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トークセッション(全7記事)

コンテナで作った仮設住宅から紙の教会まで 建築家・坂茂氏が問う、被災地支援のあり方

2017年7月21日、銀座 蔦屋書店にて、同書店主催が主催のイベント「坂 茂と語る建築家の社会的役割」が開催されました。映画『だれも知らない建築のはなし』の監督、石山友美氏と建築家の坂茂氏が登壇し、トークセッションが行われました。イベントでは、映画に登場した建築家らのエピソードとともに、建築に求められる社会的な役割というテーマで語り合いました。建築家とは一体何か? 建築家は社会から何を求められているのか? 世界中で活躍する坂氏と、世界各国の建築形にインタビューした石山氏が、その深遠なるテーマを紐解きます。

東北震災支援での「プライバシーの間仕切り」と「コンテナを使った仮設住宅」

坂茂氏(以下、坂):そして2011年。これはもう、神戸の時からわかっていたんですけど、避難所は非常にプライバシーのない酷い状況で。それで、中越地震の時からうちの学生と一緒に避難所に行って、間仕切りをつくる活動をずっとしていたんですね。それがやっと東北の時から大々的にできるようになったんです。

撮影:Voluntary Architects' Network

こうやって紙管を使って、プライバシーの間仕切りをつくって。被害者の人たちもみんな手伝ってくれています。東北で3ヶ月で1,800ユニットつくりました。

ところがその後、何ヶ月か避難所にいたあとに、結局ひどい仮設住宅にみんな住まうことになった。窓も開けられない距離ですし、水は漏るし、収納はないから中はこんなですし、隣の人の声も丸聞えなんですよね。

そんなひどい仮設住宅でもあるんですけど、宮城県の女川で地盤が緩んでしまって、仮設住宅を平屋で建てる土地がない、という話がありました。そこで、基礎もコンクリートを使っていなくて、鉄板だけでつくる、3階建てのコンテナを使った仮設住宅を提案しました。これが出来上がって、中はこんな感じです。

撮影:Hiroyuki Hirai

これ、政府がつくっている1階建ての仮設住宅とまったく同じお金で、しかもまったく同じ大きさなんですね。それでもぜんぜん違う、こんなに住み心地のいいものができる。今ではもう、誰も出たがらなくて、「家賃を払ってもいたい」と。出てくれないので町の人も困っているんですけれども、そういう住宅もつくりました。

「地元の人でもつくれて中長期的に住める住宅」が課題

次は、フィリピンでも4年前に大地震と台風がありました。フィリピンに大きなビール屋さんがあるんですけど、ビールケースを寄付してくれなかったんで、とうとうコカ・コーラを使っちゃったんです。

(会場笑)

それも全部、学生の手でつくりました。

これが2、3年前のネパールですね。ネパールでもずっと活動をしています。日本で耐震実験をしてるんですけど、木とれんがを組み合わせた住宅や小学校を、今建設しています。

それからこれは、熊本でつくった住宅です。

撮影:Hiroyuki Hirai

隣の家との間がつくり付けの家具になってて、収納十分で隣の音がぜんぜん聞こえないというもの。地元の熊大の学生と一緒につくったんです。大工さんもなしでつくれる仮設住宅です。

これはニュージーランドのクライストチャーチです。東北の地震の2週間前にここでも地震があって、日本人の留学生28人が亡くなったんです。そこにやはり紙でつくった教会をつくりました。

撮影:Stephen Goodenough

最後に、先週行ってたんですけれど、ケニアの北に南スーダンから難民が押し寄せていまして、ここにカクマキャンプがあります。カクマという町は人口3万人のところに難民だけでも、もう18万人います。25年前から住み続けている人がいて、どんどん入ってきている。

そこに……、この人たちは近所の遊牧民なんですけど、おもしろい住宅をつくってます。こうやって枝を差してですね、つくるのは全部女性なんですよ。男は遊んでいて、女性が家を全部つくってるんですよね。

