2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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開沼博氏(以下、開沼):では、ここから質疑を自由にしていただければと思います。いかがでしょうか。
質問者1:僕も開沼さんの歳と同じで、ちょうど『「フクシマ」論』が出た2011年6月にすぐ読んで、「お、ものすごい本が出たな」と思った印象があります。
僕の質問はすごくシンプルで、ひとつは僕はメディアの中にいる人間で、去年美味しんぼ問題がはじけた時に、大体美味しんぼと同時期ないしはその前後ぐらいで福島のことをマンガに描いた漫画家の連続のインタビューの企画を作っていたんですけどもその時に雁屋さんのインタビューをしようと思ったんですが、雁屋さんが日本におられなくて、依頼をしても「7月まで帰りません」とか「今は受けません」という話でした。
最近になって、今さら雁屋哲にインタビューしているところが増えてきていて、北海道新聞とか朝日新聞とか。あるいは津田さんの番組に出るじゃないですか。今また雁屋さんの言葉を取り上げる意味があるのかが、僕にはよくわからなくて。ある種の「悪しき相対論」の枠組みかなと思ってるところがあるんですけど、その辺について開沼さんと武田さんのご意見を伺いたいなと思います。
開沼:「悪しき相対論」という言葉が出ましたけれども、伝わっていない方に向けて、わかりやすく言うと、何でも相対主義的に両論併記してお茶を濁す風潮のことを指しています。
言うまでもなく、両論併記っていうのは、例えばある社会問題に対して肯定的な意見を取り上げたら、反対側の否定的な意見も取り上げなくちゃねという態度を指す。確かにメディアの両論併記は、一見、正しい態度のようにも見えます。正しいようにも見えるけど、絶対的に正しい方法というわけでもない。
例えばオウム事件を扱うときに、オウム事件の被害者の方にインタビューをしました。でも両論併記しなくちゃね、その意見に否定的な意見をいう人の話も聞かなきゃ。では、麻原彰晃さんのコメントも取りましょうという話があっていいのか。そんなことはないわけです。
これは極端な話だけれども、何に関してもAの対立のB軸も取り上げないと、それは言論の自由を侵しているんだという話になってしまうことで、本来は科学的には、あるいは倫理的にもありえないことまで、「意見の一つ」としてメディアの俎上に乗せてしまい、その議論が科学的、倫理的に有効であるかのような実態を作ってしまう問題があるんじゃないか。これが「悪しき相対論」です。
開沼:これはややこしいわけです。実際は専門家の間では1万対1ぐらいで負けている議論も、あまり事情知らない人からしたら、両論併記の俎上に載せることで、あたかも同等の価値を持っているように見えてしまう。
ただ、メディアや、あるいは私たちもやってしまいがちです。両論あったほうが、あたかも公平で倫理的に見えますから。ただ、実際は、無責任に「自分は関係ないよ、勝手に議論しておいてね」という形にして不勉強を覆い隠し、判断を回避して逃げているだけだったりする。
この「悪しき相対論」の持つ問題については『はじめての福島学』の中でも触れています。福島を取り巻く問題については、放射線のことをはじめとして「悪しき相対論」が蔓延っている状況がある。「こういう意見もあれば、ああいう意見もある」と言って、既に新規性がなくなっている話も、科学的に明確に否定されている話も、あたかも両論の一方を構成する論かのように並べて出す。
ただし、先ほどちょっとふれたように、この問題は科学的な妥当性の問題に矮小化されるべき問題ではない。武田さん、どのような点が重要だと考えていらっしゃるでしょうか。
武田徹氏(以下、武田):焼けぼっくいに火がついちゃったというか、過去にちゃんと話ができなかった部分があって。私が一番論点として未消化のまま残っちゃったと思うのは表現の自由の問題です。雁屋さんは「表現の自由を圧殺するようなことがあったんじゃないか」と今度は表現の自由問題で攻めるようなことを言うじゃないですか。
それを私は一理あると実は思っているんですよ。雁屋さんを支持する人たちが言っているように、政府とか行政が雁屋さんの表現に関して「そういう表現は許されない」的なことを安易に言ったことに関しては、たとえ風評被害が現実にあったとしても帳消しにできない問題があったと思っています。
