2024.10.21
お互い疑心暗鬼になりがちな、経営企画と事業部の壁 組織に「分断」が生まれる要因と打開策
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ナレーション:16歳の長男が事件に巻き込まれ、殺されてしまいました。息子を失ってからの私はもう、魂の抜け殻のようです。
2年経った今でも、どうしても立ち直れずにいます。息子の仏壇に供物をお供えしたり、語りかけたりということがどうしても出来ないのです。それをしてしまうと、もう本当に息子が死んでしまったことを完全に受け入れるようでとても怖いのです。息子の死をどうしても信じたくないのです。
事件が起きてから半年くらいは、息子をあの世から引き戻すことばかりを考えていました。気が変になっていたんだと思います。こんな私の態度はおかしいのでしょうか。
瀬戸内寂聴氏(以下、寂聴):全然おかしくはないですよね。本当に愛する息子さんを、しかもそういう形で奪われたということは、それは普通の人だったら気が狂っても仕方がないような、悲しいことでしょう。それはね、本当に自然な親御さんの気持ちだと思います。
しかしそれは、自分の悲しみに溺れてるんであって、やはり周囲も、ご主人も同じような悲しみを持ってる。しかしそれは目もくれないのね。もう自分の受けた悲しみだけでね、もう、気持ちが異常になってるんです。
その時に周りから「あなた、おかしいわよ」なんて言ったってね、それはわからない。だからその時はもう、徹底的に悲しめばいいんですよね。もう受け入れたくなければ、あの子は死んだんじゃないって風に、自分が徹底的に悲しみに溺れたらいいと思います。朝から晩まで泣けばいいんですよ。
苦しいのはわかるけども、そこを苦しんでですね、病気になってもいいじゃないですか。入院してもいいじゃないですか。そしてそれを、時間が経てば、その時がいい薬になって、冷静に、いくらか今よりはね、冷静に考えられる時が来ます。それを待つしかないですね。
だから、お仏壇にまつりたくなければ、まつらなきゃいいんですよ。それから死んだと認めたくなければ、好きなようにすればいいんですよ。泣きたければ何日でも、ぶっ通しで泣けばいいんですよね。
そういう風にしてですね、それはもう、ある種の軽いノイローゼですから、出来ればお医者さんへ行って、そして安定剤をもらうとかね、カウンセラーが一番いいんですけどね、そういうところへ行くしかないですね。でも、そこへいくまでのところはやっぱり、ご自分で苦しむしかないんじゃないですか。周りでは手がつけられないです
――もし我が子を殺された場合、たとえば相手のものに対して、やっぱり報復とか、償いとか、何て言うか、そういうことはやはり、してやりたいって思うことってありますよね。
寂聴:そりゃありますよね。もう殺してやりたいと思うでしょう、みなさんね。だけど、それは今は法治国家ですからね、敵討ちとかいけないんですからね、ちゃんとそれは国がやってくれますよね。だけどそれは、そんなことがあっても、納得しませんよね。納得しません。でもだからといって、その人を死刑にして済むかって。それで済むわけじゃありませんよね。
このあいだ、日本じゃなかったらしいんですけども、ブッシュがね、アメリカでたくさんの人を殺した人の死刑を遺族たちの立ち会いで、公開死刑しました。そのことがアメリカでは、テレビに出たんですって。それを見た人の話が出てましたけどね、その遺族たちがね、だれも清々したって言ってないんですってね。
中にはね、薬物で殺したから、あんな安らかに殺して残念だって言った人もひとり、いたみたい。だけど、ある人は、とても虚しくって、目の前で殺されたってそれで自分の気持ちは安らがないって人がほとんどで。
中には、これ以上人殺しはやめてくれって。死刑はやめてくれって言ってた人もいたらしいです。ですからね、敵討ちっていうのは、それはどんな方法でも、それで癒されるってことは無いと思いますね。
――そうすると、どういうことに心を傾けていくことで、自分が安らかになれるんでしょうかね。ひとつの方策あります? たとえば、被害者の会のような形で活動される方もいらっしゃいますね。止むに止まれず。
寂聴:そういうチャンスがあれば、そういうところへ行けば、同じような人たちがいますからね。自分だけじゃないってことがわかりますから。そうすると、こういうことが起こる世の中、こういうことが起こる政治は認められない、こういうことを許す法律は認められないっていう風になれば、それは戦ったらいいですよ。そういうことに生き甲斐を見いだす方もいます。
だけど、そんなことをしても、ちっとも慰まらないっていう性質の人もいますわね。それはもう、みんなケースバイケース。その人の性質によりますから、こうしなさいってことは言えませんわね。
あるいは、全く神や仏を認めなかった人がね、そういう不幸で神や仏にすがって慰められる人もいれば、信じていたのにこんな目にあうのは、神も仏もあるものかって人もいますわね。それはみんなね、個人個人、その人その人の考えることでですね、周りはとやかくは言えないんじゃないんでしょうか。
――世の中では何の罪もなくて、やさしい、本当にまさしく仏様のような方が、可哀想な亡くなり方をするのか、わからない、納得できない。
寂聴:納得できないことが多いですよね。子供が殺されるのが納得出来ないというのもそうだし、本当に人のためにばっかり動いて慕われていた人が、突然気の毒な亡くなり方をする。そして、憎らしい、欲張りの悪い人が案外富み栄えてですね、いつまでも生きて繁栄してる。目の前にいっぱいありますわね。そういうのはどういうことか、っていうことを言われるんですけども。
