2024.12.19
システムの穴を運用でカバーしようとしてミス多発… バグが大量発生、決算が合わない状態から業務効率化を実現するまで
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司会:ジャック・ドーシー氏を紹介させていただきます。皆さんも知っての通り、Twitterの共同創始者、チェアマンであり、Squareの共同創始者、CEOです。ジャック、スタンフォードへようこそ。
(会場拍手)
ジャック・ドーシー氏(以下、ドーシー):お呼びいただいて光栄です。ありがとうございます。歩きながらインスピレーションを探すことがあるのですが、ここはすばらしいキャンパスですね。幸運にもここにくることができたので、特別な意味も無く歩いたりドライブしてみした。
まずは事業家精神についてお話ししたいと思います。私の父ですが、彼が19歳の頃は、セント・ミズーリに住んでおり、料理が得意でした。ピザが得意で、彼の親友も料理が得意でした。そして2人は共同で「Two Nice Guys」という名前の会社を作りました。
それはピザレストランで、父がやりたがっていたので、そうしたのだと思います。セントルイスにはイモや肉が大量にあったので、それらをピザにいかにてんこもりにできるかということに彼はチャレンジしていたみたいです。「ティム・スペシャル」という名前でした。
レストランはうまくいき、雇用が必要になったので、彼らは「スタッフとの恋愛禁止」というルールを作ったのですが、最初の従業員は私の母でした。
(会場笑)
父は母マーサと恋に落ち、親友のもとに行き「ルール破ったので辞めます、会社は君にあげるから僕は彼女と結婚するね」と言って、10ヶ月後に結婚しました。そうして私が生まれたのです。
セントルイス、ミズーリはとても小さく思え、人口も500万人ですが、都市を中心に広がっていました。両親はいつも都会に留まり郊外へは行かず、生粋のシティー派でした。
デトロイトを除けば、40年代〜60年代のセントルイスの郊外は悲惨な街でした。私が育ったときは都市の雰囲気に囲まれて、私はそれが好きでした。都市は荒んでいましたが私にとっては楽しい場所でした。摩天楼もあり見えないエネルギーに満ちていました。
歩くだけでも何かが違って、その執着は地図として形になりました。私は地図に取り憑かれていました。見つけたランドマクナリーは全て手に入れて部屋の壁に貼り、特定のエリアや交差点、効率的なルートなどに思いを馳せていました。両親はさっぱりという感じでしたが、私には至福でした。
ドーシー:1984年〜1985年にマッキントッシュとIBM PC Juniorを手に入れ、マップをもっといじりたかった私は、変更を加えたり、独学でマップを描いたりしていました。非常にシンプルなものでした。
ドットを使い、それらを動かしたりしました。一定の位置にとどめておくことはチャレンジでした。ドットを操りセントルイスの地図の画像を完成させ、後には私自身も驚きましたが、ニューヨークも作りました。
しかしそれらのドットはランダムで、意味はありませんでした。両親がCB無線と警察用無線電話を持っていたのですが、警察用無線電話はおもしろくて、救急車と消防車とパトカーの活動報告が常に聞けたのです。
つまり、私がニュ―ヨークのブロードウェイ5番で心停止した患者をSt. John's Mercyに送るとして、それをプログラミングして、時間と方向を推測すると、実際に彼らがそのとおり動いたりしていました。他の救急車、パトカー、消防車と連携などもしていました。
インターネットのおかげもあり、やればやるほど自動化もできるようになました。セントルイスには、インターネットに初めて力をいれたワシントン大学もあり、BBSシステムへのアクセスがやりやすく、データベースの情報を得ることができました。
そうして生きた街の画像を得ることができました。世界で最も美しく視覚化されたものだと思えました。街の息が聞こえるようでした。そしてそれが「Dispatch」と呼ばれるソフトウェアだということを知りました。
まずミズーリ・ローラのワシントン大学へ行きました。都市に魅せられており、政府関係の仕事に興味があり、プログラミングとどっちがいいかまだ迷っていた私は、コンピューター・サイエンスか政治学を学ぼうとしていました。
政府や政治、法律制作とプログラミングは相容れない部分があると気づいたので、政治学は選びませんでした。時間のスケールが違って、議員や市長として政策を作って変化を目にするのは8年後とかですが、コンピューターでのシミュレーションなら即座に効果が目に見えます。
なのでコンピューター・サイエンスを選びました。都市やその視覚化が楽しかったので、ずっとDispatchシステムを構築していました。そしてついに、リサーチを通して世界最大のDispatchの会社を発見しました。
