【3行要約】
・テクノロジー分野の男女格差解消が進む一方で、社会全体では分断が深刻化しており、現代のビジネスパーソンが直面する最大の課題です。
・Girls Who Code創設者のレシュマ・サウジャニ氏は、ハーヴィー・マッド大学の卒業式で「進歩はゼロサムではない」と強調。
・真の変革には、ジェンダーを超えた協力と包摂的なシステム構築が不可欠であり、次世代リーダーこそがその担い手になるべきだと訴えます。
最大の課題は「分断」
レシュマ・サウジャニ氏:ネンバード学長、学部長のみなさま、教職員のみなさま、ご来賓のみなさま、そしてご家族、ご友人のみなさま、そしてもちろん2025年卒業生のみなさん、本日はありがとうございます。まずは何よりも大切なことを伝えさせてください。ご卒業、おめでとうございます。
正直に言いますと、今日のために用意していたスピーチはまったく別のものでした。失敗を受け入れること、イノベーションの力、そしてAIとともにより良い未来を築くという話、いわば「ハーヴィー・マッドの王道スピーチ」でした。
でも、この日が近づくにつれて、世界がどんどん暗くなっていく中で、どうしてもそのスピーチを思い描けなかった。このクラスのみなさんの前に立って、それらの話をする気にはなれませんでした。
だから私は、もっと「勇気あるスピーチ」をお届けしようと決めました。それでは始めましょう。
みなさんが直面している最大の課題は、気候変動でも、医療制度でも、AI倫理でもありません。それは「分断(ディスコネクション)」です。
ジェンダー、階級、人種、そして現実そのものに至るまで、あらゆる領域で分断が広がっています。この“分断”こそが、みなさんがハーヴィー・マッドで学び、解決しようとしてきたすべての問題を阻む最大の障害になるのです。
「Girls Who Code」で見た“開きかけた世界”とその後の後退
理由をお話ししましょう。私は、テクノロジー分野におけるジェンダーギャップを埋めるために「Girls Who Code(ガールズ・フー・コード)」を立ち上げました。しばらくの間、私たちは実際に成果を上げていました。
これまでに70万人以上の女性やノンバイナリーの学生たちに、プログラミングを教えてきました。その多くが、今日この場にも来てくれています。
状況は確かに変わり始めていました。社会は開かれつつあった……けれど今、その扉が再び閉じようとしています。
全米各地で、DEI(ダイバーシティ・エクイティ・インクルージョン/多様性・公平性・包摂性)の取り組みが解体されつつあります。研究提案書からは「多様性(diversity)」という言葉が削除され、私たちが最も誇る機関であるNASAでさえ、女性科学者たちを対外向けプロジェクトやコンテンツから意図的に外してしまったのです。
これは、うっかりの見落としではありません。ただのミスでもありません。意図的な「消去(イレーサー)」です。そして、これはSTEM(科学・技術・工学・数学)の分野だけの問題ではありません。今、アメリカにおけるジェンダー関係は過去最悪の状態にあります。
なぜなら、私たちはある「虚構(まやかし)」を信じ込まされてきたからです。それは、「進歩はゼロサムゲームである」という考えです。つまり、女性が台頭すれば、男性は押し下げられる。有色人種がチャンスを得れば、白人の機会は奪われる。 新しい誰かがその場に入れば、あなたの席がなくなる。
そして私たちは、あまりにも気をそらされ、意図的に分断されているせいで、この“ゲーム”の中で、みんなが負け続けていることに気づけなくなっているのです。
でも、みなさんは壊れたシステムを支えるためにハーヴィー・マッド大学に来たわけじゃない。それに立ち向かうために、ここに来たんです。誰も手をつけたがらない問題を、解決するために。だから今日は、この分断の問題をどうやって解決していくかについて、お話ししたいと思います。
ハーヴィー・マッドの挑戦
今、私たちが何を失おうとしているのかを理解するためには、これまでどこを通ってきたかを振り返らなければなりません。だから、時計の針を2006年に戻してみましょう。つまり、まだ20年も経っていない最近の話です。
当時の卒業式で私がスピーチしていたとしたら、目の前にいる聴衆の70パーセントは男性で、コンピュータサイエンス専攻の学生は80パーセントが男性でした。しかもそれは、ハーヴィー・マッド大学だけの話ではありませんでした。当時、世界中には「女性はそもそもコンピュータに興味がない」 「仮に興味があっても、もう追いつくには遅すぎる」という言説がありました。
そんな中で、当時の学長だったマリア・クラウェ氏は行動を起こしました。 STEM分野(科学・技術・工学・数学)から、全体の才能の半分が系統的に締め出されているなんて、どう考えてもおかしい。彼女はそのことを理解していたのです。本当に、どれほど愚かな状況でしょうか。
そこで彼女は、CS(コンピュータサイエンス)学部の教員たちと共に、入門レベルのCS授業を全面的に再設計し、女性向けの新たな研究機会も創出しました。そしてその結果が、今日のこの光景です。 卒業生の半数が、女性やノンバイナリーの学生たちなのです。これは拍手に値することですよね?
(会場拍手)
これは奇跡じゃない。モデルです。うまく機能するモデル。でも今、そのモデルは攻撃を受けているのです。誤解しないでください。もし今、ハーヴィー・マッドが2006年にやったことをもう一度やろうとしたら訴訟を起こされるでしょう。
なぜか? なぜなら、一部の人たちは、「本当の実力主義の社会」を実現するよりも、「実力主義の幻想」を見せる方を選ぶからです。そして、この“まやかし”が機能するのは、私たちが分断されている時だけ。お互いに指を差し合い、責任をなすりつけることに忙しければ、そもそもこのゲームが最初から仕組まれていたなんて気づけません。そして、いったんこのシステムが「公平だ」と信じ込ませることに成功すれば、もはや何も変える必要がなくなってしまうのです。
息子の一言から見えた“もう一つの闘い”
私にはわかります。この“まやかし”に騙されるのが、どれほど簡単なことか。たとえ真実が目の前に突きつけられていても、それを見落としてしまうものなんです。
なぜそんなことが言えるのかって? 私自身が、そうだったからです。数年前、ある女子大学の卒業式でスピーチをしたことがありました。まさに“フェミニスト宣言”のような内容で、私は壇上を降りるとき、ものすごく誇らしい気持ちになっていました。「グロリア・スタイネムも震えてるわね」なんて思いながら(笑)。
すると、私の2人の息子、ショーンとサイが駆け寄ってきてくれました。そのうち、上の子のショーンが私をそっと呼び止めて、こう言ったんです。
「ママはいつも女の子のことばかり話してるけど、どうして男の子のことは話してくれないの?」
最初、私は彼の言葉を軽く受け流してしまいました。「まだ小さいんだから、仕方ないわよね」と。でも、実際には“わかっていなかった”のは、私の方だったのです。
私は何年ものあいだ、「女の子には“完璧さ”ではなく“勇気”を教えるべき」と話し続けてきました。でも、「男の子には“無表情さ”ではなく“やわらかさ”を教えるべき」だとか、 「“支配”ではなく“つながり”を教えるべき」だとか、そういった視点を、私はほとんど持てていなかったのです。
「強さとは、感受性と共感力、そして思いやりを必要とするものだ」。そんなふうに、“男らしさ”のあり方を再構築する必要があるということを。これこそが、「分断」の仕組みです。「自分の課題だけが重要で、他人の問題は取るに足らない」と思い込まされる。でも実際には、男の子たちもまた、“勇気”について学ぶ必要があったんです。