あまりにもおもしろそうなんで、僕も一緒につくらせてもらった。中はすごく涼しいです。こうやって運ぶのも、全部女性が運んでいます。

これは今、国連でつくっているものですけど、これだとセミパーマネントにはつくれないので。僕は新しく「どうやって地元の人たちでもつくれる、中長期的に住める住宅にするか」というプロジェクトをやっています。

そんなことで、今でもずっと続けています。最近は、東北の時から有名建築家が被災地に来ていろんなことを始めているので、すごくいいことだなと思うんですけど。神戸に行った時は誰も来てなかったですよね。それが僕は不思議なんです。

当時だって有名建築家はたくさんいたのに、どうして神戸の時はだれもいなくて、東北になると急にみんな活動を始めたのか、ちょっと不思議なんですよね。でも今では、いろんな人が被災地に行っていろんなことやって、良い傾向だな、と思います。

「商業建築」への警戒

石山友美氏(以下、石山):そういうなかですごいなって思うのは、こうやって災害支援をする一方でやはり大きな規模の商業建築もつくっておられる。建物の規模も小さいものから大きいものまで。

:商業建築はね、僕はディベロッパーの仕事はなるべくやらないようにしてるんですよ。もちろんまれにちっちゃなディベロッパーの仕事はやりますけども。やっぱりディベロッパーの仕事をやると身を崩すので、本当に仕事を選ばなければいけないなって思いますけれどもね。

石山:なるほど。商業建築も、かなり選んでらっしゃる。

:商業建築はやらないようにしてるんです。公共建築はやりたいんですけども、商業建築は気を付けながらやろうと思ってます。

石山:プロジェクトがすごくバラエティに富んでいるのは、やはりご自分でバランスを考えながらいろんなことをやっていく、と決めてやってらっしゃるんでしょうか?

:いつもトレーニングだと思っているんで。住宅は結局事務所的にはぜんぜん儲からなくて赤字になっちゃうんですけども。やっぱり自分自身の新しいアイデアを試して、自分自身をトレーニングしていく場だと思っているんで、小さい個人住宅は今でもやっています。

さっき商業建築をなるべくやらないようにしてるって言いましたけど、いろんな建築家の人生を見てきて、どうしたらダメになっちゃうか、あるいはどうしたら自分を教育し続けられるのかってことがだんだんわかってきたので。

なるべく商業建築の罠にはまらないように気を付けて、自分をどう育てるべきかってことは最近になって真剣に考えて活動してます。

坂茂氏が事務所の規模を大きくしない理由

石山:事務所の規模とか、そういったものをお考えになられて、キープし続けているのは、どうやって……?

:僕も、磯崎さんみたいに全部絵を描いています。僕の場合、ディテールから構造も全部考えるんですね。それで、現場も自分で見たいですから、そのできる範囲ということで。今はマキシムだと思ってるんです。これ以上事務所を大きくして仕事をたくさんとってスタッフに設計させるようなことはしたくないですね。

石山:それは、今、世界で活躍してらっしゃる建築家のなかではマイノリティーと言ってもいいということですか?

:両方わかれると思いますよ。どんどん事務所を大きくしている建築家もいれば、ピーター・ズントーやアルヴァロ・シザなどは、事務所の規模を保って全部自分で設計してますからね。彼らを見習っていきたいなと思っていますね。

石山:そうすると、この映画の出演者とはちょっと違うスタンスでやってらっしゃるという印象を受けますけど。

:そうなんです。たださっき言ったように磯崎さんのスタイルには影響を受けてないけど、やっぱり磯崎さんみたいに世界で戦いながら、あるいは自分で全部絵を描きながらやるというスタイルは踏襲したいなと思ってます。

石山:映画の中の出演者もそれぞれ違うご意見をお持ちで、掛け合いみたいなものも映画で描きたいなと思っていたんですが、事務所をどう運営していくか、という問題もそれぞれのスタイルがあるようでした。

「なかなか現場を見ることができないからフラストレーションなんだ」という話をされていた建築家の方もいらっしゃって、有名になって手がける建築の規模が大きくなると、事務所も大きくしていかなくてはいけない。そうすると、全てを自分でコントロールできなくなっていくというジレンマを持っているようでした。しかし、坂さんはそれを意図的に避けて、自分で細やかにコントロールしているということですね?

