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NVIDIA創業者ジェン・スン・フアンが語る3つの教訓 失敗と撤退が鍛えた強さ [2/2]

コンピューター産業の再誕と台湾企業に訪れた好機

私たちは今、PC、インターネット、モバイル、クラウドに匹敵する、大きなテクノロジー革命の、ごく初期の段階にいます。そしてAIは、それらよりもさらに根本的な変化です。なぜなら、コンピューティングのあらゆるレイヤーが、書き方から動かし方に至るまで、まるごと作り変えられつつあるからです。

AIは、コンピューティングというものを、足元からつくり直しました。あらゆる意味で、これはコンピューター産業の「再誕生」です。そして台湾の企業にとっては、千載一遇の黄金期でもあります。みなさんは、コンピューター産業の土台であり、基盤そのものです。

これからの10年で、私たちの業界は、世界中にある1兆ドル超の「伝統的なコンピューター」を、新しい加速AIコンピューターへと置き換えていくことになるでしょう。

私の旅路は、みなさんより40年早く始まりました。1984年は、卒業するには最高の年でした。私は、2023年も同じくらい「最高の年」になるだろうと予想しています。

最大の成功の先に待っていたNVIDIAの数々の失敗

では、これから旅を始めるみなさんに、私は何を伝えられるでしょうか。今日という日は、ここまでの人生で、みなさんがもっとも大きな成功を手にした日です。国立台湾大学を卒業するのですから。

私も、卒業した時は「成功した人間」でした。NVIDIAを立ち上げるまでは、そう思っていました。

NVIDIAでは、私は何度も失敗しました。小さな失敗ではありません。大きく、派手で、恥ずかしく、屈辱的な失敗です。会社が何度もつぶれかけるような経験でした。

これから、NVIDIAを形作ってきた3つのストーリーをお話しします。

倒産寸前のNVIDIAを救った「RIVA 128」の誕生

1つ目のストーリーは、「会社が潰れかけた話」です。私たちは、アクセラレーテッド・コンピューティングを実現するためにNVIDIAを創業しました。最初に取り組んだアプリケーションは、PCゲーム向けの3Dグラフィックスでした。

私たちは、「フォワード・テクスチャ・マッピング」と「カーブ」と呼ばれる、従来とは違う3Dの手法を発明しました。コストを大きく下げられる方法だったため、ゲーム機の開発パートナーを探していたSEGAから、ゲーム機の開発を任せてもらえることになりました。この契約によって、プラットフォームにゲームタイトルを集めることができ、会社に必要な資金も入ってきました。

ところが、1年ほど開発を続けてみて、私たちは自分たちのアーキテクチャ戦略が間違っていたことに気づきました。技術的にも不十分なものでした。

そのころ、マイクロソフトはWindows 95向けの「Direct3D(D3D)」を発表しようとしていました。こちらは「インバース・テクスチャ・マッピング」と、3Dモデルを構成する最小単位である三角形ポリゴンに基づく手法です。すでに多くの会社が、この標準をサポートする3Dチップの開発に取り組んでいました。

もし私たちがセガのゲーム機を最後まで作り切っていたら、性能の劣る技術を世に出し、Windowsとも互換性がないまま、市場から大きく出遅れていたでしょう。

一方で、契約を途中でやめてしまえば、開発費を一切受け取ることができません。どちらに転んでも会社は潰れてしまう。そんな状況でした。

私はセガのCEOに連絡を取り、自分たちの発明したアプローチが間違っていたこと、セガは別のパートナーを探すべきだということ、そして私たちはこの契約もゲーム機も完遂できないことを正直に伝えました。開発を止めなければならなかったのです。

ただし同時に、私たちはセガにお金を支払ってもらわないと、NVIDIAそのものが立ち行かなくなる、という事情もありました。セガの入交昭一郎氏に、そんなお願いをするのは、本当に気まずく、恥ずかしいことでした。

しかし、彼は私の話を理解し、そして驚くべきことに、「わかった」と言ってくれたのです。彼の理解と寛大さのおかげで、私たちはあと6ヶ月、会社を存続させることができました。その時間を使って、私たちは「RIVA 128」という製品を開発しました。資金が尽きかけたギリギリのタイミングで、RIVA 128は、立ち上がったばかりの3Dグラフィックス市場を驚かせ、NVIDIAの名前を世の中に知らしめ、会社を救ってくれました。

このチップへの強い需要に後押しされて、4歳のときに台湾を離れていた私は、再び台湾に戻り、TSMCのモリス・チャン氏と会いました。そこから25年続くパートナーシップが始まりました。

自分たちの間違いに正面から向き合い、謙虚に助けを求める。この2つの姿勢が、NVIDIAを倒産の危機から救ってくれました。そしてこれは、みなさんのように頭が良く、成功している人たちにとって、実はもっとも難しいことでもあります。


短期の痛みを引き受けて、長期の成長を選んだ

2つ目のストーリーは、「痛みを引き受けてでも未来に賭けた話」です。2007年、私たちはCUDAによるGPUアクセラレーテッド・コンピューティングを発表しました。CUDAを、科学技術計算、物理シミュレーション、画像処理といったアプリケーションを加速するためのプログラミングモデルにしたい。それが私たちの願いでした。

まったく新しいコンピューティングモデルを作るのは、信じられないほど難しいことです。歴史上、そうしたことができた例はほとんどありません。CPUによるコンピューティングモデルは、1960年代に登場したIBMの大型コンピューター「System/360」の時代から、約60年間にわたって事実上の標準であり続けました。

