【3行要約】・“完璧”を求められて育ったテイラー・スウィフト氏は、頼まれてもいないアドバイスの嵐の中で「失敗=人生の終わり」というプレッシャーを受け続けたと述べました。
・しかし実際には、拒絶や孤独、恥ずかしさこそが、創造性や回復力、そして自分らしさを育てる原動力だったと語りました。
・スピーチの中で、「正しい選択」を教えることではなく、“自分の力で生きていく自由”を怖れず楽しむことの重要性を卒業生に伝えました。
特に反響が多くあった同イベントの記事を再掲します。
元の記事はこちら “完璧”を求められ続けた私が、アドバイスを恐れる理由
Taylor Swift(テイラー・スウィフト)氏:さっき私は「誰かに頼まれない限り、アドバイスはしない」と言いましたが、その理由をお話しします。
私は15歳でキャリアをスタートさせ、公の場に出るようになりました。それは、たくさんの「代償」を伴うものでした。そのひとつが、「頼まれてもいないアドバイスの嵐」です。
10年以上、どの部屋に入っても一番若い人間だった私は、業界の年長者やメディア、インタビュアー、レコード会社の幹部から、ありとあらゆる「警告」を浴びせられ続けました。
彼らのアドバイスは、ほとんどが「それっぽい忠告」に見せかけたプレッシャーでした。当時の社会は、「完璧な若い女性のロールモデル」に異常なほど執着していた時代でした。インタビューのたびに、記者は決まって私に「そのうち崩壊するだろう」というニュアンスの言葉を投げかけてきました。
それが何を意味するのかは、言う人によって違っていました。私はこういうメッセージを、ずっと受け取りながら大人になりました。
「もし失敗しなければ、アメリカ中の子どもたちは完璧な天使に育つだろう」でも、「もし私が一度でも間違えたら、地球は軸からずれて、すべては私のせいになり、永遠に“ポップスター監獄”に放り込まれる」そういう感覚でした。あらゆる前提が「失敗=人生の終わり」だったのです。
拒絶と孤独がくれた贈りもの
でも実際はまったく違いました。私の経験では、失敗からこそ、人生で最高の出来事が生まれました。失敗して恥ずかしい思いをするのは、人間の証です。
転んで、立ち上がって、服のほこりを払って、それでも自分のそばにいて笑ってくれる人がいる。それは、ものすごく尊いことなんです。
私が「ノー」と言われたり、外されたり、選ばれなかったり、勝てなかったり、不合格だったり……そんな時期を振り返ってみると、それらの出来事こそが、成功の瞬間と同じくらい、あるいはそれ以上に大切だったと感じています。
地元で開かれていたパーティーやお泊まり会に呼ばれなかった時は、とても孤独でした。でもその孤独のおかげで、部屋にこもって曲を書くようになり、それが私をまったく別の場所へ連れていってくれました。
ナッシュビルのレコード会社の重役に 「カントリーミュージックを聴くのは35歳の主婦だけ。13歳の子に居場所はない」と言われて、帰り道の車の中で泣いたこともあります。でもその後、自分の曲をMySpaceにアップし、同じようにカントリーを愛している10代の子たちとやりとりを始めました。
記者たちに、自分という存在を勝手に解釈されて、批判的な記事を書かれた時は、「なんだこのシミュレーション世界は」と思いました。でもその体験が、自分自身の内側と向き合うきっかけになりました。
世間に私の恋愛を「勝ち目のないスポーツ試合」みたいに扱われた時は、10代〜20代の私にとって、最悪のデート環境でした。でもその経験が、自分のプライベートを守ることの大切さを教えてくれました。若い頃から何度も公の場で恥をかいたことは、ものすごく苦しかったです。
でもそのおかげで、「常に変動する好感度や人気を追いかけるなんて、ばかばかしい」ということに気づけました。
ネット上で「キャンセル」され、キャリアを失いかけたこともありました。でもその時、私はワインの種類についてめちゃくちゃ詳しくなりました。
(会場笑)
完璧じゃなくていい 迷いと失敗の先にある自由
私はよく「楽天的」だと思われますが、実はそうでもありません。よく視野を見失います。すべてが無意味に感じる瞬間もあります。
私は「完璧主義のレンズ越しに生きること」のプレッシャーを知っています。そして今、目の前にいるみなさんがまさに“完璧主義者”であることも。だってみなさんは、NYUを卒業しているのですから。
だから、これから言うことは、少し耳が痛いかもしれません。人生では、きっとこういうことが起きます。
言い間違える。
信じるべきじゃなかった人を信じてしまう。
反応しなさすぎる。
過剰に反応する。
傷つけてはいけない人を傷つけてしまう。
考えすぎる。
何も考えない。
自分を壊す。
「自分の経験だけが世界のすべて」と思い込む。
最高の瞬間を自分で台無しにしてしまう。
過ちを否定する。
修正する努力をしない。
ひどく後悔する。
罪悪感に押しつぶされそうになる。
どん底に落ちる。
そしてようやく、自分が誰かに与えてしまった痛みに向き合い、 次はもっとよくやろうと決めて、 また繰り返す。
(会場笑)
正直に言います。これらの失敗によって、失うものは確実にあります。 でも、失うこと=負けではありません。
多くの場合、何かを失うことで、何かを得るのです。今日、みなさんは学校という枠組みを離れて、自分の道を歩き始めます。
ひとつの選択が次の選択につながり、その次の選択がまた次の道をつくっていきます。どの道を選べばいいかなんて、わかりません。時には、自分のために立ち上がらなければいけない。
でも時には、謝ることが正しい時もある。戦うべき時もあれば、引くべき時もある。全力でしがみつくべき時もあれば、優雅に手放すべき時もある。
過去の常識を手放すことが正しさになる場合もあるし、昔の人たちの知恵に耳を傾けることが、最善になることもあります。
では、こういう時にどうやって「正しい選択」を見分ければいいのか? わかりません。そして私は、この大勢の人に「どう生きるべきか」なんてアドバイスするつもりもありません。
でも、こう伝えることはできます。
怖いニュース、これからは、自分の力で生きていくしかありません。でも、最高のニュース、これからは、自分の力で生きていくことができるのです。
(会場笑)
呼吸を忘れずに、自分の歩幅で
最後に。私たちを導いてくれるのは、「直感」「欲望」「恐れ」「傷」「夢」です。そして、私も、あなたも、きっと間違えることがあるでしょう。私が間違えた時は、たぶんインターネット上でニュースになると思います。
それはさておき、つらいことは、きっと起きます。でも、私たちはそこから回復し、学び、より強くなっていくはずです。そして、まだ私たちに呼吸する力が残されている限り、吸って、通して、深く吸って、吐いて。
私はもう「ドクター」なので、呼吸についてはちゃんと知っています。
(会場笑)
今日、この日をみなさんと一緒に迎えられたことを、心から誇りに思います。私たちは、これを一緒にやり遂げました。さあ、踊りましょう。2022年卒業生として。
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