【3行要約】
・価値観を掲げながらも実践できない。そんな「言行不一致」の問題が現代社会で深刻化しています。
・元NBA選手のグラント・ヒル氏は、デューク大学卒業式で母親から学んだ「価値観を動詞として生きる」重要性を語りました。
・卒業生には、言葉と行動のギャップを埋め、誠実さを道しるべに実践する使命があると激励しました。
100年の歩みとこの日を迎えられたことへの感謝
Grant Hill(グラント・ヒル)氏:プライス学長、理事のみなさん、ご家族のみなさん、そしてデューク大学2025年卒業生のみなさん。青いガウンに身を包んだみなさんは、本当に堂々として見えます。こんなすばらしく、そして意味深い1日をみなさんとご一緒できることに、心から感謝します。
デュークのコミュニティのみなさん。この1年間続いた創立100周年の祝いと、地域の学校から世界的な名門へと急速に成長してきた歩み。その一部でいてくださったことに感謝します。100年なんて、瞬きする間のようなものです。
これまでプレーしたどの場所、どんな仕事よりも、このキャンパスに戻ってこられることが、私にとっての何よりの喜びです。これまでの人生で関わってきたあらゆる場所の中で、私は「ブルーデビル(デューク大学のNCAAのスポーツチーム)」と呼ばれることを一番誇りに思っています。
そして2025年卒業生のみなさん。今日ようやく、みなさんのことを「同窓生」と呼べることを光栄に思います。保護者のみなさん、パートナーのみなさん、おじいさま、おばあさま、ごきょうだいのみなさん。卒業生が今日この日を迎えるまで、支えてくださって本当にありがとうございます。今日は、みなさんにとっての1日でもあります。とりわけ、すべてのお母さま方にとって、特別な日だと思います。
母が教えてくれた3つの学び
一方で、母の日がつらい日になる方もいると思います。その気持ちも、私にはよくわかります。数年前に、私の母ジャネット・ヒルを亡くしました。私は母をとても愛していましたし、母もデュークを愛していました。
母は15年間、デュークの理事を務め、その理事会があるたびに、デューク・ブルーに合わせて爪を青く塗って出席していました。母が亡くなった時、ブロードヘッド前学長が、 「彼女は、特に若い人たちの才能を見つけ、それをともに喜ぶことのできる人だった」と語ってくれました。
だから卒業生のみなさん。今日は、みなさん自身のお祝いであると同時に、母への敬意を込めて、母の日を、みなさんを讃えることで祝いたいと思います。
母はとても賢い人でした。私が中学生の頃、宿題なんてしたくない、大学なんて行く必要があるのか、と聞いたことがあります。その時母は、大学では3つのことを学ぶのだと教えてくれました。 「考える力」「問題を解決する力」、そして「耐え抜く力」です。
何度も何度も、母の言葉が、必要なタイミングでよみがえってきました。今日は、そのうちの1つの場面にみなさんを連れていきたいと思います。
接戦の失敗から見えた考える力と耐え抜く力
1992年、バスケットボールコートのエンドラインにいた時の話です。接戦でした。残り時間はわずか数秒。ボールは私の手の中にあり、チームメイトのクリスチャン・レイトナーに向けて、インバウンズパス(サイドからのスローイン)を大きく投げようとしていました。
私は後ろに引いて、コートのほぼ端から端まで届くようにボールを投げました。クリスチャンはそのボールを、コートの外でキャッチしてしまい、私たちは、その試合に負けました。
え? どんな話になると思っていましたか? でもこれは、本当にあった話なんです。
あの、有名になった「ザ・ショット」の数週間前。私たちは同じプレーを、ウェイクフォレスト大学との試合で試しましたが、うまくいきませんでした。その時、私の前には身長約208センチのディフェンダーが立ちはだかっていて、パスコースの角度を完全に消されていました。だから、なんとかクリスチャンにボールを届けようとして、相手を避けるようにカーブを描いてパスを出しました。でも、それは失敗に終わりました。
あの敗戦の直後、よく覚えていることが2つあります。1つは、それがただのレギュラーシーズンのACCの試合だったにもかかわらず、ウェイクフォレストのファンたちがコートに雪崩れ込んできたことです。その時私は、「デュークでは優勝した時にやることだろ」と思いました。