CUDAを広めるには、開発者にアプリケーションを書いてもらい、GPUのメリットを示してもらう必要があります。そのためには、まずは大きな普及基盤が必要です。

しかし、大きなCUDAのインストールベースを作るには、CUDA対応アプリケーションを買ってくれるユーザーが必要です。典型的な「ニワトリが先か、タマゴが先か」の問題でした。そこで私たちは、すでにたくさんのゲーマーが使っていたGeForce、ゲーム用GPUを土台にして、インストールベースを作ることにしました。

ただし、製品にCUDAを載せるコストは非常に高くつきました。NVIDIAの利益は大きく落ち込みました。何年にもわたって、私たちの時価総額は10億ドル前後をうろうろしていました。業績が振るわない年も長く続きました。株主たちはCUDAに懐疑的で、「もっと利益に集中すべきだ」と考えていました。

それでも私たちは、アクセラレーテッド・コンピューティングの時代が来ると信じていました。GTCというカンファレンスを立ち上げ、世界中を回って、CUDAの普及に力を注ぎました。

CUDAの挑戦がディープラーニングとAI革命につながった

やがて、アプリケーションが次々と生まれてきました。地震探査、CT再構成、分子動力学、粒子物理、流体力学、画像処理。科学のさまざまな分野から、CUDAに取り組む人たちがやってきました。私たちは、それぞれの研究者と一緒にアルゴリズムを書き、驚くほどの高速化を実現していきました。

そして2012年、AI研究者たちがCUDAを見つけました。GeForce GTX 580を使って学習させた「AlexNet」は、AIのビッグバンのきっかけになりました。

幸運なことに私たちは、ディープラーニングがまったく新しいソフトウェアのアプローチであることを理解し、会社としてのあらゆるリソースをこの新しい分野を前に進めることに集中させました。私たちは、ディープラーニングにすべてを賭けたのです。

それから10年後、AI革命が本格的に始まりました。今ではNVIDIAは、世界中のAI開発者にとっての「エンジン」となっています。私たちはCUDAを発明し、加速コンピューティングとAIという分野を切り開いてきました。

しかし、この旅路そのものが、私たちの企業としての性格、つまりビジョンを実現するために必要な痛みと苦しみに耐え抜く力を鍛えてくれたのだと思います。


巨大市場から退き新しい産業を作り出した戦略的撤退

3つ目のストーリーは、「戦略的撤退」の話です。2010年、GoogleはAndroidを、優れたグラフィックスを持つモバイルコンピューターへと進化させようとしていました。携帯電話の業界には、モデムに強いチップメーカーが数多くいました。一方で、コンピューティングとグラフィックスに強いNVIDIAは、Androidをつくるパートナーとして理想的な存在でした。そうして私たちは、モバイルチップ市場に参入しました。

参入してすぐに、私たちは大きな成功を収めました。ビジネスも株価も大きく伸びました。
するとすぐに、競合が一斉に押し寄せてきました。モデムを得意としていたチップメーカーがコンピューティングチップの作り方を学び始め、私たちは私たちで、モデムの作り方を学ばなければならなくなりました。

スマートフォンの市場は、とてつもなく大きなマーケットです。本気でシェア争いをしようと思えばできたかもしれません。しかし私たちは、あえて別の決断をしました。市場そのものを手放す、という決断です。

NVIDIAの使命は「普通のコンピューターでは解けない問題を解くコンピューターを作ること」です。私たちは、自分たちのビジョンを実現し、世界に対してオリジナルの貢献をすることに力を注ぐべきだと考えました。

この戦略的な撤退は、結果的に正しい選択でした。携帯電話の市場から身を引いたことで、私たちの頭の中には、新しい市場をつくる余白が生まれたのです。

私たちは、「ロボットのための新しいタイプのコンピューター」を構想しました。ニューラルネットワーク用のプロセッサーと、安全性の高いアーキテクチャを備え、AIアルゴリズムを走らせるためのコンピューターです。

こうして私たちはロボティクス市場に参入し、今では自動車とロボティクスの事業だけで、すでに数十億ドル規模のビジネスへと育っています。まったく新しい産業を作り出したのです。

撤退というのは、みなさんのように優秀で、成功している人たちにとって、簡単にできることではありません。それでもなお、何をあきらめるかを決める「戦略的な撤退」と「犠牲」は、成功の核心、まさにど真ん中にあるものだと私は思います。


AI時代の変化に走って飛び込む卒業生へのメッセージ

2023年の卒業生のみなさん。みなさんは今、歴史的な大変化のただ中に飛び込んでいこうとしています。私がPCと半導体の革命のスタートラインに立っていたように、みなさんはAIのスタートラインに立っています。

あらゆる産業が、これから革命的な変化を経験し、生まれ変わっていきます。新しいアイデア、みなさん自身のアイデアを受け入れる準備がすでに始まっています。

この40年で、私たちはPC、インターネット、モバイル、クラウドを生み出してきました。そして今、AIの時代に入っています。では、みなさんは何を生み出すのでしょうか。何であれ、それを目がけて、私たちがそうしてきたように「走って」ください。走るのです。歩いていては間に合いません。

覚えていてほしいことがあります。走って獲物を捕まえるのか、それとも、自分が獲物にならないように走るのか。人はどちらかのために走っている、と私は思っています。走って獲物を追いかけるか、走って自分が獲物にならないようにするか。そのどちらかです。

そしてたいていの場合、自分が今どちらのために走っているのか、はっきりとはわかりません。それでも、とにかく「走る」ことです。

最後に、みなさんの旅路に持っていってほしい、私自身の学びをお伝えします。失敗と向き合い、間違いを認め、謙虚に助けを求めること。自分の夢を実現するために必要な痛みや苦しみに、耐え抜くこと。

そして、自分の人生の目的、つまり「自分は何のために生き、何の仕事を成し遂げるのか」という志に、自分自身をささげる覚悟を持つこと。

2023年の卒業生のみなさん。一人ひとりの卒業に、心からお祝いを申し上げます。

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