それはDMSと呼ばれ、ニューヨークにありました。彼らのWebは非常にシンプルで、ロゴと社名だけというものでした。NASDAQに上場したばかりで、コンタクトの仕方がわかりませんでした。私は非常に興味があり、働きたいと思っていました。
彼らのApacheは非常に古いタイプで、欠落かいくつかありました。なので私はそれを見つけCEOのメールアドレス宛にこう書きました「ジャック・ドーシーと申します。Webに欠陥があるのですが、こうすれば直せます。Dispatchソフトウェア、書けます」1週間後にはニューヨークに飛び、職を得て、ニューヨーク大学へと編入していました。
当時の自分の人生は夢のようでした。世界最大のDispatchとコールセンターで働き、ニューヨークを視覚化するというのは最高でした。こういったことは私が長く追求してきたことでもありました。リアルタイムで動くデータや情報を視覚化するのです。
ドーシー:2000年にコンセプトも設定し、きれいな画像はできたのですが、そこには人を示せませんでした。人はどこにいるのか? インスタントメッセンジャーの退室中というステータスからインスピレーションを受けてプロトタイプを作り始めました。また、Live Journalという非常にシンプルなブログアプリも参考にしました。
Dispatchをしていた私は初期のブラックベリーを持っていました。RIM 850といって単にメールを見られるというものでしたが、世界のどこからでも自分の行動をシェアでき、他人のシェアも見る事ができました。
自分のブラックベリーからメールを受信できるようにするためのシンプルなソフトウェアを作り、メールリストにあった人達へ向けて送信しました。
ゴールデン・ゲート・パークのバイソン・パドックへ行き「ゴールデン・ゲート・パークでバイソン見てます」とタイプしメッセージを送りました。その場でわかったことが2つありました。
まず、誰も私のことを気にはしてなかった(笑)。
(会場笑)
そして、他に誰もブラックベリーを持っていなかった。
つまり1人でシェアして受信していたので、何の情報も帰ってきませんでした。時間もタイミングも間違っていたということなので、これはお蔵入りでした。なのでDispatch関連の仕事をし続けました。ちなみにアルカトラズ行きのthe Blue & Gold Fleetのチケットシステムは私がやりました。
エヴァン・ウィリアムズ率いるOdeoという会社を見つけるまではランダムな場所で契約社員をやりつづけました。その数ヶ月後にビズ・ストーンが入社しました。それは消費者ポッドキャスティングの会社でした。
私はポッドキャストに全く興味が無く、プログラマーとしては優秀でしたが、インターネットの消費者サイドの考えを知りたかったのでちょうどよかったです。
私は主にバックエンド担当でした。例えば私の母の生活に、それは関わりはしますが、間接的です。タクシーに乗ったりアルカトラズに行ったりする際に、間接的影響はあるのですが、もっと直接的な相互作用について学びたかった。
そうしてエヴァンとビズと働くことになったのですが、彼ら以外はポッドキャスティングを楽しんでいないことがわかりました。商品を作るのを楽しんでいるわけでもなく、消費者の気持ちもわからない。
なので我々が使いたいものを作っているという状況ではありませんでした。それによって他のアイデアが出てくるというおもしろい状況でした。
2005年の終わり頃から2006年に我々はSMSを持っていて、CingularからVerizonにメールが送信できるという、当時のアメリカでは新しいものでした。私はテクノロジーというものが本当に好きでした。格安機種含めて、あらゆる機種に対応できるようになってきており、160文字の制限というのも美しかった。荒削りでしたが、私はそういうのが大好きでした。
そうして私は「SMSだけを使えばどうか」というアイデアを出しました。「現状を送信できて、興味のある人は皆それを知ることができる。Webにアーカイブとして蓄積され、Webからのアクセスも可能になる。機種の縛りもないからもうこれしかないだろ」公園の遊具で遊びながらの会話だったのですが、2人は「いいね」という感じでした。
会社に提示し、2週間ほどでプログラマーのビズがソフトウェアを作成し、最初のツイートは同僚を招くものでした。Odeoの社員がやってきて、彼らはそれを気に入りました。Odeoを売却するまで徐々にTwitterへ重点を移していき、かつて(今もですが)の私の願望がTwitterへと反映されていきまいした。
今や世界中の人がそれを使っていて、世界を知る速度はどんどん早くなっています。そしてそれは、「今、何が起こっているか」ということに対する興味と、自らもその一員になれるということがそうさせているのです。
ドーシー:マーケットが崩壊した2008年に私はTwitterのチェアマンになりました。金銭的障害が取り除かれたのでこの上なくちょうどいいタイミングでした。クリエイティブなことをしたい人の為の空きが多いにできたのです。特に決済に関しては。
