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ドレクセル大学 卒業スピーチ M・ナイト・シャマラン(全1記事)

「あなたは世界を変えるつもりでいるか?」 自分が無力であることを疑えとM・ナイト・シャマランは語る

ドレクセル大学の卒業式で、インドのポンディチェリーマヘ出身の映画監督であるM・ナイト・シャマラン氏が卒業スピーチを行いました。『シックス・センス』『アンブレイカブル』『サイン』『ヴィレッジ』など多数の作品を世に出したシャマラン氏は、その栄光とともに、もうひとつの苦難に満ちたストーリーを歩んできたと語ります。

映画監督 M・ナイト・シャマラン氏の卒業スピーチ

M・ナイト・シャマラン氏:ドラゴンズ(ドラゴンは同校のマスコット)の皆さんいかがですか? 

(会場歓声)

まず初めに、私がどれほど感謝しているかについてお話しさせてください。私は以前、イーグルスの試合の際にジョン・フライ氏(学長)にお会いしました。スーパーボウルのチャンピオンになる前のことです。ドレクセルは良いコミュニティですから、とても感謝しています。

それに評議会の皆様にも感謝しています。この会場には2万から2万5千人ほどいらっしゃるようですが、私にお話しする機会を与えてくださり、皆様に感謝をいたします。非常にありがたく感じています。

私は今日、実はみなさんにお聞きしたいことがありまして、参りました。この中でどれくらいの人が世界を変えるのでしょうか。

(会場歓声)

みなさん全員が立ち上がって叫び、歓声をあげてこのスタジアムを震えさせるのが理想的でしたが。私のことをご存知ない方に自己紹介いたしますと、私は映画監督で、インドで生まれ、人生をずっと、このフィラデルフィアで過ごして参りました。

今日は私の異なる2バージョンのライフストーリーをお話しいたします。今の所はその両方が事実です。これはしばしの間、互いに現実的になることを目的にしたもので、学位授与式の話としては珍しいものかもしれません。

世界で最も”高給取り”の脚本家となった

まずバージョン1です。私は二つの奨学金をもらって、NYUの映画学校へ行きました。そして三年少しで卒業し、初めての映画を21歳の時に製作しました。歴史上最も若いプロの映画監督の一人となりました。当時一番の入札合戦でオリジナルの脚本を売り、それから三本の映画の脚本を手がけ、その映画は三つのスタジオで、その年の三大ヒットフィルムとなりました。

そのうちの一つは『シックスセンス』でした。脚本を25歳の時に書き、27歳の時に監督をしました。あの作品は映画史に残る大ヒットになりました。それからというもの、止まることなく脚本を書き、監督を続けてきました。最高三十億ドル以上のヒットを出しました。映画は私が頭の中で考えたオリジナルの作品です。文字通り、私は世界で最も高給取りの脚本家です。

みなさんがご存知のすべてのフランチャイズフィルムからオファーを受け、思春期の頃から書き続けてきたすべての脚本が映画化のオファーを受けました。世界の国々において数え切れないほどの回数、私の映画は1位を記録しました。

きっとこのスタジアムにいらっしゃる成人の方、皆さんが私の作品を一つはご覧になられたことがあるかと思います。つまりここにいらっしゃるすべての大人の方々は、きっと私にお金を払われたことがあるでしょう。

私は映画制作の他に仕事をしたことはありません。私が世界の他の映画製作者のいる部屋に入れば、お会いできて光栄です、とよく言われます。私が世界中のアーチストに会えば、あなたは憧れの人です、と言われます。

映画界は私を「価値のないもの」と見なした

そして私のキャリアの2つめのバージョンはこうです。21歳の時に初めての映画を作りました。二週間で一つのシアターに引き抜かれました。二つ目の作品は二、三週間でいくつかのシアターに引き抜かれました。二本目の映画は有名な映画評論家たちに評価されると、こき下ろされてしまいました。

24歳で二度失敗し、新婚の奥さんと実家の客間に住み、脚本をFOXに売ることができましたが、監督としてはすぐにクビにされてしまいました。『シックスセンス』を皆に見せましたが、誰も成功すると思わなかったので、その映画は当時その年の最悪の時期に公開となりました。

何度か立て続けにヒットを出しました。そしてNewsweek誌が私の作品を今年最悪の映画と呼びました。何年もの間、「失敗作」「才能なし」という賞をもらいました。ネット上にはブログで私を馬鹿にし、映画学校に送り返すための基金を集めるというものまで現れました。評論家からは嫌われ、ブロガーからも嫌われました。

