『脱イライラ習慣! あなたの怒り取扱説明書』の刊行を記念して開催された本イベント。認知行動療法を専門とする臨床心理士・公認心理師の中島美鈴氏が、「怒り」を感じにくくするための「考え方」と「しかけ」を紹介します。本記事では、人間関係のストレスを軽くする知恵をお伝えします。
一度嫌いになったら、小さなことにもイライラしてしまう
中島美鈴氏:本日は300人を超える方にご参加いただいていると聞いて、とてもうれしいです。ちょっと似た質問をまとめていくつかご紹介させていただきます。
最初の質問です。「一度嫌いだと思うと、その人が何をしていても気になり、イライラして消耗しちゃいます」。まさに今日の最初に出てきた職場に嫌いな人がいるユイカさんと似ていますよね。
その人が何つながりの人かにもよるんですけど、プライベートでもうそんなに付き合う必要もない、すぐ打ち切れる関係性であれば、たぶんこの方も消耗するまでいかないと思うんですけど、相手がなんらかのつながりがある方なんでしょうね。
そういった場合はユイカさんと同じように、この人にはここまでは話すとか、挨拶はするけど、プライベートでは遊ばないとか。別に意地悪をするわけじゃなく、自分の中の線引きをきれいにしておくといいんじゃないかと思います。
というのも怒りって、自分と相手の間にある見えないこの境界線が踏み越えられたり揺らいだり侵入される感じで起こるとも言われています。だから、その人に対してどんなコミュニケーションを取るかをしっかり決めていると、この境界線がより分厚くなって頑丈になるわけですね。
そうなると、その人が不意になにか「今度、休みの日に遊びに行こうよ」とか、多少想定外のことを言ってきたとしても「大丈夫。私はあらかじめ決めていますから、この境界線は踏み越えられないよ」ということで、涼しい顔でにこやかに「あ、その日は用事があって、また誘ってくださいね。あはははは」なんて言えるかもしれません。ここまで来れたらすばらしいですね。
「相手への期待」を全部捨てる
もう1つ、今日の講座では話さなかったんですけど、その相手に対して自分がどんな期待を抱いているかも1回検討してみてもいいかもしれませんよね。例えば相手に「この人はこの立場なんだからもうちょっとこうすべきなのに」みたいな期待が1ミリでも残っていると、たぶん余計イライラするんですよね。
あの人、今回はミーティングの議長なのにあんなことでつまらないとかですね、とか。私も実際そういう経験があるんですけれども、そうなったらいったんその期待を全部捨て去って、例えちゃうんですね。
その人があたかもぜんぜん知らない国の、すごく変な貿易の商人だ、みたいな。相手に対してもう品位のかけらもない変な人みたいに期待調整をすると、案外どんなに変なことを言われても「あ、でしょうね」みたいな想定の範囲に収まってくれるようになるので、ちょっと楽になります。
取り戻せない時間への未練
もう1つの質問です。「子どもの時にこれを知っていれば、もっと幸せな人生を送れただろうという、『幼少期から幸せだったかもしれない自分の妄想図』に苦しめられています。取り戻せない時間への未練はどうすればいいんでしょうか」。なるほどね。
たまに、「この人って、小さい頃からみんなに愛されて、何不自由なく育てられてきたんだろうな。いいよな。私はそうじゃなかった」とかありますよね。「すばらしい学生時代を送ったんでしょうね。私は違ったけど」「私も、もしそんな家に生まれていたら」みたいな、取り戻せない時間への未練ですね。
でも、たぶん未練がない人のほうが少ないのかなという気もしますが、どうでしょうね。もちろん、「世の中はけっこう不平等だな」と思うことも多いし、やはり生まれ持ったなにかがいっぱいある人はいますよね。自分よりも顔貌が良い人とか、すごく体が強い人とか。「人に嫌われたことがほぼないんだろうな。だからあんなことを言えるんだろうな」みたいな人もいるんですけれども。