その頃、15歳の時の上司でガラスアーティストでもあるジム・マクケビーに再び連絡を取りました。普段は実家に帰るクリスマスに彼と話をしました。彼は電気自動車の会社を作りたがっていて、私は「やり方はわからないけどおもしろそうだから、これは考え続けておこう」と言いました。
ある日彼のiPhoneから電話がかかってきて、クレジットカード決済ができなかったために、2000ドルのガラスアートの売上を損失したということでした。こうして耳元にコンピュータがあるのにもかかわらず何故できなかったのかを私達は考えました。そして彼は1ヶ月ほどで、プログラマーを雇いハードウェアを作り、私はソフトウェアを作るという形で答えは出ました。
私達はSquareという初期のプロトタイプを作りました。イヤホンジャックに差し込むクレジットカードリーダーで、iPhoneやアンドロイドやiPadといったイヤホンジャックのあるものに差し込めるものでした。
ソフトウェアとハードウェア作成は非常に簡単で、カードをスワイプするとレシートとして電子メールを作成し、メールが届くというものでした。私はこれをすごく気に入っていて、なぜなら、エンジェル投資家やベンチャーキャピタルに5~50ドル分をスワイプして見せてまわりました。
(会場笑)
これだけで600ドルは稼げました(笑)
(会場笑)
とにかくすごくよかった。しかし1ヶ月後、ジムがVisaの規約を読んでいるときにこう言いました。「あ、これ規約違反だ。できないみたい」つまり、すばらしいソフトウェアとハードウェアに加え、今までに無い全く新たな支払い方法だったのです。
なのでこれをVisa、Master Card、アメリカン・エクスプレスに見せる事にしました。人をインスパイアし納得させるためには、実際に機能する商品を見せることです。
Twitterでは実際にそうやって多くのユーザーを獲得し「実際に使用している人達」を見せることができました。やってきた投資家が既にユーザーだったり、またその家族がユーザーだったりという状況でした。
なので、話が非常に早く、すごさがすぐに伝わりました。しかもSquareは実感できるので、「Chaseのアカウントから3ドル引き下ろしたので見てみてきださい」とか、もし相手のベンチャーキャピタルが嫌な人なら50ドル払わせるとかいうことが目の前でできたのです。
(会場笑)
しかしそこでおもしろいことに気づきました。それは、支払いは一種のコミュニケーションだということです。価値の交換なのです。ファイナンスの世界において支払いという行為はデザインされたものではないのです。この世の全ての人はお金に関わりがあり、皆どこかでそれを嫌っています。
我々がSquareを開発したとき、レシートは見られることの無いものだと気づきました。例えばコーヒーショップでカプチーノを注文したとしましょう。店員は機械に打ち込み3.24ドルの支払いのレシートをとり、それをクレジット用の機械にまた打ち込みます。
そしてクレジット用のレシートを取って客にサインしてもらい、また新たなレシートを取り最初のレシートにホッチキスでまとめて客に渡しますが、最終的に見ずに捨ててしまう。
(会場笑)
使えるレシートを作る一括のシステムがあればどんなに楽か。1回のスワイプで電子画面にサインして紙を一切使用しない。そこからTwitter、フェイスブック、Yelpでメニューもわかります。
そういった情報をのせられるレシートです。負担ではなく、相互利用できるメディアとして使えるのです。そしてほとんどのお店が現在のレシートについてふがいなく感じているのです。現状では妥協せざるをえないのです。
スターバックスやPeteなどを除くコーヒーショップで「カプチーノは何杯売れたか?」と聞いてみたとしましょう。「300ドルくらい」という具合の答えが普通です。
「そのうち何%の人がビスケットも同時に購入したか?」「雨の日はどうか?」「火曜の午後5時は?」という情報はGoogl Analyticsに使用され、効果的に電子システムを構築できるのです。
オフラインの売買取引ではこういったことが全くわからないのです。1万5千ドルのPOSを買うこともできますが、それを使いこなす為のサポートメンテナンス費用もかかります。
我々のやっているのは、ただ早くてすごいだけじゃなく、豊かなデータを得ることが可能な、フルのPOSを作っているのです。起業したときでなく、それを育てていく際にもこういったことは非常に重要です。TwitterとSquareから我々が学んだことは、全ての使い方を理解する重要さです。
ドーシー:Twitterの最初の2年というのは、ネットワークがどうなっていくか見当がつきませんでした。主に勘を頼りにやっていました。なのでうまくいっているとはいいがたい状況でした。
Squareで最初に書いたのはAdminダッシュボードでした。我々社内に強い規則があって、72人が全てにログし、機能をテストするということです。ダッシュボード、アナリティクス、データを商品と考えるようにしています。全ての機能を理解し、また推測するというのが彼らの仕事であり、我々に欠かせないことなのです。