子供向けの映画を製作しましたが、馬鹿にされ、失敗作に終わりました。自分が気に入った作品のプレス上映をしましたが、その上映中にある人が立ち上がり、「これは駄作だ!」と言いました。そんなことには後にも先にもありませんでした。

スタジオのコンピューターがハッキング被害にあい、そのハッキングのメールの中に、「あなたは信頼できないし、雇うことはないでしょう」という内容のものがありました。自分の頭の中から出てくる考えを、自分で疑うようになってしまいました。私の業界は、私を価値のないものとみなしたのです。

私は教訓です。時に幸運を手に入れ、それでも自分が見せかけであることを示した人間です。私はインデペンデントフィルムを自費で制作しています。すべてのスタジオにパスされ、経済的崩壊ギリギリの線にいます。自分自身を信頼していません。

人は自分の持つ大きな力に気づいていない

この二つのバージョンの生活をどのように説明できるでしょうか。なぜこれら二つの話のつじつまがあうのでしょうか。私にとってはつじつまが合います。当時に戻って全てを理解することができます。仕事には原則があります。しかし私はそれを理解していなかったのです。私はいつも非常に大きな力を持っていたのに、それに気がつかなかったのです。

今日ここで強調したい理論があります。それは、あなたがた一人一人には非常に大きな力がありますが、あなたはそれに気づいていないのです。なぜそう思うようになったのか、ある出来事がありました。

先ほどお話ししましたように、私はあるインデペンデントフィルムに出資しました。その時、自宅を担保にローンを借り入れました。その当時は誰も私と映画を作りたいと言ってくれませんでしたので、もしかしたら勇気があった、またはどうしようもなかったのかもしれませんが、とにかく、自宅を担保にローンを借り、誰の許可も得ずに一本の映画を製作しました。

それで、映画を撮影し、撮影が終わった六週間後、自分のしたことに緊張していたので、映画スタジオに映画を見せて、買い取って欲しいと思いました。自分が制作を終える前に自分がセーフであるということを知りたかったのです。私はロサンゼルスへ飛び、全てのスタジオに見せました。すると皆がパスしました。パスするということはつまり、業界では誰も興味を示してくれなかったということです。

数日後に帰宅しましたが、大金を失うことになったのです。その映画をビデオオンデマンドに売らなければなりませんでしたが、誰も見ないので、世界は私が公開不可能な映画を制作したことを知る由もありません。

人生の絵画がどんなものか、わからなくていい

私は帰宅し、自分の家族に会いました。私はもちろん落ち込んでいましたから静かでした。今日ここの会場のどこかにいますが、私の一番下の娘がダイニングルームにいました。そしてそこに、彼女がやりたがっていたパズルの箱が置いてありました。それはいただいたもので、私は彼女にそれを一緒にやると約束をしていました。

しかし私はただそこにぼーっと立ち尽くし、パズルを一緒にやりたいかと彼女に優しく尋ねました。彼女は「うん!」と興奮した様子で答え、私たちはパズルの箱を開け、全てのピースを千ピースもありましたが、全てダイニングテーブルに広げました。そしてパズルをやり始めました。

それから、10分か15分くらい探して、ぴったりはまるピースを二つ見つけました。そしてさらに15分くらいかけて、もう一組のぴったりはまるピースを見つけました。そこで、私は、これは不可能だと思いました。それからさらに10分か15分かけてもう一ピース、さらに10分、15分かけてもう一ピース、とやっていくうちに二時間くらい経ってしまいましたが、その頃には8から10ピースくらい見つかっていて、有頂天になりました。私たちは達成感と高揚感を感じていましたが、その時突然、私はわかったのです。

とてもシンプルなことですが、私たちはなぜ次のピースを探し続けたのでしょう。なぜやめなかったのでしょう。なぜギブアップしなかったのでしょう。どのようにその8から10ピースを見つけることができたのでしょう。なぜなら、私たちはそこにその完成された絵があるのを知っていたからです。その絵はすぐ目の前の、箱の上に書かれていたのです。

実際にダイニングルームにいた時のその感覚を今でも鮮明に覚えています。突然、非常に単純で、正確なことであるのがわかったのです。自分の人生の絵図がどんなものか、わからなくても良いのです。私はただ、そこに絵があると信じれば良いのです。次のパズルのピースを探して、それを信じれば良いのです。絵がどんなであるかわかろうとしなくても良いのです。

