【3行要約】・テイラー・スウィフト氏がNYU卒業式で名誉博士号を授与され、心からの感謝と祝福を語るスピーチを披露しました。
・同氏はスピーチの中で、支えてくれた人たちへの感謝を述べ、“普通じゃない学生生活”を経て得た学びを卒業生と共有しました。
・「人生の選択はすべて自分次第。完璧じゃなくていい」と、迷いや失敗も人生の一部として受け入れるメッセージを贈りました。
特に反響が多くあった同イベントの記事を再掲します。
元の記事はこちら スパンコールのレオタードから博士号のガウンへ 心からの感謝と祝福を込めて
Taylor Swift(テイラー・スウィフト)氏:こんにちは、テイラーです。最後にこのくらい大きなスタジアムに立った時は、スパンコールのレオタードを着て、ヒールで踊っていました。今日の服のほうがずっと快適です。
まずは、NYU理事会のビル・バークレー理事長をはじめ、理事会のみなさま、アンドリュー・ハミルトン学長、キャサリン・フレミング教務担当副学長、本日この場にいらっしゃる教職員と卒業生のみなさまに、心から感謝申し上げます。
この特別な日を、私とともに表彰されるスーザン・ホークフィールドさん、フェリックス・マトス・ロドリゲスさんと迎えられることを、とても誇りに思っています。
彼らの活動によって世界がより良くなっていることに、私は謙虚な気持ちになります。私が今日ここにいる主な理由は、おそらく90パーセントの確率で、「22」という曲を書いたからだと思っています。
(会場笑)

そして今、2022年のニューヨーク大学の卒業生のみなさんと、この日をお祝いできることを本当にうれしく思います。
支えられてここまで来た私たち 見えない存在への感謝を忘れずに
今日ここにいる私たちの中に、ひとりでここまで来た人は誰もいません。私たちはみな、私たちを愛してくれた人、私たちの未来を信じてくれた人、共感や優しさを示してくれた人、耳が痛くても真実を語ってくれた人たちによって、パッチワークのように形作られてきました。
何の根拠もないのに「きっとできる」と言ってくれた人もいたでしょう。誰かがあなたに物語を読み聞かせ、夢見ることを教え、善悪の指針を示してくれた。複雑すぎるこの世界のすべてを、あなたという子どもにどうにか伝えようと、懸命に説明してくれた人もいました。
例えば「月ってどうやって動いてるの?」とか「サラダは食べられるのに、どうして草は食べられないの?」とか。完璧にはできなかったかもしれません。でも、誰も完璧にはできません。もしかすると、もうその人は私たちのそばにいないかもしれません。
その場合は、今日、その人を思い出してあげてください。もしこのスタジアムにいるのなら、自分なりの方法で感謝の気持ちを伝えてください。ここまで来るまでのすべての「一歩」と「つまずき」に対して。
私は言葉を生業にしているはずなのに、母と父、そして弟のオースティンに対する感謝の気持ちを言葉で表すことができません。彼らが毎日してくれた数々の犠牲によって、私はコーヒーハウスで歌っていた頃から、今日ここでみなさんと並んで立つことができたのです。
でも、どんな言葉もそれに見合うものにはなりません。今日この場にいらっしゃる、すべてのすばらしい保護者の方々、ご家族、メンター、先生方、支援者、友人、そして愛する人々へ。
この学生たちの学びの旅を支えてくださったみなさまに、今、こう言わせてください。ようこそ、ニューヨークへ。あなたを待っていました。そして、NYUのみなさまにもお礼を申し上げます。書類上、少なくとも形式的には、私を「ドクター」にしてくださってありがとうございます。
ただし、緊急時に必要とされるタイプのドクターではありません。もしあなたの緊急事態が、「どうしてもキャッチーなサビと感情爆発のブリッジがある曲を聴かなくちゃいけない!」というものだった場合は話が別ですが。あるいは、「1分以内に50種類以上の猫の品種を挙げられる人が必要!」という緊急事態だったら、私の出番かもしれません。
“普通じゃなかった”学生生活が私たちを強くした
私はいわゆる「普通の大学生活」を送ることができませんでした。高校2年生まで公立に通い、その後は空港の床に座ってホームスクーリングの課題をやりながら学びを終えました。それから「ラジオツアー」に出ました。すごく華やかに聞こえるかもしれませんが、実際は、レンタカーとモーテル暮らしで、サウスウエスト航空の搭乗時には、隣の席に誰も座ってこないように、わざと大声で母娘ゲンカを演じていました。
子どもの頃、私は大学に進学して、1年目の寮の壁にポスターを貼ることを夢見ていました。実際に「Love Story」という楽曲のMVのラストシーンも、私の頭の中にあった理想の架空の大学が舞台になっています。
そこで私は草の上で本を読んでいる男性モデルと出会い、ひと目見ただけで「私たちは前世で恋人だった」と気づく……という設定です。これは、みなさんがこの4年間で経験したこと、そのままですよね?(笑)
でも、「普通の大学生活を送れなかった」と私が文句を言うことはできません。なぜならみなさんは、世界的なパンデミックのさなかにNYUへ通い、基本的に寮に閉じ込められ、Zoomで授業を受けなければならなかったからです。
普通の時期の大学生だって、テストの点数でストレスを感じます。それに加えて、みなさんは「1,000回以上のPCR検査」も乗り越えてきたのです。みなさんだって「普通の大学生活」を望んでいたはず。
