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Stanford Graduate School of Business Oprah Winfrey on Career Life and Leadership(全4記事)

「あなたにも私にも全く違いはない」大統領から殺人者まで、あらゆる人がオプラ氏に聞いた共通の質問とは

アメリカ史上最高のトーク番組と呼ばれる『オプラ・ウィンフリー・ショー』で25年間司会を務めた大物司会者であり、慈善活動家でもあるOprah Winfrey(オプラ・ウィンフリー)氏。彼女がこれまでの司会者人生を通じて、大統領やビヨンセから殺人者まで、すべての人から、共通したある質問を受けたそうです。彼女は自分自身が成功したのは、その共通の部分を理解し、真摯に取り組んだからだと語っています。また、「人生に光を差してくれたのは教育だった」と語る彼女はこれまで南アフリカでの学校を設立するなど、教育を軸にしたさまざまな慈善活動を行ってきました。しかし、やみくもに支援を行ったからといって、必ずしも人が救えるとは限りません。ウィンフリー氏は寄付の決定時に感情的になりすぎたために、失敗をしてしまった経験について振り返ります。

オプラ・ウィンフリー氏が成功を収めた秘訣は何だったのか

アマンダ:さて、そんなにも多様な成功を収めたリーダーとしての資質とは、一体何でしょうか。他の場面ではうまくいかないが、別の場面ではうまくいくことなどはありますか。

オプラ・ウィンフリー氏(以下、オプラ):あらゆる場面でうまくいっているわ。なぜなら、私の人生は、私自身の存在で満たされているから。自分の存在は、行動の原動力にもなるの。

私は自分の中心にいて、常に集中し、思いやりを持っている。それはもう、私の本性だわね。相手を理解しようとするし、理解されようと努力もする。繋がろうとする意欲もあるわ。つまり、私のショーが25年間続いた秘訣は、世界中の人が自分自身を私の中に投影したから。世界中の人が、自分自身を私の中に見たからなのね。

そして、私がどんどんお金持ちになって、一番びっくりしたのは私本人よ。「まあ、すてき。どうなっているの?」と言った感じだったわね。

アマンダ:つまり収入が3万ドル以上に増えたということですね。

オプラ:30歳になる頃には、3万ドル以上稼いでいたわ。それでも、自分の中で、地に足がついていたから、いろいろな事に気づけたの。

靴をいくらでも買える身分になっても、どんなに高級な靴を買っても落ち着いていた。今でもちゃんとキュートだと思える靴を買っていたわ。何足靴を買っても私の足は地についていたの。

そして私にはいろいろなことが理解できていた。私の足が地についていたために、起きている事態はしっかり把握できていたし、今日まで続く意識を持った仕事をしているわ。ちゃんと頭を覚醒させて、考えて仕事をしているの。

覚醒と言うとスピリチュアルでは別儀だけど、スピリチュアルは人を置いてけぼりにしてしまうし、宗教のことだと思われてしまうのよね。

会社の社長として雇う人材を探していた時、採用面談で「あなたは精神面、スピリチュアルな面において、どんなことを実践していますか?」と聞いたら、皆は文字通り途方に暮れたわ。

「私は特に宗教的な人間ではないです」と言う答えが返ってくるので、「信じている宗教について聞いたのではないの。スピリチュアルなこととして、何を実践していますか? つまり、自分自身を大切にするために、あなたは何を実行していますか? 自分を中心とするために、実行していることは何ですか?」と聞いたの。

そうしたら、1人の女性が泣きだしたの。その人には適性がないってわかるわよね。

アマンダ:それが見分ける目印であるわけですね。

オプラ:そう。それが目印なの。だから、これがあなたからの答えになるわね。「この世界でよりよい人間になりたい」という願望が私の原動力なの。つまり、私のショーに人気が出たのは、観客にもそういう願望があるということを私が理解していたからなの。

自分自身とオーディエンスの間に違いは存在しない

オプラ:ショーを毎日視てくれた視聴者や、観覧者も、ここにいる皆さんのように、チケットを購入して来てくれた。皆さんはただキャンパスの中から集まってくれたわけだけど、それだってとてもうれしいことだわ。

観覧者は、世界中から集まって来てくれる。おばさん、お母さん、いとこたちと一緒に来てくれたわ。男性の観覧者も何人かいて、居心地悪そうにしていたわ。「オプラのショーを見た!」と喜んでくれる時もある。2~3週間もね。とてもありがたいことだわ。