一度に全てのピースを見つけようとしてはいけない

一度に全てのピースを見つけようとしないでください。一つのピースを見つけたら、残りがあると信じるのです。私はそう考えたら安心し、もっと大事なことに、自分がパワフルであると感じたのです。そこで次の日私は編集室へ入り、一つのシーンをもっとよくする作業をしました。たった一つのシーンをマシにする作業に集中したのです。

違うテイクを使ってみたり、セリフをちょっと動かしてみたり、効果音を加えてみたりして、そのシーンだけもっと良くしてみたのです。その後、もう1シーンをより良くしてみました。もう一瞬、もう一瞬、と改善していきました。そして映画を売ることや、自分がどうなるかを考えるのをやめました。

そして次の瞬間をより良くするという作業にのめり込んでしまい、その後、来る日も来る日もそれに没頭しました。そしてもう少しで完成する時になって、誰に見せたいかわかりました。一つのスタジオが、完成したらみてあげても構わないよと言ってくれていたのです。

その映画を完成させた後、ロサンゼルスにある映画館へ行き、そのスタジオに来てくれるよう頼みました。観客に上映しました。すると観客は大いに喜び、そしてユニバーサルピクチャーに購入され、その年のインデペンデント映画のヒットの一つになったのです。

この映画には500万ドルかかりました。ありがとうございます。

(会場拍手)

そして一億ドルの興行収入となりました。そのように成功しました。その後次の映画、『スプリット』のために支払いをしました。制作に900万ドルかかりましたが、2.8億ドルの売り上げとなりました。そして私は次の映画『グラス』の支払いをしました。

自分の仕事と、宇宙の仕事

私がお話ししたことの全てに筋を通そうとしました。パズルをしている時に何を感じたか、なぜそこまでパワフルであると感じたのか、そのマニフェストをどうやって実際の世界で実現させたのか、なぜ時に私はパワフルであると感じたり、そうでないと感じたりするのか、なぜそのような矛盾したシグナルを受けるのか、なぜこのシステムは私を縛り付けるかと思えば、なんでも好きにできることがあるのか。

そう考えていたとき、ある哲学者を知りました。エピクテトスです。

エピクテトスは約二千年前にいたギリシャの哲学者で、『語録』と呼ばれる彼の本の中で、宇宙はどのように成り立っているのかについて述べられています。エピクテトスと彼の哲学を信じるには、一つのことを信じていなければなりません。宇宙は基本的に慈悲に溢れている、基本的に良いということを信じなければなりません。これはあなたがDNAで骨の中から受け入れなければならない事実です。

彼は私たちがコントロールできるものと、宇宙がコントロールしているものとの違いを描きました。私たちは人生の中でいつでも数え切れないことに対してコントロールできる力を持っています。その中には自分の考えも含まれます。それで十分なのです。もし私たちが、宇宙がコントロールしていることに対して、それをコントロールしてやろうとエネルギーを注ぐと、それはうまく行きませんし、何か教訓を学ぶことになるでしょう。

私たちが混乱するのはその関係です。理由もなく無力感に襲われる時、もしあなたが曲を書くとすれば、その感情と曲を書くことにエネルギーを集中させるのです。それがどう受けるかということにはエネルギーを使う必要はないのです。それは宇宙の仕事です。

宇宙はあなたのはじめの数枚のアルバムは不成功に終わって欲しいと思うかもしれず、しかし、曲を書くのにぴったりのパートナーに出会わせてくれ、彼のおかげで深く掘り下げ、世界を変えることのできる見方を見つけることができるかもしれないのです。

コントロールできないものは、なすがままでいい

宇宙がどのようにあなたを助けるか、それはあなたの心配するべきところではありません。あなたが信じなくてならないのは、宇宙はあなたが育つよう、あなたのために動いていて、あなたが今していることに対して無数の機会を与えてくれるということです。

あなたが大好きな分野の仕事をクビになるかもしれません。あなたがその時コントロールできるものを助けるという理由があり、それで十分なのです。

自分がコントロールできるものに対して集中する人は、世界で自分が何を求めているか、公にする力を無限に持つことになるのです。あなたがコントロールできるものはそうして、残りは宇宙のなすがままにするのです。