これはもう、人間の世の中は不条理が満ちてるんですよね。一時「不条理」って言葉が流行りましたけども、本当に認められない不条理でね、この世の中は行われているんですね。人間の世界が不条理だから、宗教が生まれる。宗教が必要になるんだと、私は思うんです。
わけのわからない不条理が我々の間に満ち満ちてて、そして我が身にもいつ起こるかわからない。そういうことがあるのが人生なんですね。だから「この世は苦だ」という風に、お釈迦様は定められますけどね、四苦八苦があるのが世の中で、そんなにね、道理通りには行かないんですよ。
――もし神や仏がいるのだったら、なぜこんな不条理で理不尽なことを許されるんだろうか、起こるのだろうか。何のために、そういったことをそなえられているんでしょう。
寂聴:あのね、田中澄江さんってご存知? 田中澄江さんはね、本当に熱心なカソリックの信者でしたよ。それでね、お子さんがですね、ご病気なのね。そのお子さんのご病気でとても苦労なさってですね、それからそのあとで、お嬢様がいらして、ピアノを教えてらっしゃる。
その方が突然ね、若いのに脳溢血で倒れられたんですよ。ピアノが弾けなくなった。そういうことが重なってた時だった。私がね、どうして澄江さんのような本当にいい人がね、そして、こんな熱心に神様を信じてらっしゃるのに、どうしてこんなに次から次にご苦労が起こるのかしらねって、私は思わずね、お友達の立場で言ったのね。
そしたら、その時澄江さんがね、私だってとても辛くって、人前では泣かないけどね、山に駆け込んで「神様、これ以上の試練を与えないでください。もう辛くて悲しくてたまりません。どうか、わたしの苦労を和らげてください」って、号泣して祈る事があるのよ、って言うんですよ。私は、ああ、そういうものかなと思った。
そしたら、「でもね、寂聴さん」って。神様は、人間に耐えられない苦しみは決してお与えにならない。だから、私が与えられた苦しみは、耐えられるから与えられたんだという風に、私は思って耐えていると。そういう風におっしゃったの。偉い方だなあと思ってね、ああそうって、私はもう言葉がなかったですけれども。その言葉がね、ずっと忘れられませんね。
ですから、本当に困った方がいらっしゃいますとね、そのことを思い出して、神様や仏様は、耐えられないほどの苦労はお与えにならないから、もうちょっと我慢しましょうっていう風に、言うんですよ。
――でも無ければ、そんな試練は無いほうがいいんですけどね。
寂聴:ただね、こういうことがあるんですよ。とても健康な人で、中には小さい時から死ぬまで大した病気をしないって方がいます。それは幸せなことですよね。でも、どこにも肉体的痛み、苦しみを感じたことのない人はですね、病気の人に対する思いやりがどうしたってありません。だって、わからないんだもの。
だから、私は胃が弱くって何を食べてもシクシク傷むのよなんて言ったって、胃の丈夫な人、胃がどこにあるか忘れてるような人はね、何でそんな美味しいものを食べてどうして痛いのって、そういう感じですよ。ですから、病気をするってことは、やはり病人に対する思いやり、想像力が出ます。
そうでしょ。だから苦しみを、不条理と思う苦しみを受ける人ね、つまり、恋人に裏切られるとか、あるいは夫に逃げられるとか、いろんな苦労をする人はありますね。あるいは子供さんに先立たれたり。そういう苦労を自分が受けますとですね、他人の不幸に対して同情が出来るし、わかるしですね、他人の苦しみの通りにとはいかないけれども、そばに近寄ることは出来ます。
寂聴:ですから、私は生きてる以上は、たくさん愛して。それは第一条件です。でも愛することは苦しみを伴いますから、たくさん苦しみなさいって言うんですよね。不幸をたくさん受けてもね。そうすると、不幸になった人に対する同情が出来て、思いやりが出来ます。
これが出来ないより、出来るほうが、生きてていいんじゃないですか? 私はこう生きたって、死ぬ時に思える。私は苦しみを何も知らないって、誰の苦しみにも無関心で、死んで幸せだわって、言えるかしら? 人生つまらないですよ。
――命の長さというのか、それをどう考えたらよろしいんでしょうか。
寂聴:私ね、やっぱり仏教では「定命」、定められた命ってのがありましてですね。どんなに長生きしようって思ったって、定命で早く死ぬ人もいれば、本当にもう死にたいって思ってるのに、いつまでも、百いくつまで生きる人もいますよね。だからそれはもう、人間の計らいではわからないのが人の命だと思います。
――その定められた期間というか、時間は、生まれる前から持っている。
寂聴:持ってるとしか、そういう風に思うしかないですね。しかし早く亡くなった子供は、親御さんにですね、本当にその子の良い所を思い出として残していきますわね。
だから、その子が早く死んでも、産まなきゃ良かったじゃなくて、早く亡くなっても、その生きてた時間、どれだけ自分たちがその子に慰められ、生き甲斐を与えられたかってことを思えば、あの子はそういうために私たちのところに、短い時間だったけど来てくれてたんだなって。
そう思ってあげるほうが、亡くなった小さい子の魂も安らぐんじゃないかな、って風に思いますね。
――長い間に忘れることではあるけれど、やがてその子の思い出が、だんだんと薄れてきますよね。
寂聴:薄れます。薄れるってのは先ほど申しましたように、忘れるという能力が人間にはあるんですよ。でもそれを忘れないでですよ、ずっとその時の辛さ、苦しさを同じ状態で持ってたらね、それは頭が狂いますよ。
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