その代わりに自分が味わった劣等感、悔しさ、「なにくそ」というものも、意外と根性につながったりとか、共感性につながったりとか。きっと自分の味につながっていると思えたらこの方も楽なのかなと思うんですけど、どうでしょうね。
「妄想図」じゃなくて、これまでの現実の自分の歴史が、40代の自分にいい味を出してくれていると思えたらいいなと思います。恐らく、思えないから妄想図になっているんでしょうね。
「苦しかったこともあった。人のほうがすごくうまくいっているように見える」。確かに困っていたこともいくつもあるし、傷もあると思うんですけれども、傷があるからこそできたことってありませんか? 人の痛みがわかるとか。
私のハングリー精神は、もとからのお坊ちゃま・お嬢ちゃま育ちの人よりはあるなと思うので、「劣等感も持ち味になっているな」なんて、勝手に思っています(笑)。それが暑苦しいと映るかもしれませんが、なにかリフレーミングできるといいなとは思います。
ニュースを見るとつらくなってしまう人
3つ目、30代の方からの質問です。「悲しみ(動物虐待など、弱い立場が逃げることのできない状況のもの)に起因する怒りスイッチがあり、苦しんでいる」。これはたぶんニュースとかを見て、全部すごく辛くなり、イライラする。実際こういうものを目撃したら、もっと嫌ですよね。
「弱いものをいじめるな!」みたいな、すごい正義感なんですかね? いたたまれないですよね。大なり小なり、みなさんが「嫌だ」とか「わぁ、そんなことひどい。やめてあげて」と思う出来事は何でしょう。例えばそういうニュースが流れてきても、ここで世間の人の温度差がけっこう出るなとは思っているんですね。
同じニュースが流れてきても、居ても立っても居られずに、例えば被災地に駆けつけるとか行動をぱっと起こせる人と、「そっかぁ」となんとなくさらっと通り過ぎちゃう人がいて。どっちがいいとか悪いとかより、共感性が高いほうが、そりゃ国民としてはとってもいいとは思うんですけれども、それで苦しくなっていたら、ちょっときついですよね。
これがなにかアクションをして助かることだったら、アクションのしがいがあると思うんですけれども。手の届かない海外のこととか、どうしようもできないことだったり、自分1人じゃどうしようも届かないようなニュースとかだったら、余計モヤモヤして苦しまれると思うんですね。
そういう時に、心理士としてよくカウンセリングでアドバイスするのが、自分の不安のイメージとか恐怖のイメージとか、この方の場合だったら、すごくイライラする悲しいイメージが広がるんだけれども。そのイメージ全体の中で、自分がコントロールできる部分とできない部分を区分けしてもらうんですね。
どうしてもコントロールできない部分がかなり大きいことでも、「その中でも私がささやかながらできることって何かしら?」と思ったら、自分のコントロールできる範囲のことを精一杯やる。それ以上でもなく、それ以下でもないことしか、私たちはできないんですよね。
そうすると、「これだけのストレスの範囲で、できることはもう全部やった」みたいな。それも自己満足と言われればそうなんですけれども、例えばそこをやっていくしか、私たちの力は及ばないのかなという現実検討をするほうが、ご自身の人生も守れるんじゃないかなと思います。いかがでしょうか。
子どもに感情的に怒ってしまう時の対処法
次の質問です。「子どもに対して感情的な言葉で注意をしてしまう。小2の息子がADHD不注意タイプで、自分もADHDです。人よりできないことが多いので、なるべく怒らずにいたいと思っていますが、すぐ怒って長々と責めちゃうんです。期待や心配があるからだが、優しく伝えようとしても我慢できず自己嫌悪の日々なんです」ということです。
恐らくADHDに対しての勉強もいっぱいされていて、長々と責めるよりも教えなきゃというのは、頭ではわかっていらっしゃると思うんですよね。私も感情が「うーん」となった時は、いったんその場で説教とか指導というのは抑えます。あまりに感情的になると結局伝わらないし、余計悪化させるし、「親だって怒ってるじゃん」「怒った方が結局思い通りにできる」と、駄目なモデルを示しちゃうことになるんですね。