宇宙はあなたの味方です。でも余計に関わらないようにしてください。打ちのめされてしまいます。このような、私たちはパワフルなアンテナであるという考えと、なんであれ私たちが集中していることといったダブテールは全てきっと物理学的なことなのかもしれません。エネルギーの動きだからです。

私たちはそれを宇宙と呼び、ある人たちはそれを神と呼ぶかもしれません。私たちは非常にパワフルな生き物です。

もしあのとき、パスタを食べていただけだったら……

実際このことに関していくつかのストーリーがあるのですが、一つは私の友人のフランク・マーシャルという映画監督の話で、今日この話をする許可をもらっていないので怒られてしまうかもしれません。とにかく、彼が若かった時、イタリアにいて、映画制作の仕事をしていました。彼は、ピーター・ボガノビッチという監督の制作補助をしていました。

それはずっと前の話で、イタリアでの出来事ですが、彼らがある日ランチをとっていると、スティーブン・スピルバーグという名前の若い映画製作者がやってきました。そしてみんなで席に着くと、ピーター・ボガノビッチ監督が、すごく気になっているあれこれの問題を処理してくれないか、と言いました。

フランクはテーブルの席について、皆の前にパスタが並べられていたのですが、彼だけが立ち上がり、今すぐにそれを処理します、と言って席を立ちました。スティーブン・スピルバーグはフランクがパスタを食べずに立ち去ったその瞬間が忘れられず、私にも彼のような、映画を作るのに助けとなる人がいてくれたらいいのにと思いました。

それから何年も経ったある日のとあるビーチで、ジョージ・ルーカスとスティーブン・スピルバーグが映画制作に関して話し合っていました。スティーブンが「ジェームズボンドの指揮をとるつもりだ」と言うと、ジョージ・ルーカスが「いやいや、それよりもっといいキャラクターがあるんだ。考古学者の男の話だ」と言って、そのストーリーを話しました。スティーブンは「よしそれをやろう、私が監督をしよう」と言いました。そして、プロデューサーは誰にしようかという話になりました。

その時スティーブンは「そういえばずっと前にちょっと会った人がいるから、彼がどこにいるかどうかちょっとチェックしてみようと思う」と言いました。そして彼はフランク・マーシャルに電話をしました。そして彼に『レイダース・失われたアーク』のプロデューサーになってくれないかと頼んだのです。そのようにしてフランクは映画史でたくさんの作品を生み出すプロデューサーとなったのです。

彼の中には私の三作品も含まれています。もし彼が自分にとって大切なことに夢中になっていなければ、もしあそこでただパスタを食べていたとしたら、スティーブンの記憶に残っていなかったでしょうし、有名なプロデューサーにはなっていなかったでしょう。私はそのストーリーについてよく考えます。

ローリング・ストーンズ結成秘話

もう一つのストーリーがあります。1961年、イギリスのダートフォードというところに、17歳の少年がいました。彼はアメリカンブルースに魅せられていました。特にシカゴブルースマンに夢中でした。彼はいつもラジオを聞いて、当時ロンドンではなかなか見つけられないアメリカのレコードを一生懸命探していました。彼がすることといえば、ブルースのことと音楽のことを考え、ギターを弾くことでした。

ある日、彼が駅に座っていると、彼と同じくらいの年頃の少年が電車を待っているのが見えました。その少年は立って電車を待っていましたが、その手にチャック・ベリーのアルバムとマディ・ウォーターズのアルバムを持っていたのです。

そこで17歳のその少年は立ち上がり、その少年のところに行くと、そのアルバムをどこで手に入れたのかと尋ねました。どうしたんだ、なぜアルバムをここに持っているんだと尋ねたのです。そのようにして二人は話し始めました。アルバムを持っている少年がアンダーグラウンドにレコード店があるんだ、一緒に行こうと言いました。彼らはブルースなどの音楽について語り合いました。駅に座っていたその少年はキース・リチャーズでした。

彼は歴史に残る素晴らしいロックンロールのギタリストと言えるでしょう。そしてレコードを持っていた少年はミック・ジャガーだったのです。彼は歴史に残る素晴らしいロックンロールのリードシンガーと言えるでしょう。彼らはそれから間も無く、ローリングストーンズを結成したのです。それは幸運か神の仕業か、キース・リチャーズは自分にコントロールできることに対して真剣に集中していたため、少年が持っていたものに気がついたのです。

