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元PlayStationジャパンスタジオの代表に聞く! クリエイター人生で一番おもしろかったプロジェクトは?!(全5記事)

ファミコン誕生前の1980年には“ゲームの貿易”が盛んだった 『ときメモ』『どこいつ』プロデューサーが語る、業界40年の歴史

ゲーム業界で仕事をしているデザイナー、プランナー、エンジニアなどのクリエイター向けに、キャリアデザインをテーマに実施するセミナーイベント「クリエイターヒストリア」。業界で成功を納めているクリエイターは、今までどのようなキャリアを歩んで行ったんだろう……? という、現在に至るまでの努力や道のり、人生の転機など、その歴史に迫っていきます。本記事では、名作『ときめきメモリアル』『どこでもいっしょ』などをプロデュースし、PlayStationのジャパンスタジオ長を経験された桐田富和氏をゲストに迎え、ゲーム業界歴40年の歴史を紐解きます。

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「クリエイター人生で一番おもしろかったプロジェクトは?」

司会者:本日は、第3回クリエイターヒストリア「元PlayStationジャパンスタジオの代表に聞く! クリエイター人生で一番おもしろかったプロジェクトは!?」にご参加いただきまして、誠にありがとうございます。

「クリエイターヒストリア」は、ゲーム業界でお仕事をされているデザイナー・プランナー・エンジニア・マーケターなどのクリエイターに向けて、キャリアデザインをテーマに実施するセミナーイベントです。毎回豪華ゲストをお招きし、今に至るまでの努力や道のり、人生の転機などをインタビュー形式で紐解いてまいります。

では、インタビュアーの宮田さん、自己紹介をお願いいたします。

宮田大介氏(以下、宮田):株式会社オルトプラスでゲームアライアンス事業部の役員をしております、宮田と申します。

それとは別に、新規事業で「ゲームクリエイターズギルド」という、ゲームクリエイター教育のためのコミュニティを主宰しております。今回はゲームクリエイターズギルドの主催で、イベントを開催させていただいております。

司会者:宮田さん、ありがとうございます。それではさっそくですが本日のゲスト、桐田富和さんにご登場いただきましょう。桐田さんお願いいたします。

(会場拍手)

桐田富和氏(以下、桐田):あまた株式会社の桐田です。よろしくお願いします。

宮田:よろしくお願いいたします。桐田さんは今、あまたさんで役員をやられている感じなんですよね。

桐田:はい。取締役という立場で、制作本部を見させていただいています。

宮田:桐田さんはもともと、ソニー・コンピュータエンタテインメント(以下、SCE)さんで「ゲームやろうぜ!」などに携わられていましたよね。その前はコナミさんでしたよね。

桐田:そうですね、はい。

宮田:この辺りの経歴も、このあとじっくり聞いていこうと思います。ということで、本日の「ゲームクリエイターヒストリア」を開始させていただこうと思います。よろしくお願いいたします。

文科系の大学を卒業後、コナミに入社してクリエイターに

宮田:では最初に「ゲームクリエイターヒストリア」のご紹介を簡単にさせていただきます。このイベントは、ゲストで来ていただいた方の歴史を探求していく内容になっています。ゲストのクリエイターさんは、これまでどういった活躍をされてきたのか? そういったヒストリーを深掘りして見ていく中で、それぞれのクリエイターさんが今後の人生を考える上で、参考になるようなイベントになったらいいな、と思っております。

ではいきなり本題に入っていけたらと思います。まず、学生時代からゲーム業界に入ってきたタイミングについてお話を伺っていこうと思います。

桐田:はい。

宮田:桐田さんはゲーム系の専門学校とかではなくて、大学卒業からクリエイターとしての活動が始まったんですよね。

桐田:そうですね。大学卒業後にコナミさんに入社させていただいてからですね。

宮田:技術系の大学とかではなかったんですよね。

桐田:もうまったく関係なくて。文科系の大学出身です。

宮田:では、コナミさんに入ったきっかけといいますか。当時どんなことを考えられていたんですか?

