2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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カリン・ユエン氏:ピカソとエヴァはアヴィニョンに向かい、その夏にジョルジュ・ブラックと彼の妻マルセルに出会います。キュビズムを発展させたのは、このブラックと一緒の頃でした。ピカソのキュビズムは、いくつかの段階に分かれます。まず、「分析的キュビズム」時代(1909~1912)です。
これらの作品は、モノクロームの茶色がかった中性的な色彩です。キュビズムは取り入れられた物体の、形態の探究です。主題をさまざまな視点から平面上に描写して、観者が一瞥すると、三次元空間にある物体の印象を同時に得ることができます。
エヴァとピカソが共に暮らした時代は、「統合的キュビズム」(1902~1919)の時代と一致し、新聞紙の切り抜きなど切った紙の断片を集めた、パピエ・コレといわれる、キュビズムのコラージュを制作しました。ピカソは、エヴァのことを一度も描きませんでしたが、彼は恋人を、私の可愛い人という意味の、マ・ジョリ(Ma Jolie)というニックネームをつけて表記していました。
彼ら2人は、バルセロナのピカソの家族を訪れたとき、結婚について話し合いました。彼女が結核にかかり、末期がんで亡くなったときに、彼らの関係性は終焉を迎えます。彼は、彼女の早すぎる死に荒れ果てます。彼女の死後1915~1917年は「古典的キュビズム(あるいはCrystal Cubism)」の時代で、彼の作品は、非常に幾何学的でミニマムなものになります。
ピカソは、1914年の第1次世界大戦の勃発にもかかわらず、アヴィニョンで中断なく絵画制作を続けました。第一次世界大戦の激動後に、数多くのヨーロッパの芸術家たちが、極端なアヴァンギャルドの芸術を拒否し、その代わりに新古典主義的な様式で制作します。
この動向は、「秩序への回帰(return to order)」と呼ばれ、古典主義と自然主義絵画の復活が、ピカソを含む多くの1920年の作品の多くに明らかに認められます。1917年の最初のイタリア旅行で影響を受け、この時代の絵画やドローイングは、≪肘掛椅子のオリガ≫(1918年)に見られるように、ラファエルやアングルの作品のような、彼の初期の古典的な様式の作品群を思い起こさせるものです。
彼は、バレエのコスチュームのデザインをしている際に、ロシアのバレーダンサーのオルガ・コクローヴァに出会い、彼女が踊るバレエの舞台装置をデザインしました。彼女はバルセロナのピカソのもとに留まるために、所属集団を離れ、そして、その後パリに移動し、1918年に結婚をしました。コクローヴァは、ピカソを富裕層の生活や公式のディナーパーティに招待しました。
2人の間には、パウロ・ピカソという息子が誕生しました。しかしながら、コクローヴァの貴族趣味と、ピカソのボヘミアンな性格はしばしば衝突し、しばしば彼らの関係性は、絶え間ないいさかいによって悪化しました。彼は1927年に17歳のマリー・テレーズ・ワルテルと密会を始めます。彼女は、新古典主義的様式の100枚のエッチングのシリーズ≪Vollard Suite≫によく登場します。
1935年にワルテルが妊娠したとき、コクローヴァはその関係性を知ることになります。ピカソが8年もこの関係を続けたことに、感動しませんでしたか? 私は長い間、秘密を保ったからだと思います。
コクローヴァはすぐに息子を南フランスに連れて、そして離婚を申し出ます。しかしながら、フランスの法律では、彼らの所有物を半分に分割しなければならないため、ピカソは離婚を拒否します。彼女が死ぬ1955年までに、彼の公式な妻であり続けます。
ワルテルは、マーヤ・ピカソという女の子を生み、2人は、オルガが出奔した後にピカソと一緒に暮らします。ピカソのワルテルを描いた絵は、1932年の≪夢≫などしばしば官能的に描写されています。若いブロンド女性との関係性は、恐らく性的な関係が中心にあったのでしょう。牧歌的なエロティシズムと殆ど混じり合ったイメージとなっても驚きはしません。
彼女の静かな、そして罪の無い官能性の享受と、芸術家の完全なる満足がみられます。ピカソが描く作品には、モデルを前にしたときの直立した男根を暗示していることが指摘されます。しかしながら、ワルテルは、芸術については無知で、知的水準についてはピカソに対してはさして提供するものはありませんでした。
彼の次のミューズは、シュルレアリスムの写真家ドラ・マールで、双方ともお互いに刺激を与え合い、そしてピカソを挑発しました。ピカソは彼女のことを、私的なミューズと呼びました。彼女はピカソの母国語を話し、政治的な関心を分かち合いました。ワルテルの肖像画が幸福で輝かしいものであるのに対して、マールのイメージはダークです。
そして、≪泣いている女≫のように彼女はしばしば苦痛を受けたように描かれます。マールは、彼が政治的に困難な時代において、ピカソの伴侶でした。彼女の内面の混乱は、スペイン内戦(1936~39)の苦しみを恐らく示しているのかもしれません。思うに、ワルテルはピカソがマールに恋に落ちたとき、非常に嫉妬深かったのでしょう。
そして、明らかに2人は、≪ゲルニカ≫の制作をしているピカソのアトリエで偶然にも出会ってしまいました。≪ゲルニカ≫において、マールは実際にそのプロセスを記録することで協力していました。いずれにせよ、2人は不運にもある日ばったり出会い、そいて、ピカソは2人のうちどちらか選べと要求されました。彼は今の状態で幸福であるから、2人のうちどちらかを選ぶことはできなかったと述べています。
仮に彼に選択させていたとしてもその間での喧騒は避けられなかったでしょう。でも、ちょっと聞いてください。彼女たちは取っ組み合いのけんかをし始めます。しかしながら、私はその最悪な部分を知りませんが、後に、ピカソは飛び切りいい思い出として回想しました。つまり彼はこれを楽しんでいたのです。
ピカソは、ワルテルとその娘の生活の面倒を見ましたが、ワルテルとは決して結婚しませんでした。第二次世界大戦の時代ナチスに占領されたパリでは緊張が高まりました。ピカソのマールの肖像画は次第に暴力的で抽象的になりました。フランス人のレジスタンスたちによって密輸されたブロンズで彫刻を制作し、絵画を描き、作品を再制作しました。
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