彼は電車を待つ綺麗な女性を見つめていることや、そこにいた子供を叱るお父さんを見つめたり、ただぼうっとしていることもできたはずです。彼が集中していた故に、見えるべきものが目に入ったのです。それらのアルバムを持って同じ時間にその駅に偉大なロックスターが行くようにしたのは宇宙の仕業でしょうか。そのアルバムを右手ではなく左手で持つようにさせたのは宇宙でしょうか。批評家たちにとってそれはただの幸運ということになるでしょう。

やり続けることで道は拓く

しかし、このようなことは私に何度も起こってきました。自分が見るべきものを見、自分がアンテナを張って集中している時、起きるべきしてこの様なことは起こってきました。私たちは皆アンテナの様です。私が24の人格を持っているキャラクターに関して集中していた時、そのキャラクターの人格は子供であったり、おっかない女性や、美しい女性であったりなくてはならないと考えていた時、ちょうどその時、あるイベントでジェームズ・マカヴォイにばったり出会ったのです。

私は彼に今まで一度も会ったことはありませんでした。彼はテーブルを回り込んでバーへ行くことだってできたはずでしたが、私のところにちょうどやってきたのです。彼に会うなりすぐ、私は彼こそがそのキャラクターであると感じたのです。そして彼は素晴らしいパフォーマンスをしてくれました。彼以外にあのキャラクターを演じられる人はいなかったと思いますが、私は彼に偶然出会ったのです。そして彼にはそれまで一度も会ったことなどなかったのです。

その様なことは本当に何度も私の身におきました。私が言いたいのは、自分が価値のある何かを提供したいという気持ちを手放すのは本当に難しいことであるというのはわかっています。あなたのできることをさせてくれない場面に遭遇することもあるでしょう。「あなたの声に価値はない」などと言われても、一生懸命に戦い、次のステージに行きます。するとそこでは君の声は役に立たない、などと言われ、それでも次のステージに行くよう、努力をしていきます。

その中で、もしシステムに従うならガイドしてあげるよ、などと言われながらも前へ進んで行きます。そしてあなたの声は持続性もなく、まぐれだと言われます。それでも引き続き努力をし、自分のコントロールできる分野に集中します。するとやがて、あなたの声は素晴らしい、私たちのシステムに取り入れよう、となった時そのシステムが変更になってしまうのです。

私のオリジナルの映画でその様なことが起こりました。いつも始まりは同じです。この映画はひどいと言われます。そこで私は懸命に努力をします。そして問題が多すぎる、これは奇妙すぎる、と言われます。その後そのステージから抜けると、いい部分もあるね、と言われ、その次に、なかなかいいけど、誰々さんはもっと良くなる様に期待している、と言われ、ついに、ずっと素晴らしいと思っていたよ。というステージにたどり着くのです。

私たちはみな、自分の力を恐れている

何度も私はその様なステージで立ち止まり、それに同意しました。そうでなく、強制突破したこともあります。あのパズルピースの時の様に、自分の力がどこにあるのか思い起こされます。私は力のある状況から、無力の状態へ、なんと惨めな状況にあるのだろうという状況から、なんて素晴らしいんだという感情など、その間で揺れ動いてきました。そのシステムが、将来を信じる様に私を事前にプログラミングしたのです。

しかしこれ故に、バスケット選手がオープンシュートを外してしまうのです。彼らは結果をコントロールできるのに、自分は無力かもしれないと考え、彼らはそのシュートをしている時まさにそれを理解するのです。自分がコントロールできることと、何が起こるかわからないことがわかるのです。何が起こるのかコントロールするのは宇宙の仕事です。

故に私たちは、自分の愛する人を押しのけてしまったり、自分を守りたい人と仲良くなってしまったりするのです。私たちは結果をコントロールできず、宇宙の働きにより痛い目に遭ってしまうのです。私たちがコントロールできる、行動、仕草、言葉、考え、に恐れを抱くだけでは十分ではありません。宇宙がコントロールしているものも掴まなければならないのです。

奇妙なことですが、私たちはみな、自分の力を恐れているのです。そう感じるたびに、私たちはシャットダウンしてしまいます。これは真実ではないと恐れ始め、自分が経験したばかりのことに反論しようとして、何か悪いことが起こるのを待つのです。これは破壊的な姿勢や行動につながり、ここが大切なポイントですが、自分のエネルギーを宇宙がコントロールしていることに使ってしまうのです。そして無力だと感じ、悪いサイクルが繰り返されるのです。