ユーザーに欠かせないこともあります。全てのデータは重要で、今までになかったマーケットへ語りかけることにもなります。94%の商業は未だオフライン作業であり、オンラインなのは6%だけなのです。何のツールもまだ開発されていない超巨大な市場がそこにはあるのです。
そうしてデータは重要なわけです。それとはまた違い、私自身の助けにもなったもので非常に重要なことがあります。それは、良きストーリーテラーであることと、ストーリーの重要さです。
つまり誰かの為に商品を開発するということは、その誰かの立場のストーリを理解する必要があるということです。
なので我々は、ユーザーの立場に立った「ユーザー・ナレーティブ」というものを書くことに時間を費やしてます。例えば「シカゴの中心地に住んでいる男性がいて、近くのコーヒーショップへ行き、そのあとこうする……」というように、演劇のようなストーリーを書くのです。
上手く書ければ必要なことがわかります。職種や階級に関わらず誰もが関係していることなのです。
我々は常にストーリーを考えています。ちょっとした要素というのも非常に大事で、我々は画期的なストーリーを書きたいのです。問題も解決したい。
小さなストーリーを多く作るのではなく、一貫した画期的なストーリーを作りたいのです。TwitterとSquareはこれを目指しています。よきストーリーテラーであることと、ユーザー目線の書き手であることは重要です。
SquareのCEOとして自分を見たとき、私が思うに、自分の仕事は主に編集だと思っています。Squareの本社はサンフランシスコのクロニクル・ビルディングにあります。
新聞がうまくいっていないときに我々が入りました。ちなみにアメリカ合衆国造幣局の隣です。支払いを取り扱う我々に取ってはちょうどいいロケーションですね。
ドーシー:編集に関して言うと、やることは大量でも本当に重要なのはほんの1〜2件です。色んな立場からのストーリーによる要望があるのですが、我々のサービスとネットワークを維持するようなものを実行します。我々の価値観にそぐうものから、インプットを取り判断をしていきます。中でも3点、注意していることがあります。
1つめ。チームです。いいキャラクターのキャストを揃えるべく、最高の人材を獲得して編集しないといけない。ネガティブは要素は削ぎ落としていく。基本的にはタイミングが悪かったり合わなかったりで、去ることを勧めるか、個人の判断に委ねてます。
結局の所は、1つのゴールへ向かうチームなので、チームのダイナミズムを常に考えています。一貫した歩みができないと、あっちへいったりこっちへいったりで、ちぐはぐな会社になってしまします。そんなものは誰も使いたくないのです。なので、1つ目はリクルートです。
2つめ。内と外のコミュニケーション。内のコミュニケーションは「なぜするか」「何をするか」「ゴールは何か」「なぜそのゴールなのか」といったことの調整です。それがわかっていれば正しいことのための優先順位がはっきりします。
外のコミュニケーションとは商品のことです。商品は外の世界へのメッセージであり、我々は商品を通して全てを語るのです。人がそれをどう使い、生活に馴染ませているかというのが最も強力なストーリーなのです。
3つめ。銀行の立場で資金を工面する。2つ方法があります。投資家から投資を集めるか、利益をあげるかです。幸運にもSquareは初日から歳入があったので、投資ではなくそちらにフォーカスできました。
こういった3つの優先事項をCEOとして常に調整しています。やることが1つだけだと、早いペースで成長する会社のマネージメントはかなり楽です。詳細を完全に理解し、その数を制限するのです。それだけです。
最小の詳細に気を配る。それができたら、どんな組織のどの部署であろうと成功できます。最重要事項を理解しつつ最小事項を注意できていれば、その他の全ての事は勝手にうまくいきます。私はこれらによって学び、キャリアも導かれました。一貫したストーリー完結を常に探しています。
例としてですが、最近、私の父のあのピザ屋がまだ存在していることを知りました。"Pie Pizzeria"というアカウントで「ジャック、お父さんの会社買ったよ。店でもSquare使ってます」とツイートしていました。すごいことですよね。
(会場笑)
ストーリーが一周したのです。この為にやってきたというような感覚でした。「この前行った店はSquareだったよ」という母のメールもそうです。夢のような瞬間です。
リンダ・バリーの小説『Cruddy』にあった言葉をいつも思い出すのですが、この会場の人達も含め、クリエイターとして事業家なら皆がっちり理解できる言葉で「予想外を予想して、いつでも自らも予想外であれ」というものでした。
「予想外を予想して、いつでも自らも予想外であれ」
私は毎日、こうあろうとしています。
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