2024.10.10
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ベニントン大学 卒業式 2012 ピーター・ディンクレイジ(全1記事)
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ピーター・ディンクレイジ氏:皆さん、怖がらないでくださいね。
(ピーター・ディンクレイジ氏、メイスを持って登場)
僕がステージに立つ10分前、ベニントンの学生がこのメイスを渡してくれました。
(会場笑)
「自作した」とのことです。
(会場笑)
仮にこれを持って壇上に上がらないとしたら、ベニントン大学出身者としては失格ですよね。
(会場拍手)
ベン、君のおかげで今夜、聴衆のみなさんに「神への畏怖」を植え付けることに成功したよ、ありがとう。さて、そろそろこれを下ろさなくては。僕は一介の俳優で、腕力には自信がないんです。ああ重かった。小道具には見えませんね。まるで本物だ。ベン、ありがとう。
では、スピーチの原稿を読みます。暗記していないのでしょっちゅう下を向くかもしれませんが、ご容赦ください。
コールマン学長、ブライアン・コノーヴァー氏、ありがとうございます。
(会場拍手)
教職員の皆さん、学生諸君、ご家族の皆さん、校友の皆さん。僕の大切な友人である同窓生のみんなも、僕に会うためにはるばる都会から駆け付けて来てくれました。今夜のスピーチで、皆さんに醜態をさらすことのないよう頑張りたいと思います。特に、2012年卒業生の皆さんに感謝を申し上げます。
(会場拍手)
実は拍手を止めてもらうジョークを用意して来たのですが、皆さんがこうして拍手で盛り上がってくださっているので、どうも不発に終わりそうです。試してみましょうか?
「2012年卒業生の皆さん、拍手をお控えください」
(会場拍手)
さて、2012年ですね。生きて2012年を迎えることになるとは、思いもしませんでした。マヤの予言が実現して世界が終ってくれたら、学位授与式のスピーチなどという、こんな恐ろしい仕事を引き受けずに済んだかもしれないのに。あれ? ちょっと待てよ? マヤ暦の、世界の終わりは、いつだって? 2012年10月? ダメだ!
まあ仕方ありません。これから新たな道に踏み出そうと、希望に胸を膨らませている卒業生の皆さんに、世界の終わりの話などするべきではないのかもしれません。それにしても、名だたる小説家、教職者、劇作家、詩人、最先端のヴィジュアル・アーティストや、各分野のパイオニアたる科学者をさしおいて、僕のようなTV俳優が呼ばれるとは! やれやれ!
さらに僕は皆さんが、僕に授与式へ来るよう請願している様子も実際に聞いてしまいました。愛すべき馬鹿者たちですね。請願に加わらなかった諸君、中東問題や世界経済の下降について、後ほど話し合いましょう。
請願に加わった諸君、申し訳ありませんが、今はサイン入りの『ゲーム・オブ・スローンズ』DVDの持ち合わせがありません。ターガリエンとラニスターのパラレル・イメージについて、後ほどバーで語り合いましょう。
さて、僕はこのスピーチを引き受けるにあたり、清水の舞台から飛び降りるような決意が必要でした。妻のエリカにも背中を押してもらいました。
僕は、こういうことには慣れておりません。本業では各分野のプロから、「ここへ立て」とか「こんなまなざしをしろ」とか、いろいろ指示されるからです。何より、「こういうセリフを言え」と人に言われますからね。
でもまあ、僕は来ました。もう、僕しかいませんよ。編集なしの僕のスピーチです。聞いていてお分かりになるかと思われますが、かなりお恥ずかしい内容です。マックス、これは読まなかったよ……アドリブです。
ちょっと記憶をたどってみましょう。僕は学位授与式スピーチのアドバイスを、いろいろな知人や、また彼らのおじさんたちから必死に集めました。
「卒業生が聞きたいと思っていることを話してやればいい」
「自分のベニントン時代の話をしたら?」
「『間違ったスピーチ』なんて存在しないんだから、何でもいいんだよ」
中でもこれは気に入りました、「短ければいい」。義父からのアドバイスです。
(会場拍手)
「卒業後の厳しさを、冷酷なまでに率直に話せばいい」
この話題についてはあとで触れます。
「メリル・ストリープの、バーナード・コロンビア大学でのスピーチを見れば大丈夫」
ベケットは言いました、「進めなくとも、進むのである」。
僕のスピーチが、たとえ長く皆さんの心や思考の中に燃え続けないとしても、「星のかなたにまで手を伸ばしたい」という希望を掻き立てることがなくても、今夜の1杯のワインで忘れ去られてしまうとしても。僕はいったい、何を話せば良いのでしょう?
