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BAC Business HOF Award 2013(全1記事)

「ジョブズはエジソンでありピカソだった」オラクル創業者が語る親友との思い出

アメリカのベイエリアの経営者団体「Bay Area Council」による「Business Hall Of Fame Award 2013」を受賞したラリー・エリソン氏のスピーチ。親友だったスティーブ・ジョブズ氏との思い出を語りました。

ジョブズはエジソンでありピカソだった

ラリー・エリソン氏(以下、エリソン):このような賞をいただけ真に光栄に思います。今夜は私自身のことはお話しいたしません。私のかつての戦友であり、親友だった人物についてお話ししたいと思います。

残念ながら、彼は今日この場にいることができませんので、彼に代わってできるだけの事をお話いたします。私の親友だった男、スティーブ・ジョブスについてです。

人々は言います。「人は替えがきく」と。私はそうは思いません。スティーブが逝ってしまってからは。スティ―ブ・ジョブスは誰にもとって替えることができない現代の創造者であり天才でした。彼は我々にとってのエジソンであり、ピカソでした。

私たちは毎日どこででも彼の創った製品で音楽を聴き、映画を観ます。

彼は特別な人でした。崇高な哲学者であり、アーティストであり、発明家でした。また、真っすぐに目標を見据えた企業家でもあり、エンジニアであり、そしてリーダーでした。

彼はとくに風変わりであることにこだわっていました。その風変わりなアイデアをなにか役に立つものへ次々と変換してゆきました。

そうしているうちに彼はコンピューター業界のそれまでの常識を根本からひっくり返してしまいました。コンピューターとコミュニケーション、音楽に映画。これらすべてのことを彼の短すぎた人生のなかですべてやってのけたのです。

彼の業績はそれだけではありません。それらは彼のやり遂げたことの中で大きく注目された部分でしかないのです。彼は父親であり、夫であり、私の親友でした。これらすべての役割において、彼の代わりを果たせる者など存在しません。

ジョブズがAppleに戻った経緯

私とスティーブの25年もの友情は何千回もの散歩によって培われていました。お互いに話したいことは常にあったのですが、我々はなにかとくに話したいことがあると、よく散歩に出かけました。

強風の丘、キャッスル・ロックの周りやコナ地方のビーチの砂の上を2人で歩きました。最近では、我々の散歩は短いものになりつつありました。パロアルトのウェイベリーを北に何ブロックか歩き、家まで戻るといったものです。

この何年も続けられた何千回もの散歩の中でも、ひとつのとくに思い入れのあるものがありました。その時、我々はお互いに話すことがたくさんあったので、二人で車に飛び乗り、サンタクルーズ・マウンテンにあるキャッスル・ロック州立公園へと車を走らせました。1995年半ばの出来事でした。

そのころ、スティーブはちょうどピクサーでトイ・ストーリーの制作を終えようとしており、同時に彼がAppleを離れたあとに立ち上げたコンピューター会社「NeXT」を運営していました。

スティーブがリーダーの座を離れ10年が経った当時のAppleは致命的なほどに傾いており、着実に降格の一途を辿っていました。Appleの下降は誰の目から見ても明らかであり、人々は果たしてAppleは今後生き残っていけるのかと疑問に思っていました。

なにもせずにAppleが落ちてゆくのを傍から指をくわえて見ているのは我々にとっても辛いものでした。この日のサンタクルーズ・マウンテンでの特別な散歩はAppleをどのように取り返すか、ということを話し合うために設けられたものでした。

私のアイデアはいたってシンプルでした。Appleを買い取ればいい。そしてスティーブを即座にCEOにしてしまえばよい、と。資金のあてはありましたし、当時Appleにはそれほどの価値はありませんでしたから、買い取るということはさほど難しいことではありませんでした。スティーブはただ「イエス」と言えばよかっただけなのです。

しかし、どうしてなのかスティーブはもっと複雑な方法でAppleを取り返すと言いました。彼の新しい会社、NeXTをAppleに買わせ、Appleの経営チームに加わり、そこからみんなに彼が最高経営者としてもっとも相応しい人物であるということを認識させる、というのです。

お金より重要なのはモラル

それもいいかもしれません。ですが私には大きな疑問が残りました。そこで彼に問うたのです。「スティーブ、もしAppleを買収しないというのなら、我々はどうやってお金を儲けるんだい?」。

私の問いを聞いたスティーブはぴたりと立ち止まり私の方を振り返りました。そして彼の左手を私の右肩、彼の右手を私の左肩に置いてまっすぐに私の目を見てこう言いました。

「ラリー、君にはこれ以上のお金なんて必要ないじゃないか」。

(会場笑)

私は、「私は自分のためにこれ以上のお金は必要ないが、お金にはほかにもいろいろと使い道はあるだろう」と言いました。

それを聞いたスティーブは頭を横に振り、「私はこれはお金のためにやっているんじゃないんだ」と言いました。「給料などいらない」とも。

やるからにはモラルを高く持たねばならないと彼は言いました。「モラルを高く持つ?」と聞き返した私に彼は「そうだ、この星で一番高価な物件だということだけではないがね」と言いました。

(会場笑)

私にはこの時すでに彼との論争に負けたことがわかっていました。スティーブはこの1995年の夏にキャッスル・ロックでこの時すでに彼のやり方でAppleを救済する決意を固めていたのです。

散歩を終え車に戻る直前、「君が創ったAppleだ、すべては君次第だ。私にできることがあればなんでも言ってくれ」と彼に言いました。その後のことは歴史に残るほどになりました。

iMac、残念ながらベージュのものはありません。iPod、iTunes、1,000曲もの音楽をあなたのポケットに。あなたの視野をもっと広く。iPhone、iPad……。今やAppleは地球上で最も価値のある会社になりました。

想像できますか? この栄誉はスティーブの当初の目標でさえなかったのです。大昔のギリシャのペリクレスの時代のように。スティーブは信念を美を、ただひたすらに追い求め、彼の製品、彼の生き方に生かしました。

一風変わったジョブズのユーモア

最後のストーリーになります。個人的な話です。スティーブは彼のトレードマークとも言える一風変わった愉快なユーモアのセンスを持っていました。

仕事の後に我々はよく地元で行きつけの日本料理、またはインド料理の店で食事をし、祝日には仲間でハワイのコナ地方へとバケーションに出かけました。

たいていの場合、我々4人がそこにいました。スティーブと彼の妻のロレーン、私とその時私が結婚していた、または付き合っていた人物、の4人です。

(会場笑)

私たちは夕食をとりながら会話を楽しんでいました。すると突然、静かな笑いがスティーブから聞こえてくるのです。その笑いは彼のなんだか楽しげな思考の中で迷子になっているようでした。

我々3人は会話をやめ、スティーブの方に目を向けます。いくらか時間が流れた後、我々の内の誰かが「なにがそんなにおかしいのか」と彼に尋ねました。スティーブは説明しようと試みるのですが、口から複数の言葉が漏れた後、彼はまた笑いだしてしまうのでした。

その笑いが途切れる前に、彼は下を向きじっとテーブルを見つめた後、また笑いだしてしまうのです。これが何度も続くうちに、我々3人もいつの間にか大笑いしているのです。一体なにがおかしいのかなど微塵も知らぬのに、です。信じられないかもしれませんが、こういうことはたくさんありました。あの彼との笑いの瞬間こそが私にとって一番温かい、不朽の思い出です。

我々4人、コナ地方で一緒にパパイヤを食べながらなんの理由もなく大笑いして過ごしたあの時間を恋しく思います。そして今夜、彼がこの場にいられないことを、非常に残念に思います。どうもありがとうございました。

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