もう1つは、ロッカールームでクリスチャンと話した会話です。何がうまくいかなかったのかを2人で話し合い、私は「次は、ディフェンダーとの間にしっかり距離を取るようにする」と彼に言いました。
つまり、私たちはうなだれたりはしませんでした。代わりに、2人で頭を突き合わせたんです。相手チームのせいにすることも、互いを責め合うこともありませんでした。自分たちを哀れむのではなく、お互いを支え合いました。そして、もう一度あのプレーをやる機会が来た時には、今度こそうまくやろう、と確認し合ったのです。
もちろん、その「次の機会」があれほど早く、しかもエリートエイトの延長戦という大きな勝負どころで訪れるとは想像していませんでした。けれど、その時には私たちは準備ができていました。それは、最初から完璧だったからでもなければ、あのプレーを諦めてまったく新しい戦術を考えたからでもありません。「考える」「問題を解決する」「耐え抜く」ことを学んでいたからです。
常識と誠実について母が残した言葉
母の言ったことは、やはり正しかったのです。母は学問の世界を尊重していましたが、実践を何より重んじる人でもありました。 「チョーサー(英文学の古典作家)を知らなくても、生きていける。微積分ができなくても、生きていける。でも、常識(コモンセンス)がなかったら、この世界では生きていけない」と母は私が子どもの頃、よく言っていました。
そして、私が家を離れてデュークに来た時、母はいつも私の味方でいてくれることを行動で示してくれました。
大学1年の水曜の夜のことです。まだ携帯電話のない時代、父が私の寮に電話をかけてきた際、ルームメイトのトニーが応対し、「グラントはデート中です」と伝えてしまいました。
それを聞いて、父は「平日の夜に出かけて勉強していないだと?」と、激怒しました。そして翌日、今度は母から電話がかかってきました。 母は「これから先、あなたのお父さんから電話があった時は、あなたがどこにいようと、トニーには『図書館にいます』って言わせるのよ」と言いました。
母が教えてくれた知恵の中でも、とびきりのものの1つが、彼女自身が書き留めていた「成功するための10の原則」です。そのリストをまとめるのに、母はわざわざ時間をかけてくれました。安心してください、10個全部をここで読み上げたりはしません。でも、最後の1つ、第1条だけはお伝えします。
「1番 いつも母の言うことを聞きなさい」。母はこの世を去りましたが、私は今でもその言葉に耳を傾けています。今でも、母の声が聞こえてきます。
祝福と同時に不安も抱える卒業の日
2025年卒業生のみなさん。今日という日は大いに祝うべき日ですが、同時に、不安もつきまとう日だということもわかっています。
デュークのキャンパスの外では、この4年間で世界は大きく姿を変えました。そしてキャンパスの中でも、数え切れないほどの試験をくぐり抜けた後に、また新たな「試験」のような状況が目の前にある、そんな気持ちではないでしょうか。
試験は尽きませんでした。デュークに入るための試験、卒業するための試験。1年目には、毎日受けていた新型コロナの検査、締め切りまでに受けないと、デュークカードが止められてしまう、あの検査です。
そして、キャメロン・インドア・スタジアム(バスケットボールのアリーナ)での試合に入るには、新型コロナ検査の前に、まずオンラインの小テストを受ける必要がありました。あれについては、語り出すとキリがありません。
ところで、こんな話も耳にしました。ここにいるどなたかが「クーパー・フラッグは何時に生まれたか」というトリビアクイズに見事正解したそうですね。敬意しかありません。
そして今、みなさんは、おそらく最も重要な試験に直面しています。ここデュークで培った価値観を、外の世界で本当に貫き続けられるかを問う試験です。周囲の世界がその価値観を裏切っているように見える時でさえも。
世の中がこれほど変化する中で、どうやって「大事なもの」を手放さずにいられるのか。
みなさんが、この章を締めくくることに不安を感じていることも知っています。
実際に、直接話してくれた卒業生もいますし、「今日という日を、100パーセント純粋な喜びとしては受け取れていない」という複雑な思いがあることもわかっています。その気持ちはよく理解できます。