特別な場所から離れても続くコミュニティの感覚
ここは特別な場所です。このキャンパスを離れたら、ここで感じていたコミュニティの感覚を失ってしまうのではないか、そう不安になっている人もいるでしょう。今一緒に座っている仲間たちがいない場所で、自分はちゃんとやっていけるのか、そんな不安がある人もいるはずです。
でも、安心してください。デュークを特別な場所にしているものは、「時間」や「場所」を越えて続いていくものです。これから先、空港でデュークのスウェットシャツを着ている誰かを初めて見かけた時、その意味がすぐにわかるでしょう。妻はよく、私に「これは“大学あるある”じゃないわよ。“デューク特有”よ」とよく言います。
去年の夏、私のデューク時代のメンターの1人が、私が最も助けを必要としていた瞬間に、そばにいてくれました。あれはオリンピックの終盤、フランス、開催国との金メダルゲームを目前に控えた時期でした。
プレッシャーはすさまじいものでした。その1年前のワールドカップでは不本意な結果に終わり、セルビアとの準決勝も、なんとかギリギリで勝ち上がった状態でしたから。私は心の中で 「このまま負けたら、自分はナポレオンが流された島みたいな場所に追放されるんじゃないか」と心配していました。
そこで、コーチK(マイク・シャシェフスキー)に電話をかけました。彼はいつもどおり、落ち着いていて、洞察に満ちていました。直前の試合で何が起きたのかを丁寧に分析し、自分自身がプレッシャーと向き合ってきた経験を話してくれました。
その言葉は、とても心強く、励みになりました。その時、私は気づきました。何十年が過ぎ、海を隔てていても、彼は今もなお私のコーチでいてくれているのだと。それは、デュークで始まり、ここから巣立っても変わらない絆の強さを物語る出来事でした。時間も場所も隔たっていても、私たちを結ぶものが、確かにここから続いているのだと。
30年後、きっと誰かが同じような話をするでしょう。コーチ・シャイアーのことかもしれないし、みなさんが出会った優秀な教授の誰かのことかもしれません。デュークがみなさんにとって特別なのは、同じキャンパスで過ごし、試験に追われ、イーストとウェストを行き来し、NuggetやPeaches(キャンパスで人気だった犬と猫)に会いに通った、そんな「場所」の記憶だけではありません。
共有した価値観がこの時間を特別なものにした
この時間を特別なものにしたのは、共有してきた「価値観」です。リスペクト、信頼、インクルージョン(包摂)、探究心、そして卓越性。このコミュニティを特別なものにしたのは、みなさんがともに築き上げ、その過程でみなさん自身も形作られてきたこのコミュニティが、言葉だけでなく、行動を伴った人たちの集まりだったからです。
自分の価値観を紙に書いて掲げるだけでなく、それを実際の姿勢で示した人たち。楽しくも厳しいこの4年間、みなさんに敬意を払い、みなさんを信頼し、輪の中に招き入れ、共に学びの喜びを分かち合い、困難な時も卓越を追い求め続けた人たちがいました。それが「インテグリティ(誠実さ)」です。
実は母の「トップ10」リストにも、この教えが第8条として記されていました。「あなたの誠実さを、最も価値ある資産として守りなさい」。母はこうも書きました。「それを手放せるのは、あなただけなのだから」。
言葉と行動の差が課題となる世界で生きる
だからこそ、今日みなさんにどうしても伝えておきたいことがあります。これからみなさんが出ていく世界では、「言っていること」と「実際にやっていること」の間に、大きなギャップが存在します。
みなさんはこれから、さまざまな人に出会い、さまざまな組織に頼り、さまざまなリーダーの声に耳を傾けることになります。彼らは口では、すばらしいことをいくらでも言うでしょう。でもいざ試される局面になると、逃げたり、隠れたり、責任から身を引いてしまう人も少なくありません。
これまで私は、取締役会でインクルージョン(多様性の受容)へのコミットメントを話し合う会議に出席してきました。けれどテーブルを見渡すと、私のような人間は他にいない。そんな光景に向き合うたび、代表する顔ぶれの不在がどれほど多くの可能性を閉ざしているかを痛感します。
また、公の場では「リスペクト」を声高に語りながら、カメラとマイクがオフになった瞬間、その言葉遣いから、敬意のかけらも消え失せてしまう人たちも見てきました。「正直さ」や「説明責任」を説きながら、その価値観が都合の悪いものになった瞬間、言い訳を並べ始めるリーダーたちも見てきました。
「世界をより良くする」と謳ったミッションステートメントを、私は何度も目にしてきました。 でも、気づけばその多くが、「守られなかった約束」の山に新たに積み上がるだけという現実も見てきました。
口では「正しいことをしたい」と言う声が、世の中にはあふれています。それなのに、実際にやり抜いている人が、なぜこれほど少なく感じられるのでしょうか。
卒業生のみなさん。これが、みなさんがこれからの人生で引き受けるべき課題です。このギャップを、少しでも小さくすること。それこそが、ジェームズ・B・デュークが、この学校に託した願いでもありました。彼は、「教育は、机上の理論ではなく、実際に役立つものであるべきだ」と考えていました。紙の上だけで終わらせるのではなく、現実の実践につなげること。夢を見るだけでなく、実際に行動に移すこと。価値観をリストにするだけでなく、「生き方として体現すること」。
もちろん、母もこのことをよくわかっていました。 彼女の原則集の第7条には、こう書かれています。「人生で、ただの“乗客”になってはいけない」。母は知っていました。価値観は「アイデア」ではない。価値観とは「動詞」だということを。
