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Steve Wozniak's UC Berkeley keynote speech - Spring Commencement '23(全2記事)

スティーブ・ウォズニアック氏が語る、Apple創立のきっかけ 大手企業を辞め、ジョブス氏と掲げた「目標」

カリフォルニア大学バークレー校の卒業式に、卒業生でApple共同創業者のスティーブ・ウォズニアック氏が登壇しました。小学生時代からIQ200を超えていたと言われる天才エンジニアの同氏。大学時代のエピソードやジョブスとの出会い、コンピュータ・エンジニアになると決意したきっかけなどを振り返りました。本記事では、エンジニアとしてのキャリアの始まりや、Apple創業のきっかけについて語られました。

誰よりも早かったタイピングのスキル

スティーブ・ウォズニアック氏:ある時、Nova 4Kというコンピュータが発売されました。私は父に「いつか4Kノヴァのパソコンを持つんだ」と言っていました。私はまだ若かったのですが、高校時代、寝室にコンピュータのポスターが貼ってありました。当時はパソコンなんてありませんでしたが。

父は「ノヴァの4Kは家1軒分くらいの値段がする」と言っていました。私は「アパートで暮らす」と答え、挑戦状を叩きつました。自分の心の奥底に、「いつかこうしたい」「いつかこうなりたい」と思うものを持つと、それが一生残るんです。それはどこにも行きません。だから、それは私の心の中にあって、そこに留まっているのです。

さて、大学3年目はカリフォルニア大学にいました。そして、私は……なんと、大学院でハードウェアとソフトウェアの設計の講義を受けました。そこに心理学の授業のための論文を書いている女の子がいたのですが、彼女は変わった人、異常な人を求めていました。それで、その女の子がやっているレポートについて話をすることになったんです。

初めて話した女の子が、普通の人生を歩むチャンスを与えてくれました。バークレーでの思い出の中でもとくに強い思い出です。私はタイピングが好きで、私たちはタイピングをして育ちました。

当時、多くの女子高生は、いつかタイピングの秘書になりたいと思っていました。私が高校生の時、女の子の誰よりもタイピングが速かった。でもその早打ちも、コンピュータの端末のために身につけたのです。

そしてカルフォルニア大学では、実際に他の人と出会うことになるのですが、私は彼らを知りませんでした。彼らは私のことを知らないし、私の名前も知らない。今でも、彼らは私だとは知らないでしょうが、私は彼らのために期末論文をタイプし、真夜中から朝の6時までタイピングを楽しみました。

筆記体のノートを打ち直し、どんな授業でも受け、それを期末論文に打ち直す。それに私は5セントを請求しました。5セントは無料でやるよりずっと良かったのです。無償でやるなら、それは友だちのためだけで、(友だちではない)彼らとは面識はなかったので。

私はただタイピングが楽しかったんです。だから、お金がもらえなくても楽しいからできることもあるんです。

大学3年目で就職、一番最初のコンピューターを作る

私はまだ資格を持たない、大学3年目というけっこう早い段階で就職をしました。ヒューレット・パッカードでは、エンジニアや物理学者向けの携帯型科学計算機という、当時世界で最もホットて最先端な製品を設計していました。

そして、ヒューレット・パッカードでは、素晴らしい価値観のもと、私は生涯エンジニアとして生きていくのだと決意しました。組織内の地位が上がると、ちょっと政治的な感じになるから、絶対に昇進しないでね。

そしてある時、クラブができたんです。「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ」と呼ばれていました。バークレー校やスタンフォード大学から多くの参加者がいました。

教授たちは、我々が自分たちのコンピューターやコンピューティングデバイスを手に入れたら、生活が一変すると話していました。人間は技術でどれだけ多くのことができるようになるのだろうか?

