
2025.02.06
ポンコツ期、孤独期、成果独り占め期を経て… サイボウズのプロマネが振り返る、マネージャーの成長の「4フェーズ」
漫画家ヤマザキマリさん トークイベント(全1記事)
リンクをコピー
記事をブックマーク
ヤマザキマリ氏:まず、ここに来て一番最初に感じた印象が「よくこれだけのボッティチェリを集めたな」ということ。
なにせ私がこのボッティチェリの絵を見ていた時期というのが、非常に貧しかった、フィレンツェで貧乏学生をしていた時期で、家にいる時以外は美術館に来て模写をしているとか、絵を見ている時間が長かったわけですよね。
だから、後ろの受胎告知であったりとか、ウフィッツィ美術館にあるような絵を見ていると「ああ、今から電気もガスも水道も通っていない家に帰るの嫌だなぁ」みたいな気持ちがふと蘇ってきて、不思議な効果だなと思いました。ここが渋谷のBunkamuraじゃないみたいな。そんな錯覚に陥りました。
ご紹介をいただいた通り、私は漫画家という職業をしておりますが、もともと1984年から1997年までフィレンツェにおりまして、そこのアカデミア美術学院というところで油絵をやっておりました。
そんなフィレンツェという町でまさか、その当時は将来漫画家という職業に転職というか、転職という言い方はおかしいですけど、ペンを持ち替える日が来るとは全く想像していなかったんですけど。
漫画家になってまず思ったことは、経済的に非常に裕福だった、ルネサンス期の画家の工房がたくさん存在したフィレンツェと、漫画という文化が活発な今の日本との状況との類似点ですね。ほんとにそっくりだなと思いました。
ボッティチェリに関して、私はいくつか先生に模写をさせられてまして。もともと専攻していたのが写実の人物画ということもあって。とくに北欧の作家が多かったんですけど。
「ボッティチェリをやってみろ」と言われて、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』を遠近法の寸法を計って、まんま転写してみるということをしてみましたけども。ものすごい時間がかかりました。
でも、その画家のことを一番よく知るには模写が一番なんですね。その画家がどういう顔料を使っていたとか、どういうテクニックを使っていたとか、どうしてこういう構図にしたんだろう、どうしてこういう顔なんだろう。
ボッティチェリに関しては、何枚か模写していくし、私の描く顔もだんだんボッティチェリみたいになっていったんですけど。
ボッティチェリは後々メディチ家から寵愛を……。寵愛っていうか飲み友? はっきり言ってパトロンと画家の関係というのは。
ボッティチェリはすごい酒飲みみたいだったし、すごいだらしない男の部分もあったみたいですよ。でも、いい意味でだらしなかったんですね。それは非常におおらかで。
例えば、1つの絵を描くことによってお金が入りますよね。そういったお金を全部工房のザルの中に入れておくんですって。
それで、画家の弟子たちに「(お金)いるんだったら、ここから使っていいよ」みたいな感じで、どんどんそこからお金を取らせていたりとか、とにかくおしゃべりが上手で、絵も上手だし、考えていることも楽しいし、しかも大酒飲みだし、ご飯も大好きだし。
ちょっと太めだったらしいんですけど、オシャレだった。
ボッティチェリはたまに全身の自画像を描いていたりしますけど、一人だけ目立つ服装を着ていたりとか。こんなところで自己主張しちゃって、みたいなね。
でも、そういう面からしてあの当時賞賛されていた万能人。よくレオナルド・ダヴィンチばかりが万能人としてスポットを浴びるけれども、レオナルドはこう言っちゃなんですが、すごくマニアックなところがありますよね。
でもボッティチェリは時代の風潮にきちんと溶け込んでいけてる。周りとも合わせる、自分の思想も持っている。だけどそこは多元的でフレキシブルに対応できていく、マルチタスクな感じの男性だったんじゃないかなと思います。
そんな彼が頭角を現していって、有名になる直前の絵っていうのもいくつかあるんですけど。
彼が21歳ぐらいの時に描いた、フィリッポ・リッピの工房にいた時の絵っていうのがあって、それがまだボッティチェリの絵ともフィリッポ・リッピの絵とも判別がつかない、これ誰の絵!? っていう感じの絵ですごいおもしろかったんですけど。
これは後で皆さんよーく見ていただければ、なんとなくわかると思うんですけど。
ボッティチェリの絵っていうのは今回のテーマでも扱ったように、輪郭線を描くんですね。
スフマート(ぼかし)画法っていうのは、後のラファエロでありミケランジェロの時にどんどん主流化していきますけど。
私が模写をしている時に気がついたんですけど、薄くですが、ボッティチェリは輪郭線を描くことによってよりリアルに、具体的にその対象物が浮かんでくるっていう画法を生み出した人なんですね。
でもそれを誰も真似してなくて、ボッティチェリしかやってないんですけど。その点がなんだか2次元的で漫画的であり、我々日本絵画をやっている人間には「ああなるほどな」と思わせる点があるんですけど。
それによって妙な3D感は出ないんだけど、3D感は出ていながら、2次元的な不思議なイメージが湧いてくるというか。それは留意して見ていただいてもいいのかなと。
これはですね『開廊の聖母』という名前がついてますが、まだボッティチェリが21歳ぐらいの時の。
顔がすごい綺麗なんです。美しいですよ。まだ「俺スタイル」っていうのが確立していない時のボッティチェリの絵で、あんまり見かけることないですね。
そこにある『キリストの降誕』ですね、キリストが生まれる時なんですけど。なんでその絵がいいかっていうと、キリストが本当は主人公じゃないですか。でもまるで中心にいるロバと牛が……。
(会場笑)
主人公みたいな絵ですよね。そのロバと牛がとてもいい顔をしていて。
