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元PlayStationジャパンスタジオの代表に聞く! クリエイター人生で一番おもしろかったプロジェクトは?!(全5記事)

PSソフト『どこでもいっしょ』を生んだ、名プロジェクトの舞台裏 入社初日に与えられた「素人にゲームを作らせたい」という指令

ゲーム業界で仕事をしているデザイナー、プランナー、エンジニアなどのクリエイター向けに、キャリアデザインをテーマに実施するセミナーイベント「クリエイターヒストリア」。業界で成功を納めているクリエイターは、今までどのようなキャリアを歩んで行ったんだろう……? という、現在に至るまでの努力や道のり、人生の転機など、その歴史に迫っていきます。本記事では、名作『ときめきメモリアル』『どこでもいっしょ』などをプロデュースし、PlayStationのジャパンスタジオ長を経験された桐田富和氏をゲストに迎え、ゲーム業界歴40年の歴史を紐解きます。

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「桐田さん、実は今日は面接なんだ」でSCEに入社

宮田:では、次のヒストリーポイントに移ります。

ここから次の会社に移られるというところで。開発部署の責任者になって、いろいろトライされたあとに、一区切りついたというところで。ソニー・コンピュータエンタテインメント(以下、SCE)さんに転職されていますね。

桐田:そうですね。そういう意味で言うと、在庫も作ってしまったし、それ以外にも会社に迷惑をかけた部分もあったので。もうそろそろ次のステップも含めて、1回会社を辞めようかなって決めて。まずは辞めると宣言して、2週間後くらいに辞めて、そのあとにどうしようかなと考えて。

宮田:のんびりして。

桐田:そうです、のんびりして。

宮田:だいたい何歳ぐらいの時ですか?

桐田:34〜35歳かな。

宮田:ゲーム業界でも10年以上やって、一番脂が乗っているタイミングですよね。

桐田:脂が乗っているかどうかはわかんないですけど(笑)。

宮田:(笑)。

桐田:「後先考えずに決めて動いちゃった」みたいな感じかもしれないですけどね。

宮田:そこでSCEさんに入社するワケですが、あちらから声があった感じですか?

桐田:いえいえ、そんなのじゃなくて。私はセガ向けの開発責任者でしたが、セガさんの窓口の業務担当をされていた方がSCEに転職されていたんですよ。

僕がコナミを辞めた後にその方から連絡があって。「久しぶりに会いましょうよ〜。ぜひSCEに挨拶しに来てよ〜」みたいな感じで。「あぁ、わかった行くよ」とか言って。12月の中旬か下旬ぐらいに青山のオフィスに行ったら、なぜかまったく面識のない人が隣りに座っていて。「久しぶり」って言いつつ、向こうから「桐田さん、実は今日は面接なんだ」って言われて。

宮田:いきなりですね(笑)。

桐田:いや、そのつもりで来てないんですけど……みたいなところからいろいろ話をしたら、横にいらっしゃった方が、取締役で制作部の部長もやられてた方で。

いろいろ話をしていくと「桐田さん次はどこの会社に行くの?」って話になって。「まだなにも決めてません」って話をしたんです。その月、12月3日にPlayStationが発売されていて。そうしたら取締役の方から「PlayStationが成功するか分かんないけど、来たければ来てもいいよ」みたいなことを言われたんですよ。

宮田:(笑)。

桐田:「いきなり?」って感じだったんですが「おもしろいなこの会社」と思って。「じゃあ考えさせてもらいます」ってことで、年明けまでいろいろ考えていた経緯があったんです。

実は同時期に受けていた、セガの面接

宮田:なるほどですね。時を同じくして、実はセガさん側からも話があったみたいな。

桐田:セガさん側からもお話があって、面接も受けさせていただいたんですけど。やっぱり僕の中では「違うかな」と思って。向こうもたぶん「違うな」と思ってたと思うんですけど。

宮田:逆に言えばそこは分岐点と言いますか。当時の二大次世代機のライバル争いしてるところなので、おもしろい話だなと思って。逆にセガさんに入られてたらどうなってたんだろう、みたいな(笑)。

桐田:そうですよね(笑)。

宮田:歴史が変わってたかもしれないですね。

桐田:いえいえ、そんなことはないと思います。どっちが覇権を握るかっていうのは、その段階で僕はわかんなかったですよ、正直言って。

宮田:そうですよね。僕も1ユーザーとして、ぜんぜんわかんなかったです。僕はその次世代競争の時に学生だったんですけど、3DOを買った派だったんで(笑)。

桐田:なるほど、3DOですか(笑)。

宮田:セガだったりPlayStationがあんなに大きくなることは、ぜんぜん見えてなかったので。

桐田:そうですよね。それで1月の中旬ぐらいに「とりあえずおもしろそうだから入ってみようかな」って思って「お世話になります」と電話で連絡して。

「じゃあいつから来る?」って言われたので「じゃあ3月1日ぐらいに行きます」と。社会人になって初めての長期休暇をとりました。休暇じゃないですけど(笑)。

宮田:(笑)。

桐田:「いろいろエンジョイしたいので」ということでお話をして。でも直前の1週間ぐらい前になると「もうちょっと休みたいな……」と思って。

宮田:(笑)。

桐田:それで入社日を3月16日に延ばしていただいて。そこからSCEに入社した感じですね。

入社初日に与えられた「素人にゲームを作らせたい」という指令

宮田:本当にPlayStationの立ち上げ期みたいなところですよね。

桐田:そうですね。

宮田:今でこそPlayStationがあるSCEですけど、ゴリゴリのゲーム会社ってイメージはあるじゃないですか。当時は、ソニーさんのアーティストのチームや、ソニー・ミュージックさんの人たちがメインでいらっしゃったんですよね。