そして、私は最初のコンピューターを設計しました。素晴らしいコンピューターです。キーボードを打つと、映像ディスプレイに表示されるのです。それ以前のすべてのコンピューターは、醜いボタンやスイッチ、ライトなどがごちゃごちゃついていました。人間とは程遠いものでした。

私の最初のコンピューターはタイプライターのようなものでした。他の人がやっていることよりずっと先を行っているもので、みんな私の肩越しにのぞき見していました。私はそれを無料で、オープンソースで、パブリックドメインで、著作権表示もなしに手放しました。

そして、このクラブの他の人たちが私のコンピューターを作りました。このキーボードTVのアプローチが、世界を変えました。

スティーブ・ジョブズ氏と会社を立ち上げ、掲げた目標

さて、そんな中、スティーブ・ジョブズが街にやってきました。年に一度くらいは、彼が街にやってくるんです。そして、私が最近発明したものは何でもお金に換えてくれるのです。

スティーブ・ジョブズ役のアシュトン・カッチャーが地下室でコンピューターをいじっている私を見つけて、クラブに連れて行く映画もありますね。

実際は、スティーブはこのクラブにいったことは一度もありませんでした。なので彼は私がコンピューターを作ったことは知りませんでした。

私はこのクラブが創立されてから毎日通っていました。まあ、このようにときには小さなことが事実からそれることもあります。私は彼をクラブへ連れていき、その盛り上がりを目にしてもらいました。

彼が「私たちで会社を立ち上げるべきだ」といったのはその時でした。もちろん私はヒューレット・パッカードで生涯エンジニアでいたいと思っていました。自分の仕事を危険にさらすようなことはしない。

それで、ヒューレット・パッカード社にパソコンを提案したところ、5回目にして初めて却下をくらいました。大手のコンピューター会社はみな、「これは何にもならないだろう」と言ったんです。

(会場拍手)

そうです。そこで、スティーブと私は会社を立ち上げ、ある目標を掲げました。私たちは障害者を助けたいと思いました。いつか、目の見えない人と見える人がもっと平等になるように、テクノロジーは障害者を助けることができると思ったのです。

それがどれだけ成功したかを見てください。どこへ行っても、歩道を見てください。人々は自分のスマートフォンを見ながら歩いている。限りなく盲目に近いでしょう。

(会場拍手)

Appleを会社として大きくさせた「Apple II」

とにかく私の目標は、正直なところ、産業を興すことではありませんでした。会社を興すためでもありません。

バークレー校出身の人々のような頭脳を持つ他のエンジニアが私の肩越しに、私が作ったものを見て、エンジニアとして尊敬し、「おっ、どうやってあんなことを考えたんだろう?」と言ってもらえるようになることです。

ただ時々、頭の中から魔法が溢れ出てくるんです。蓋を開けてみると、私が作ったコンピューターが、Appleの利益の全てになりました。創業から10年間、唯一の黒字製品だったのです。

何がAppleを作ったのか? Appleは現在、イギリスのGDPやほとんどの証券取引所よりも大きな会社です。そして、それを実現したのが、私のApple IIコンピューターだったのです。

ゲームは常に重要でした。卓球ゲームの「PONG」は、テレビが出力装置になり得ることを教えてくれました。米ゲーム会社のアタリ社の『ブレイクアウト』というゲームもデザインしましたし、他にもいろいろなゲームを作りました。

私はヒューレット・パッカード社のエンジニアで、主にカリフォルニア周辺の人々のために製品を設計する若いエンジニアという評判を得ました。例えば、ホテルの映画システムやテレビのエンコーディングアルゴリズムなどです。

そして、私は「いつも5セントを請求している」という評判を得たのです。それでいて、信じられないような、すごいデジタルデザインをしたものです。だって、私は端末を作ったんです。世の中のおもしろいことに参加したいと思ったからです。

Appleの「6色刷りのロゴ」の誕生の裏側

ARPANET(※1969年に米国防総省の高等研究計画局(ARPA、現在のDARPA)が導入したコンピュータネットワークで、現在のインターネットの原型)は、アメリカの6つの大学間で誕生しました。いいですか、6つの大学です。今では、何十億ものつながりがあるインターネットです。

私は仕事もあったのですが、若かったので、自分のことに時間を割くことができました。そこで、ARPANETと呼ばれる端末を作りました。どうしてもこのプロジェクトの一員になりたかったのです。

とにかく幸いなことに、色のアイデアを思いついたんです。アタリ社に出向いたとき、「このゲームはカラーだったらきれいでしょう」と言いました。だって、当時は白黒だったんですから。私はテレビのエンジニアでもあったので、微分積分と高度な数学で色の設計の仕方も知っていました。

そして、デジタルで、コンピューターからの数字で、テレビがカラーで同期するようなアイデアを思いつきました。そのおかげで、創業時のAppleの6色刷りのロゴを手に入れることができたのです。これができる人は他に誰もいませんでした。