「進めなくとも、進むのである」
自分のベニントンでの過去を、かの老漁師のごとく語ることはしません。皆さんは既にここで、自分たちの時間を過ごしました。皆さんは皆さん自身の、語るべき物語を持っています。
僕に関して言えば、ここは始まりの場所です。1987年、バーモント州が大雨の夜、僕は新入生でした。豪雨で視界が悪く、よもやそこで出会った新入生が、後日すばらしい親友にして協力者となり、17年後、僕の妻となる女性を紹介してくれるとは、思いもしませんでした。彼をいつも呼んでいる通り、シャームと呼びます。
深夜ちょうどあそこの道、ブース・ハウスのそばでのできごとでした。豪雨の闇夜であったにも関わらず、寮からの灯りが洩れ、ここは活気にあふれていました。
ニュージャージー出身の僕はその頃まだ子どもでした。カトリックの男子高校の出であった僕は、まるで珍しい動物のようなありさまで、ぼそぼそとしかしゃべらず、黒いベルベットの女性用ケープのようなものを被り、黒いタイツとコンバット・ブーツを履いて、しかめっ面でした。でもここベニントンでは、僕は自分の家にいるように感じました。
(会場拍手)
これだけは言わせてください。ここ以上の場所はありません。はっきり言います。ここほど輝きに満ちて、素晴らしい人々がいる場所は、外の世界には存在しません。今、席を同じくしている先輩たちや友人たちは、至高の存在なのです。
僕は卒業後22年間、あの雨の日の友にして、ベニントン卒業生のシャームと共に仕事をしました。彼が書いた数知れない上演作品と共に、リビングルームからオフ・ブロードウェイまで少しずつ段階を追って上っていきました。
ブルックス、イアン、ジャスティン、ブリット、ジョン、マシューズ、ジム、ショーン、ハイランド、ニッキィ、ザビィ。彼らは皆、クラスメイトです。僕たちはかつてここで共に過ごし、今も一緒に仕事をしています。彼らを友と呼べることを、本当に幸運だと思っています。
僕たちはここで非常に大切にされました。よそでいつもこう言われます、「小さい大学なのに、いろんな所に卒業生がいるわよね」と。僕には、これは非常に興味深くて素晴らしいことに思えます。これはベニントン生の性なのです。僕たちは、強い光を放つのです。どうか皆さん、輝き続けてください。
卒業生の皆さん! 僕が皆さんの今いる場所に座っていた頃には、夢がたくさんありました。あそこに行きたい。こういう人になりたい。こんなことをやりたい。クラスメイトたちと、映画会社を設立したい。こんな映画に出たい。あの監督と仕事をしたい。こんな物語を創りたい。ちょっとは時間がかかるだろうな。でも、いつかは実現してやる。
22年前、僕がそこに座っていた時、考えたくなかったことがあります。
「明日はどこにいるのだろう?」
「まず何を始めたらいいのだろうか?」
僕は、1991年にこの学校を卒業しました。良い年でした。アメリカでインデペンデント映画ブームが再興し、ニューヨークでも多少は安く下宿できる時期でした。
僕は自分で芝居を書いて、場末の劇場で自ら演じ、充分食べて行けると思っていました。いつかは、敬愛するインデペンデント映画俳優たちの仲間入りをするのです。テレビ? 冗談だろう。テレビ出演なんて考えもしませんでした。僕はクラシックをやる。ちゃんと自尊心があるんだ。昼メロ? まっぴらごめんだ!
僕が持っていなかったものは、金と銀行口座とクレジットカード、そして下宿でした。僕が持っていたものと言えば、借金でした。
(会場拍手)
大きく獰猛で、刻々と膨れ上がる借金だけでした。皆さんもいずれ、そうなります。僕は慣れ親しんだ生活と、靴下と歯ブラシとをバックパックに詰め、麗しのバーモントを後にしなくてはなりませんでした。そして友人たちのニューヨークでの下宿先を転々とし、ソファで眠りました。
そのうち僕はそんな生活に音をあげて脱落し、僕の代わりに家賃を払ってくれる、ルームメイトが入居しました。アルバイトなど、するつもりはありませんでした。
「僕は俳優、劇作家だぞ。しかもベニントンを出ているんだ!」
いいえ、アルバイトをせざるを得ませんでした。
まずベッドフォード通りのピアノ店で5か月間、ピアノを磨きました。そして1年間、シェイクスピアを研究する学者の庭で、草むしりと蜂の巣駆除をしました。一度、しばらく無職も経験しましたが、長くは続きませんでした。罪悪感に耐えられなかったのです。
そのうち、ロウアー・イースト・サイドに何とかアパートを借りられるようになりました。しかしある日、ルームメイトが発狂して失踪してしまいました。後日、カルト教団にいることが発覚しました。これでも、ロマンティックな話にしようと努力しているんですよ?