価値観を動詞として示すという教え
Respect(敬意)とは、たとえ意見が違っていても、相手に寛容さを示すこと。Include(包摂)とは、テーブルに新たな椅子を持ってくること。違う声を恐れるのではなく、むしろ歓迎することです。Excel(卓越)とは、基準を語るだけでなく、その水準でやり切ることです。誰も見ていない時でさえ、デュークでの学びを通じて身につけた高い水準で、自分の仕事を遂行し続けることです。
私たちのコアバリュー、核となる価値観とは、たとえ代償を払うことになっても守ろうとする原則です。迷子になった時に、再び進むべき道を教えてくれるものです。デュークで過ごした日々の中で、みなさんは自分が何に重きを置き、どんな価値観とともに生きていきたいのかを学んできました。それは、この先も変わらず、みなさんを支えてくれるはずです。
この先の人生で覚えておいてほしいのは、みなさんを支えるのは「どこにいるか」ではなく「どんな人であるか」だということです。デュークとつながり続ける方法とは、みなさんが行く先々で、「言葉と行動が一致することを期待され、守られなければきちんと問われる」ような空間をつくっていくことです。私たちの価値観は、「ハンドルを握る」ことを求めています。だから、ただの乗客でいてはいけないのです。
失敗を恐れるなという教えと成功の危うさ
最後に、母から学んだもう1つの教えを紹介して、締めくくりたいと思います。それは、母の手紙の最初の3つの言葉です。
「失敗を恐れるな」そう、失敗は避けられないものです。でも、それこそが成長の源でもあります。しかし、母が「失敗を恐れるな」と言ったのには、もう1つ別の理由がありました。
母はこう言いました。「失敗よりも、成功のほうが、人間にとってはるかに危険になりうる」。どういう意味でしょうか。母は知っていました。感謝の気持ちを伴わない成功は、私たちをあまりにも「居心地よく」してしまうことを。そして、粘り強さを伴わない成功は、私たちを「堕落しやすい存在」にしてしまうことを。
デュークの学生は、努力の仕方を知っています。みなさんは、ハードワークをいとわない。とんでもない成果をあげる「超高成績者」です。でも、もし今までほとんど失敗を知らずに来たとしたら。あるいは、成功を手にするまでに必要だった苦労を忘れてしまっているとしたら。私たちは、「成果」や「称賛」にばかり執着するようになってしまう危険があります。それが何よりの目的になってしまう時、犠牲になるものが出てきます。それこそが、私たちを私たちたらしめているインテグリティ(誠実さ)です。
信じることを行動で示せるかを問う厳しい試験
2025年卒業生のみなさん。みなさんは今、私たちの時代における最も厳しい試験の1つに向き合おうとしています。それは「自分が信じることを、本当に行動で示せるかどうか」という試験です。
今の世界に必要なのは、新しい「約束」ではありません。約束を「守る人」です。私は、みなさんこそが、その役割を担う世代だと信じています。ここで過ごした時間を通して、みなさんは「価値観が生きているコミュニティ」を体験してきました。
もちろん、どんな場所も完璧ではありません。だからこそ、失望や葛藤を通じて、みなさんの信念はさらに研ぎ澄まされてきました。みなさんは今、自分が何を信じ、何を決して受け入れないのか、以前よりはるかに明確にわかっているはずです。
どんな戦いなら、すべてを懸けてでも勝ちたいのか。そして、何なら、たとえ失うことになってもかまわないのか。
言葉と行動の距離を縮める世代になってほしい
ジェームズ・B・デュークは、100年前にこの世を去りました。彼は、この大学が今の姿に花開くのを見ることはできませんでした。でも、自分がいなくなった後も続くものをつくろうとした時、彼は「ビジョン」と「実現」の間に、あえてギャップを残しました。それを埋めることを、私たちに託したのです。
私の世代は、そのギャップを埋めきれていません。「言っていること」と「やっていること」の間に、まだまだ距離が残ったままです。気候変動、不平等、政治。どの分野をとっても、私たちは十分に応えてきたとは言えません。
2025年卒業生のみなさん。私たちより、もっと良い世代になってください。デュークはみなさんに、問題を見抜くための「視点」を授けてくれました。それを解決するためのスキル、そして、やり抜くための持久力も。
だから、私の母の言葉に耳を傾けてください。「失敗を恐れるな」。代わりに、恐れるべきものは「距離」です。言葉と行動の間に、意図と実行の間に、広がっていく「距離」です。その空白は、いずれ「シニシズム(冷笑)」で埋め尽くされてしまいます。
人と人とのつながりを弱め、コミュニティを内側から蝕んでいきます。もし何かを恐れるのだとしたら、私たちの間に広がっていく、その「距離」こそを恐れてください。この大学の第2世紀は、ダーラムという場所で起こる出来事によって形作られていきます。
でも同時に、これからみなさんが成すことによっても、ともに描かれていきます。だから、どれだけ遠くへ旅しても、ここで学んだことを胸の近くに置いておいてください。みなさんの「行動」は、ただ「言葉」以上にこの大学全体を映し出す鏡になります。
みなさんは、単なる卒業生ではありません。この大学の価値観を未来へ運ぶ「担い手」、スチュワード(預かり手)です。デュークの価値観を携えて進んでください。互いを支え合ってください。そして、どんな試練に直面しても、インテグリティ(誠実さ)を道しるべに歩んでください。
そうすれば、みなさんはきっと、私たちを誇らしい気持ちにしてくれるはずです。卒業おめでとう。Go, Duke.