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Pablo Picasso(全3記事)

天才画家・ピカソの狂気 “自分を振った女性”への復讐

言わずと知れた天才芸術家、パブロ・ピカソ。人生の中で彼は二度結婚して、3人の女性の間に4人の子供を得ましたが、それ以上に彼は多くの女性と関係を持ったようです。今回のYouTubeのアート系動画チャンネル「Little Art Talks」では、そんなピカソにインスピレーションを与えた女性たちについて解説します。

ピカソの復讐

カリン・ユエン氏:ピカソの芸術はナチスの理想に適合せず、この時期展覧会はできなくなり、秘密警察によって嫌がらせを受けます。彼のアパートメントが秘密警察によって捜索を受けた時、憲兵の1人がゲルニカの写真につまずき「あなたがこれを制作したのか?」と問いました。

ピカソの有名な答えは、以下の通りでした。「いいえ、あなたがやったのです」(注:当時スペインのフランコ政権はナチス・ドイツの支援によって成立したファシズム政権だった)。これは素晴らしいですね。

パリ解放の後、ピカソはマールに飽きてきてしまい、若い美術学生のフランシス・ジローとロマンチックな関係を始めます。彼らは引っ越し、結果として2人の子供を得ます。クロードとパロマです。彼らの10年にわたる関係の間中(彼らは一緒に暮らしませんでした)、彼らは、結婚しませんでした。というのは、彼はすでにオルガと結婚していて、そのままだったのです。

そして彼らは芸術に関わる関係性を持ちます。マティスがジローの肖像画を描くと告げたとき、彼は≪花を持つ女性≫を描きましたが、彼女の身体は青白く、彼女の頭髪は木の葉の緑になっています。

関係性については、彼女はこのようなインタビューに答えています。「それは感傷的な関係であったとはいえません。たぶん知的な愛、あるいは物理的な愛であったのかもしれませんが、明らかに感傷的な愛ではなかったのです。しかしながら愛と呼べる確かな理由がありました。お互いがお互いに憧れ愛でていたからです」。

これはもちろん彼の名声が最高に高まったときであり、彼は外部の現実から切り離されフランスのリヴィエラで富豪の暮らしをしていました。今までお話ししたように、ピカソは女性たちと多くの関係性をもってきましたが、彼とジローの関係性ほど不釣り合いなものはありませんでした。

70年代には、ピカソは年老いた醜悪な妖精と、溺愛する恋人である美しく若いモデルという、同じテーマのドローイングと版画と絵画を制作しました。

ジローは後に1964年『ピカソとの生涯』の本を書き、不倫と虐待的な扱いを受け、ピカソのもとを突然子供と一緒に1953年に去ったことを述べます。ピカソはこのことを非常に不愉快に思い、彼女が去ったとき、知っている全ての画商に彼女の作品を購入しないように言いました。彼女はその代わり1955年に別の男性と結婚します。

ピカソの最初の妻のオルガ・コソローヴァとの離婚を拒否したことを覚えているでしょうか。1955年に彼女が死んだとき、もはや好きなように誰とでも再婚できるようになりました。そして、彼はジローの元に生き、そして、夫と別れ代わりに自分と結婚するように言いました。そうすれば、クロードとパロマの子供たちは、正当な相続人になると。よって彼女はそのように進め、実際にそうしました。

彼女は、子供たちが正当な相続人になることを期待して1962年に夫と別れます。しかしながら、彼は彼女をだましていたのです。そう、実際にだましていました。というのは、そのときには、彼は前の年に既に秘密に他の女性、ジャクリーヌ・ロックと1961年に結婚していました。彼は復讐したかっただけなのです。

明らかに本当に狂気じみていたので、彼女は再度別れました。彼らは二度と結婚しませんでしたし、彼は別の女性と結婚したのです。しかしながら、彼女が本を出した時、彼は非常に怒り、何とか出版を止めようとあらゆる努力をしました。しかしながら、出版されてしまうと、クロードとパロマとは二度と口を利かなくなりました。

この関係性は決して修復されることはありませんでした。彼が死んだときにも、二度目の妻は、クロードとパロマが葬儀に出るのを妨害しました。その関係性は非常に悪かったのです。

最後の妻と過ごした11年間

非常に多くのことがあり、悲しくなりますね。さて、新しい奥さんのことをお話しましょう。いいですね。

新しい奥さんはどんな人なのでしょうか? ジャクリーヌ・ロックは、陶芸の制作場で働いていて、ピカソは陶器に絵付けをしていました。彼女は27歳で彼は72歳でした。

彼女の家に鳩が彼女にバラの花を運んでいる絵があり、明らかに毎日彼が言い寄ったことは確かです。そして彼女は最初のデートをすることに同意するまで6ヶ月かかりました。2人はピカソが死ぬまで11年間もの間、結婚生活を続けました。

彼の死後、半狂乱になった彼女は1986年にピストル自殺をします。ピカソはロックもとにした芸術を他の女性よりも多く制作しました。ある年は70枚以上の絵画を描き、400枚以上の作品を最期の年まで描き続けます。これらのイメージは多くは古典的な静謐さの中に彼女の特長を鋭くとらえています。

この動画の終わりは実に甘い締め括りでした。

いかがですか? パブロ・ピカソとさまざまなミューズの動画を楽しんでいただけたことを望みます。もちろんこの動画は少し遅くなってしまいましたが、なぜピカソとジローまでお話しようとしたのか、おわかりいただけることかと思います。

台本を作っていますと、全部の物語を語って見たくなり、そして、もともと5つにする予定でしたが、全部で7つにありました。6番目も必要だと思い、それから、エヴァも加えてみたくなったからです。よって、7つになり動画がこのように非常に長くなりました。本当に多くの女性がいました。女性たちのチャート図を作ったほどでした。

これはピカソの人生の線です。この手描きの線の女性たちはそれぞれ異なる色をしています。四角に囲まれたのは一緒にいた期間です。そして線はこの女性たちの人生の長さです。そしてご覧ください。これらの期間は本当にそれぞれなのが興味深いです。

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