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2025年メジャーリーグ殿堂入り式典でのイチロー氏のスピーチ(全1記事)

イチロー氏が米野球殿堂入りスピーチで語った仕事哲学 「自分に責任を持つ」ことがチームを支える理由 [2/2]

「夢」ではなく「目標(Goal)」

子どもの頃の夢は「プロ野球選手になること」でした。小学6年生の時に書いた作文にもそう書きました。もし今、同じ作文を書き直せるなら「夢」ではなく「目標(Goal)」という言葉を使うでしょう。夢は非現実的なこともありますが、目標は達成方法を深く考えれば可能になります。

夢を見るのは楽しいことですが、目標は難しくチャレンジングです。本気で達成したいと思うなら、何が必要かを厳密に考えなければなりません。私は当時、「毎日の練習と準備が大切」と書きました。そして目標を設定し続けるうちに「継続こそ成果の土台だ」と理解するようになりました。

若い選手たちに“大きな夢”を抱くよう勧める一方で、夢と目標の違いも理解してほしいと言っています。夢を目標へと変えるには、それを実現するために何が大切かを正直に見極めなければなりません。あの文章の中で、私は地元の中日ドラゴンズでプレーすることを夢見ていると書きました。

日本語で贈る、野茂英雄氏への感謝

当時はアメリカ野球について何も知りませんでした。ただ野球が大好きで、生涯にわたって最高レベルでプレーできる場所ならどこでもいいと思っていたのです。オリックスから指名された時、その目標の第一歩を達成しました。プロで最初のフルシーズンに首位打者を獲得し、その後、日本でプレーした年には毎年タイトルを取りました。

外からは順風満帆で、私には何の不安もないように見えたかもしれません。しかし内面では「なぜ結果が出るのか」分からず苦しんでいました。掴みきれない何かを探し求めていたのです。そんな中、歴史的な出来事が起きます。野茂英雄さんが、私の生きている時代で初めてメジャーリーガーになりました。

彼の成功は私を含めた多くの人を鼓舞しました。野茂さんの勇気のおかげで、日本では連日MLBが報道され、試合もテレビ放映されるようになりました。私は「想像もしなかった場所に挑戦する」という発想に目覚めたのです。

(日本語で)野茂さん、ありがとうございました。

(会場拍手)

過去に所属したチームの思い出

オリックス・ブルーウェーブには、私をMLBに挑戦させてくれたことに感謝しています。そして、私がアメリカで最初の日本人野手になれると信じてくれたシアトル・マリナーズにも深く感謝します。私はシアトルとマリナーズを愛してやみません。ありがとう、シアトル。

(会場歓声)

この栄誉のおかげで、私を獲得してくれたゼネラルマネジャー、パット・ギリックさんと再会できました。パット、そして当時のオーナーや経営陣の山内溥さん、ハワード・リンカーンさん、チャック・アームストロングさん、ほか全員に感謝します。現経営陣のジョン・スタントンさん、ジェリー・ディポトさん、ケビン・マルティネスさん、そして組織のみなさん。

私をシアトルという「帰るべき場所」に戻してくださり、シアトルを生涯のホームにさせてくれたことに感謝します。

(会場歓声)

エドガー(・マルティネス)、ケン・グリフィー Jr.、ランディ(・ジョンソン)という新しいチームのみなさんと同じ殿堂入りを果たせたことは名誉です。来てくれてありがとう。

(会場拍手)

ニューヨーク・ヤンキースのみなさんにも感謝します。今日はCC(・サバシア)のために来ているのは分かっています。

(会場笑)

でもかまいません。彼はみなさんに愛されるべき選手です。ピンストライプのユニフォームで過ごした2年半を楽しませていただきました。デレク・ジーターの偉大なリーダーシップと、誇り高いヤンキース文化を経験させてくれてありがとう。

(会場拍手)

3,000本安打達成の瞬間

そしてマイアミ・マーリンズのデビッド・サンプソンさん、マイク・ヒルさん、来てくださり感謝します。正直に言うと、2015年に契約オファーをいただいた時、あなた方のチームを聞いたことがありませんでした。

(会場笑)

でも、すぐに南フロリダでの時間を愛するようになりました。40代半ばでも若く才能あるチームメイトに囲まれ、選手として成長できました。コロラドで3,000本目のヒットを打った時、彼らがダグアウトから飛び出して祝ってくれた瞬間のことは忘れられません。

(会場拍手)

その時の彼らの喜びは心からのものでした。マーリンズで、あの仲間と3,000本安打を達成する機会をくれたことに感謝します。

ビジネス以上の大切な存在である私の代理人のみなさんへ。残念ながらトニー・アタナシオはこの瞬間を知る前に亡くなってしまいましたが、私をアメリカに導き、ワインの魅力を教えてくれたことに感謝します。

(会場笑)

そして、42歳でもプレーできると信じてくれたジョン・ボッグスにも感謝します。長年にわたり、私がどこでプレーしようとも支えてくれた通訳のアレン・ターナーにもありがとう。彼の家族、ジェーン、ジョシュ、ホイットニー、殿堂スタッフのみなさんにも感謝します。そしてもちろん、ジェフ・アイデルソン。あなたがいなければこのすばらしい殿堂の価値を知ることはありませんでした。

CC(・サバシア)、ビリー(・ワグナー)、デーブ・パーカー、ディック・アレン、トム・ハミルトン、トーマス・ボズウェル、おめでとうございます。

(会場拍手)

「国の恥になるな」という批判を乗り越えて

私が日本人野手として初めてMLBに挑戦すると決めた時、みなさんも想像できるように、多くの疑問の声や批判、ネガティブな言葉がありました。「国の恥になるな」と言った人さえいました。そんな中で、私を最も支えてくれたのは妻の弓子です。

(会場歓声)

当然、彼女にも不安があったと思いますが、それを私に感じさせたことは一度もありません。彼女のエネルギーのすべては、私を支え励ますことに注がれていました。

シアトル、ニューヨーク、マイアミで過ごした19のシーズンの間、どこにいても、彼女は常に家庭を明るく前向きにしてくれました。私は選手として安定したパフォーマンスを心がけてきましたが、彼女こそが人生で最も変わらぬチームメイトでした。

(会場拍手)

引退して間もなく、弓子と夜のデートをしました。現役時代には一度もできなかったこと。スタジアムの観客席に座り、マリナーズの試合を一緒に観戦したのです。アメリカ流にホットドッグを頬張りながら。

(会場笑)

野球が与えてくれた数々の経験の中で、私をこの場所へ導いてくれた最も大切な人とホットドッグを味わったあの時間が、何より特別な思い出です。

(会場拍手)

アメリカの野球殿堂に入ることは私の目標ではありませんでした。2001年に初めてクーパーズタウンを訪れるまで、その存在さえ知りませんでした。しかし、今日ここに立つことは、まるですばらしい夢のようです。ありがとうございます。

(会場拍手)

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