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Lecture 5 - Competition is for Losers(全4記事)

「ハリウッドを目指す野郎はイカれてる」 Paypal創業者ピーター・ティールが語る、“脱”競争のススメ

オンライン決済サービスPaypalを創業し、投資家としてもシリコンバレーで絶大な影響力をもつPeter Thiel(ピーター・ティール)氏が起業家育成講義に登場。本講義では、多くの会社が競争に勝つことを目的としている中で、競争そのものを否定し、独自の価値を生み出すことの重要性について語りました。

競争は「負け犬」がすること

ピーター・ティール氏:最後になります。このトークのタイトルでもあります、競争とは「負け犬」のすることだ、についてお話します。「負け犬」と聞くと私達は競争するといつも負ける人のことを思い浮かべますね。高校の陸上部で走るのが遅い人、テストの成績がいつも悪い人、そして希望する学校に落ちてしまう人。

「負け犬」の定義を再考し、競争自体が間違っているのではと発想の転換をするべきです。私達は独占か競争かの二者択一しかない世界感をきちんと把握できていないという話をしました。

人々は彼らのビジネスについてごまかしている、そこでねじれが起きる、イノベーションの歴史の中でイノベーターがきちんと見合った報酬を受け取っていないことが正当化されていると問題提起をしてきました。

でも、問題はそれだけに限りません。私達が競争したがってしまうというのが問題です。「猿」という単語はシェイクスピアの時代にはすでに「原始的である」という意味と「真似る」という意味で使われていました。

これは人間の本能でありますが、模倣好きというのは大きな問題であり、私達が乗り越えなければならないポイントでもあります。

競争が正当化されるというのはいかがなものでしょう? 皆が欲しがるものを欲しがる私達はこのままで良いのでしょうか? 皆が欲しがるからといって、それが必ずしも多大な価値あるものであるわけではありません。

多くの人が同じことをしようとするのは私達の頭がイカれてしまった証拠であるように思います。毎年2万人もの人が映画スターを目指してロサンゼルスにやってきます。最終的には20人しか映画スターになることができないにも関わらず。

オリンピックはそれよりかはマシです。身体能力ですぐに勝ち負けが決まりますからね。質問です。「競争社会」に生きる皆さんは勝ち負けを決めるトーナメントに参加していますが、それをやる価値は本当にあると思いますか?

他人と競争する価値はあるのか

例えば大学院、修士号、博士号を目指すとして、その競争率は理に適っているでしょうか? ヘンリー・キッセンジャーがハーバード大学の教授仲間を指して言った名言があります、「成功できる可能性が低すぎて、ここでの戦いは獰猛になる」。

これは学術界の成功への競争の狂気を表しています。成功出来るチャンスがとても低いのに、なぜ人は必至にそこで勝とうとするのでしょうか? 他の人と差別化することが難しい場合、自分だけの価値を認めてもらう為に必死になります。

個人的なエピソードを紹介します。中学1年生の頃、私の未来を友達に読まれたことがあります。友達が卒業アルバムにこう書いてくれました「君は多分スタンフォード大学に行くよ」と。スタンフォード大学卒業後、私はスタンフォード大学のロー・スクールに入学。

その後ニューヨークにある、外から見ればとてもきらびやかで誰もが入りたいと希望する憧れの場所だけれども、中で働いている人は一刻も早く辞めたがっている、というような大きな法律事務所で働いていました。

何かが違う、と思い7か月と3日後にその法律事務所を辞めました。そこの同僚の何人かに「ピーター、君が辞めると知って目が覚めたよ。こんなアルカトラズ刑務所みたいな場所から逃げ出すことはできないと思ってたけど、オフィスを出て2度と戻ってこなければ良いだけの話だったんだね」と。

本当に大切にすべきことを考えよ

多くの人が競争しなくては生き抜くことが出来ないと必死になりすぎて、本当に大切なことを見失ってしまいます。もちろん競争すること、周囲と自分を比べ続けることは自分を高めることに繋がります。

あいつをどうやって負かしてやろうか、彼らより優れたことをするにはどうしたらいいか、このように考え続ければ自分を向上させることでしょう。それは疑う余地もありません。しかしそこには本当は何を大切にしなくてはならないかを見失ってしまうという大きな代償があるということを言いたいのです。

多くの人がものすごい速さで一斉に通り抜けようとする小さなドアを、我こそ先にとばかりに目指して走らなくてもよいのです。ちょっと通りを曲がればそこには人っ子ひとり通ろうとしていない大きなゲートがあるかもしれないのですから。

「ターゲットはどこなのか」を常に考える

生徒A:アイディアだけで市場を独占出来るか否かを判断することは出来ますか?

ピーター:市場は実際どこなのかを把握しようと努めます。どんな市場を狙っているかは何とでも言えますが、「本当のターゲットはどこなのか」を常に考えます。先ほども話しましたが、これについては嘘でねじれさせてしまうことも出来ますから。

生徒B:今お話があった中でGoogleに当てはまるのはどのポイントでしょうか?