でも私たちはこうして学びました。人生というデリバリーサービスでは、メニューから選んだものがすべて入っているとは限らない。届いたものを受け取るしかない。
そして、今みなさんがそれをどう扱ってきたかを、私は心から誇りに思います。今日、みなさんはNYUを卒業して、この先の人生へと歩み出します。私も同じです。
人生で何を大事にしたいか、自分自身で選ぶ力を持つこと
私は基本的に、頼まれてもいないのにアドバイスをするのは避けています。ただ、今日は正式に頼まれたので、これまでの人生で私を支えてくれたちょっとした知恵を、いくつか共有しようと思います。
まず前提としてお伝えしておきます。私は、みなさんに「何をすべきか」を教える資格があるとは思っていません。みなさんは努力し、苦しみ、犠牲を払い、学び、夢を抱いて、今日ここまでたどり着きました。つまり、もうちゃんとやっているんです。
みなさんは私とは違う方法で、違う理由で、違う道を進んでいくでしょう。なので、私から「これをしなさい」と言うことはありません。
代わりに、私がキャリアをスタートさせた頃に知っておきたかった「人生のライフハック」をお話しします。
人生は、時にとても重たいものです。特に、すべてを一度に背負おうとする時。大人になるということは、「何を持ち続けるか」「何を手放すか」を見極める作業でもあります。すべてを抱えることはできません。
元恋人の最新情報、嫌いだった人の出世ニュース、昔の恨み……そういったすべてを背負って生きることはできません。何を自分の中に留めるのかを決め、あとは手放す。軽やかなもののほうが、たいてい人生にスペースを残してくれる。毒になるような人間関係は、どれだけすばらしいものをも圧倒してしまう。
人生で何を大事にしたいか、自分自身で選んでください。選ぶ力を、持ってください。
「イタい自分」と共に生きる術を身につけること
そして2つ目。 「イタい自分」と共に生きる術を身につけましょう。
(会場笑)
どんなに気をつけても、自分の過去を振り返れば、いつか必ず「イタかったな」と思う瞬間があります。 イタイという感覚は、人生の中で避けられないものです。もしかしたらイタいという言葉そのものが、将来イタいと思われる日がくるかもしれません。
きっと今この瞬間にも、みなさんは将来思い返して「なんであんな格好してたんだろう」と笑うようなことをしているはずです。それでいいんです。避けようとしなくていい。
例えば私は、2012年のまるごと1年間、1950年代の主婦みたいな格好をしていました。でも楽しかった。流行やフェーズは楽しいものです。振り返って笑うことも楽しいものです。
自分の熱意を隠さず努力することを恥じないこと
そしてもうひとつ、つい隠したくなるけれど、本当は隠すべきじゃないこと、それは自分の熱意です。
私たちの文化には、「淡々としているほうがかっこいい」「無関心なほうがスタイリッシュ」といった偽りの価値観があります。まるで「何かを必死で求めること」がダサいとされているかのように。
でも私は思います。努力することを恥じないでほしい。努力してないように見せるのは、幻想です。高校時代、私は「努力してなさそうな人」に惹かれていました。でも今、私は「本気で努力してる人たち」を、自分の会社のスタッフとして迎えています。
12歳の時に作詞を始めて以来、それがずっと私の人生の羅針盤になってきました。そして今では、人生のほうが私の作詞を導いてくれています。
私がしていることすべては、作詞の延長です。ミュージックビデオや短編映画を監督したり、ツアーのビジュアルを作ったり、ステージに立ったり。全部がひとつの線でつながっています。それは、作ることへの愛です。アイデアを形にし、選び抜き、最後に磨き上げる作業。
深夜に目が覚めて、古いアイデアを捨てて、新しくてより良いアイデアに書き換える。そんな瞬間の喜び。物語全体をつなぐプロットを思いついた時のあの高揚感。だから「フック」と呼ばれるのでしょう。
言葉の連なりに引っかかって、他のことが手につかなくなるような瞬間があります。それを記録するか、書き留めるまでは落ち着かない。
私は、ずっとひとつの創作スタイルにとどまることができないタイプのソングライターです。これまでに11枚のアルバムを制作・リリースしてきましたが、ジャンルも、カントリー → ポップ → オルタナティブ → フォークと移り変わってきました。
これは一見、作詞に特化した話に聞こえるかもしれませんが、実は私たちはみんな「書き手」なのだと思います。そして、状況によって違う声を使い分けています。
Instagramのストーリーと卒業論文では、文体がまったく違いますよね? 上司に送るメールと、地元の親友に送るメールもぜんぜん違う。私たちはみな、文体のカメレオンなんです。
この事実はとてもおもしろいと思います。それはつまり、私たちは常に「複数の顔」を持って生きているということ。「今の自分は誰で、どんなふうに振る舞えば、なりたい自分に近づけるのか」その答えを見つけるのは、とても大変なことです。
でも、いいニュースがあります。それを決めるのは、すべて自分自身だということ。そして同時に、怖いニュースでもあります。それを決めるのは、すべて自分自身だということ。
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