2024.10.10
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イリノイ大学 卒業式 2016 ジェフ・フーバー(全1記事)
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ジェフ・フーバー氏:このスピーチの依頼を受けたとき、私はきっと緊張で膝が震えるかもしれないなとは思っていましたが、まさか寒さで震えることになるとは思ってもいませんでした。
(会場笑)
ウィルソン総長、コリーン理事長、教員のみなさん、そして今日のスペシャルゲストである卒業生のみなさん、今日この場イリノイ大学2016年度卒業式で話ができることを私は本当に、本当に心から誇りに思います。
私が今日ここにやってきたのは、祝いの言葉を述べるためでもありますが、同時に感謝をするためでもあります。ここにいるほとんどの人にとっては、今日は生まれて初めての大学の卒業式でしょう。実は私にとっても初めての卒業式なんです。
なぜなら私が1989年に卒業した時、私は卒業式に出席しなかったからです。言い訳ならたくさんあります。新しい仕事が決まって忙しくしていましたし、人生を軌道に乗せようと必死でした。
私は後悔はあまりしないたちですが27年経った今、あの時の判断を後悔しています。私を愛してくれ、サポートしてくれた家族や友人たちと卒業式というイベントを過ごすことができなかった。なので今日は私の家族と親戚が15名ほど来てくれています。
そしてアイオワ州ビュークに住む今年90になる私の父も今生中継で観てくれています。お父さん! 愛してるよ!
これは私も理解するのに時間がかかった人生の教訓ですが、自分と真剣に向き合ったり、祝ったり、あなたの人生に学びと愛をくれた人たちへの感謝の気持ちを示すことはとても大切なことなのです。
みなさん、今ここでこれまでたくさん支えてきてくれた家族、友達、メンターや愛する人に感謝を示すというのはどうでしょうか。みなさん、起立してください、ほら、全員立つんですよ。そして後ろの客席の方を向いてください。そしてここまで支えてくれたことへの感謝の気持ちを伝えてください。
(会場拍手)
今日は私の人生のなかで極めて重要な3つの章をお話ししたいと思います。私が経験したことに共感するのは少し難しいかもしれませんが、失敗してそこから立ち直ることから学んだこと、情熱と目標を失ってしまったこと、そして新たなる一歩についてです。
そして私が強く信じ続けていて、そして今日あなたたちにも信じてほしいもの、それは「もっといい方法が必ずある」と信じることです。
私の人生の最初の章は、イリノイ州のメノモニーという人口248人ほどの村から始まりました。誰か聞いた事のある人はいますか? いませんよね。メノモニー村の中心地には教会、消防署、4部屋しかない学校、そしてもちろん酒屋がありました。
私はその村の小さな牛農家の5人兄弟の末っ子として生まれました。幼少期を過ごす場所としては農家はとてもいいところでした。私は思春期をそこで過ごしました。
牛農家の一番の主役といえばなんでしょうか? もちろん牛舎です。では牛舎の中での主役は? 牛糞ですね。とても、とてもたくさんのね。春雨でも降った後には牛糞の濃いスープのなかにいるような気分になったものです。
とくに湿度が高かったある日のことです。12歳だった私の仕事は牛舎のなかを歩きそれぞれの個室の柵を開けて回ることでした。
しかし一歩歩くたび、私の脚は牛糞のなかに深く、深く、また深く埋もれてゆき、やがて私は長靴の上まで埋もれてしまい、身動きを取ることができなくなってしまいました。
恐ろしく大量の牛糞が私の長靴いっぱいに流れ込み、どうにもこうにもそこから脱出することができなくなってしまいました。助けを求めて叫びましたが誰にも届きませんでした。牛たち以外には。牛たちは糞にはまって動けなくなった私のことなどどうでもいいようでした。
私が小さなパニックを起こし始めたその時、同時に私の脳内に静かな禅に似た感覚が通り抜けました。私は自分の未来を想像していて、それは牛糞にまみれていました。
勘違いしないでくださいね、農家として生きることはとても素敵なことです。もしあなたに情熱があれば、ですが。
とにかくあの瞬間に私は悟ったんです。私は別の情熱を注げるようななにかを探さなくてはならないと。そしてそのためには大学に行く必要があると思ったんです。
私の家族は教養を重んじる主義ではありましたが、彼らには私の大学の初年度分の学費しか援助をすることができませんでした。つまり、大学2年目に進めるかどうかは私次第だったのです。
私の叔父と年の離れた兄はシカゴの大都市で会計士をしていました。私は彼らの職場にあるような最先端のコンピュータシステムに携わるのはすごくクールだと思いました。そこで両親にしつこくパソコンをねだりました。
当時アップル2の値段は3,500ドルほどで、私たちの牛農家が1年に稼ぎ出せる額とほぼ同じでした。ですが、私の母には亡くなった母の祖父から受け継いだ遺産がありましたので、私はそのパソコンを買ってもらうことができました。
新しいパソコンを手にしたませた子供だった私は、ただそれを使うだけでは満足できず、それをひとつひとつのパーツごとに解体しました。両親は仰天していましたね。解体したパソコンを元に戻すことは当時の私にとってとくに問題ではありませんでしたが、メモリが必要でした。フロッピーディスクが大量に必要だったのです。
1980年当時のフロッピーディスクは今でいうUSBメモリのようなものでした。今日3ドルほどで手に入れることができる1GBのメモリーを手に入れるには7,000枚のフロッピーが必要で、それをすべて積み上げると50フィートもの高さになり、その額は当時の35,000ドルにもなりました。
当時の7,000枚分のメモリーが今ではポケットに収まってしまいますね、テクノロジーの進歩は本当にすばらしい!
