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三沢光晴さん弔辞(全1記事)

【全文】三沢光晴さんへ送られた徳光和夫さんの弔辞「男の強さは優しさであり、勇気であると教えてくれた」

2009年6月13日、試合中の事故で急逝したプロレスリング・ノアの三沢光晴さん。同年7月4日に行なわれたお別れ会にて、徳光和夫さんから送られた弔辞の全文書き起こしです。プロレスラーであり、指導者であり、そして一人の男でもあった三沢光晴さんの魅力を改めて振り返ります。

我が国にとってもかけがえのない一人のリーダーを失った悲報

徳光和夫氏:謹んで哀悼の意を評させていただきます。

三沢光晴さん。さぞ、ご無念でしょう。なぜならば、君が描いていた志半ばで召されたからです。

「格闘家たるもの、リングで散ることも辞さざる得ない危険と背中合わせのもの。それを職業として選択したのだから危険に耐えうる体づくりをしなければいけない」

常日頃、君は若手レスラーにそう語っていたそうですが、三沢さん、あなたは一方で、事故などでリングに上がれなくなったレスラーのためのセカンドキャリアの道を着実に作り始めていました。

三沢光晴ならばスポンサーになろうという方々の支持を得て、レスラーが第二の人生を踏み出すための礎を築き始めていた矢先の、あまりにも悲しい不幸でした。

思えば君ほど私利私欲を考えずプロレス界のために、人のために尽くした人はいないと思います。君が他界した報道は、驚くほどマスメディアで取り上げられ、三沢光晴を知らない人の多くの人までもが君の人柄・足跡を知り、プロレス界だけではなく、我が国にとってもかけがえのない一人のリーダーを失った悲報と受け止められました。

私が担当しております情報番組の反響もかつてないほどで「ぜひ再放送を」という声もしきりでした。それはひとえに君の誠実な生き方がプロレスファンだけではなく、同世代の者、子を持つ親などの心を捉えたからに他なりません。

先日オバマ大統領が、「今程度の景気回復では弱者にとってはなんの役にも立たない」という、そんなコメントを聞きながら、そのリーダーシップ性が君と重なりました。君は、常に自分より恵まれない人、そういった人に目を向け、手を差し伸べてこられました。

個人的なことですが、私の愚息が自らの進路を失い模索しておりましたときに、あなたと出会い、あなたからいただいた言葉、「自分を知って自分を信じて身の丈を大きくしていけ」このわかりやすく深い一語が、息子をして道標を見出すに至りました。両親として私達は彼への助言が見つからない時だけあっただけに、感謝して余りあるものがございます。

息子から聞いた話では、あなたは怪我をしてリングに上がれなくなったレスラーにスポーツトレーナーとしての道を歩ませるために学校に通わせたり、レスラーのための生命保険づくりにあたったり、筋の通らないことをすると電話をしてその者を叱ったり、決して大きなこと大言壮語を吐くことなく、相手のことを思い、的確なアドバイスをしてくれたという声が、あちこちから聞こえてきます。

三沢光晴という指導者

嘘をつかない。人の誤りをきちんと正す。そして私腹を肥やさない。それが三沢光晴さんです。

私が初めて君に会ったのは入門のときでした。アマレス出身の細身の体型で、将来これほどまでのレスラーになろうとは、当時は思いませんでした。しかし当時から、リングに上がると前座レスラーにも関わらず、仕掛ける技も受け身も大胆で、何よりもレスリングが好きでたまらないという若者でした。

やがて君にとっては不本意な時間だったでしょうが、タイガーマスク時代には、ミル・マスカラス顔負けの空中殺法で魅了し、マスクを取り、三沢光晴として再び姿を現したとき、その胸板の厚さ、首の太さ、大腿部のたくましさ、押しも押されもせぬメインイベンターの体になっていました。

世界一タフで、世界一受け身の上手い、加えてスケールの大きい技の仕掛け方、それを可能にする肉体をつくり上げるためにどれほどまでにトレーニングを重ねたか、計り知れないものがございます。

思えばそのころから君は、将来のリーダー・指導者を見据えて、自らを鍛えぬいていたのではないでしょうか。君は常に仲間と共に練習に励み、仲間の帰った後もそれを続けていました。その姿勢は40代を過ぎても変わりませんでした。

三沢光晴という稀代のダイナミックなレスラーを見たいがためにお客さんが来てくれる。それを裏切ってはいけない。それゆえに過剰と思える練習を自らに強いる。

しかし一方では、確実に年齢は積み重なっていく。大きな動きを見せるにはより練習量を多くしなければならない。その繰り返し。

三沢君、あなたの肉体は、相当傷んでいたのではないでしょうか。

四角いマットに自由と信念を刻み込んだレスラー

男の強さは優しさであり、勇気であると身を持って教えてくれた三沢さん。こうしたレスラー・三沢光晴であったからこそ、ノアの旗揚げの時にあれほど多くのレスラーがあなたに人生を預けたのです。

今君が最も案じているのは、ノアと今度のプロレス界の統一のこと。君はよく世間に向け、「プロレスは実におもしろく、深いスポーツ。ぜひ一人でも多くの人に会場に足を運んでもらい、生で見てもらいたい。多くの人がプロレスの魅力の虜になるであろう」と語りかけていました。

これを三沢光晴の遺志としっかり受け止め、ノアの選手たち、ノアの会社の人たち、各団体のレスラーたちが、既に歩み始めています。

もちろん、その中には斎藤彰俊選手も入っています。正直彼はまだ傷心であり、心痛は癒えていないと思います。しかし、三沢さんのことだから「斎藤、お前のレスリングを貫け! そしてもっと大きな斎藤になれ!」と天国から檄を飛ばしていることでありましょう。

三沢さん、今私たちの前にあります君の遺影は、まさにレスラー、チャンピオンの三沢光晴であります。

しかし先般、密葬のとき、その遺影はエメラルドグリーンのレーシングスーツに身を包んだ君でした。ノアを旗揚げした後、唯一の趣味、車のA級ライセンスを取得いたしましたが、その時の、照れているけれども誇らしげな三沢光晴の笑顔。それが密葬の時の遺影でした。

おそらくこれは、最愛の人のために、レスラーからも、指導者、経営者からも、もしかすると家庭からも解放させてあげたい。そんな思いでまゆみ夫人が選んだ1枚だったんではないでしょうか。

そのまゆみさんとあなたのDNAをしっかり受け継いだ二人のお子さんの行く末も、三沢さん、しっかり見守ってやってください。

最後になりますが、世間一般からしてみれば、君より著名な先輩レスラーは何人もいますが、真のプロレスファンにとって最も熱い想いと思い出をつくってくれたのは、三沢光晴さん、あなたをおいて他にはおりません。

四角いマットに自由と信念を刻み込んだ、永遠なる、そして偉大なるレスラー三沢光晴さん、安らかにご冥福をお祈り致します。

心の友と書いてしんゆう、徳光和夫。

Photo by Adam Etheridge (CC-BY-SA-3.0)

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