2024.11.25
「能動的サイバー防御」時代の幕開け 重要インフラ企業が知るべき法的課題と脅威インテリジェンス活用戦略
スチューベンビル・フランシスカン大学2022卒業式スピーチ ピーター・クリーフト氏(全1記事)
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ピーター・クリーフト氏:これから始めるスピーチは慈悲深くも短いものになりますよ、と事前にみなさんにアピールしておきます。
(会場笑)
時短を謳うハイテク機器がたくさんあるせいで、現代人にはまったく余裕がなくなりました。そんなみなさんのために、ここ2世代ほどの大勢の登壇者たちによる、たくさんのスピーチの内容をたった1本の短いスピーチに集約してお届けしようと思います。
これまでの登壇者により、みなさんが学ぶべきとされた10のすばらしいアイデアについて「10のすばらしくないお話」をします。
10のアイデアとは、アイデンティティー、自己肯定感、世界への奉仕、クリエイティビティ、クリティカルシンキング、平和、正義、心を開くこと、愛、そして自由です。10個とも耳ざわりのよい言葉ですが、これまでの登壇者とは異なり、耳ざわりのよい嘘をお話しするつもりはありません。
手始めに、嘘についてお話ししましょう。嘘は経済界隈でよく耳にします。そして、3種に分類されます。「嘘」「真っ赤な嘘」、そして「統計」です。数字は嘘をつかないとされますが、嘘つきは数字で論じます。私の持論では、この概念をもう少し広げて4種に分類します。「嘘」「真っ赤な嘘」「統計」、そして「卒業式スピーチ」です。
(会場笑)
卒業式のスピーチの多くは、世界最古の職業である広告業の発案者からインスピレーションを受けたものだと考えられます。広告業は、古くはエデンの園に端を発し、ベルゼバブ、メフィストフェレス、アスタロト、バアル、サタンなどの多くの名を持ち変幻自在の者の手で作られました。
彼が最初に広告として作ったのはリンゴでした。一口かじられたそのマークは、彼の製品に誇らしげに掲げられています。厚かましくも、「メイドイン地獄」と堂々と表示しているのです。
彼のサディズムにおけるパートナーはビル・ゲイツであり、技巧を凝らした拷問部屋であるMicrosoft Wordの作り手です。主は、地獄の門(ゲイツ)はヨナの息子ペテロには勝てないとされましたが、クリーフトの息子ピーター(スピーカー本人)には勝てないとはおっしゃいませんでした。
(会場笑)
「広告」という言葉そのものがすでに広告で、とても曖昧な言葉で、「嘘」の婉曲表現でもあります。なぜなら、真実を語れば私たち愚者の船の乗組員(出典:プラトン著『国家』)に製品を売りつけることはできないからです。
世界最古の職業は売春だと考えられていますが、実は売春は広告の一形態にすぎません。この形態には身に覚えがあります。大学教授という私の職業もまた、知的売春業だからです。体は売りませんし、実際に買う人はいませんが。その代わり、思考を売っています。ボストン大学がポン引きです。
学生はポン引きに「学費」という名の料金を支払い、そこから私に「給与」という名の手取りが支払われます。ソクラテスならそう言うでしょう。私の労働形態は、頭脳が雇われて(hire)働いています。だから高等(higher)教育と呼ばれます。
ところで、今日は奇跡が起きました。ジム・キャリー主演の爆笑コメディ映画『ライアー・ライアー』さながらに、今日は一日嘘がつけなくなってしまいました。ということは、嘘についての真実を話しさえすれば、今日は嘘がつけます。
ですから、私の同職である広告業者や売春業従事者が何年にもわたって卒業式で学生に話してきた、「世間でよく聞く10の耳ざわりのよい嘘」についてお話ししようと思います。
まず1つ目は、「なりたいと願うものには何にでもなれる(be)」という嘘。これは当然、嘘です。神であっても、無理なものは無理です。神は「悪魔になりたい」と願ってもなれませんし、善は悪に、悪は善になれません。悪人の中にも善はあり、善人であっても悪しき心はありますし、善人が悪人になって悪人の悪口を言うこともあるでしょう。
しかし善は悪ではなく、悪は善ではありません。なぜなら、そうでないものにはなれないからです。つまり「無矛盾律(ある命題とその否定命題は同時に成り立たないという論理法則)」の概念です。