(会場笑)
実際は、全くロマンティックではありませんでした。
(会場笑)
次に僕は画廊で、「こんなの僕にでも描けるんじゃないの?」と思うような、絵画を展示する手伝いをしました。
(会場笑)
「カウチサーフィン」で2年働いた後に、とうとう仕事を見つけました。「プロフェショナル・エグザミネーション・サービス」という、アプリケーション処理の会社でのデータ入力の仕事です。
(会場笑)
6年いました。6年間です。ベニントンにいた時間よりも長いです。23歳から29歳までの間でした。そこでは僕は人気者でした。面白いやつだったからです。黒ずくめの服を着ていましたが、ケープとタイツは無しです。
郵便係りの連中と荷揚げドックでたばこを吸い、二日酔い自慢をして互いを「ちびすけ」と呼びあいました。「どうした? ちびすけ」「元気か? ちびすけ」「ああ飲み過ぎた。ちびすけ」と。金曜になると、必ず病欠しました。前の夜遅くまで遊んでいたからです。
仕事を憎みながらも、しがみつきました。とりもなおさずこの仕事のおかげで、住む場所だけは確保できたからです。ブルックリンのウィリアムズバーグ地区です。
(会場拍手)
そうそう。このタイミングでの歓声はいいですよ。「タイムマシーンから出し、我が王国よ!」月400ドルの家賃で、倉庫を改装したロフトに住みました。
映画会社を設立する夢を共にした、友人にしてベニントン同窓のイアン・ベルは世を去りました。事細かにはお話しません。僕たちはどちらもビジネスセンスを欠いていましたし、住んでいた映画館には暖房もなく、お湯も出ませんでした。
良い匂いこそしませんでしたが、僕たちには若さがありました。でも、あっと言う間に年をとりました。皆さんもすぐにわかりますよ。
(会場笑)
さて、イアンがシアトルに引っ越した後、僕も通りを遡ってこのロフトに引っ越しましたが、やっぱり暖房はありませんでした。
「1993年、元倉庫のロフトにおいては、ここに人間の居住を禁ず」
悲惨な状況を格好よく言いたくはなかったのですが、ちょっと格好よくなってしまいましたね。これもアドリブです。
とは言え、風呂場にお湯は出ました。風呂を使った友人が喚きました、「うわあ! なんだ、このサマー・キャンプみたいな臭いは!」と。その通りでした。ブルックリンのど真ん中にもかかわらず、シャワーの中にはなぜか土くれが詰まっていたのです。本物の土です。
「見ろ! きのこが生えているぞ!」
でも僕は安全でした。アイディール・ファイア・コントロール社が真向かいにあり、化学薬品による火災の、消火薬品を製造していたのです。さあこれで化学薬品火災の心配はなくなりました。僕は、安泰です!
大気中に排出される化学薬品についても、全く問題ありません。通りをのぼった所に、スパイスを製造する工場があったからです。ありとあらゆる物が、芳しいクミンの香りに包まれていました。
家にはネズミが出ました。でも、それも問題ありません。猫を飼っていたからです。名前はブライアンです。(会場の人物を指して)親戚関係にはありません。
(会場笑)
祖母がピンクのソファベッドをプレゼントしてくれましたが、不思議なことに友だちやベニントンの後輩は誰も寝そべろうとしませんでした。ですので、横に立ててブライアンが登って窓の外を見られるようにしました。
窓は1つだけでした。僕自身は、窓から外を見ることはできませんでした。極めて高い所にあったからです。つまり僕は、暖房もなし恋人もなしでした。何てこった! アクティング・エージェント、つまり臨時代理人の役者仕事すらありません。でも僕には、キャプテン・ブライアンがいました。彼が、外の世界について、教えてくれました。
(会場笑)
10年、そこにいました。
僕を憐れまないでください。この話にはハッピーエンドが待っているのです。29歳になった時、自分に言い聞かせました。もし次に役者の仕事が来たら、例えどんなにギャラが安くても受けて、職業としての役者になろう、と。そこで僕はプロフェショナル・エグザミネーション・サービスを退職しました。
これを友人たちは快く思いませんでした。勤めている間は僕に連絡を取りやすかったからです。職場が唯一の僕の、インターネット環境でした。インターネット時代初期の話です。こうして僕は、インターネットも携帯電話も、職も手放しました。
しかし、良いことが起きました。ギャラは低いですが、『インパーフェクトラブ』という劇に出演しました。すると、同じ脚本家による『13ムーンズ』という映画に出演することができました。似たような連鎖で次々役がついて、それ以来僕は役者として働いています。
(会場拍手)
僕には、この展開は、全く予想のつかないものでした。29歳で、データ処理の仕事を辞めた時、僕は恐怖に慄いていました。10年間出口のない場所に閉じ込められ、6年間息苦しさを感じる仕事に就き続け、もしかしたら僕は、変化を恐れるようになっていたのかもしれません。皆さんは、いかがでしょうか?
