが、この経験がTwitterとの巡りあわせのきっかけとなりました。「大胆な選択をする」「好きなことにフォーカスする」。このとても良い例がTwitterなのです。
Twitter共同設立者のジャック・ドーシーのアイディアの原点は、彼の地図に対する情熱です。地図が大好きな彼は、最終的にはタクシーや救急車がもっと早く目的地に到着できるように、ディスパッチシステムを改善したいと夢見ています。
まさか、オバマ大統領が自分がつくったプラットフォームで2012年、勝利を世に報告するなんて思ってもいなかったことでしょう。日本の福島で起きた大震災で、電話が不通の非常事態に私たちがつくったプラットフォームが人々の連絡手段となるなんて、Twitterチームの誰も予測していませんでした。さらに、中東のチュニジアやエジプトで、Twitterが反体制派の重要なコミュニケーションツールになるなんて願ってもいなかった、考えにも及びませんでした。
人は誰も自分にどんな可能性があるか、社会にどんな影響を与えるかなどと予想することも計画することもできない。そして、もうすでにそれがそこまで来ている場合でも、それに気が付かないんです。
Twitterを始めて数か月経った頃、メドベージェフ・ロシア大統領がTwitterのオフィスを訪れました。その朝はアメリカの警察やシークレットサービス、そしてロシアからの警備隊でオフィス周辺道路は塞がれ、大変な大混乱でした。その日はオフィスに入るのも、金属探知機で警備の人に事前にチェックされ、その横には今にも襲い掛かってきそうなシェパードが控えていました。
つまり、その日は皆が大統領をオフィスに迎えることに興奮して、テンションが上がっていたんですね。たくさんの報道陣も大統領を待ち構えていました。世界中がメドベージェフ・ロシア大統領の初めてのツイートに注目し、心待ちにしていました。ひと通りオフィスを見て周った後、大統領が初めてのツイートを発信しようとしていた、まさにそのとき、スタッフが私の肩を叩きました。「どうしたんだ?」私は聞きます。「サイトがダウンしました」。
(会場笑)
私は思いやりに溢れるカリスマ的リーダーですからね、聞いたんです、「まったく動かないの?」と。「はい、まったく動きません」。
(会場笑)
次の日、ニュースで「オバマ大統領、メドベージェフロシア大統領をTwitter上で歓迎。もう赤電話は必要ない、Twitterさえあれば!」などと大きく報道されましたが、私にとっては、あの日を一言であらわすならば「システムがダウンした」、これに尽きます。
そう、こういうことなんですよ。システムがダウンした話を言ってるんじゃないです。物事の意味というのは、物事が起きた後に、他者が決めることなのです。
今、この瞬間がすべてです。よく、過去と今がめぐりあうことがあります。昨年、あるチャリティイベントに呼ばれました。そのイベントのゲストスピーカーはスティーブ・カレルでした。25年以上も前、スティーブと一緒に芝居をやっていたときの記事のコピーをチャリティオークションに出品しました。それをスティーブに見せて、共通の知人について、「今あいつは何やっているんだ」とか話したんですけどね、話の最後にスティーブが僕の背中をポンポンと叩いて、「上手くいかなくて残念だったな」と言いました。
(会場笑)
未来に期待しても何も生まれません。なので、まずは自分が大好きなことをやることです。さて、ここが難しいところです。この時点で皆さんはとても素晴らしい業績を残しました。数々の「大変だけどやらなくてはいけないこと」をクリアしてきたのですから。
でもここからは、やり方を変えなくてはなりません。ここからは「決められたこと」なんてないのですよ。台本もありません。大好きなことをやっていると、いつもわくわくして、どんどん色々なことができるようになります。好きなことをやるのが習慣になるからです。常に挑戦する、そして大好きなことのために大胆な選択をすることが習慣になるのです。
逆に、「やらなくてはいけないこと」をやっていると、物事はあまり上手くいかないでしょう。誰かの指示に従って「やらなくてはいけないこと」をするために動くようになる。それがあなたの習慣になります。自分の人生のステージに立っているのに、どうしたらいいかわからない。与えられた役割をこなすだけでは、なにも見えなくなります。
もうひとつの問題は、皆さんに「社会を変えてください」などとは言えないことです。「社会を変える」だなんてそんな大それたこと……皆さんだってそんなこと言われたら、「無理だ! そんなことできない!」と思ってしまうのではないでしょうか。私だってシリア、イラン、北朝鮮のような大きな問題を考えるとじっとり汗をかいてしまいます、このローブの風通しが悪いからではありません。
(会場笑)
なので、ここで皆さんにお伝えしたいこと。それは、勇敢な選択をして、賭けに出て、とにかくやってみれば、世の中に影響を与えることになる、ということ。これを信じて欲しいのです。
今この時点で、今後世にどんな影響を与えるかなどと考える必要はありません。例えるなら、私が即興劇団員時代、舞台に上がる前にバックステージで待機していたときの感じと、今の皆さんの気持ちは似ているのではないでしょうか。ここまでやってきたことを誇りに思っている、後はやるだけ。皆さんが成し遂げた功績は素晴らしいです。本当にここまでやってきた皆さんを誇りに思います。
ここからの人生は即興の連続です。この2つのことだけは覚えておいてください。勇敢に、大胆な選択をしてください。覚えておいてください。(冒頭に話した)キーブラーエルフの工場です、「何を怖がる必要があるのか?」。
そして次に、「何をするべきなのか」をあまり考えすぎないで。そこには台本などないのです。あなたの人生を生きてください。今この時、この瞬間を楽しんで。20年後、皆さんはどんな場所にいるでしょうか? 患者さんの手を握って手術に送り出しているでしょうか? 学生の論文を読んで成績をつけているでしょうか? お嬢さんのサッカーの練習を見ているでしょうか? それともこの演壇の上に立っているでしょうか?
どんな人生であろうとも、その時々を、あなたの人生を楽しんでください。その瞬間から得られるすべてを吸収するのです。感謝の気持ちを忘れずに! ありがとう!
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