ピーター:ネットワーク効果と特権技術が最初のポイントとなったでしょう。彼らはページランク・アルゴリズムも持っていました。そして多くのウェブサイトを保管する必要があったので規模の経済性も。

そしてこれがブランド化にも繋がった。彼らには4つ全てが揃っています。特化技術という点では他のポイントよりも弱いと言えるかもしれません。しかし4つのポイントは確実に持っていました。

生徒C: Palantirと Squareについてはどのポイントが当てはまりますか?

ピーター:彼らは既存の支払システムの真似をしてやっているところですからね。彼らは彼らのやり方で他と差別化しています。Palantirではインテリジェントコミュニティーづくりにフォーカスすることから始めました。これがサブマーケットになります。

他とは違ったアプローチを取る特権技術でヒューマン・コンピューターの統合にフォーカスしました。市場へのアプローチと、特権技術が該当するとお答えしておきましょう。

リーンスタートアップについて

生徒D:リーンスタートアップについてどうお考えですか?

ピーター:個人的にリーンスタートアップについては懐疑的です。真に優れた会社というのはしっかりと物事に取り組んで他にはないものを提供するビジネスであると考えていますから。リーンスタートアップは多くの場合、顧客アンケートを取ったりもしないですし。

「常に」ではないものの彼らは半分アスペルガー症候群気味で、多大な影響力を持つビジネスには成長しない。人の話や意見を聞く耳を持っていない。

とはいえ意見を聞きながら改善を続ける反復作業も過大評価されていると思います。もう少し自分の感覚を信じて自分で世間が求めているものを導き出す努力も必要だと思います。とはいえ難しい質問です。

リーンスタートアップにはリスクを最小限に抑えるための対策を取る時間もないですしね。人々が何を求めているかを理解する為に時間を取りすぎると期を逃すことにもなりかねませんし。そしてもちろん、急ぎ過ぎて特にやる価値のないものに取り組んでしまうというリスクもあります。

ある意味ではロー・スクールに行くのはリスクの少ない生き方だとも言えます。しかし一方ではロー・スクールに進むことが自分の人生で本当に意味のあることを成し遂げるチャンスを奪うことにもなりかねません。「リスク」とはとても複雑なコンセプトですね。

重要なのは「初めて」になること

生徒E:最後に動け、という話についてですが、それは競争相手がいることを前提とされていて矛盾しませんか?

ピーター:言葉の定義というのはなかなか難しいですよね。市場を独占するのは確実に最初に動く人です。Googleは「初めて」のサーチエンジンではないとも言えるでしょう。Google以前にもサーチエンジンはありましたから。しかし、Googleは間違いなく他のどのサーチエンジンより優れたものを生み出しました。Googleはページランク機能をつけた初めてのサーチエンジンです。

Facebookは初めてのSNSサイトではありません。私の友人のリード・ホフマンは1997年に「ソーシャルネット」というSNSをFacebookの7年前から始めていました。バーチャルの世界で人々が犬や猫になって、決まったルールに従って人々が交流を楽しむというのが彼のアイディアでした。

人々が実名で登録するようになったのはFacebookが初めてです。そしてFacebookが最初で最後のSNSになると良いですね。何か重要なポイントで「初めて」となることが成功の鍵です。

競争している状態を自覚すべき

生徒F:大学卒業後すぐにゴールドマン・サックス証券に勤めて、それを6か月で辞めてから今はスタンフォードでコンピューターサイエンスを学んでいる学生に対し、彼にしか出来ない仕事とは何かを見つめなおす為の何か良いアドバイスはないですか?

ピーター:私はセラピーにはあまり明るくないのですが……どうやって答えたら良いでしょう。

(会場笑)

ハーバードビジネススクールで、ビジネススクールで勉強する学生を2年間英才教育特別プログラムに入れてその成果が研究されたことがあるのですが、グループの人数が最も多いチームが必然的に2年後には何かを失敗するという結果がでました。

1999年、皆がマイケル・ミルケンと仕事をしたがりました。これは彼が刑務所行きとなる数年前の話です。1999年、2000年にドットコムバブルが来るまで誰もシリコンバレーやテクノロジーに見向きもしませんでした。

2005年から2007年は不動産の時期でしたね。私達人間が競争を正当化しようとする傾向があるという問題はとても根深く、心理学的にどのようにすればこれを避けることが出来るのか私にはわかりません。

セラピストはこの問題をどのように解決するのですかね。まずは私達が競争したがる傾向があるという問題を認めることから始めましょう。競争したがるのは他の人達の問題だ、私はそうではないと考えがちです。

ビジネススクールの生徒たち、ハーバード大学やウォールストリートの人を指さして、彼らは血眼になって争っている! というのは簡単ですが、それが私達全員に影響を与えるということを理解してください。

広告のキャッチコピーになんて私はつられないぞ、バカな人だけが広告に踊らされるんだ、と思いがちです。しかし、広告が上手く作用しているという事実を否定することはできず、それは世間に大きな影響を与えるのです。

私達は私達の「皆と同じフィールドに立ち、競争をしたがる」という傾向に注意していく必要があります。ありがとうございました。

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