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「サイコパス」中野信子氏インタビュー(全3記事)

ロジカルな人が叩かれるのはなぜ? 理屈・感情・コミュニティの関係性を中野信子氏が説く

著書『サイコパス』が発行部数20万部を突破しベストセラーとなった脳科学者の中野信子氏に、サイコパスの正体と社会との関わりについて聞くインタビューの中編です。「ロジックと共感はトレードオフ」という同氏が、論理と感情、社会コミュニティとの関連性について指摘します。(聞き手:ログミー代表・川原崎晋裕)

サイコパスは知能が高い、と誤解される理由

――頭のいい人って、先ほどから中野さんがおっしゃっている「共感の正体」みたいなものに気づきやすいのかなと思って。普通の人は、たとえば「なんで生きてるんですか?」という問いに対して、「生きてるから生きてるんだ!」みたいに理屈で考えないところがあるというか……。

中野信子氏(以下、中野):「死にたくないから」みたいな(笑)。

――そうそう。だから、頭のいい人がサイコパスみたいなふうになりやすいのかなって思っていたんですけど、これは違うというふうに著書『サイコパス』には書かれていますよね。

中野:知能との相関はあんまりないんですね。要するに、知能がそんなに高くないサイコパスは悪いことをすると警察に捕まっちゃうので、知能の比較的高いサイコパスが社会のなかでは生き延びますよね。抹殺されずに。

その知能の高いサイコパスにばかり目がいっちゃうので、なんか頭のいい人が多いような感じがするという。

――なるほど。著書の中では、実態としてはサイコパスの知能は普通の人と同じかちょっと低いみたいに書かれてましたよね。そういうカラクリなんですね。

中野:そうですね。社会の中で生き延びてるサイコパスを我々は見ているということになる。そうすると、比較的やっぱり知能が高いほうに最頻値があるように見えてしまう現象だと思います。

共感とロジックはトレードオフ

――それでいうと、ロジカルに考えるということと、共感性が高いことって、相対するような印象を受けるのですが。

中野:これはトレードオフですね。共感すると、ロジカルに考える部分の機能が落ちます。

――そうなんですね! おもしろい。

中野:おもしろいですよね。

――共感性が強いと論理性が下がる。

中野:そうですね。「そこをなんとか」っていう表現がありますね。「そこをなんとか……」と言われたときに、「いや、ロジカルに考えて無理でしょ」っていうふうに言えるのが勝間和代さんとかです(笑)。

――(笑)。

中野:すがすがしくて私は勝間さんを好きですけど、人は多くの場合は「そこをなんとか」って言われたら、「う~ん……確かにロジックで考えたら変だけど、なんとかしてあげましょうか。ロジカルな部分を曲げて」という。これが共感性の役割ですね。

――すごくわかりやすいですね。ビジネスにおいても、商談で感情と論理を混ぜて話したり、あとはマネジメントでもロジックと感情が混ぜこぜになっていたりして。話してる本人たちも、意図してやってるわけじゃなくて、よくわからなくなっていたりするケースが多い印象です。

中野:そうそう。ただこのとき、ロジックのほうを大事にするとどういうことが起きるかというと、そのロジックを大事にした人は、組織など共同体から排除の圧力にさらされる可能性が高くなります。

本当はロジカルには正しいんだけれど、「空気読めないことするな」と言われます。そのコミュニティから距離のあるところで、冷静になって考えれば「空気ってなんだよ」って思いますよね。まったくロジカルではないことに従え、というのですから。

だけど、コミュニティを維持するためには、ロジックだけを大事にするという戦略ではダメなんです。

要するに、私たちはロジカルに考えて生き延びてきた種ではない、ということなのだろうと思います。ロジカルをときには捨てても共感性で対応する必要がある事態が多かったんでしょうね。

善悪の正体

――でも、ロジックって、普通は目的があって、「この人にいい感情を抱かせたい」とか「この人にこの商品買ってほしい」というゴールがあって、そこに対してカスタマイズしてあとからくっつけるものじゃないですか。絶対的なものじゃなくて、ただの手段に過ぎない。

中野:確かにビジネスの現場ではそうです。が、例えばそれを友達の間でやったら、みなさんはどう言うでしょうか? 「なんて計算高い汚いやつだ」と言われますね。

――ああ、そうですね。確かに。

中野:この認知はすごくおもしろいと思います。なぜか「汚い」という表現を使うんですね。なぜ汚いか? 不思議です。善い、悪い、じゃなくて汚いと言いますね。dirty、これは英語でもそうですね。

そもそも、善悪の判断自体も、その源を探ろうとするとなにが善でなにが悪かわからない。国、時代、社会事情によっても変化します。それぞれキーワードを出してみると、その実態がおぼろげに見えてきます。

――実態といいますと?