ホールフーズ・マーケットの経営者のジョン・マッキーと対談したことがあったわ。『意識の高い資本主義:ビジネスの英雄的精神を解き放つ』という本を書いた人よ。とても良い本だから、読むといいわ。

世界でいちばん大切にしたい会社 コンシャス・カンパニー (Harvard Business School Press)

「利害関係者の無い出資者が出資する際には、貢献しようとしている相手、物を売ろうとしている相手と物を購入しようとする相手は同等に大切なのだ」ということを話していたわ。自分を経済的にサポートしてくれる人々と同じくらい大切なのだと。一般企業で言えば、株主と同じくらい大切な存在なの。

つまり、私自身とオーディエンスの間に、違いなどは存在しない、ということを常に理解していたわ。高級婦人靴を購入できても、根本的な大切な部分では、私と観客は、同じなの。どうやってそういうことを知ったか、ですって?なぜなら私たちは皆、同じことを探し求めているから。

皆さんだって、このすばらしい学校で学んで、世界に羽ばたこうとしているでしょう? 自分が信じる才能やスキル、高い能力に基づいて、これからやろうとしている努力の1つ1つでもって、皆が同じことをやろうとしているの。全ての人は、人間として、もっとも高潔で、真正である自己表現を求めているのよ。

私は、そういうことをちゃんと理解していた。もし相手がパン屋であれば、パン屋がその人の居場所なのだとわかっていた。皆にパイやケーキを焼いてあげることが、その人のやりたいことなのだとわかっていたの。それが、その人の使命なの。

あなたにも私にも全く違いはないの。自分のプラットフォームが違うだけなの。それが、その人が日々放送するショーなの。そういうことを理解することによって私は……。

アマンダ:全ての人の心を掴んだのですね。

オプラ:全ての人の心を掴みたいと思ったの。そうしない理由はどこにもなかった。心底から感じていたことよ。席に座って話しかける相手が誰であれ、殺人者であれ、違いはないの。双子の娘を殺した男性にインタビューしたこともあったわ。幼児性愛者にインタビューをして、なぜそんなことをするかを理解しようとしたわ。幼少時にいたずらの被害にあっている人は大勢いるの。

誰もが気になることは「自分の話を聞いてくれたかどうか」

オプラ:大統領、政治家、ビヨンセにもインタビューしたけど、殺人者からビヨンセまで、インタビューの終わりに、私に聞くことはなぜか決まって同じなの。「私の話は大丈夫だった?」と、皆が同じ質問をするのよ。

私は、その質問が出てくるまで、ただ待つの。「私の話は大丈夫だった?」という質問を。私もこのインタビューが終わったら、皆さんにきっと聞くわ。「私の話は大丈夫だった?」って。

アマンダ:私も、同じ質問をすると思います。

オプラ:あなたは全くオーケイよ。とっても上手にやっているわ。

全てのインタビューに共通して、皆が共通の恐怖を持っていることをわかり始めたの。何についてのどんなインタビューかを問わず、全員が知りたがることがあるのよ。悩みは皆一緒なの。

「私の話を聞いてくれましたか? 私を見てくれましたか? あなたにとって、私の発言は意味あるものでしたか?」それが全てなのよ。

昇給交渉に失敗して、上司のオフィスからそのまま黙って退出したのは、上司が私について何も見聞きしてくれなかったとわかったからなの。必要としていた理解を私は得られなかったのよ。

その当時にはそれがわからなかったけど、「とにかくそのオフィスを出なくてはいけない」とだけは思ったの。でも今でははっきりとわかる。私がほしいと思っていた理解は得られないと感じたからなのよ。

全ての人は、理解してもらいたいと思っているわ。常に寄り添ってもらいたいと思っている。あなたは、全身全霊で私に話を聞いてくれている? それとも何か別のことを考えている?

皆さんの子供たちも、会社の人たちも、そして皆さん自身も、知りたがっているわ。「あなたは、私の話を聞いてくれましたか?」。

議論とは、議論についてあなたがどう思っているかが問題なのではないの。あなたが私の話を聞いてくれているかどうかが問題なの。実際、大勢の人がはっきりとそう言っていたわ。皆さんも、こう言った覚えはない?「私の言ったこと、聞いていないでしょ!」って。

私が素晴らしい人生を送っているのは、このことを理解しているからであり、ショーでも全身全霊で相手に集中するからなの。そして私自身の人生にも集中しているからなの。

人生はもっとも偉大な教師よ。人生で毎日起こる、喜びや悲しみ、困難、心配、そういったこと全てが、この場所に引き寄せてくれるし、皆さんが自分自身に安寧を感じるようにしてくれるの。