当時、一番近くのパソコン屋は私の家から15マイルも離れた場所にあり、1箱分のフロッピーディスクの値段は私の10週間分の小遣いでした。もちろん牛舎での仕事をこなした上でもらえるお小遣いでしたから、そのためにたくさんの牛の糞をすくいましたね。
それを見た兄がシカゴでフロッピーディスクの卸し屋を見つけてくれ、彼から大量にディスクを買えるようになりました。ついでに、そこからディスクの転売業を始めることにし、重度のパソコンおたくしか読まないような雑誌、『バイト』と『ニブル』に広告を掲載しました。私は14歳で起業家でした。
時が経つにつれ、フロッピーディスク以外にもコンピューターのパーツなども徐々に売り始め、同時にプログラミングを学びはじめました。
当時14歳だった私が農家の寝室で始めたビジネスは、全国初のコンピューターパーツの通信販売業になり、そしてここからAmazon.comが生まれたわけです。
(会場笑)
冗談です。Amazonを創ったのは別のジェフ(ベゾス氏)でしたね。彼は私の創った新しい会社への投資家の1人ですが、この話はまた後ほど。
私の通信販売ビジネスは、情熱と必要性から生まれました。そのおかげで私は無事にイリノイ大学を卒業することができました。私は私の「もっといい方法」を見つけることができたわけです。
そして、この時期に私が感じた、テクノロジーに秘められた可能性は今後の私のキャリア、そして生きる方向を決定づけるものでした。
ここからが第2章目です。私が今まで妻のローラ以外の誰にも話したことがないことをお話ししようと思います。
ことの始まりは2002年でした、私はeBayに勤めており、設立者のピエール・オミダイアの下で働いていました。彼もまた彼自身の「もっといい方法」を見つけることができたようでした。
彼の「もっといい方法」とは、テクノロジーを用いて小さな会社でもオンライン上にて24時間365日ビジネスを開けていられるようにすることによって、小さな会社にも大企業と同等のビジネスチャンスを与えようというものでした。小さな会社でも大きな会社と競争できるような公平なシステムを創ろうというものです。
私はテクノロジーが大好きな科学技術者で、テクノロジーを使ってイノベーションを起こすことに情熱を注いでいました。
しかし、eBayはテクノロジーから離れ、マーケティングの方に重点を置き始めました。私は大企業と子会社の差を縮める方向で進めたかったのですが、マーケターたちはWebの上でチカチカ光る広告から広告料を取るほうがよいと考えたようです。
そのプロジェクトは実現され、何週間か前にHBOの番組『シリコンバレー』に取り上げられていましたね。
私のがっかりした気持ちはとてもわかりやすかったようです。なぜなら、これは本当に妻のローラ以外の誰にも話していなかったのですが、私は会社をクビになりました。私は自分が本当に情熱的になれない仕事も精一杯やれる自信があったのですが、実際はそうではありませんでした。私が仕事に情熱を持っていないことは表に出ていたようです。
ですが、もし自分が今やっていることに情熱が持てないのであれば、きっとほかにもっといい道があるはずなのです。それでも、クビになったことはショックでしたし、とても屈辱的でした。その時の私はとても取り乱していましたが、今は会社をクビになったことは最高の出来事だったと言えるでしょう。
あの失敗が私にもっといい道があると気づかせてくれたのです。
私はGoogleに就職し、私と同じくらいテクノロジーを使った改革に情熱的な本当の仲間たちと出会うことができました。
eBayでの私は、それなりの肩書を持ちたくさんの部下がいましたが、Googleでの私の上司は「ここではリーダーシップは積み立てていかなければならない」と言いました。彼の言葉を言い換えると、「部下と共に働き、あなたになにができるのかを、そしてあなたがどのようにしてチーム全体を成功へと導くことができるのかを彼らに見せなさい」ということでした。
「リーダーになれ」と彼は言いましたし、それは正しかった。ふんぞり返ってないで部下と共に働け、そして慕われろ、ということです。だからその通りにしました。
降格させられたり、給料をカットされたりもしましたが、2003年には世界最高の仲間たちとGoogle Ads、Google Apps、Google MapsやGoogle Xなどの最高にクールなサービスを創り上げることができました。私は私自身のための、私のキャリアのための、そしてたぶん世界のための「もっと良い方法」を見つけることができたのです。
ここからが第3章目、最後のストーリーになります。私の人生の中で一番重要な、そして辛い出来事でした。
20年前にさかのぼります。始まりは当時の上司に有力な投資先として出会い系サービス、Match.comについてリサーチするように頼まれた時に作った私個人のプロフィールでした。
1996年当時は携帯にカメラがまだ付いていませんでした。サービスの内容としては今でいうTinderか Hingeのようなものでしたが、写真をスワイプしたり通話できたりだとかそういった機能はありませんでしたので、文章を交換するのみでした。昔ながらでしょう?