桐田:大学3回生ぐらいかな。当時は、本当にゲームセンターのマーケットが大きくなっていて。私自身もゲームが大好きなものですから、ゲームセンターによく通ってたところがあって。

就職活動をした時に、コナミって会社がゲームやっていると気付いて、それがきっかけで応募して。無事に受かって入社したという感じですね。

宮田:なるほど。

まだファミコンも存在しなかった、1980年のゲーム業界

宮田:たぶん学生の視聴者もいると思うんですが、1980年のゲーム業界の状態が、あまり想像できないかもしれません。「ファミリーコンピュータ」が販売されたのが1983年ですよね(笑)。

桐田:はい。

宮田:なので1980年というと、まだファミコンもない時代で、アーケードゲーム全盛期って状態ですよね。

桐田:そうですね。ゲームをするといったらゲームセンターでしたね。圧倒的に遊びに行くところでした。

宮田:当時ハマってたゲームってどんなものだったんですか?

桐田:いろいろあるんですけど、僕は『パックマン』とかですね。あと『ギャラガ』だったかな。要するにシューティングゲームにハマってましたね。

宮田:黎明期のアーケードゲームのヒットタイトルみたいな感じですよね。『パックマン』とかは、みなさんやられたことはあると思うんですけど。リアルで筐体(機器の外側を成す箱の意)であったわけですよね。

桐田:そうですね。テーブルタイプの筐体で、テーブルの上に100円玉を10枚積んで遊ぶみたいな感じで(笑)。

宮田:はいはい(笑)。

海外からゲームを輸入して販売する“貿易”のような形

宮田:そしてコナミさんに入社したのも、今みなさんが描いているイメージと違うというか。“貿易”といいますか「ゲームを輸入する」みたいな役割だったんですよね。

桐田:そうですね。当時はコナミさんの中でも、コンシューマゲームはまだなかったものですから。アーケードゲームを海外の業者から輸入して販売して、ロケーションに売りに行く。もしくは自社のロケーションで設置して遊んでもらう、みたいな業態でしたね。

宮田:なるほど。新卒で入っていきなり海外とのやり取りをしていくところが、最初の仕事のスタートって感じですよね。

桐田:そうですね。ろくに英語も喋れない私を「とりあえず英米語の学科にいた」ということで採用していただきまして(笑)。新入社員の同期が4人いて、先輩が4名いらっしゃったんですけど、貿易の仕事が主だったので、毎日英語漬けの仕事をしていました。

宮田:その当時、会社は何名ぐらいの規模だったんですか?

桐田:会社全体では100名いなかったような。60~70名だったような気がします。

宮田:それが丸ごとビルを構える程の企業になっていくわけですよね。そのスタート地点というかたちですね。輸入販売で、お客さんはみなさん海外の方みたいな。

桐田:そうですね。海外の業者さんから製造されている筐体を輸入して、それを売る感じですから。基本的には海外の業者さんから仕入れたものを、クライアントである日本のオペレーターとかに販売する。もしくは、ディストリビューターに間に入ってもらって販売する感じですね。

宮田:なるほど。コナミさんに入られて、いきなり華々しいゲーム作りに入ったというより、海外のお客さんの送迎みたいなところもお仕事のメインだったわけですよね。通訳とかもされたんですか?

桐田:通訳なんか、ほとんどできなかったです(笑)。

宮田:なるほど(笑)。

桐田:海外のお客さんは年に何回かいらっしゃるので、私は空港に出迎えに行くわけです。出迎えに行くにしても車で行かなきゃいけないんですけど、私自身は大学4年生の時に免許を取得したんです。

なので、入社した時はペーパードライバーなわけですよ。軽自動車すら運転したことのない私が、いきなりベンツを運転して、海外のお客様を空港に迎えに行くという(笑)。

宮田:プレッシャーがすごいですね(笑)。

桐田:左ハンドルのベンツを運転してお迎えに行って、空港に行ったら「コナミ」って旗を持ってお迎えする感じで。英米語の大学にいましたけど、ろくに英語もしゃべれない私がお客さまを出迎えて。車にご案内してあるホテルまでお送りするような仕事を、入社した1~2年ぐらいはやってましたね。

ファミコンやMSXなどの、コンシューマゲーム市場の誕生

宮田:そこの下積み期から、次のヒストリーポイントにいくワケですね。

この頃にやっと、みなさんがよく知るファミリーコンピュータが誕生して、コナミさんもコンシューマ市場に拡大していくわけですね。

ここで海外のゲーム筐体の輸入販売から、国内タイトルの営業を担当する部署に移動して、仕事も変わっていくかたちですか?

