【3行要約】
・キャリア構築で迷いや後悔を抱えるビジネスパーソンが多い中、成功への明確な指針が求められています。
・ワーナーCEOのザスラフ氏が母校の卒業式で40年のキャリアから得た5つの学びについて語りました。
・人生を変える重要な瞬間に備え、人間関係を大切にしながら継続的な努力を怠らないことが成功の鍵となります。
母校ボストン大学ロースクールへの感謝と40年の歳月
David Zaslav(デヴィッド・ザスラフ)氏:わあ。本当に、みなさんの前で話せることにこれ以上ないくらいワクワクしています。なんてすばらしい日なんでしょう。
ブラウン学長、ファカハニ博士、先ほどの温かいお言葉を本当にありがとうございます。大学の理事のみなさん、そしてほかの受賞者のみなさんにも感謝申し上げます。みなさんとこの特別な日を分かち合えることは大きな喜びであり、光栄です。
自分の人生がここ、ボストン大学ロースクールから始まって、もうすぐ40年になるなんて、本当に信じられない気持ちです。ここで過ごした日々には、強く心に残る、すばらしい思い出がたくさんあります。
ロースクールの図書館で勉強したこと。友人たちとフェニエルホールの店をあちこち食べ歩いたこと。そして、みなさんが昨夜、凍えるような寒さの中でそうしていたのと同じように、多くの朝を、T(地下鉄)を待ちながら過ごしたこと。
昨日、思い出をたどろうと思って、久しぶりにTに乗ってみました。ケンモア・スクエアを通り過ぎ、BUビーチ(チャールズ川沿いにある芝生の丘の愛称)の横を通りました。天気の良い日には、よくそこでたむろしていた場所です。
それから、懐かしいフェンウェイ・パークの前も通りました。僕がここで学んでいた40年前には、勉強を終えて試合が7回裏を過ぎた頃になると、フェンウェイ・パークにこっそり入って、レッドソックスの試合の終盤を観戦できたものです。
今回、卒業式のスピーカーに選ばれたと発表された数週間後、BU時代の友人の1人から「まさかお前が、だよな」とメッセージが届きました。そのとおりなんです。いつか自分がここに立って、みんなに人生のアドバイスをすることになるなんて、当時の僕にはまったく想像もできませんでした。
正直に言うと、今も少し緊張しています。卒業式でスピーチをするのは、今日が初めてなんです。だから、みなさんに何を話すべきか、本当にたくさん考えました。 「これまで自分が見てきたこと、学んできたことの中で、みなさんがこれから歩み出す時に本当に役に立つものは何だろう」と自分に問い続けました。
その答えとして、僕がこの人生の旅路の中で学んだ、一番大事なことを5つお話ししたいと思います。
1つ目の学び 好きで得意なことを見つける
まず1つ目は、自分が何に向いていて、何をするのが好きなのかを見つけることです。僕はここBUのロースクールを卒業し、当時の自分が「欲しかったものは全部手に入れた」と思えるような状況になりました。ニューヨークの大きくて名門の法律事務所に就職し、ニューヨークでアパートを借り、収入もよく、気分は最高でした。両親もとても誇りに思ってくれていました。
ところが、実際にその仕事を始めてみると、本当に大変だったんです。僕はコーポレート部門で働いていて、主な仕事は目論見書を書くことでした。
保険会社やおもちゃメーカーなど、上場する企業の目論見書を書く仕事です。その仕事には、とてつもない忍耐と、綿密な整理力、そして大量の文章を書く力が必要でした。僕は、それが本当にきつく感じました。
ある日、同僚たちと社員食堂で昼食をとっていると、1人のパートナーが、信じられないくらい上機嫌で入ってきたんです。
彼は「聞いた? 目論見書に関するコーポレートの規則が変わったぞ。目論見書の書き方が、これからはもっと自由になるんだ」と言いました。テーブルのまわりを見渡すと、そこには優秀で、尊敬している仲間たちがいて、みんな本当にうれしそうにしていました。