そして、皆さんが自分自身に対してしっかりとした安寧感を感じるようになった時、いわゆる神の天地創造との繋がりを感じるようになるの。それにどんな名前をつけようとも構わないわ。無限の力を持もたらすエネルギーに繋がるのよ。最高の自分になれる何かに繋がることができるの。

人の人生に小さな灯りを灯したい

オプラ:私が学んだ最高にすばらしいことは、『魂の種たち』という本の作者から得たの。番組で、私が作者と対談したのよ。放送開始2カ月後に、自己認識に関するスピリチュアルのトークを始めたの。

プロデューサーたちは、「ああ、またオプラさんの病気が始まったよ!」という反応だったわ。大多数の人に共感してもらえなくても、番組の趣旨は、人の気持ちを明るくしたいということだったの。

私は、今では自分の放送局を持っていて、やりたいことを明確に表明できる。私がしたいこととは、人の人生に小さな灯りを灯すことなの。

私の職業は、インタビュアーでも、トークショーのホストでも、単なる放送局のオーナーでもないの。自己認識のレベルを向上させたいの。人々を、アイデアや物語に繋げたいの。そして、自分自身を見つめて、よりよい人生を送ってもらいたいと思っているのよ。

アマンダ:ありがとうございます。ではここで少し方向転換をして、慈善活動にスポットを当てていきたいと思います。

オプラ:あなたの疑問を全部質問できるか、心配しているの?

アマンダ:いいえ、インタビューは順調だと思っていますよ。このまま粛々と続けます。皆さん、このインタビューを楽しんでいますよね? この対談は楽しいですか?

(会場拍手)

オプラ:オーケイ。

アマンダ:フォーブス慈善評議会でのインタビューを視聴させていただきましたが、オプラさん、あなたは非常に興味深い発言をされていました。寄付を始めた頃に犯した最大の過ちは、寄付の決定時に、感情的になりすぎたことだとおっしゃっていましたね。

オプラ:そうね。

アマンダ:私たちがここGSB、スタンフォード大学経営大学院で学んで卒業していく事柄のうち、特に大切だとされるのは、やはりオプラさんが先におっしゃったような、自己認識や、相手を理解し、感情を共感することです。

オプラさんご自身も、ご自身やゲストの弱さをしっかりと見極める事に、長年長けていらっしゃいますね。

その場合、感情と理論とのバランスを、どのように保っていらっしゃるのでしょうか。寄付が論理的な決断かどうかを、どのように見極めていらっしゃいますか。

オプラ:よく考え抜かれた、いい質問ね。

アマンダ:ありがとうございます。

オプラ:ちょっと考えさせてね。とてもいい質問だわ。

アマンダ:ありがとうございます。

オプラ:そうね、両方とも必要かしらね。感情も必須だし、理論も必須よ。でも最初の頃は、私は純粋に感情的だった。間違いもたくさんしたわ。

慈善の精神や行動は、生き方から出るべき

サロナー学長が就任する前にちょうど、私はこの話を学長としていたの。(※スタンフォード大学経営大学院・サロナー学長は南アフリカ出身)

ある時、私はネルソン・マンデラ氏の応接間に座っていたの。別に彼の名前をひけらかそうと思って言っているのではなくて、実際に座っていたの。

アマンダ:ネルソン・マンデラ氏が一緒にいたのですね。

オプラ:そう。10日間一緒にいたの。学長にも言ったのだけど、『29meals(実際に市販されている簡易食事セット)』という本を書いてもよかったわ。ちょうどその時に、彼と一緒に29回食事をしたの。本に書けばよかったわ。

アマンダ:そうするべきでしたね。

オプラ:本当にね。

アマンダ:これから書いてください。

オプラ:記録に取ってなかったから、2回目だったか12回目だったかは忘れたけれど、ネルソン、つまりマディヴァ(マンデラ氏の氏族名を表す、南アフリカでのマンデラ氏の尊称)と食事をしていたの。

どうやったら世界に影響を与えられるか話していて、新聞に目を通していたわ。そして、ある時点で私は「ああ、神様、もう話題がないわ」と困ったの。私たちは、ただ黙って新聞を読んでいたからね。新聞には、とても悲劇的な状況の記事が載っていたわ。私とマンデラ氏は、「貧困を終わらせるには、教育が必要だ」と話し始めたの。