脱構築主義者(我々自身の哲学の営みそのものが、つねに古い構造を破壊し、新たな構造を生成しているとする主義。この場合は皮肉を言っている)でない限り、これ以上の確たる思想は成り立ちません。
つまり、この自己矛盾は矛盾しています。論理的に可能であるように変化させ、「なりたいと願うものには何にでも変化することができる(become)」と言い換えても、嘘であることに変わりはありません。これが嘘でないというのなら、私は野球史上もっとも偉大な左利きのリリーフピッチャーとなれるでしょう。
ホビットは魔法使いになれません。良いホビットか、悪いホビットになるだけです。男性は女性になれません。良い男性か、悪い男性になるだけです。人は不死にはなれず、列聖もされません。なぜなら、聖人を決めるのは神だからです。神に決めてもらうことは可能です。
人は限られた命の生き物であるため、即変化することはなく、少しずつ変化します。なぜなら、命の本来の営みから逃れられるものではないからです。仮に逃れようとすれば、悲劇であると同時に喜劇になるでしょう。それは、過去の偉大な劇作家たちが見抜いていたとおり、現世での人生は悲劇的にして喜劇的だからです。
2つ目の嘘は、私にはもっとも魅力的なサタンの誘惑で、70年代の子ども向けテレビ番組『ザ・エレクトリック・カンパニー』のテーマソングのいちフレーズです。「この広い世界で一番大事なのは君だ!」。
これは、言い換えると「神よ、なぜ私の王座に座っている?」ということになります。これはまさにサタンの哲学の要であり、反逆の動機でした。ジョン・ミルトンが訳知り顔で言ったように、「天国でしもべとなるよりは、地獄を支配した方がまし」ということになります。
実際、人間の自己愛は地獄を招きます。地獄を作るのは、神ではなく人間です。人が地獄に足を踏み入れる時には、必ず「マイウェイを行くのだ」と歌います。
私が子ども時代を過ごしたジュラ紀には、数年に一度、頭のおかしい者が往来で不特定多数をなんの理由もなく惨殺してニュースになりました。今では数日に一度のペースでこれが起こっています。どうしてこのような差が生じたのでしょうか。
まず、私の子ども時代には『ザ・エレクトリック・カンパニー』が放送されていませんでした。
(会場笑)
ひと世代をまるまるサイコパスに育成する最良の方法が、まさにこの哲学でしょう。この番組を視聴して大人になった別の子どもたちは、心理学者になりました。
ヒトラーが抱えていた問題とは、自己肯定感が低かったことだと、心理学者が実際に言っているのを聞いたことがあります。たぶんあの心理学者は、サタンについても同じことを言うでしょう。
私のよき友人が証言するには、カトリックの聖職者がイースターの日曜日の説教でこんなことを言っていたそうなので、引用しましょう。「キリストが聖金曜日に十字架に架けられたことにより世界に発したメッセージとは、自身やすべての人についての肯定である」。
私は怒りを感じます。なぜなら、私はコメディが大好きであり、このような聖職者がいてはモンティ・パイソンのような風刺的なコメディアンが失業してしまうからです。風刺が現実になってしまえば、風刺するべきものはなくなってしまいます。
3番目の嘘は、2番目の嘘よりは罪が軽いものです。その嘘とは、「世界がみなさんを必要としている。世界を、もしくは西洋文明やアメリカ、文化を救うのはみなさんである。みなさんは救世主だ」。そうであれば、エルサレムに凱旋する時にはなにがしかの動物に騎乗するでしょう。その場合は、ゾウではなくロバが妥当でしょう。子ヤギは論外です。一番お似合いなのは雄ロバ(注:間抜けの象徴)でしょう。
賢明な皮肉屋のイギリスのジャーナリスト、マルコム・マゲリッジはキリスト教徒になりましたが、カトリックではありませんでした。マザー・テレサはこう言いました。「マルコム、あなたは良い人です。カトリックにならないのですか?」。
マルコムはこう答えました。「お言葉に甘えて、私を良い人だということにしますが、もし神が私を良い人だとお考えになるのなら、神は教会の中と同様に外にも良い人を必要としているのではないでしょうか」。マザー・テレサは3語でこれを却下しました。「神はそう思っていません」。
マルコムは後日、自伝にこう記しました。「この議論に答えが出せなかったので、しかたなくカトリックになった」。いまだかつて、マザー・テレサとの議論に勝てた者は神しかいません。
