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寛容と不寛容の間ー仏教の智慧を科学する(全6記事)

「コミュニティから離れる」が身を守る手段になる–脳科学×仏教から見た、新時代の生存戦略

寛容と不寛容の間にこそ、人の本質が詰まっているのでは――。そんなやりとりから始まったトークイベント「寛容と不寛容の間ー仏教の智慧を科学する」では、脳科学者・中野信子氏と向源代表・友光雅臣氏が登壇。人間の寛容・不寛容についてお互いの考え、脳科学と仏教から見た考えを語りました。本パートでは、これまで人間が生き延びる手段の1つだった「集団に属すること」が、今の時代ではかえってリスクになっていると中野氏が指摘。脳科学と仏教の知見から、これからの時代を生き延びるための生存戦略が語られています。

2003〜2013年で、親族間の殺人の割合が急増している

中野信子氏(以下、中野):だいたい私は、人間の暗い側面を見るのが好きで、学者を続けているようなところがあります……。

都市部では、もはや集団をつくるメリットより、集団でいることのリスクの方が大きくなりつつあります。ママ友しかり、マンションの自治会しかり。友達とも深く関わり過ぎないほうがいい。家族でさえ。

知っていますか? 殺人事件の件数そのものは減っていても、殺人事件全体に占める親族間の殺人の割合は、2003年から2013年までの10年間で約40%から53.5%に急増しているんです。2003年までの25年間はずっと40%前後で推移していたのですが。

集団と距離を取ることが、自分を守る術となりつつある。阿闍世王の逸話ではありませんが、子どもを生まないことまでもがセキュリティになっている場合もあります。

友光雅臣氏(以下、友光):それはありますね。

中野:これは人間としてどうなのだというところも含めて無論こういった考えにはご批判があるでしょうが、けれどもみんなその道を知らず知らずのうちに選択している。そうした解答を選択する人が増えつつあります。

これは東京だけの話ではないでしょうね。「コミュニティから離れよう、生き延びるために」というテーゼが大規模に共有されるのは、人間の数万年の歴史のうち、初めて起きる世界的な現象かもしれません。

みんなでいることが生き延びる上で大事だから、向社会性が高まるように進化してきた私たちですが、ここ2世代ぐらいの間は逆の方向に働いているのかもしれません。

コミュニティに属するリスク、その中で子どもを生むということ

友光:それは逆に言うと、子どもを残す量が減りますよね。

中野:そう。子どもをどれだけ生き延びさせられるのか。医療の発達とセットではあるのですが、まだ動物の話ですからどうなるかはわかりませんが、生命がビニール袋のようなシステムの中で育つことができるようになったと報道されました。

友光:はい、ヤギの話ですね。

中野:ヤギかな? 羊だっけ?(注:実際は羊)。人工子宮で動物を育てられるようになるかもしれないというニュースを見て驚いた人もいるかもしれません。私も「ああ、ここまできたか」と思いました。人間に適用される日もそう遠くはないと思います。代理母はすでにもういるという状況ですし。

友光:妊娠して子どもが生まれて、それなりに手を離れるまでというのは、正味10ヶ月ぐらい。その間、職場を離れて、また子どもというリスクを抱えてね。

中野:皮肉な言い方ですが、たしかに「リスクになり得る環境」がこれほど整っている社会で、どれだけの人が自分の肉体を使って子どもを生もうと決断できるのか。これはなかなか難しい選択です。それをみんなが迫られる。

そうすると、「そうしたテクノロジーがあるのなら、お金で解決しましょう」という人がもっともっと出てきてもなんの不思議もありませんね。コミュニティに属するというリスクを冒さないよう、誰の助けも借りず、自分1人で蓄えを貯め込み、お金を使って子どもを起こすという人が増えていくとしたら。

友光:その人たちにはコミュニティは要りませんね。

中野:そうなんですよね。インフラとテクノロジーさえあれば、そういうことになります。そんな未来を想像してしまうのですよね。

宗教の根幹は「おてんとうさまが見てる」

例えば、その時に必要な宗教の形態みたいなものはどんなものだろうということを考えますね。

友光:そうした意味では、向源のように「一人ひとり源に向かい合って自分がなにをしているのか」「自分がどう生きているのか」、それを個人に問い直していく。コミュニティを存続させるための宗教から、個人の宗教へ。みたいなね。

中野:宗教発展の歴史も面白いですよね。非常に信心深い方の中には、宗教的な世界が先にあって、その後に人間ができたというパラダイムを信じていらっしゃる方もいるかもしれませんし、もしかしたら一般的な物事の見方はそっちかもしれません。

しかし、科学的な教育を受けてきたものの立場からは、まず人間がいて、その人間が必要としているから、宗教を発明したのだ、と考えるのが自然なように思われます。

人間が必要とするものというのは、カロリーと水と酸素。あとは。

友光:塩など。

中野:塩や極僅かなミネラル分。そういうものがあれば、なんとか生きていける。けれども、そうではないものが必要だとされる場合がある。その理由はなんなのだろうと、いつもいつも考えます。

「宗教を私たちが発明した」と先ほど言いましたが、一方で、良い悪いの感覚は発明ではありませんよね。いつの間にか、備わっているもの。備わっていない人もいますが。

友光:そうですね。

中野:それを上手く説明するために、宗教を発明したのかもしれませんね。

友光:モラル的なところで言うとそうですね。「おてんとさまが見てる」的なことですね。

中野:問題なのは、自分のままならないものに対する怒りと悲しみなど、そうしたものの処理です。

この「ままならないもの」に対する怒りの感情だったり、漠然とした未来や予期し得ないものに対する不安や恐怖だったりを感じるのは、生き延びていくために必要です。だから、生じるのは当然のこと。けれども私たちは、その不快な感情をどうして処理すればよいのかわからないわけですよね。