動物がサイドに脇役として描かれることはあるんですけど、こんな真ん中にどかんとしてる絵はなかなかないんで。非常に自然との調和であり、慈愛であり、キリスト教的な隔たりのない、愛っていうものが全体的に優しい感じで伝わってくる絵だなぁというふうに思いますね。
フィレンツェっていうのは都市ですから、街中にいる限り今の東京の都心にいるのと同じようにあんまり自然と接する機会が無い場所なんで。
だからああいう絵を見るとほっとする人たちもいたんじゃないかなというふうに思います。
もう1つのテーマとして、経済と絵画のつながりに関しては、経済が潤わなければやっぱりいろんな文化っていうのは発達していかない。
困窮している中で絵を描けって言われても無理っていうのは、私は自分の身をもって知りましたが、でも最終的に困窮しているからこそできあがるものもあり、締切というものに追われているからこそ生み出す想像力っていうのもあるんですね。
だから、わーっとたくさん描いていく中で、そういう状況でしか生まれてこない作品も当然あると。
その話が合うのは、今の漫画家とルネサンスの作家同士だけ。ほんと、タイムスリップして交流できたらいいなと思うんですけど。
「でもお前たちペナルティ払わないだけいいじゃないか」と言われそうですけど。
本当に世知辛く、みんな昔の画家工房の帳簿とか残ってるんですね。国立博物館に行くと。
するとね、皮算用してるんですよ。今からまだ払われてもいないお金を計算して、これであれ買ってこれ買ってってやっているから。「やめたほうがいいのに……」って。
(会場笑)
どうなったかはわかりませんけど。すごい情けないような、おもしろいような、素敵なような、不思議な感覚に陥ります。
でも、そんな中でフィレンツェっていうのがどれだけ経済力を持っていたか。ちょっと違うかもしれないけど、今のイタリアにドバイがあったような。シンガポールがあったような。
シンガポールなんて今たくさん海外から買い付けにきて、キュレーターも素晴らしい人がたくさんいるし、ただやっぱり絵画がもたらす経済力っていうのは、いいものをどんどん取り込んでいくから、やっぱりどこかで破綻の時がくるかもわからない。
フィレンツェっていうのはそういう時期もしっかりと迎え入れて、サヴォナローラという開祖といわれた人が出てきて。
古代ローマもそうですけど、どんな時代にも必ず何もかも絶好調にいってる時点で本当に人々は「これでいいのだろうか」と。
経済が潤っている反面で、必ず底辺のほうにいる人たちも明らかに存在するわけですから。そういった人たちの怨嗟であったりとか、怨恨であったりとか、そういうものをないがしろにできない。
そこから派生してくる僧侶もいれば、宗教的思想もあるということで。ボッティチェリに限らずいろんな人がサヴォナローラという人の思想に巻き込まれていって。
これだけ美しい色彩でいろんなものを彩豊かに描いたものがそこにどんどん吸収されていって、やがては自分の絵までいっしょになって「こんな絵を描いた俺ってばかやろう」みたいな感じで焼いてしまったりとかするぐらいの影響力があった。
それぐらいお金っていうのは、非常に影響力も強ければ、無くなったとたんに人っていうのは茫然自失になるぐらい危険なものであるということを、ルネサンスを学んでいると感じるところがあります。
ところで、いろいろボッティチェリの絵もおもしろいんですけど、最初のほうにあった高利貸しの人の絵。あとで見るといいと思うんですけど。
あれ素晴らしいですね。とくに右側にいる人の口の釣り上がり方が! 漫画でしょこれ!?
漫画でしかやっちゃいけない表現を絵画でやっちゃってるよっていう。
でもあれだけ高利貸しっていうのは、こすい人たちだったんだなと。
ちなみに今、こういう話題だから自慢をしたいことが1つあって、私は貧乏でしたと。
フィレンツェで実は、バンカ・モンテ・ディ・ペイニという、創業1100何十年という質屋銀行があったんですね、そこからずっと続いてて、そこにものを持っていくとお金と取り替えてくれるんですけど。
たくさんの私のいろんなものがそこで流れました(笑)。
もうそれは長きにわたって、ルネサンスの人たちがやっていたのと自分も同じことをやっているんだなと思ったら、流れたものも悔しくないなっていう気持ちを今、なぜかここに来て感じるものがありました。
関連タグ:
2025.02.06
すかいらーく創業者が、社長を辞めて75歳で再起業したわけ “あえて長居させるコーヒー店”の経営に込めるこだわり
2025.02.03
「昔は富豪的プログラミングなんてできなかった」 21歳で「2ちゃんねる」を生んだひろゆき氏が語る開発の裏側
2025.02.03
手帳に書くだけで心が整うメンタルケアのコツ イライラ、モヤモヤ、落ち込んだ時の手帳の使い方
2025.01.30
2月の立春までにやっておきたい手帳術 「スケジュール管理」を超えた、理想や夢を現実にする手帳の使い方
2025.02.04
日本企業にありがちな「生産性の低さ」の原因 メーカーの「ちょっとした改善」で勝負が決まる仕組みの落とし穴
2025.02.05
「納得しないと動けない部下」を変える3つのステップとは マネージャーの悩みを解消する会話のテクニック
PR | 2025.02.07
プロジェクトマネージャーは「無理ゲーを攻略するプレイヤー」 仕事を任せられない管理職のためのマネジメントの秘訣
2025.01.29
社内会議は「パワポ」よりも「ドキュメントの黙読」が良い理由 Amazon元本社PMが5つのポイントで教える、資料の書き方
2025.01.31
古い手帳から新しい手帳への繰り越し方 手帳を買い換えたら最初に書き込むポイント
2025.01.07
1月から始めたい「日記」を書く習慣 ビジネスパーソンにおすすめな3つの理由