というのも行政権力と表現の自由は相互に独立であるべきで、言論には言論で対応すべきであって、表現の自由と行政権力がガチで向かい合うのは内容の如何を超えてまずいです。『美味しんぼ』騒動の時にその議論をきちんとせずに不完全燃焼の状態で残しちゃった。
私は基本的に表現の自由論者のつもりなので、どんな言論であっても言う権利はあると思います。どんな愚かな言論であっても言う権利はある。たとえば愚行権みたいな概念もあるわけです。
でも言論の自由が行使された後に、その言論がどれぐらい妥当性を有していたかは検証しなくてはならない。その結果、事後的に表現の自由を認めるべきではない言論だったという評価が下されることもあるでしょう。言論を評価する場合には、そうした順序をきちんと踏んでゆく必要があると思っています。
一番シンプルな話として、表現の妥当性は真実性と公益性をもって計られますよね。真実性と公益性があれば、例えば人権侵害をしていても、その問題性は阻却されるというような考え方を表現による人権侵害を扱うときには採用していますが、雁屋さんの話もそういう枠組みの中で議論されるべきであったと思っていました。
武田:放射線被爆の影響はまだ真実性のレベルで議論しきれない話だと思うので、そこは真実相当性と一段階、議論のステージを下げないといけないのでしょうが、科学者の世界で多数派の定説はどうなっているかというレベルの議論をまずすべきです。
で、雁屋さんの書いたことは今の科学的な定説とはかけ離れていますから真実相当性を欠いていると結論づけられると思います。だとすれば、そうした表現で特定の地域に住む人の社会的評価を下げることは認められないのだという判断をきちんと出すべきだったと思うのですよ。
表現の自由を尊重するので、表現をすること自体が否定されるものではないが、真実相当性を欠く表現で人権侵害が発生すればそれはその表現の妥当性は認められない。
もちろん今は少数意見だったのが多数意見になれば、将来的に定説が修正される可能性はありますが、少なくともその時点ごとの定説に基づいて判断するというバランスを守らないと、なんでも言った者勝ちになって、その言論で傷つけられた人を救済できない。
マンガが出た最初の時点でこうした議論をきちんと積み上げておけばこの議論がもう一度蒸し返されることもなかったのではないでしょうか。
その辺はマスメディアの対応もだらしなかったと私は思っています。私自身もSession22というラジオ番組に出てそうしたロジックを語ったこともあったのですが、きちんと自分で書いて表明するまでには至らなかった。そこは反省要因です。
開沼:なるほど。これは研究者や論者としてではなく、復興を職務として福島大で働いている立場からの話ということで聞いていただきたいんですけども、この問題について私が具体的に関わったのは、週刊誌に1本だけ取材協力したぐらいで、それ以外は一切してないです。
これは復興の現場の運用上の問題で、いくらでも先に取り組まなければならない問題がある中で、こんなクソ話にふれたところで議論の場を盛り上げてしまうだけなので、とっとと消えてもらったほうがいいだろうという判断です(笑)。
例えば、ヘイトスピーチ問題については、長いこと新聞等マスメディアから黙殺されていた。記者の方からすると「紙面が汚れる」「あんな下世話なのを扱わないほうがいい」という判断がなされてきた。たださすがにこれはもう扱っていかなくちゃならなくなってきた、というのがやっと最近のことだったわけです。
そこは現場の運用としては非常に難しい判断があります。ですが、とりあえずは大きなメディアでも、今武田さんがおっしゃったようなことをより具体的に多くの論者がやっていれば、もうちょっと動きやすかったと思っております。
質問者2:ちょっと論点がずれるかもしれませんけど、私は福島でちょっとだけ放送局にいたことがあります。福島以降のメディアという中で、その後もいろいろな災害や事故がありました。
福島の報道で、メディアもどういうふうに伝えていったらいいかを勉強したと思うんです。それを勉強して成果が出ているのかについて、お二人はどう思われているのか。
例えば風評を生んだのもメディアのひとつだと思いますが、私は今静岡にいるんですけども、ひとつの言葉として「箱根」というのか「大涌谷」というのか、これは大きな違いなんです。ですから「福島」と言うけれど、「会津」は全く関係ないと、私は他人には言ってるんです。
その辺りのことをお二人はどのように思われるかなというのを伺いたいんですけど。ちょっと今日の論点と違うかもしれないですけど。
