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「AIに仕事を奪われる」ってほんと? 松田雄馬さんと〝身体のない人工知能〟を考える (全8記事)

古い写真や音楽で「当時の情景」が一気に蘇るのは、なぜ? 残りやすく感情に引きずられやすい、身体を伴う“重い記憶”

「AIに仕事を奪われるのでは?」「人間はもっと創造的な仕事をするべきだ」……と、自分の仕事がなくなる不安を感じさせる言葉が、世の中にはあふれています。しかし、人工知能の専門家・松田雄馬氏は「AIは意外とポンコツですし、人は生きているだけで創造的です。AIのことをよく知って、仲良くしてあげてくださいね」と笑います。そこで今回、同氏が登壇したイベント「『AIに仕事を奪われる』ってほんと? 松田雄馬さんと〝身体のない人工知能〟を考える」の模様を公開。「人間を人間たらしめているものは何か」を問い続けている松田氏とともに、身体を持つ人間とテクノロジーの向き合い方を考えましょう。

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「生存脳」と「社会脳」

松田雄馬氏:実は「身体の中での主体性」がどれだけ大事かがわかると、なんと「記憶の重さ」もだんだんわかってくる。徐々にクライマックスに近づいてくるので、そのへんのお話をどんどんしていきたいと思います。

私たちはたった1つの細胞から成長し、知能を持つ人間になった。赤ちゃんが体を持って成長して、体を使っていろんなことを経験しますと言いましたけど、そもそも大事なことは、たった1つの細胞が2つに、4つに分かれて、知能を持つに至ったところなんですね。どんなふうにして知能を得たのだろう? というところが非常に重要になってくるので、改めてスライドを作ってみました。

冒頭で脳のお話をしましたけど、もう一歩深掘りしていきたいなと思います。脳はざっくりこんな構造になっていると言われています。「生存脳」「社会脳」と言われるんですけど、体に張り巡らされている神経は、生存脳と言われます。「生き物が生きていく上で必要な最低限の脳」みたいなイメージで、これがあれば生きていけるワケですよ。

その上に「より社会の中で豊かに生きていく」ことをサポートするために、社会脳がつくられたと言われています。成長のプロセスで言うと、生存脳のいちばん下。「反射」で生きているのが爬虫類。爬虫類が少し進化して、哺乳類原脳。哺乳類の中でも社会脳ではない、生存脳を主に使っているような動物ですね。反射に加えて「情動、感情」を持つようになったという感じです。

その上に社会脳があるんですけど、それがお猿さん、霊長類の脳と言われます。そこでようやく動物的なだけではなく「理性」を持つようになって、群れの中で生きるみたいに、社会の中で生きられるようになったと言われています。

認知症の人が記憶を失っていくプロセス

(反射、情動、理性の)3つの脳の進化が非常にキーになってくるんですけれども、実はこれで「意識」の説明ができたりするとも言われています。

ごちゃごちゃと言葉を書いてるんですけど、爬虫類が哺乳類になり、霊長類になりというプロセスの中で何が起こったかというと、最初は「自分が存在している」こと、そのものだったりするわけですよ。そこに「今、ここの自己」なんて言われます。それで、一番上に「物語、あなたと私」がくっついてくると言われます。ちょっと小難しい話になってきましたけど。

病気のお話なのでセンシティブなんですけど、例えばアルツハイマー病とか認知症の方々は記憶を失っていくプロセスがあるんですね。実はこちら側(スライドの上側)からなんですよ。

最初は「物語、あなたと私」。要は「昨日の自分と今日の自分が同じ」ということがわからない。「さっきご飯食べたっけ?」というのを忘れてしまうのは、まさにそのようなワケですね。そこから徐々に「今、ここの自分自身」も失われて、最後に「存在そのもの」が失われてしまうと言われています。

なので、なるべく「今の記憶と昨日の記憶が同じ」ということを認識させようとやっちゃいがちなんだけど、実は違っていて。ケアすべき順は発達していく順であり、意味的なものと言われます。