「ロッキー・ラクーン・クラーク」の偽名で、大学を再び卒業

それから私は飛行機事故に遭って、カリフォルニア大学バークレー校に戻りました。そうそう、飛行機が墜落したんですよ(※ウォズニアック自身が操縦していた軽飛行機が墜落)。

10年後、私はスティーブ・ジョブズに電話をかけ、「これは私が大学の学位を取得する最後のチャンスであり、最後の年だ。そして、いつか授かるであろう子どもたちに、私が大学に通い、卒業したことを知ってほしいんだ」と言いました。

そうして、バークレーの卒業証書に書かれている名前は......ここで使った名前(偽名)は…...その頃には僕の名前は有名になっていたからね......ロッキー・ラクーン・クラーク。そう卒業証書に書いてあります。

結局、私は心理学を専攻して帰ってきたんです。脳を研究したかったし、記憶とか、変わった思考を研究したかったのです。記憶のありかについて、どの本よりも強い主張を思いつきました。人の脳内の記憶をどう読み取るか? 我々にはわかりません。

シナプスを解析して、「これは "コーン"という言葉だ」と言えるのか? そんなことはないでしょう。記憶が脳のどこにあるのか、脳の中にあるのかさえも、何にも書いていませんでした。

そして、ある観察に行き着いたのです。6歳から10歳までの間に失うものは2つ、幼少期の自伝的記憶と乳歯です。脳がどのように配線されているかわからないのに、脳を作ることができるのだろうかという発想がありました。エンジニアのような脳を作ることはできないか?

私はある会社にいるとき、エンジニアが脳を作る方法を発見しました。9ヶ月かかりました。私は実験的な研究に没頭し、数学に非常に重きを置いていました。推測統計学は、正規統計学や記述統計学を知っていると思っている人たちには、意味がわからない。それで、私は大学に入ったんです。

「常に人生を楽しくする方法を探してください」

当時1回5セントで家庭教師をしていたのですが、生徒の彼女には簡略化された数学が必要でした。私はそれを見て、人間には理解できないような数式を扱うようになりました。そして、本とは全く違うものを思いつきました。それは、詩的で、理解しやすく、勉強になる内容でした。そしてこの数字が、あなたの実験がうまくいったかどうかを示す重要な数字なのです。

私が思いついた重要な変数は、年齢、性別、民族性、差分、それぞれのグループを取り、電卓でそれぞれの標準偏差と平均を求めるものです。臨界変数は、平均値の標準偏差を標準偏差の平均値で割ったものです。とても詩的でわかりやすいですが、まだnの平方根をかけなければなりません。

まあとにかく......常に数字で楽しんでください。私はただ一例を挙げただけです。数字には必ず楽しみがあります。

例えば、私の年齢は72歳です。私は人にそれが回文だと伝えるのが好きなんです。72は前向きも後ろ向きも同じです。

何を言っているんだ?(と思うでしょう)。 数学的には72は「3×8×3」です。後ろも前も同じ、3×8×3……あるいはもっと詩的に、2×3×2×3×2と。あるいは、2の3乗×3の2乗です。もう、(次の)誕生日を迎えてもどうしたらいいのかわかりません。

常に人生を楽しくする方法を探してください。インスピレーションを受けてください。頭脳を使ってください。自分の頭で考えてみてください。人ごみの中でみんながやっていることを全部やってみるようなフォロワーではなく、リーダーであってください。

自らも他人にインスピレーションを与えてください。自分が世の中のためになっていることを理解してください。自分が何者であるかを知り、たとえ人生における成功であってもそれを変えさせてはなりません。卓越した努力をして、世界一を目指してください。それは、バークレーにとっていいことです。勝っても負けても丁重であってください。

人生は、ドレスリハーサル(本番そのままに衣装を着けて行うリハーサル)ではありません。あなたはそれを生きているんです。ドレスリハーサルではありませんよ。

若い人を助け、経験の浅い人を助けてください。指導者になってください。先生になってください。いつか、与え続けるためのエネルギーが残っていないことに気づくかもしれません。そのとき、この人生のために与えられたものをすべて使いきったと感謝することができるでしょう。

みなさんが今日旅立つとき、「時間は一方向にしか進まない」ということを感じてください。

(会場拍手)

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