開沼:いや、それはとても重要なお話で、地元メディアと東京のメディアの意識差は年々強くなっていったんじゃないでしょうか。
最初は一蓮托生だったんじゃないかと思っています。論点が同じようなことを言っていたのが、「いや、やっぱり東京発信の情報はちょっと現場感覚がなんじゃないか」みたいな議論が、特に放射線の問題についてはある。
例えば、議論がわかれるところであるにもかかわらず、あたかも甲状腺がんが確実に増えたということを匂わすような報道がキー局発信であった際に、地元局に科学的な知識を身につけてきた視聴者から抗議が殺到して、地元局もその視聴者の話をよく分かっているんだけど、キー局が勝手にやっていることだからどうしようもなくて困ったという話がある。
あるいはテレビ福島県内のテレビ局には、放射線問題について、独自番組を作って、「地元の人はこういうふうに測っていて、こういう範囲においては安全が確保されるし、こういうことに気をつければ危険を避けられますよ」と徹底的に科学的な実証をベースにした番組を、かなり勉強を積んだ上で放送してきた。
また、今年に入ってからですが、NHKの福島放送局で3月には風評被害対策のラジオ番組をやった際には、徹底的に現場感覚を重視しながら、東京発信ではできないような番組を作っていた。アナウンサーも地元出身、コメンテーターは僕ですけど、地元の農家も出てくる、地元の消費者も出てくる。出演者だけではなく、内容も地元感覚と外部との乖離を多分に意識してそこを分かりやすく伝わるようにする。それで全国に流す。
「自分たちと東京の感覚は違うんだ」という中で、どういうふうに、丁寧に、したたかにやるのかという努力を感じることが多いですね。
質問者2:東京は勉強してますでしょうか。
開沼:している方はしているし、全然変わらない方は変わらないですよね。そこの差を埋めるのはいまからでは非常に難しいですけど。
武田:私は福島の県紙や地方局にはアクセスできないので、逆に東京メディアの話をします。以前に東京新聞の編集局長と対談したことがあって、彼は東京新聞の読まれているエリアをかなり意識していました。東京の見方、東京の意見を自覚的に伝えようとしていて、言論の多様性がそれで担保されればいいとおっしゃっていました。ただ、たとえば先に開沼さんがおっしゃったような甲状腺がんの報道などで、そうした論理が通じるかは議論が必要でしょう。
勉強したかしないかということでいうと、確かに3・11以前はほとんど原子力に関する知識がないですよね。
質問者2:すみません、福島ということではなく、報道の仕方ということで。風評を生んでしまったことを、今後もしかねないんじゃないかと。
武田:懲りてないというか、臨界事故があったときにも専門家がいなくて結構苦労して報道していたのですが、喉元すぎればなんとやらで、また忘れちゃったんですね。
だから事故があって、もう1回ゼロから勉強をやり直す人が多かったのが現実だったのでしょう。もちろんコストはかかるのですが、原発関連施設は常に潜在的リスクをはらんでいますから、いつ何が起きても正確に報道できる知識、議論できる知識をある程度継続的に維持できる体制づくりを考えておかないと、専門的知識を前提とせずに報道してしまう愚をまた繰り返してしまう。それが風評被害に繋がっていくこともあると思うので要注意ですね。
質問者3:原発推進の反対と賛成の二項対立構造が、開沼さんに言わせるとどちらもポエムが過剰になっていて、全然着地できる場所がない状態という話があったと思うんです。
本来的には福島を含めて、廃炉とかそこで出た核廃棄物の処理をどうするのか、多分世界中で答えが全然出ていなくて、現在進行形のリスクとしてどこまで許容してやっていくのかという、ものすごくロングスパンの話を少しずつしていく土台作りを本来はしないければいけなかったのに、それがあまりに絶望的な状況というか。
短期間では先が見えないし結論がでない、非常に困難な問題であるだけに、ポエマーになって現実逃避して、「原発をすぐやめればいいんだ」とか「いやいやそんなことはない、もんじゅもどんどんやりましょう」とか、お互いに現実を見ずにやっていて。
そこで冷静に交渉をして、何十年かかっても、日本は原発のリスクをすでに背負ってしまった国ですので、向き合わなければいけないのかと。
そんなことを1メディアというか、日本のメディアに全部お任せすることはできないにしても、そういう流れに向けて、ちょっとずつやっていくにはどんな手立てがあるのかを、ちょっとお聞きしたいです。