僕の両親は、あまり裕福ではありませんでした。しかし彼らは、僕に最高の教育を受けさせるため、大変な努力をしてくれました。彼らが僕にしてくれた最も大切なことの1つ―卒業生の皆さんには、耳の痛い話かもしれませんが―それは、卒業後僕を金銭面で独り立ちさせたことです。
今度は僕が稼ぐ番でした。
(会場拍手)
拍手しているのは、親御さんたちですね? 卒業生は、真顔です。
(会場笑)
これは僕のハングリー精神を喚起しました。文字通り飢えました。
(会場笑)
僕は怠けるということができませんでした。今でこそだらだらした生活を送っていますが、当時とてもそんな余裕はありません。
こうして29歳にして僕は、ついに俳優・劇作家・監督の仲間入りをしました。卒業した最初の年、卒業したその日に、僕が散々悩み抜いた、僕の居場所です。僕の原点です。
皆さん、真の自分に出会うために向上心を持って生きてください。「こうであると定義付けされた瞬間」などというものを、追い求めないでください。そんなものは絶対に訪れません。
子どもの誕生は例外です。これだけは全く別の話です。今娘は6か月ですが、彼女のおかげで僕の人生は、永遠に変わりました。まさに人生が定義付けされた瞬間でした。
(会場笑)
つまりここで僕が言いたいのは、皆さんのこれからの人生について、特に職業についてです。皆さんが何者であるかが定義され、判明した瞬間は、すでに皆さんに訪れているはずです。それは再び、必ず訪れますが、あまりにも素早く目の前を通り過ぎてしまいます。
ですから皆さん。お互いをこれからもずっと大切にしてください。あなたたちが必要としている人の全員が、この場所にいます。綺羅星のごとく輝く、大切な人々です。
(会場拍手)
残念ながら卒業後の人生は、泥沼です。これは事実です。少なくとも、僕にとってはそうでした。なぜなら僕は、自分の人生しか知らないからです。でも人生から多少脱線したとしても、きっと何か良いことが起こります。僕を信じてください。皆さんがベニントンに来て数日を過ごした後のように、何かがリズムを刻み始めます。
ただし、僕のようにそれを発見するまで、29歳まで待つことはしないでください。仮にそうなってしまったとしても、それでも大丈夫です。中には見つけることができない人もいるかもしれませんが、皆さんにはきっと見つかります。保証します。だって皆さんはもうすでに、ベニントンにいるではないですか。
それだけですでに、大きな1歩を踏み出しているのです。皆さんはきっと自分のリズムを見つけるでしょう。もしくはすでに見つけたリズムを、このまま刻み続けてください。
ある日、僕がマンハッタンのダウンタウンを歩いていた所、かわいらしい若い女性グループが近づいて来ました。皆さん! 落ち着いて聞いてください!
(会場笑)
実際は女性たちは、黄色い悲鳴をあげて通りを走って来たのです。僕に追いついた時点で、彼女たちは息を切らして口もきけず、言葉が出ない状態でした。やっと言葉が出るようになり、彼女たちは、ニューヨーク大学の1年生だということがわかりました。演劇学科を専攻している、とのことです。
当たり前じゃないですか。科学専攻ではないでしょう。僕なんかを追いかけて来てくれたんですよ? 「何のミュージカルに出ているの?」と僕は聞きました。1人がうつむいて答えました、「あの……、私たちまだ1年生なので、舞台に出る許可が下りないんです」。
つまり彼女たちはものすごい額の学費を支払いながら、大好きなやりたいことをやらせてもらえないのです。確か僕は、「そうか。頑張ってください」としか声をかけてあげられなかったように思います。
おそらく言ってあげるべきだったのは、「人からの許可なんて待つ必要はないよ。自分から食らいついていくんだ。歌いなさい。もしくは速やかに、ベニントン大学に編入しなさい」。
(会場拍手)
僕がベニントンにいた頃、1年生が自作のミュージカルを演じたいと思えば、彼女のために舞台にライトがセットされたでしょう。今、僕がなぜこんなことを話すかと言いますと、もしかすると世の中が皆さんに、「君にはまだ許可が下りない」と宣告する可能性があるからです。
僕は社会に出てから、自分で自分に失敗することを許可するまで、長いこと待ちました。皆さんにお願いがあります。世の中に許可などは求めないでください。「自分にはもう資格があるんだ」などと申し開きをする必要だってありません。見せればよいのです。実行すればよいのです。
かつて、ベケットは言いました。
「今までやったことがある。今まで失敗したことがある。そんなことは構わない。もう一度やれ。もう一度失敗せよ。より上手く失敗せよ」
ベニントン大学2012年卒業生の皆さん。世界は皆さんのものです。人を大切にしてください。そして、闇夜に灯りを灯してください。僕をこの場にご招待いただき、ありがとうございました。
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