桐田:そうですね。ゲームソフト側の部隊は、ソニー・ミュージックの出身の方が多かったですね。

宮田:なので考え方がすごく違っていたと。(スライドを指して)ここに書いてあるんですけれど、最初に渡されたミッションというのが「アマチュアにゲームを作らせたい」「アマチュアでゲームを作りたい」みたいな話があったそうで。

桐田:(笑)。

宮田:最初に聞いた時は驚いた、みたいな話をされてましたね。

桐田:そりゃ驚きますよ。だってプロ集団の中でやってたんで。「素人がゲーム作れるワケないじゃん」って。

宮田:(笑)。

桐田:転職して出社したその日に「桐田くんね、素人にゲーム作らせたいんだよね。考えて」って言われて。入社した当日ですよ。「当日にそんな言われてもなぁ……入る前に言ってくれたら、この会社来なかったのに……」と思いながら。

宮田:(笑)。

桐田:まぁでも言われた以上は、すぐ辞めるというワケにもいかずで(笑)。「わかりました、ちょっと時間ください」って伝えて、1ヶ月半ぐらい時間いただいたと記憶してます。。

宮田:なるほど。それで「ゲームやろうぜ!」が生まれていく感じですよね。実際に「ゲームやろうぜ!」のプロジェクト自体はかなり大成功で。そこから本当に、新しいゲーム作りのデベロッパーさんやパブリッシャーさんが生まれていったという結果で。

ここにも書いてあるとおり『XI[sai]』だったり『どこでもいっしょ』などのヒットタイトルが生まれていくきっかけになったわけですよね。

桐田:そうですね。当時は今と違って、ゲームを作るにしても開発環境や場所や機材だったりのイニシャルコストって高かったので。ゲームを作りたくてもなかなか自前ではできないので、ちゃんとサポートする体制を作っていこう! ということがあってスタートしました。

大成功プロジェクトの裏にあった、地道なトライと努力

宮田:なるほどですね。最初は「素人にゲーム作るなんて無理じゃないか」って考えられていたと思うんですけど、実際やっていく中で考え方が変わっていった感じですか?

桐田:「どうしてそういう発想になったのかな……」って考えたんですけど、やっぱりソニー・ミュージックって「アーティストをゼロから発掘して育てていく」というカルチャーがあるんですよね。

宮田:そうですよね。

桐田:なので「ゲームの世界でもそういうメソッドを取り入れたいんだな」っていうことが改めてわかって「それもアリかもな」と思ったのもありました。でもやっぱり環境的に、素人にいきなり曲を歌ってもらうのとは違っていて。

まず、ゲームの開発環境を揃えることってなかなかできていなかった。でも、開発機材とかを整えてあげれば、才能ある人はいろんなチャレンジしてくれるかなと思って。それで全国オーディションを立ち上げて実施したんです。

宮田:そのオーディションも「SCEが『ゲームやろうぜ!』を立ち上げたから、各所から集まってくる」というより、桐田さんがいろんな学校さんにお話をしに行ったりとか。かなり泥臭い動きをやられたみたいな話を聞いていて(笑)。

桐田:要はオーディションの企画を考える時に「クリエイターとなりえる人たちや、素人のゲームに興味を持っている人たちはどこにいるんだろう?」と考えた時に、大学の情報工学系の学生に来てもらう感じがいいなと思って。

やっぱりプログラマーがいなきゃいけないし、グラフィックデザイナーもいなきゃいけないし、プランナーも必要になる。でもやっぱり、プログラムを書ける人がいないとゲームはできないので。

そう考えていたので、全国の大学を全部調べ上げて、情報工学系の教授にアポイントを取って「実はSCEがこういうプロジェクトを動かすので、学生に紹介してください。もしくは学生に興味を持ってもらったら後押ししてください」みたいな営業というか。話をして回って。ほぼ全都道府県の大学を回っていった感じなんですよね。

宮田:なるほどですね。

桐田:それでエントリーしてもらった学生には「開発環境を提供するから一緒にやろうよ」みたい感じで伝えて。とはいえ、まずはオーディションにエントリーしてもらわなきゃいけないので、そういうきっかけ作りをしていった感じです。

宮田:あの舞台裏にはそういった地道で営業に近い話もあったんですね。外側から見てると華々しい世界ですけど、そういった地道な努力やトライがあったんだなって思いました。

桐田:ありがとうございます。

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