私が、「そのうちぜひとも南アフリカに学校を作りたいと思う」と言うと、マンデラ氏は立ちあがって、教育省の大臣に電話をかけ「君、ちょっと来てくれないか、オプラさんが学校を作りたいのだ」と言ったの。

私は「そのうち考えている」と言っただけで、「今日実行する」とは言わなかったはずよ。こうして、事業がその日に始まったの。

私にとってそれは感情からきた決断だったけど、慈善の精神や行動は、皆さんの生き方から出るべきだと思うわ。

私が人種差別の激しいミシシッピ州の貧しい黒人の子供として育ったことは、皆さん知っているわね。誕生した時代に恵まれなかったら、教育を受けられない可能性もあったわ。

私が生まれたのは、人種差別政策が撤廃された、まさにその年だったから。5年、3年、たった2年でも前であったなら、私の人生が変わる希望なんて誰にも持てなかったと思うわ。

私は恵まれたタイミングで誕生し、教育を受ける年齢になる頃には、ミシシッピ州から出ることができたわ。私は幼稚園に行ったの。そして、幼稚園の先生に、こんなお手紙を書いた。

「ニュー先生、私は別の場所に行くべきだと思います。だって、私は難しい単語をいっぱい知っているからよ」そして、知る限りの難しい単語を書いたの。「象、河馬、ミシシッピ、ニコデマス(ミュージシャンの名前)、聖書に出て来るシャドラク、メシャク、アベド・ネゴ」。

ニュー先生が教室で「このお手紙を書いた人は、誰ですか?」と聞いたので、「私です」って答えたの。そうしたら、園長室に連れていかれたの。園長室なんて初めて入ったわ。園長先生は、私にもう1回これらの単語を書かせた。こうして私は、幼稚園から小学1年生に飛び級したの。

アマンダ:まあ、すごい。

オプラ:1年生と2年生も飛び級したわ。ハレルヤ! ルネッサンスの始まりよ。

(会場拍手)

人生に光を差してくれたのは教育だった

アマンダ:あなたには、いつも信念がありますね、自分に対する信念が。たとえ……。

オプラ:だって、他の子供たちとは違うなんて、わかるわよ。

アマンダ:わかるものなのですねえ。

オプラ:幼稚園で席について、さっきお話ししたように、本能が語りかけてくる言葉に耳を傾けるの。周りの子供たちを見ると、ブロックで遊んでいる。私はニコデマスを知っている。私の居場所はここじゃない。

要するに、皆さんも知っての通り、教育がドアを開けてくれたのよ。でも教育についてのスピーチを、ここでするつもりはないわ。人ひとりの人生は、どうやって変えるのだと思う?

南アフリカで学校を始める以前に、私は、とある感情的な計画を立てたことがあったの。カブリニ・グリーン地区からシカゴの貧困層居住地区100世帯を脱出させてあげて、新しい人生をスタートさせようとしたの。

住宅や何やらをいろいろと買ってあげたわ。でも、まったくうまくいかなかった。みじめたらしく失敗したわ。ビッグ・シスタープログラムは大失敗だった。そこで悟ったわ。種まき式のプログラムでは人は変わることができないの。

まず第1に、物の考え方や、自分自身への見方を変える必要があるのよ。野心と希望を持たせて、よりよい人生を展望できるようにしなくてはいけないの。これにうまく繋がらないと、失敗するの。自分も、援助の相手も失敗する。無駄に膨大なお金が出ていくわ。

だから私は自分が発見した、とても助けになることを実行するために慈善を行うの。私にとって人生に光を差してくれたのは教育だった。

私がお金を稼ぎ始めた時、特にそのことについての本が出版されるようになった時には、親類縁者や兄弟が皆、電話をかけてくるの。そこで決断が必要になるのよ。皆を要求通りに助けてあげるべきか、それとも真の自分に導かれるべきかってね。

成功した人なら誰でも経験することだと思うけど、一族郎党が、自分をファースト・ナショナル銀行扱いするようになるの。そこで決断が必要になるの。自分自身で、線引きをするの。

自分のお金や才能、時間を、まず自分自身のためになるように使うには、どうしたらいいかを決めるのよ。なぜなら、もし自分自身が満ち足りていなければ、遠からず枯渇して、やっていることを続けることができなくなるから。

今では、感情と理論の両方に従って決めるわ。手段としては教育を選択するけど、私が寄付する相手に、実利になる方法で実行する。すると、人を助けたい願望だけで終わることにはならないの。

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