一番初めに私の目に止まったプロフィールはローラという女性のものでした。彼女はデザイナーで雑誌のアートディレクターをしていました。また彼女はとても凄い才能を持ったライターでもありました。私には一目で彼女はとても賢く、クールな女性だということがわかりました。
初めてのデートの時、私は彼女の家まで車で迎えに行きました。ドアを開けて挨拶をしてくれた女性はとても美しく壮健で、芸術的な雰囲気を持ち、少しヒッピーなふわふわしたロングドレスとカウボーイブーツがよく似合う、きらきらとした笑顔を持った女性でした。
私はドアの前でローラに恋に落ちたのです。それからというもの、彼女は私の人生の一部となりました。それから20年間、私たちはすばらしい人生を共に歩みました。
私たちは2人の美しい子供たちに恵まれました。彼らにもイリノイ大学を出てほしいと思っていますよ。2人とも今日この会場に来てくれています。みなさんもご存じのとおり、オレンジと青のコントラストは意外にも綺麗なものです(注:青とオレンジはイリノイ大学のイメージカラー)。
ローラは私のパートナーでありすべてでした。彼女の深い優しさ、思いやりの心、自制心、そして曲がりなき前向きなエネルギーからたくさんのよい影響を受けることができました。人として、夫として、そして父親としてよりよい人間になることができたのは、ほかでもない彼女がいてくれたからです。
しかしある日、ローラが突然疲れたと言うようになりました。彼女はいつでも壮健でエネルギーあふれる人でしたから、それは普通のことではありませんでした。医者に行きましたが、はっきりとした理由を知ることはできませんでした。
そして今から2年と1ヵ月と1日前、私たちはようやくその答えを得ることができました。それは彼女の小腸にできた小さなしこり、ガンでした。
まだ治療することができる段階ではありました。手術で悪いところを取り除けばよくなる可能性は大いにありました。もし、早い段階で見つけることさえできれば。
しかし、彼女の主治医が手術の前に行ったCTスキャンの結果は、彼女のガンがものすごい早さで進行していたことを示すものでした。彼女のガンは小腸にできた小さな腫瘍だけではなかったのです。彼女の肝臓、腹部、胸部そして首の下までのリンパ節が侵されていました。ステージ4のガンでした。
ローラは戦いました。私たちも彼女のそばで一緒に戦いました。最高のガン専門医のチームが組まれ彼女のために戦いました。
彼女は絵を描くための道具をトートバッグにまとめ、それを「ガンなんかぶっとばせトート」と呼び、化学療法室へと持ち込みました。
彼女がベッドから出られなくなったり、脚が動かなくなってしまった時は「ハンドダンベルをいくつか持ってきてくれ」と頼まれたこともありました。衰えた筋肉を鍛え、また強くなれるようにと。
彼女は絶対に、絶対に、絶対に諦めませんでした。最後の最後まで。
彼女は6ヵ月前に亡くなりました。
先ほどあなたの人生に愛を与えてくれる人たちへ感謝を示しなさいといいました。なぜなら私は彼女と十分な時間を過ごすことができなかったからです。子供たちだって、世界だって、まだまだ彼女が必要でした。
それでも、ローラと一緒にいられたことにはとても感謝しています。
毎日、彼女がいないことをさみしく思います。毎日です。私にインスピレーションを与えてくれた彼女のあの輝く魂が、決意が、人柄が。
彼女のおかげで私のなかに強い信念が生まれました。きっと「もっといい方法」があるはずなのだと。国にとって、世界にとって、ガンと戦うもっといい方法が。
Google Xで私は生命科学とコンピューター科学の交わりについての勉強を始めました。どのように生物学をデジタル化し、どのようにビッグ・データと機械学習を用いれば複雑な生物学をもっと簡潔に伝えられるようになるのかというところに重点を置いています。
ローラを失ったことは私に使命を与えました。それはガンの複雑な性質を徹底解明し、止める方法を探し出すことです。
ガンは、早期発見が鍵です。もしガンのステージにおいて1か2の時点で見つけることができればその生存率は80パーセントから90パーセントにもなります。現代の制限されたガン療法を使ったとしても、です。