「そこに存在している」こと自体を受け入れてあげよう。その上で「今、ここにいる自分」を受け入れてあげよう。最後に「昨日の自分と今日の自分」、それから「あなたと私」という関係を受け入れてあげようっていうふうにすると、徐々に記憶が戻っていくと言われています。

「意味」と「記号」のセットで、脳はものを認識している

先ほど「記憶には重い・軽いという話があるんだよ」とお話ししましたけど、まさにこの下の部分がすごく重い部分で、上の部分が軽い部分だったりするんです。そのへんのお話をもうちょっと、脳の観点から深彫りしていきたいと思います。

例えば視覚野。ものを見る時に使う脳がこのへんにあるんですけど……ちょっとよくわかんないですよね。これはヘルメットの後ろ側ですね。網膜に映された映像が、ぴゃーっと後ろ側にいくんですよ。見たものそのものはここ(脳の後ろ側)に映されて、徐々に脳全体に広がっていくようなイメージなんですけど。

実は「見たもの」が情報として伝達されていくプロセスが、大きく分けて2つあると言われています。この黒と白の経路なんですけど。例えばボールが飛んでくるとする。ボールが飛んでくる時に「野球のボールで、しかも硬球が飛んでくるなぁ。縫い目がこんな感じだな」なんて思わないですよね。普通に考えてボールが飛んできたら「やべぇ、逃げないと!」みたいになる。それが上側の「動きの経路」なんですね。

一方で、先ほど言ったような「今のボール、野球のボールだったじゃん」みたいに、けっこう分析的に形そのものを見る。これが下の「形を見る経路」と言われています。

「ものを見る」ことには「動き」と「形」の2つの経路があります。これは感情的な部分と記号的な部分、つまり(飛んでくるボールが)自分にとってやばいものっていう「自分にとっての意味」。それから「一般的にいうと丸い形をしていて、野球で使われるもので……」みたいな、すごく分析的な「形」の部分。

こういうふうに「意味的なもの」と、記号として分析する「記号的なもの」、「意味」と「記号」という2つのセットで、脳はものを認識していると言われています。

「意味の理解」と「記号の処理」と、いわゆるサイクリック(循環的)なこの2つがあって初めて、自分にとっての意味になるので。身体を持つ意味はまさに、この2つが同じものだと理解しながら、自分の身体に染み込ませていくことなんです。

これで言うと、記号がピラミッドの上のほうで、数値化しやすいから説明しやすいワケですよ。かつ刹那的な感情に訴えるけれども、記憶には残りづらい。「数字のことなんてすぐ忘れちゃうよね」みたいなところだったりします。

写真や音楽でフラッシュバックする「重い記憶」

一方で意味の理解という、さっきの「やべぇ!」みたいなことは、身体を伴うので深い感情に訴えてきます。記憶にも残りやすいし、逆に言うと感情に引きずられやすい。「すごく自分にとって大事なことなんだよ」みたいな感じで、もはや理屈じゃないところにも関係してくるので、厄介と言えば厄介だったりします。

いろんな写真や情景を見たり、音楽を聴いたり匂いを嗅いだりとか、その時のそよ風みたいなものを感じると、フラッシュバックじゃないですけど、その時の記憶が全部蘇ってくるような経験があるかと思います。

すごく重い記憶は、その時に身体で経験したいろんな情報とともに思い出す。忘れにくいような性質があったりもするんです。逆に、先ほどお話ししたように感情に訴えかけるので、すごく縛られやすく、ある種のマイナスの側面みたいなこともあったりします。

実は記憶には「重い記憶」と「軽い記憶」があって、それぞれがサイクリックに関係していることが、すごく大事なことだったりします。

記憶の重さというのは、私たちが身体を伴って成長してきた何よりの証拠でもある。要は、AIって記号しか扱えないんで「重い・軽い」はないんですよ。身体を持ってないので、そもそも概念すらなかったりもします。

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