子どもに誤学習させてしまいそうな時には、いったん自分も甘いものを食べたり、その場から去ったり、夜風に当たってクールダウンしたり、とにかく自分の欲求を先に満たします。
食べるとか寝るとか風呂に入るとかリフレッシュしてから、その後でこの小学2年生のお子さんに対して、今回どの行動について改善を求めるかを整理するのです。過去のことを持ち出したりもしませんし、一度に複数の改善点をあれこれ求めるのではなく、「今回のこれに関して、一点だけ、この行動を覚えさせよう」と決めるのです。その子ができそうなレベルで求めることも大事です。
イライラしたら、いったん風呂に入る
「宿題をして、何時までに時間割を組みましょう」などと言うと、これは同時に複数の行動を求めることになっているので、キャパオーバーです。小2の息子さんができているレベルのちょい上。「ちょっとがんばればできそう」ぐらいの行動を1つだけ絞り込みます。他のできていないことには全部目を閉じるのです。
こうして行動課題を1つに絞れたら、それだけをポンと言うということですね。1つの単語になるぐらい、ポンと言うのを心がけるといいのかなと思います。これはなかなか冷静さが必要な局面です。イライラ感情的になっている場合にはいったんお風呂に入りましょう。
お風呂に入りながら、「ああでもない、こうでもない。こういうセリフでいこう。いや、宿題が終わって消しゴムと鉛筆を片付けるまでは、まだちょっと我慢して目をつぶっておこう」みたいにゴール設定を細かく考えて、感情が整ってから子どもに伝えるというのはどうでしょうか?
話が通じない人にイライラ
次の質問です。「話が通じない人(特に男性)にイライラして態度に出てしまう。私の父が寡黙で、怒ると暴力を振るう人だったので、話が通じない男性に父を投影しているのかもしれません。どのような対処法があるでしょうか」。
「お父さんに似ているかも」と思っちゃうと、お父さんに対して抱いていたような感情が再現されちゃうんですよね。となると、先ほどはお子さんでしたけれども、やはり家族間の感情は、ここもですけど強烈なんですよね。
恐らくこれは今目の前にいる人は、たぶん家族じゃないのかな? 配偶者ですかね? ちょっとここの関係性がわからないんですけれども。とはいえ、身内に向けるような感情がメラメラとしてしまうのだったら、いくつか方法はありますね。
「この人はお父さんとは違う。どんな点が違うのかな?」と違い探しをしてみて、別の認識に変えてやるというのは非常に現実的かなと思います。でも現場ではできないと思うんですよね。けっこうそれは、クールダウンした冷静な時じゃないとできないと思います。
目の前にその人がいない時、ほとぼりが冷めている時に、「いや、似ているけど、この人はお父さんみたいに暴力は振るわないよな」とか、頭の中でまず区別をしてあげるというのはどうでしょうかね?
あえて「一番嫌なストーリー」を想像してみる
もう1つの手順としては、話が通じないと、その先のどんな結果をイメージしてイライラするんでしょうかね? 話が通じなくて、その後どうなりそうですか? みたいな予想をずっと続けてみてください。話が通じないとしたら、相手がどうにかなるの? 自分がどうにかなるの? 関係がどうにかなるの?
「話が通じないと、私が繰り返し説明しなきゃいけなくなる。相手はますますわからず屋で、私が誤解されたままになり悔しい。だから嫌」とか、なんで話が通じないと嫌なのか、その一番嫌なストーリーの結末まで、ずっとイメージを膨らませるんですね。そういうシナリオを描くんです。
そうしたら、本当に嫌なのは何かがわかってくるかと思います。「私をわかってくれないことが嫌なのかな?」とか、「理解されないことが嫌なのかな?」「愛してもらえないことが嫌なのかな?」みたいな。
「それって、お父さんとの関係で起こっていたことじゃない。この話が通じない男性は、そこまで思っていないんじゃない?」みたいなことが整理されると、ちょっとカパッと開く感じがしますが、いかがでしょうね。