私も自分自身のうちに感じることがあります。自分のアイデアに対するリアクションを心配したり、そのアイデアを実行したりする時にそう感じることがあるのです。私たちは自分の望む結末を期待し続けます。ただ宇宙を信じれば良いのです。宇宙は私たちの味方なのです。

問題は、学校の外にあった

私の妻と私はナイト・シャマラン財団という財団を持っていまして、私たちは世界中にリーダーを持っています。彼らはコミュニティを、不可能と思われる状況下においても前へ進めてきてくれました。私たちは、見るからに不可能なことを、どうしようもない状況下で自分にコントロールできることに集中する人、一人ひとりをサポートしています。

皆さんは「あなたは年上だからそういうことを言うんだ」「自分も歳をとったらわかる様になるさ」「今は成長過程にあるから」と言われるかもしれません。ではあなたの前にいた人たちを例にとって考えてみましょう。私は特にアメリカの学力差に興味を持っています。教育専攻の生徒はどこにいるでしょうか?

(会場歓声)

学力差、と言う言葉が何を意味しているかわかる方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。これは低所得の都市部の学校の生徒、彼らのうち98%はアフリカ系アメリカ人がスペイン系の生徒ですが、彼らと、郊外にある白人の学校との間にある差のことです。

これはずっと前から現在に至るまで続いていて、私はこのことを考えると気が狂いそうです。私は『I got schooled(私は学校へ行けた)』と言うタイトルの本を何年か前に書きました。それは私の財団が過去25年間のアメリカの教育研究を調べて行なったリサーチに基づくものでした。

私は初め、なぜ学校は悪いのだろうと考えていました。そしてそれらの学校には何も間違ったところがないと言うことがわかったのです。データを見ればはっきりとわかりました。問題があるのは学校の外だったのです。それらの子供たちは私たちが作り上げてしまった、非常に強い信念体系のある中にいるのです。結果的にデータが示すところによると、アメリカは人種差別の国となってしまったのです。

それらの子供たちは様々な形で、映画や、近所のお店やそこで見るもの、自分の友人や愛する人の自分の経験など、囁かれたり、怒鳴られたりしてそのメッセージを受けてきました。その全てが同じメッセージを伝えてきたのです。

「この国はあなたのいるところではない」「あなたに価値はない」「あなたなんかどうでもいい」「あなたは無力だ」と言うメッセージです。データが示すところによれば、学力差を無くするには、信念体系が関係していて、新しい信念を普及させる必要があるのです。

差を埋めるのはエンパワーメントの力

低所得層の都市部の学校にいる黒人とスペイン系の子供達と、郊外の白人の子供達との三分の二の学力差は、夏の間の生じると言うことはご存知でしたか。そうなんです。六月の段階で低所得層の都市部の学校の子供と白人の郊外の子供の学力が同じだったとしましょう。彼らが夏休みを終えて九月に学校に戻ってくると、郊外の白人の子供達は1ヶ月学力が進んでいて、低所得層の都市部の子供達の学力は、3ヶ月遅れた状態になっているのです。

それで、九月の段階で彼らの間には四ヶ月の差ができてしまっていると言うのです。そうなってしまった後の生徒は同じ生徒には見えません。なぜなら彼らは、自分に価値がないと言うメッセージに叩かれ、信じてしまっているからです。夏が来るたびにそれが繰り返され、これら二つのグループの子供達は比べ物にならないほど差がついてしまうのです。

エンパワーメントの文化について大きな声で叫ぶことにより、その差を埋めることができるのです。彼らが学校の外で晒される人種差別のメッセージより大きな声で叫ぶ必要があるのです。その様な子供達は実際に差を埋めることができ、郊外の白人の子供達より学力を上げることもできているのです。

私たちのリーダーの中で、Alejandro Dohertyという人がいますが、彼は夏の間の五週間をその様な子供達や家族と過ごし助けました。そして学年度を通して援助しました。計算してみると、彼らは他の低所得層の都市部の仲間の子供達と比べて6ヶ月も学力が進んで、白人の郊外の子供達より2ヶ月も進んでいたのです。

この様に学力差を縮めている子供達は言い方を変えればさらに差を生み出してしまっているとも言えますが、自分がコントロールできることに対して注意を集中する様に教えられました。奴隷制度という罪の上に建国された国によって彼らのDNAに刻まれてしまった、自分が無力であるという感覚を捨てたのです。私は学力差と信念体系は300年前から続いてきたものであると信じています。

