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バークリー大学 2019 ミッシー・エリオット(全1記事)

「あなたたちは、諦めるには遅すぎるところまで来てしまった」 ヒップホップの女王が送る、困難に屈しない心構え

アメリカのレコーディングアーティスト、音楽プロデューサー、女優として活躍する、ミッシー・エリオット氏が、母校のバークリー大学で卒業スピーチを行いました。エリオット氏は、自身の経験を振り返りながら、「あなたは歳をとりすぎている」「成功するわけがない」と言われても、息をしているうちは遅すぎることはないと、母校の学生たちに語りかけました。

30年間に5回もグラミー賞にノミネートされた女性ラッパー

ロジャー・ブラウン:革新者であり、先駆者です。

(会場拍手)

ミッシーのように勇敢でオリジナリティのあるアーティストは、一言で形容することができません。彼女はそのキャリアの中で、ジャンルを超え、ステレオタイプを打ち壊し、音楽的にも視覚的にもスタイルとしてもその境界線をなくしてきました。

彼女のキャリアは1989年にR&Bの、後に「シスタ」と呼ばれるようになったグループとともに始まりました。彼女は地元の新生のプロデューサーである、ティンバーランドとしても知られるティモシー・モスリーと共にグループのデモ曲をレコーディングしました。

そして、1990年代中頃になる頃までには、ミッシーとティンバーランドは需要のあるソングライター、そしてプロダクションチームとしての地位を確立し、トータル、SWV、デスティニーズチャイルドなどに曲を提供したのです。彼らはアリーヤのダブルプラチナのセカンドアルバム「One In A Million」を手がけました。

彼女の粘り強さとスタイル、そして言葉の用い方のユニークさにより、エリオットは「Raven Symone」「New addition」「MC Lyte」などのアーティストが曲の中でフィーチャーするラッパーとなりました。

96年には「エレクトラ・エンターテイメント」や「イースト・ウエスト・レコード」と契約を結びました。その翌年には彼女の初のソロアルバム「Supa Dupa Fly」をリリースし、この曲はビルボード200チャートにおいて第3位となり、当時女性ラッパーとしてデビュー曲が最高位になるという記録を打ち立てました。

(会場拍手)

伝説的ラッパーであるバスタ・ライムスは、ミッシーについてこう言いました。「狂気を持ってどこからともなく現れ、最高の女性MCであるだけでなく、彼女の前に出てきたどんな女性MCとも異なる」。彼女の6枚のスタジオアルバムはそれぞれがプラチナムとなり、このような成功を収めた女性ラッパーは彼女以外には存在しません。ミッシーは30年の間に5回もグラミー賞にノミネートしました。

バークリー校で初のヒップホップアーティストとしての名誉博士号授与者

彼女はこの時代、セールスの面でも最も成功を収めたアーティストのうちの一人で、アメリカで3000万ドル以上を売り上げました。彼女はみなさんもご存知のビヨンセ、ホイットニー・ヒューストン、メアリー・ジェイ・ブライジ、TLCや他のアーティストに楽曲を提供したりプロデュースしてきました。

(会場拍手)

ジャネット・ジャクソンは、「Essences 2018 Black women in music events」にて、心温まるトリビュートをミッシーに送り、こう言いました。「クリエイティビティとは美しいもので、音楽の天才によりクリエイティビティが自由に開花するとき、私たちにできることは、ただ感謝することです。私はミッシーの美しいソウルに感謝します。」

(会場拍手)

また、「エピック・レコード」の会長でありCEOであるシルビア・ローヌは、彼女自身も最近バークレーから名誉博士号を授与されましたが、彼女もこう述べています。「ミッシーはこの業界において女性としてのあり方を改革し、前代未聞のミッシー・エリオットとして型を破ってくれたのです。」

(会場拍手)

ミッシーは、バークリー校でヒップホップアーティストとして初の名誉博士号授与者となります。これは歴史的瞬間となります。

(会場拍手)

彼女はまた来月、「ソングライターの殿堂」で初の女性ラッパーとして就任することにより、また新たな歴史を作ります。

(会場拍手)

