【3行要約】
・現代社会では思いやりが不足し、多くの人が嫉妬や恨みに囚われています。
・ノースウェスタン大学卒業式でのスピーチで、スティーヴ・カレル氏は「今の世界にもっと必要なのは思いやり」と強調し、不確実な時代を生きる若者たちへエールを送りました。
・同氏は「優しさは弱さではなく強さ」と説き、他者の話を聞くことや小さな親切を実践することが、混沌とした世界を生き抜くための智慧だと伝えています。
今の世界にもっと必要なのは思いやり
Steve Carell(スティーヴ・カレル)氏:おはようございます。ジョンソン学部長、先ほどのあたたかいご紹介をありがとうございます。そして、私を今日ここに招いてくれたノースウェスタン大学2025年卒業生のみなさん、本当にありがとう。ここに立てることは、名誉であり、特権であり、そして、とんでもなく面倒くさいことでもあります。
今朝ここに来る車の中で、このスピーチを書こうとしながら、いろんなテーマを考えていました。自分らしくいる勇気の見つけ方とか、世界をより良い場所にしていくにはどうしたらいいかとか。
それから、「Big X the plug(米国のラッパー) って誰なんだ? そしてなぜディロ・デイ(ノースウェスタン大学の音楽祭)をドタキャンする権利があると思ってるんだ?」とかね。
でも、そもそも今朝、私が何を話すかなんて本当に重要なんでしょうか。というのも、みなさんも知ってのとおり、多くの卒業式スピーチはすぐに忘れ去られるからです。
エイブラハム・リンカーンはゲティスバーグでの演説でこう言いました。「あなたがたは、私がここで言うことをほとんど記憶にとどめず、長く覚えていることもないだろう」と。そしてそのとおり、リンカーンは正しかった。ゲティスバーグ演説なんて誰も覚えていません。
でも、もしかしたら。もしかしたら、みなさんはこのスピーチのことを覚えていてくれるかもしれません。今日は、とてもシンプルなことについて話したいと思います。
私にとって大切であり、今の世界にもっと必要だと感じているもの。それは「思いやり(kindness)」です。ですから、ちょっと黙って聞いてください。
作り話で始まる「人間の優しさ」の悲しい物語
1800年代初頭、イリノイ州にエゼキエル・デイヴィスという農夫がいました。彼は隣人のジェダダイア・アシュクロフトに乳牛を貸してあげました。ジェダダイアの家族が牛乳を飲めるようにするためです。ところが不運にも、これは低温殺菌が行われる前の時代で、家族は体調を崩し、命を落としてしまいました。
これは人間の優しさについての、とても悲しい物語です。
不運なことに、この話は本当ではありません。ドラマチックにするために、私が作りました。言いたいことはこうです。私は自分が何を言っているのか、よく分かっていません。
今日ここで私が話すことの多くは、おそらく憶測だったり、事実ではなかったり、単なる作り話かもしれません。私はノースウェスタン大学に通っていません。そんなに頭がいいわけでも、何か特別な才能があるわけでもないんです。
私は学者でもありません。人類の知識に対する理解なんて、よくて「かろうじて」レベルですし、しゃべりだって上手じゃありません。
「かなりいい人」でありたい、というささやかな自負
でも、そんな知的ハンデを抱えていても、私には「思いやり」の大切さは分かります。私は優しい人間です。少なくとも、世間的にはそう思われているようです。私のことを「いい人」だと呼ぶ人もいます。
でも、ハリウッドでは、実際にいい人でなくても「いい人扱い」されるものです。専門用語で言えば、私はけっこう「いい人寄り」です。
だいたいいつも穏やかですし、意地悪はしないようにしています。法律を破ることもあまりありません。みなさんのくだらないジョークにも笑います。子犬とアイスクリームが好きです。よく人に向かってニコッと笑います。そして、今日は自分の忙しいスケジュールの中から時間を割いて、ここに来ました。
こうしたことは、私が「かなりいい人」あるいは「十分いい人」である証拠と言えます。私は「基本的な人間としての良識レベル」を体現しています。
これは称賛されるべきことではなく、「できていて当然」のことだと思っています。誰もが、少なくともこの「かなりいい人」レベルには達していてほしい。
「けっこういい人」になるための、ささやかな実践アイデア
ここで、「けっこういい人」あるいは「思いやりのある人」になるためのヒントをいくつかお伝えします。別に突き抜けた話ではありません。ノーベル賞も、聖人認定も要りません。ただの、ちゃんとした人間らしいふるまいです。
自分の時間やお金を、価値のある活動に寄付してみてください。とても良い出発点です。人が人を助ける。当たり前だけど、すばらしいことです。
駐車場でショッピングカートを元の場所に戻す。誰かがやらないといけないですよね。だったら、あなたがやってみてはどうでしょう。さらに一歩進んで、自分の分だけでなく、使っていないカートもひとつ戻してあげる。そのちょっとしたひと手間が、「一段上の“まあまあ親切”」です。
こうした行動は、周りの人の役に立つだけでなく、あなた自身の心も満たし、駐車場全体に……いや、「人類という名の巨大な駐車場」に喜びを広げてくれます。そして、手を洗うのを忘れないでください。そのカートには、たぶんさっきまで誰かすごく不衛生な人が触っていたはずですから。
もうひとつ例を挙げると、ある時マクドナルドのドライブスルーで、受け取り窓に車をつけて、こう言ったことがあります。「私の後ろの車の人たちに、『すてきな一日を』って伝えてください」と言って、そのまま走り去りました。自分が残してきたであろう喜びを想像しながらね。本当は、あの人たちの顔を見たかったです。
これは「ペイ・フォワード(恩送り)」と呼ばれています。
同じように、自分自身に優しくすることもできます。ちょっと贅沢な旅に出るとか、外食をするとか、新しい服を買うとか。自分を甘やかすんです。これは「ペイ・バック(自分に返す)」と呼びましょう。
優しさは弱さではなく、「ちっとも難しくない強さ」
覚えておいてください。優しさは弱さではありません。とても強力な「強さ」です。名高く、力のある人たちの中には、とても親切な人もたくさんいます。それから……とにかく言いたいのはこうです。
意地悪でいることは、別に簡単ではありません。訂正します。こう言いましょう。 「親切でいることは、意地悪でいることより、少しも難しくない」ということです。
実際、私は親切な有名人をひとり知っています。親愛なる友人であり、ノースウェスタンの卒業生でもあるスティーヴン・コルベアです。スティーヴンはすばらしい人です。才能があって、寛大で、ほとんどあらゆる点で私より優れています。彼がここにいたら、きっともっと良いスピーチをしていたでしょう。
彼は革新者であり、アイコンであり、家族思いであり、友人でもあります。彼はあまりにもすばらしすぎて、私は自分がひどい人間に思えてきて、彼のことが大嫌いです。本当に、本当にね。