人間がつくったシステムに、人は縛られている

私が2018年卒業生に向かって「あなた方は世界を変えるつもりですか」と尋ねた時、皆さんが立ち上がって叫ばなかったのはなぜでしょう。平凡な生活は時に、マトリックスの様な力で世界をコントロールできないなら、私たちは無力であると信じさせようとするかもしれませんが、私たちは実際こんなにパワフルなのです。

私の様に、皆さんの前に立つ人たちが魔法の力か何かを持っている様に思えるかもしれませんが、申し上げておきますが、私はあなた方にアドバイスをしにきたのではありません。私がここにきた理由は、見せかけのふりをするのをやめて、私のいうことを信じてくれる様に命令しにきたのです。

このシステムは私たちが無力であると信じ込ませようとします。そしてそのシステムがふさわしく思える時だけパワーをくれるのです。しかし、素晴らしい点は、このシステムは人により作られたものであるということです。私たちが身につけているキャップやガウン、そしてそこにある椅子など全て、作られたものです。芸術も作られたものです。レコードのサイズによって曲の長さも作られます。

バスにはシートベルトなどついていません。バンドが一旦ステージから退出してからアンコールで戻って来るシステムも、乳製品が体にいいという話も、私たちが電気自動車の作り方を知らないのも、法律も、奴隷のいる州が守られるための選挙制度も、全部が作られたものなのです。

あなたはどうでしょうか。どうしてこの様なゴミを受け入れてしまうのですか。あなたたちがこの世の中を作ったのではないではないですか。小さな都市部のアフリカ系アメリカ人やスペイン系の子供達が賢くないと信じる様になってしまったのはいつですか。安定性のない失態を犯した私の様な旅をしたのはいつですか。自分の力を捨てて、こっそり宇宙を呪う様になってしまったのはいつですか。

私はここにきてレクチャーをしにきたのでも、私の様になれと言いにきたのでもありません。私がここにきたのは、私より良い人間になれ、もっと良い人間になれ、と言いにきたのです。

私たち皆が嘘を教えられてきました。その嘘が、他の人に何があなたにとって悪いかを決めさせるその椅子に、あなたを座らせているのです。誰か他の人が、あなたの座り方を決めてしまうのです。そしてあなたが自分の力に気がつかないとどうなってしまうかわかりますか。アーチストになりたかった人が芸術学校に断られて、ユダヤ人を殺すよう国民全体を説得します。赤子たちを枝に串刺しにし、誇大妄想者が惑星を覆し、人権派が時代遅れのアメリカのアイデアを守っているのです。

一人の人が学校へ入って銃を連射できるのです。このような人たちは無力に感じて、このシステムのイリュージョンを示すことにより力を見つけているのです。そのような歪んだ方法で力を得たと思っているのです。力がないと感じることは誰にとっても健全ではありません。人類にとって健康的ではありません。

あなたは世界を変えるつもりでいるか?

私はここにレクチャーをしにきたのではありません。あなたたちに大声で注意しにきたのです。あなたはそこにどっしりと座っているだけではいけません。世界でも最高の教育機関のうちの一つを卒業するという高いレベルに到達したのです。

その過程では、誰にどうするべきかを教わって、それに従ってきました。では今、そうするのをやめなさい。さらなる6千人の無力に感じている人など必要ありません。すでに敷かれているシステムの中で成功しているなら話は別です。私はあなた方が、賢くなるのに若すぎるとは思いません。あなたの消極性を認めません。あなたの恐れを認めません。今日このスタジアムから十分の人たちが卒業していきます。この場所から全てが変えられるのです。

全ての法律、全ての医療行為、全ての芸術の形、私たちの社会のあり方、精神病患者の治療方法、私たちのような見た目をしていない人たちをどのように扱うかの全てです。

(会場拍手)

あなた方は自分の一番ワイルドな夢を飛び越えられるほど、力に満ちています。エピクテトスは正しかったのです。宇宙はただあなたのいうことを聞いて待っています。あなたが何をいうかを待っているのです。

ではまた最後にもう一度だけ、あの質問をいたしますので、今回はちゃんと答えてください。私には三人の娘がいて、あなた方は責任者だからです。今この時から、皆さんは私たち全ての息子や娘たちに対して責任を負うことになります。2018年卒業生の皆さん、皆さんの中でどれくらいの人が世界を変えるつもりでいますか?

(会場歓声)

私の考えを聞いてくださり、ありがとうございました。

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