桐田:まさにその頃に、コンシューマゲームの市場が生まれました。ファミコンもそうですけど、その前後にMSX(注:米マイクロソフトとアスキーによって提唱された8ビット・16ビットのパソコンの名称)が日本市場で出始めた頃というか。コナミさんは初期からMSX用のゲームソフトにかなり多く携わっていました。なので、その辺りのゲーム販売の営業を担当していました。

あとはみなさんご存じないかもしれないですが「ひとびとの“HITBIT”」というSONYさんが手掛けたMSXのパソコンがあるんですけど。それ用のOEM(注:他社ブランドの製品を製造すること)のゲームの受託開発をコナミはやってまして。そこの窓口や営業担当をやっていました。

宮田:SONYさんって、その時代からゲーム産業にも関係されてたんですね。

桐田:そうですね。

宮田:そのあたりが後のSCE入社のきっかけみたいなところに、もしかしたらつながってるのか、つながってないのか……みたいな感じもしますね(笑)。

桐田:その当時のSONY側の担当者に、私自身も好印象を持っていたものですから。そういうイメージが後々、SCEに入るモチベーションになったのかなとは思いますね(笑)。

宮田:なるほど。でも年表的には、実際SCEさんに入られるのはかなり先ですよね。

桐田:かなり先ですね(笑)。SCEに入社したのが1995年ですから。

宮田:10数年後になるワケですもんね。逆に言えば何でつながっていくかって、本当わからないですね。

桐田:そうですよね(笑)。

営業経験で身についた「ゲームプロデュース」に近いスキル

宮田:年表的に見ると、初期のコンシューマ業界の営業をずっとやられていて、最終的には営業責任者みたいな役職になられてますよね。何年目ぐらいで配属された感じですか?

桐田:入社して7年かな。そのぐらいだと思います。転勤もあって、東京や大阪や福岡で働くこともありました。東京に戻ってきた時に「コンシューマ営業の責任者をやれ」みたいな感じで言われて、やるようになった感じですかね。

宮田:なるほどですね。このイベントを見ている方だと、作るほうのクリエイターを志望している方だったり、実際にゲームを作っている方が多いと思うんです。なので「営業的なところからどうつながっていくんだろう?」って思われている方がいるかもしれません。

実は「ここでの営業経験で、ゲームをプロデュースすることと近いスキルが身に付いた」って話を打ち合わせの時に聞いていて。そこについて伺っていきたいのですが、実際にコナミでは、どういったタイトルを取り扱うか? ってところまでを含めてやられてたんですか?

桐田:基本的には、コナミの内製で作ったファミコンだったりMSXのパソコンゲームだったりを、実際に小売店や問屋さんに販売する感じですね。

宮田:なるほど。その中で、どういった作品が実際に売れていくのか? などの感覚が、そのあとのゲームプロデュースにつながってきていたんですかね。

桐田:そうですね。当時は、秋葉原などのPCショップ周りなどしていると、どんなゲームが売れているか? ということが、つぶさにわかる状況だったので。「コナミの中でこういうゲーム作ったらいいのになぁ……」みたいな思いを持ちながら営業をしてるワケですよ。

そう思っていた時に、本当に『ファミスタ』とか、タイトーさんの野球ゲームがすごく流行ったことがあって。「そういうゲームって、なんでうちには作れないんだろう……」みたいな意識が営業の立場ながらにあって。それを形にしたいなと思っていました。

幸いにして開発部隊とのコミュニケーションの場があったので「なんとか作品をプロデュースできないかな……」みたいな思いが「こういうの作ろうよ」みたいな感じで、やっと花開いたというか。1つのタイトルをリリースできるように至ったのがきっかけです。

宮田:なるほどですね。「自分が作ったゲームをどう届けていくか」みたいな観点が多いと思うんですけれども。マーケットインじゃないですけど「市場がどういうものを求めているんだろう?」というところから逆算して作るのは、当時だと珍しい感じでしたか?

桐田:珍しいといえば珍しいですけど、今のようなマーケティングのようなメソッドはないに等しいですからね。本当に「これだ!」っていう思いを持った人が企画を立ち上げて作る。そんな感じだったと思います。

宮田:逆にそういったものづくりがメインの中で、実際のエンドユーザーだったり業者さんとのコミュニケーションが、別の観点からのプロデュース力につながってるところはありましたか?

桐田:そういうところはあったかもしれないですね。

宮田:なるほどですね。そういった実績があって、営業責任者から実際にゲームのプロデュースをされていくところにつながってる感じですかね。

ということで、僕のほうで簡単にここまでのお話をまとめさせていただきました(笑)。何がつながっていくかわかんないっていうのは、クリエイターヒストリーを聞いていく中で、一番おもしろいポイントだと思っております。

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