(会場笑)
4番目の嘘は「クリエイティブな考えを生むには、学歴が必要だ」というものです。クリエイティブな考えとはつまり、新たな現実、新たな世界を生み出すことです。
この説は、最近もてはやされるようになった「人のアイデンティティは貴ぶべきで神聖である」という考え方から来ています。宗教的であるよりも精神的であることを勧められるのは、これが原因です。
みなさんは、自分の神聖なアイデンティティを見出したばかりです。宗教は神を別物として崇めるので、神は宗教的な存在ではありませんし、物質的ではない点で精神的な存在でもあります。
ですから、みなさんが自分の神聖なアイデンティティを見つけ出した時に必要とされるのは、神の化身(incarnation、キリストを指す)ではなく、丸裸の自分(excarnation)、自分の精神です。悪魔は精神的な存在です。
みなさんは自分の世界を創り出すことができます。こう語るのは神ではなく、みなさんなのです。「見よ、私は新たなものを創造しよう」と。つまりみなさんこそが、真実を創り出す創造主です。みなさんは真実の発見者でも下僕でもありません。古い迷信では、客観的真実は抑圧的でした。これは客観的事実です。
5番目の嘘は「クリティカルシンキングにも学歴が必要だ」というものです。クリティカルシンキングとは、ポジティブな真実の探求ではなく、真実だと主張する万物に対するネガティブな懐疑です。
ただし、みなさんがみなさん自身のクリエイティブな思考で作り出した真実は、これに該当しません。要するに「主義主張は信じるな」ということです。私はみなさんにそうするべきだと主張します。
「これぞ真実だ」という主義主張は、「それを信じるな」という主張以外はすべて脱構築されるべきです。例えば、私たちの師でありパトロンであるピラトはイエスの磔刑を命じ、どんなものであっても真実だと主張しました(注:皮肉)。
みなさんが脱構築するにあたり、その解体球の進路にある建造物はすべて破壊されるべきです。古い権威を持つ大聖堂であればなおさらです。
カール・マルクスは『ファウスト』のメフィストフェレスの言葉をよく引用します。「すべての既存のものは消えなくてはならない」。
6番目の嘘は「精神の平和」です。この概念によれば、世界平和も肉体の安寧も、悪魔との和平も、すべての平和が善とされます。敵を敵と認識することが、唯一敵視するべき行為です。
聖書では272ヶ所にそうした記載があります。ストロング版『聖書語句索引(Strong's Exhaustive Concordance of the Bible。聖書の単語と原語の対照番号「ストロング番号」を掲載した索引書)』で調べましたので確かです。
私たちは、不寛容以外について寛容であるべきです。イブがその昔そうしたように、訪れる者は、たとえ悪魔であっても受け入れて歓迎し、ドアを開けて対話に招き入れなくてはなりません。しかし、大天使ミカエルや聖処女マリアを共に迎え入れれば、悪魔は対話を拒むでしょう。彼らは戦士であり、それゆえに「悪」だからです。
仮に平和が善であれば、すべての戦争は悪になります。強欲、色欲、傲慢や、世界、肉体、悪魔との戦い、罪との戦いです。その場合は、罪の存在を認めないことになります。そのような認識こそが大罪であり、きわめて不寛容であり、独善的だと言わざるをえません。
真の悪とは「悪が存在する」と信じることです。悪魔は実在しませんし、敵も存在しません。争いをやめ、食卓を共にしましょう。『クモとハエ(The Spider and the Fly)』の詩にもそうあるでしょう(ただし、ハエは結局クモに食べられてしまう)。宗教とは逃避です。でも考えてください。逃避で罪を問われるのは囚人です。よく考えてください。
7番目の嘘は「平和と正義」です。これは、キリスト教を貶める「世俗主義」の現代版で、もっとも普及して広く信じられているスローガンです。キリスト教は特異さを堅守し、孤高を守り、想定外で因習的で、信者はみな平和と正義に固執します。
ですから、キリスト教が平和と正義を守るだけの存在となったなら、生温かいミルクのように因習くさくなるでしょう。『戦争にチャンスを与えよ(中途半端な介入が戦争を長引かせる、と警鐘を鳴らす著作)』は、みなさんも聞いたことがあるでしょう。