:コントロールするし、今も、「ポンピドゥー・センター」をやりはじめてから13年間、1週間おきにパリと東京を通ってるんです。自分で全部、スタッフと一緒につくり上げないと気が済まないんで。それで、パリに通って、パリからスイスへ行ったりいろんな現場に行ってます。やっぱり、フランスでしかできないこと、スイスでしかできないこと、スリランカでしかできないこととか、いっぱいあるんですよね。

自分で現場に行って、職人さんや地元のゼネコンや地元のエンジニアと一緒に仕事をして、人間関係を築いていかないと、なかなかやりたいことができるようにならない。「自分のやりたいこと」と「やれること」を少しずつ一致させていくためには、自分でそれを体験して、人間関係を築き上げないと。スタッフに任せっきりでできるということはあり得ない。

災害支援は役所やグループに頼らないほうがよい

石山:もう1つうかがってみたいのが、日本での災害支援の話です。

先ほど、東北での地震にはいろんな建築家が行ってるというお話がありましたけれども、伊東さんにお話をうかがったときに、「地方自治体の役所の方と話していると、進むものも進まないし、非常にフラストレーションがたまる」という話をされていて。「そういうシステムみたいなものを変えていかないと、日本はどうなっちゃうんだろう」というようなお話をされていたんですけれども。

:もともとね、役所の人と一緒にやろうという考え方から間違っているんですよ。僕がNGOを貫き通しているのは、Non-governmental Organizationと言ってるように、自分で行って、自分でできる範囲でやってるんですね。

結局、緊急時というのはスピードが重要なんですよ。役所とやったら絶対にそのスピードが落ちますからね。あるいは日本の建築家だったら、災害支援でもすぐグループつくるんですよ。でも船頭がたくさんいたら何も進まないですよ。

だからまず自分で行って、自分でできる範囲ではじめて、それからお金を集めたり人を集めたりするんです。まずグループをつくらないことと、役所と一緒にやらないこと。もちろん役所を説得しなきゃいけないんですけども、役所と協議してたら災害支援はできないですよ。

石山:なるほど。私は「なるほど」と、「やっぱり地方自治体と戦うってのは大変だな」というふうに思ったんですけど。

:戦うだけではダメなんです。東北の時に学んだのは、役人は、どんなにいいことだと思っても前例がないことは絶対受け入れてくれないということです。もともと間仕切りなんていうのは避難所になかったんです。なぜ間仕切りをできるようになったかというと、岩手県の大槌高校の体育館。

残念ながら大槌町は庁舎が流されて町長さんも役所の人もほとんど亡くなってしまって、避難所の管理を普通は役人がやるところを、高校の物理の先生がやっていたんですね。物理の先生は役人みたいに「前例がないから」とは絶対に言わなくて、「ああこれいいね、すぐやろう」と。それで1週間後に500世帯分つくったんです。それが報道されて少しずつ説得力を持っていった。

それでも、80の避難所を回ったうちの、最初の30の避難所には全部断られて、次々回って最後には50ヶ所でできたんですけど。そのときの苦い体験で、結局早くつくっても、役所の人は「こんなものつくって陰で酒でも飲まれたら困る」と平気で言うんですね。自分は夜、家に帰って酒飲んでるくせに。

(会場笑)

「防災協定」のスピーディーさ

それで、待ってる人がいてもなかなかつくれないというジレンマがあったので、東北のあと、防災の日に僕の周りの自治体に学生と一緒に出かけて行って、間仕切りをデモンストレーションさせてもらうんですよ。僕は京都の学校でずっと教えていたので、左京区からはじめてずっとやっていって。おかげで京都市の市長の目に留まって、京都市と防災協定を結ぶことができたんです。