しかし、もしガンを発見した時点ですでにステージ3から4までへと進行していた場合、ローラのガンのようにすでに転移が見られ複雑化していた場合、生存率は先ほどの真逆、マイナス80パーセントから90パーセントにまで落ち込みます。世界のガン患者の半分以上はこの段階になって初めて自分がガンであると知ると言われています。
私たちは今、何億ドルものお金をかけて進行したガンを治療しています。たとえ効果がなかったとしても。もし早いうちに見つけることさえできていたら治ったかもしれないガンを。
ローラのストーリーはたくさんあるガンのストーリーのなかの1つに過ぎません。毎年8万人もの人がガンで亡くなっています。
ガンは私たちの体の30兆ある細胞のうちの1つの分裂の失敗から起こり、その突然変異した細胞がさらに分裂を繰り返すことによってDNAとRNAを血液中へ流れ出させます。もし、私たちがそのシグナルに早い段階から気付くことができればガンの早期発見へとつながるでしょう。
それが私が設立した新しい会社「Grail」が行っているプロジェクトです。私たちのミッションはガンを治せるうちに見つけ出すこと。それが私が今実現させようとしているものです。
私たちにはこのミッションを実現させられるだけの能力があると信じていますし、それはまた「もっといい方法」であると信じています。
ローラが死んだ時、たくさんの親切な人たちが私に「すべてのことは意味を持って起こるんだ」と言ってくれました。私は信心深い人間で、信仰心の強い家庭に生まれ育ちましたが、そうは思いません。
物事は「意味を持って起こる」わけではありません。ですが、私たちはなぜそれが起こったのかその意味を見つけることができます。
物事は決してなにか意味を持って起こるわけではありませんが、その後あなたがどういった反応をするかによってその物事の本質を見ることができるのです。
これが私からのメッセージです。もっといい方法を見つけなさい。
農学部、生活環境科学部卒業生のみなさん、今日この世界には8億人もの食べるものに困っている人たちがいます。きっと君たちはそんな人々へ食物が行き渡るもっといい方法を見つけられるはずです。
工学科卒業生のみなさん、今日世界では10億人以上の人々が電気を使えない環境下に生活しています。きっと君たちはそんな人たちにパワーを送るもっといい方法を見つけられるはずです。
教育学科卒業生のみなさん、10人中8人の低所得者の学生は学年水準レベルの授業についていくことが困難だと言われています。きっと君たちはそんな学生たちにも公平になるようなもっといい方法を見つけることができるはずです。
健康科学部卒業生のみなさん、何百万人もの後遺症に苦しむ退役軍人が戦争から帰ってきています。きっと君たちは国のためにがんばってくれた彼らのためにできるもっといい方法を見つけることができるでしょう。
文学科、化学科卒業生のみなさん、歴史と人類学、生物学そして情報科学から過去を学び、未来への革新へとつながるもっといい方法を見つけられるはずです。
そしてとくに政治学卒業生のみなさん、どうか、どうかお願いですから民主主義をもっとうまく機能させるいい方法を導き出してください。私はカナダに引っ越す羽目になるのはごめんです!
(会場笑)
法学部卒業生のみなさん、労使関係、メディア、ジャーナリズム、社会福祉など、たくさんの分野でもっといい方法が必要とされています。
最後に。
もしあなたが泥、または牛糞のなかに足を取られ、身動きができなくなってしまったとしても、もしあなたが自分はだめなやつだ、出来損ないだと思ってしまったとしても、もしあなたが暗闇のどん底にいて、自分の一部を永遠に失ってしまったとしても、まだ希望はあります。いつだって希望はあるのです。
あなたはきっと起こったことへの目的と意味を見つけることができるはずです。もっといい方法は常にあります。
あなたには情熱があり、道具があってスキルもある。使うのです。
あなた自身のために、そして世界をもっとよくするために。使いなさい。そして「もっといい方法」を見つけるのです。
ありがとうございました。
参照リンク
"Find a Better Way" - Commencement speech - University of Illinois - May 14, 2016 - Jeff Huber
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