一番よく信じられている嘘は、平和と正義を、広く知られているスローガンと組み合わせたものです。「平和のために正義を守れ」。これは言い換えれば、6番目の嘘が奨励することと同じです。敵の存在を否定できないのであれば、敵の存在を許容するな、ということです。追及するべきなのは正義のみであり、それ以外を許容してはいけないということになります。
過去74年間、パレスチナ両岸において、この哲学は存分に効果を発揮してきました。こういう人たちは、「最後の審判」において好きなように神の裁断を受ければよいでしょう。逃避主義者の言うところの「天国」に行けないことは確かです。
8番目の嘘は、心を開き、相手を受け入れ、寛容であることが一番よいことであり、「最高善(アリストテレスを嚆矢とする、ギリシア哲学の倫理哲学における究極目的としての最高の善)」であり、至高だと賞賛することです。この哲学が実践されれば、精神がオープンになりすぎて脳がこぼれてしまうことでしょう。
開きっぱなしの心は最高の手段ですが、最悪の結果をもたらします。これは口を開くことに似ています。食事に例えるなら、滋養ある食物が口に入ると、しっかり閉じることにより、はじめて食物は体内に取り込まれて摂取されます。食物は「真実」とも呼ばれます。
しかし、開きっぱなしこそがよいとされるなら、精神も口も決して閉じられることはなく、開いたままになります。すると何も食べられなくなり、死に至ります。開きっぱなしの口からはハエが入り、ウジがわくでしょう。「蠅の王」もまた、魂に同じ所業を下すことでしょう。
9番目の嘘は「愛こそすべて、愛は甘美」です。言い換えれば、どんなものであっても真実は不要だということになります。どんなものであっても、愛こそすべてなのですから。ピラトの神聖なる言葉「どんなものであっても」が、ここでも出ましたね。
真実と嘘との間に差別は不要です。また、真実の愛と不実の愛との間にも不要です。だって、すべての差別は悪なのですから。一番悪いのは、善と悪とを差別することです。
甘美な愛とは、つまりは感情としての愛のことです。オビ=ワン・ケノービは、ルーク・スカイウォーカーに「自分の感覚を信じるのだ」と言いました。デビー・ブーンは「正しいと感じるのだから間違っているはずはない」と歌いました。まさに同じことをヒトラーも考えていました。
10番目の嘘は、自由を手段と考えず、考えなしに貴ぶことです。自由が手段であれば、「自由とはどうあるためのものなのか?」と自問自答しなくてはならなくなります。本当は、私たちはどうあればよいのでしょうか。アメリカは自由の国ですが、新たな信仰対象である「どんなものであっても」の名の下での、何のための自由なのでしょうか。
ニューヨーク港の自由の女神像とのバランスを取るためには、サンフランシスコ港には責任の女神像を置くべきだと、ヴィクトール・フランクルは述べています。しかしそうなると、現代の十戒を犯すことになります。
すなわち、決めつけ、弾圧、強要、不寛容、思いやりのなさ、無感情、過激化、狭量、偽善、原理主義をとがめる戒律です。原理主義fundamentalistは、Fのつく新しい禁忌語ですね。私は全部にひっかかってしまいます。このスピーチもきっと炎上することでしょう。
(会場笑)
これらの嘘に反対するのであれば、きっとみなさんもヘイトの標的になることでしょう。なぜなら、虫歯は歯科医を、ガンは放射線治療を、ゴキブリは灯りを、そして悪魔は真実を嫌うからです。
しかし、愛はヘイトと戦い続け、光は闇を照らし続けます。暗い部屋でろうそくを灯せば明るくなることは、みなさんもよくご存じでしょう。こうした小さな積み重ねが、必ず最後に変化をもたらします。
空気が悪く、臭く、じっとりと湿った闇であっても、光を照らせば退散します。どんなに永く、広く、強大な暗闇が世にはびこっても、あまたの文化の戦争で負けが続いても、光は失われることはありません。嘘は死に絶え、真実のみが生き残ります。
卒業式を祝うスピーチは以上です。長くはありませんし、有益でシンプルだったでしょう。言葉と行動により、真実と良き知らせを世に伝え、悪しきものが自然に淘汰されるようにしましょう。
そして、心に残り心を開放する、マザー・テレサの言葉を覚えておいてください。「神は、みなさんに成功せよとは言っていません。正しくあれと言っているのです」。
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