友光:湧いてくるのは自然だけど、自然と処理できるものではないということですね。

中野:そうですね。処理するための認知の装置が必要で、それをコントロールするための存在が祭祀であり、僧侶であったと思うのです。

「集団じゃないと生き延びられない」という脆弱性

友光:子どもが死ぬのは悲しいことだけれども、当たり前の感情だからといって当たり前のようにはできませんよね。

中野:つい最近だと思いますが、チンパンジーも仲間の死を悼む感情があるようだというニュースがありました。また、これはずいぶん前の発見ですが、有名なシャニダールの花という名で知られるネアンデルタール人の化石がありまして、遺体の周りには花粉がたくさん見つかったのだそうです。遺体に花を手向けたことを示すものではないかと言われていますね。

もしそれが本当なら、その頃から仲間の死に対する葬儀や祭礼が行われていたのだという間接的な証拠になります。祭礼とまではいかなくても、死を悼むためになにかしたのだろうと。

友光:遺体に対して花をということですね。

中野:この仲間は動かない、失われたのだということを認知していた。そのことを悲しむのかどうかはわかりませんが、なにかせずにはいられない状況が生じていたのだということになりますね。

霊長類は、あまり肉体的には強くないのですよね。逃げ足も遅いし。友光さんはわりとがっしりしてるけど(笑)。

友光:太っているだけですよ(笑)。

中野:いえいえ、それでも、ヒグマと戦って勝てるような感じではありませんよね。戦って勝つとニュースになると思いますが(笑)。「品川区在住の天台宗僧侶がヒグマを倒す」(笑)。

やっぱり「集団を作らないと生き延びていけない」という脆弱性はネアンデルタール人もそうで、社会性がどんどん発達していったのではないか。

自己犠牲に「気持ちいい」となる危険を感じて

言い回しがちょっと難しいのですが、私たちはシンプルでわかりやすく、極端に自己犠牲的な言説のことを心地よく思うでしょう。国のために命を捨ててみんなを守りましょうとか。一瞬、それはとてもいいことだと反射的に思ってしまったりします。「あっ、気を付けなきゃ」と後から怖くなってしまうほど。

友光:誰かのためにというのはかなり強いものですよね。

中野:そういう映画を観て人は泣いたりしちゃうものね。岡田准一さん主演のアレとか(笑)。

友光:泣きましたか?(笑)

中野:なんだか宣伝みたいですね(笑)。

友光:否応なしに出ますよね。

中野:大衆のツボをよくとらえた映画だなと思いました。作った方たちは、本当によく人を観察しているのですね。どういうところに人が心地よさを感じるのだろうなど。

観察されている側も、そのことにもう少し意識的であってもいいかという気はします。私たちはやっぱり、みんなどうしてもいい人間でありたい。この、「いい人間でありたいと願う」機能も、利用されてしまうこともあるのです。

いい方向に利用されればいいですが、悪いことに利用されれば非常に悲しいことになります。束ねる……という現象も、暴走しさえしなければ、初めは良い結束だったのかもしれません。

ただ、悪意ある誰かに、みんなが「悪しき団結」をするように仕向けられてしまうと、そこからはもうなかなか、リカバリは難しいでしょう。今、東アジアは非常に不安な状態ですが、少なくともこの話を聞いた人たちには冷静であって欲しいと思います。

友光:かなり政治にいきますね(笑)

中野:いやいや、ギリギリにしているつもりですがどうだろう。私は右でも左でもないですよ。

Twitterは権力かもしれない

中野:大衆という言い方が良いのかどうかはわかりませんが、一般的な国民がどう思っているかということが実は意思決定の源になっているのが今の国のカタチです。なので、権力を握っているのは「世論を誘導する人」ということになります。

友光:要はそういうことですもんね。地球規模でみんなで暮らしていくということは、どうしても政治的になりますからね。

中野:歴史上、そういうことはたくさんあったという話に読み替えていただいても通じる話でもあります。

友光:それでもSNSもしかりですが、昔はマスコミとメディアにのっかった言葉ぐらいしか、集団で見ることはなかったのですが、個人発信のSNSで何万シェアということになってくると、個人の言葉から集団的な意思や政治判断、

意図が出てくるときもあるし、でも逆にそれだからこそ、かなり尖った言葉が、正義とされたり、全然裏がとれてない数字とかでデータで感情を揺さぶられてしまう。。

中野:みんなが信じやすいものを信じるという感じですね。戦前は新聞が権力だった時代がありましたが、現状はそうとは言い切れない。もしかしたらTwitterが権力かもしれないし。

友光:ジャンルによりますよね。

中野:ジャンルや、受け取り手の世代、性別などですね。

友光:アニメ業界でしたら、すでにTwitterが権力ですからね。

中野:意思決定の一番大きな声を持っているところ、ということになりますよね。チュニジアでアラブの春という話がありましたよね。

友光:ありましたね。

中野:FacebookやTwitterが原動力となった、と言われますが、実は現地の識字率は日本ほど高くありません。つまり、FacebookやTwitterを楽しめる人は、相当限られているのです。そうすると本当は、映像メディアが原動力の主体であったのでは……とする分析もあります。

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