彼女がおこなってこられたヒップホップ、R&Bそしてポップカルチャーへの多大なる貢献を讃え、バークリーの音楽学位の名誉博士号をミッシー・エリオットに授与できるのは光栄です。

(会場拍手と音楽)

「諦めるには遅すぎるところまで来た」ということ

ミッシー・エリオット:私はちょっと背が低すぎるかもしれません。なんということでしょう。ちょっと感傷に浸らせてください。

(会場拍手)

ちょっとこの現実を噛み締めさせてください。まず初めに、2019年の卒業生のみなさま、おめでとうございます。今年はみなさんの年になりますよ。もちろん2019年だけではなく、この後もずっとです。

(会場拍手)

それからロジャー・ブラウンさん、本当にありがとうございます。言葉に詰まってしまいすみません。自分がどうしてここに立っているのかすらわかりません。ただみなさん、そして神様に感謝します。

(会場拍手)

私はみなさんすべてに感謝します。私はここで長々とお話しするつもりはありません。ただここでお伝えしたいのは、まず、昨日のパフォーマンスをされたみなさんが素晴らしかったということです。バンドにダンスに歌、すべて良かったです。この学校は一流というだけでなく、才能に溢れています。昨日それを目撃しました。

嫌になられるほどお話をするつもりはありませんが、これだけはお伝えしたいと思っています。人生これからアップダウンがあるでしょう。その心構えをしておいてください。いつも言われている事かもしれませんが、諦めないでください。もしずっと昔に私が諦めていたら、私が今日ここに立つことはなかったでしょう。

(会場拍手)

みなさんは、諦めるには遅すぎるところまで来てしまいました。私はキャリアの中で起きた小さい出来事についてお話ししたいと思います。例えば、私が初めてフィーチャーアーティストに選ばれたとき、とても嬉しくて、「ついにこの時が来た」とみんなに言って回りました。

息をしているうちは遅すぎるということはない

そして、今でも覚えていますが、テレビをつけた時、自分の声が流れているのに、とてもスレンダーできれいな女性が写っていたのです。私は太めですから、自分でないことがわかったのです。その時初めて、当時みんなが思う美しさが自分にはないのかもしれないと気がついたのです。

この出来事で私はがっかりしました。しかし、諦めることはありませんでした。そして、ガールズグループに所属しましたが、レーベルからクビにされてしまいました。みんなはそれで私が諦めると思ったかもしれません。

けれども、それでも諦めずにいると、ある晩、自分が12個ノミネートされていることを知り、スピーチを書き、前の日の晩に、鏡の前で練習しながら、あの人にお礼が言いたい、ジャネット・ジャクソンなど大勢のみんなにありがとう、などとやっていましたが、私がそのスピーチをすることはありませんでした。なぜなら結局、何の賞ももらえなかったからです。

それでも、私は引き続き前進し続けました。病気になって、曲が書けなくなったこともありました。神経システムがシャットダウンしてしまったのです。これでおしまいか、前進し続ける必要がないと思いました。しかし、私のスピリットのうちにある何かが私を掻き立てていたのです。

そして忍耐、私たちには忍耐がなくてはなりません。息をしているうちは遅すぎるということはありません。なぜなら人々は、「あなたは歳をとりすぎている」とか、「成功するわけがない」とか言うからです。そんなことを信じてはなりません。

私が今日、ここに立っていることがそう証明しています。ここにいらっしゃる人たちも同様のことを言われるでしょう。みなさんもそう思われることでしょう。見てください、みなさんは卒業されるのです。

ですから、私自身は歩く証拠となり、みなさんが「私はバークリー音楽大学を卒業しました。ミッシー・エリオットが、『あなたたちは、諦めるには遅すぎるところまで来てしまった』と言っていたのを覚えています。」と言うのを、今から何年も経ってから聞きたいと思っています。

みなさんには諦めて欲しくありません。私はみなさんを愛していますし、感謝を伝えたいと思います。泣き虫でごめんなさい。この帽子もガウンも肌身離したくありません。シャワーを浴びるときも、次のビデオの中でも、どこに行っても一緒です。本当にありがとう。愛しています。

(会場拍手)

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