パートナーが去ると、彼らは一斉に話し始めました。これからどんなふうに書き方を変えていけるか。目論見書がどれだけ良くなるか。どれほど大きな影響を与えられるか。そんな話題で、大盛りあがりだったんです。
その時、僕は心の中でこう思っていました。「正直に言って、まったくどうでもいい」と。その瞬間、はっきり気づいたんです。 「自分はこれが好きじゃない」と。
僕は、この仕事が大好きで、才能もあって、努力も惜しまない人たちと同じ土俵で競おうとしていました。でも、自分は心からこれが好きだとは言えなかった。好きどころか、やりたいとも思っていないのかもしれない。
そこで、「変わらなければ」と思いました。本当に自分が興味を持てること、心から好きになれるものを見つけないといけないと思ったんです。けれども、それはとても怖い決断でした。不安も大きかった。すでにアパートを借りていて、その支払いのためには収入が必要です。次の道が見つかるまでは、今の仕事を続けざるを得ませんでした。
それでも僕は顔を上げて、もう1年、必死に働き続けました。それから約1年後、幸運が訪れます。人生では、時々そういう幸運がやってきます。
ある日、事務所の廊下を歩いていると、新しく入ってきたパートナーが、ちょうど僕のオフィスの前を通りかかりました。スーツ姿ではなく、MTVのロゴが入ったジャケットに、長い髪といういでたちでした。
僕は彼の後を追ってオフィスに行き、自己紹介しました。話を聞くと、彼はMTV、CNN、ディスカバリー、ニコロデオンといった新しいケーブルテレビビジネスの仕事をしていると言いました。
その時僕は、「この人と知り合っておきたい。こういう仕事なら、自分は好きになれるかもしれない」と思いました。すでに1週間に70〜80時間は働いていましたが、それでも彼に「ぜひ一緒に仕事をしたいです。何か仕事があれば、いつでも手伝わせてください」と伝えました。
こうして僕は、新しいビジネスであるケーブルテレビの世界に出会いました。それは80年代後半、ケーブルテレビがちょうど立ち上がり始めた頃のことです。そして僕は、この分野にあっという間に夢中になりました。
2つ目の学び チャンスは自分でつくる
2つ目に学んだことは、チャンスは向こうから勝手にはやってこないということです。自分で作りにいかなければなりません。
それから数年後、僕は法律事務所のケーブル部門での仕事を楽しんでいました。ある日オフィスで、『ハリウッド・レポーター』の記事を読んでいると、表紙にジャック・ウェルチの写真が載っていました。
彼はGEのCEOで、ちょうどNBCを買収したところでした。記事には、ケーブルビジネスに参入し、新しい部門を立ち上げるつもりだと書かれていました。当時の僕はまだ若く、みなさんとそれほど変わらない年齢でしたが、すでに1〜2年ほどケーブルビジネスの案件を担当しており、この分野のことをある程度は知っていました。
僕は「この2年間、ケーブル会社向けの案件をやってきた。自分にはそれなりの経験がある」と思い、ジャック・ウェルチに手書きの手紙を書きました。手紙には、「この2年間、私はこのようなケーブルビジネスの仕事をしてきました。もし本気でケーブル事業に参入されるおつもりなら、その旅にぜひ私も参加させてください」。と書きました。
驚いたことに、1週間後に電話がかかってきました。僕はNBCに呼ばれ、面接を受け、その新しいケーブル部門を立ち上げる最初の数人の1人として採用されました。その手書きの短い手紙が、僕の人生を大きく変えたのです。書くことの力、自分から手を挙げてチャンスを求めにいく力を、そこで学びました。
その後、僕はジャックと15年間一緒に仕事をし、CNBC、MSNBC、Bravo、USA、Syfyといったチャンネルの立ち上げに関わりました。本当にすばらしい旅路でした。
ですからみなさんにも、ぜひ、怖くても自分からチャンスを求めて動くことを覚えておいてほしいのです。