開沼:すごい細かい話になってしまいますけども、小さな成功プロセス、小さな運用がうまくいったプロセスの積み重ねでしかないと思っています。例えば、新潟や福井、東海村などでは推進・反対を越えて、いかに安全性の確保や地域の将来像を確かなものとするのかという議論の場が生まれてきたりもしている。
ただ、その小さな運用すらもかき消すほどに、日本全体の原発推進・反対の二項対立議論は厳しい、震災以前よりも厳しくなっている。そんな中で、今お話に出た廃棄物処分は一つの突破口になるんじゃないかと思います。
どういうことかというと、原発推進か反対か再稼働を容認するか否か、放射線をどうとらえるかという価値観の違いはもはや埋めがたい部分、諦めなければならない範囲は確実にあると思っています。そこを埋めるための努力はある程度諦める部分も必要だと考えています。
ただ、そんな中で、ごみの問題は、いかなる立場であっても、共有できる価値観がありえる。それは、後の世代に負担させちゃだめだろうという倫理感です。対立していればいるほど、後の世代にゴミを負担させることになる。それを避けなければという価値観は、ある一定程度は同意できるだろうと。
原発の是非や放射線への感覚に対する立場を問わずに、落としどころを見つけようという話。とりあえずそこでならし運転をできる限りしていきながら、他の問題についても、合意形成や安全確保に向けた議論を少しずつはじめていくというのが現時点で見えている方法論かなと思います。
武田:廃棄物問題も3・11以前であれば、反対派も推進派も実は解決しないほうが得だった。反対派にしてみればその問題を指摘することによって、核政策を批判できるメリットがあったし、推進派のほうはこの問題に踏み込むと何か言われますから本音では踏み込みたくなかった。踏み込まずにも、使用済み燃料は核サイクルで使うので再処理に出しておけばいいとか、低レベル廃棄物はサイトの中に置いておけばいいとか、処分を先延ばしできる余裕があった。で、結局どちらも最終処分は先送りにしていたほうが良かった。
この後も、ずっとうやむやにしていく選択もないわけではないと思います。でも原発事故で廃棄物量が急増したし、今後は廃炉も進むだろうし、で、処分に踏み切る時期が熟してきた感がある。
でも踏み出せますかね。相当に強引な手法になるとは思いますが、最終処分地が政治的に定められてしまえば、原発に反対する大きな根拠がなくなる。トイレなきマンションといえなくなることで不利になるのは反対派なので、絶対にゼロリスクにならない問題を指摘してトイレを作らせないのではないか。
しかし最終処分できずに中間貯蔵される廃棄物がどんどん増えてゆくのが安全だとは絶対に言えないわけで、ここも「囚人のジレンマ」的な構図になってしまいます。
開沼さんもおっしゃるように、処分に踏み切ることは、今後の流れを変えるキーになる可能性があると思います。リスクを増やしてしまう均衡状態で膠着するのではなく、総リスクを減らせる合意点が見いだせればいいですが。
質問者3:ただ、それだけの議論を冷静にして、問題点を考えたり、それについて話し合う場所そのものを、どうやって作ってきたらいいんだろうとは思うんです。今は結論ありきになってしまっていて、出発していない感じがするんです。
武田:それは日本の民主主義の問題ですね。いろいろ考えたいと思います。
開沼:本当に、日本の民主主義の問題と思います。付け加えると、本の中で細かく触れた話ですが、食べ物の放射線の問題について見えてきたことがありまして。それは、結論ありきの人は議論の前提から抜くということですね。結論ありきの人にとっては議論しても結論は変わらないし、多様な意見が出れば出るほど自らの結論にとってはノイズにしかならずストレスになり得るから他の意見を排除・抑圧しようという志向になる。
一見、民主的ではありませんが、そうしないと民主主義が成立しないのである程度の条件を議論につける。それを通して民主主義を確保することも必要。本の中では「限定的な相対主義」という言葉で言ってますけれども。
もう、福島のものを死んでも食べない、0ベクレルでも食べたくない人がいる。一方で、事故直後から一切気にしてませんという人もいる。統計を取ると両端で大体2割2割出るんです。
じゃあ、真ん中の6割でどうするかを冷静に言っていかないと。この両極端の2割と2割がずっとお互いどやし合っていてもしょうがない話なんで。まずこの6割の人たちが当面の民主的な議論を進める前提でのお客さんなんですという話をするべきだと思っています。
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