防災協定というのは、京都市が認定してくれて、いざとなったら実費を出してくれて、「避難所にこれをつくりましょう」と我々に連絡が来る。それが京都市から始まって、今や大分県、福岡県、そして世田谷区、板橋区、神奈川県の裾野市とか、それから山形県とか。今、どんどんいろんな自治体の防災の日に行ってデモンストレーションして防災協定を結ぶ活動をしてる。「役所と関わるばっかりじゃいけない」と気付いたので。

そのおかげで、大分県と防災協定が結べたんですね。実は、去年の1月に大分美術館が出来上がった直後です。それでこの間、熊本地震があった後にパリから帰ってきてすぐ、大分市長、大分県知事の広瀬さんに会いに行った。そのときはまだ本震が起こる前で、大分は何もなかったんですけど。

「隣の熊本は防災協定を結んでないけど、大分からの支援として避難所に間仕切りをつくりましょう」と言ったら、広瀬知事が「いいねー」といことで鹿児島、熊本知事に電話してくださって。それで熊本県からの支援としてすぐにできたんですよ。そのおかげで東北とは圧倒的に違うスピードでできたんですね。だからすごく防災協定は有効で。今も平常時に防災協定を結ぶ全国の自治体を回ってやっています。

実績の積み重ねで、災害支援がスムーズに

石山:そういったことは、1990年代からいろいろやってきて段々と身についてきたものなのでしょうか?

:そうですね。急にはできないですよ。やっぱり世界中いろいろで、スタンダードなものはできなくて、みんな違うんですよ。例えば、去年の夏にイタリアで地震があって、避難所に行って間仕切りをつくってきたんですけれども、イタリアの間仕切りは日本よりも少し大きくしたり、いろんな加工をして。

その場その場で、地元の学生と先生を巻き込んでやるんですよね。まず行って、どういうものが必要なのかを見て、地元の材料と地元の人たちを巻き込んでやる。毎回少しずつ違いますよね。

石山:長年培われてきたことが、今、活きていると。

:そうですね。少しずつ経験になって、少しずつ賢くなって。役所とも昔は戦ったんですけど、今は巻き込みながらやるとかね。それで今は世界中でやってますけれども。それが1つの実績になるので。

この間イタリア行った時も、避難所に行ったら日本と同じように、そこの管理している役所の人に「いや、いらない」と断わられたんですよ。僕は諦めて次の避難所に行ったんですけど、たまたまついてきていた朝日新聞の人はよくわかっていて、そこへ残って、管理しているおばさんにチョコレートをあげる。

それでいろいろ話を聞かせてもらって、「実はさっきのあの人は世界中でこういうことをやってて実績のある人なんですよ」と言ったら、そのおばさんが「私の息子も今コロンビア大学で建築を勉強してる」って。「じゃあ息子さんに聞いてごらんなさい」と言ったらすぐ電話して。そしたら「『お母さん、なんでシゲル・バンを返しちゃうんだ?』って怒られたわよ」って。

(会場笑)

次の朝、彼女から電話がかかってきて「どうぞ来てください」って。それで市長のアポイントも取ってくれて。たまたまその時も、彼女が息子から聞いたからやらせてもらえた。そういう評判や実績の積み上げで、少しずつ機能してきたなという気がしますね。

石山:では、東北での地震からいろいろやりはじめた建築家たち、しかも群れをなして何かをやっているというのは、坂さんから見るとなんとなく冷ややかに......。

:いや、そんなことないですよ。どんな形でもやるべきなんですよ。問題は、続けられるかどうかなんですよ。継続していけばどんな形でもいいと思いますよ。だって、彼らだってやってみて、はじめていろんなことを学んで、次に繋げようとするわけだから。それでいいと思うんですよ。でもどんな形でも続けることだと思うんですよね。

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