中野:善とされるものの正体は、誰かのために、集団社会のために、コミュニティのために自分を犠牲にしましょう、ということです。利他的な行動とか。聞きなれないでしょうが、向社会性です。これは、集団の外から見れば異様なことのように映るのですが、内部にいるとあっという間に感化されてしまう。これと反するものが悪だという認知が人間にはあるんだということがわかります。利己主義、自分勝手、わがまま、などの表現があります。

その善悪の部分はじゃあどこが判断してるかというと、内側前頭前野という部分が判断する機能を持ってるんだろうと考えられています。集団のためになにかすることをよしとする。よしとするというのは、そのときにドーパミンが出るという意味です。

「サード・ウェイブ」実験

――そこで言ってる良心みたいなものって、多数決の結果みたいなものと考えていいんですか? 要は集団側が良心を持っているっていう話ですか?

中野:違います。「集団が良心を持っている」かのように錯覚させられてしまう、ということです。内部にいると。川原崎さんの質問は的確ですね。読み手はここを誤解しやすいということですね?

集団の判断が正義であるとする、つまり全体主義は、歴史を振り返ってみたり、他国のことであったり、物語を読んだりしているときであれば、「恐ろしいものだ」と直ちにわかります。私たちは、そのとき外部にいるからです。

でも、自分が内部にいて、当事者になるとできないんです。客観的に見られなくなるようにできているんです、ヒトは。

――なるほど。

中野:サード・ウェイブ、という実験があります。ロン・ジョーンズという若い高校教師がやったもので、彼は歴史の授業で生徒たちから「なぜドイツ人はナチスを止められなかったのか?」という質問を受けたんです。自分たちだったらこんなことは絶対にしない、アメリカはそんなふうにはならない、とか、生徒たちは主張した。

そこで次の日、ジョーンズはある提案をします。今日一日だけ、このクラスだけの独自の厳しいルールを作ろう。それに従って行動しよう、というものです。それによって集団が生み出す力を探る、というのが生徒に伝えられた目的でした。

まずは、ルール作りから始まりました。とても細かいものです。ナチスも、細かい規律を定めることで、国民をマインドコントロールしていったと言われてますね。人間の中に「グループの一員である」という自覚を生じさせ、単純作業を繰り返させれば、次第に個人の合理的な思考は弱まっていきます。所属していること、規則に従うことそのものが、快感になっていくからです。

実際、一日限りという約束でしたが、生徒は翌日になっても続けたがりました。ジョーンズは悩みつつも、この実験を「ウェーブ」と名付け、続行します。より集団への帰属を深く認識させることにつながる、独自のあいさつ方式も考案されました。ナチスのような。

そしてなんと実験を始めて数日後、クラスの授業の効率、生徒の成績が格段に上昇したんです。生徒は自信を持ち、ますます新しい規律を欲するようになりました。メンバーは「ウェーブ」へ他の生徒を勧誘しはじめるのですが、それを断られたり、けなされたりすると、暴力的な反撃をする。異分子の存在を認めないんです。

それで仕方なくメンバーになった生徒もいました。特定の会社や学校などの組織、一部のネット上のコミュニティ、今の日本でも、多くの場所でこうした行動の片鱗がみられると思います。

学校中が「ウェーブ」のメンバーになるまでに、一週間かかりませんでした。それどころか、他の高校にも広がりはじめ、各地で暴力事件や喧嘩も多発し、ジョーンズは危機感を覚えて、実験を強制的に中止しました。

SNSは「メタ・ポジション」の取り合い

――我々ビジネスパーソンの間だと、FacebookなどのSNSがよく使われてますが、共感の押し付けに困っている人がいるというのをよく聞きます。

中野:共感の押し付け?

――例えば、上司がFacebookに投稿したら「いいね!」押すとか。

中野:ああ。あれは承認ですね。共感というよりも。

――共感と承認はなにが違うんですか?

中野:「いいね!」を求めるのは、いわゆる「承認欲求」を満たそうとする行為ですよね。共感が「同じであることの確認」であるのに対して、いやな言い方をすると、自分はみんなに喜ばれる存在であると確認したい、みんなより上位にいる、と感じたい、という。

その証拠としての肩書きもほしいでしょうし、それに見合う社会的証明としての収入もほしいでしょうし、異性にもモテたいでしょう。「大切な人と一つになりたい」が共感だとしたら、承認は「多くの人に漠然とモテたい」。彼らがほしいのはそういうものです。

そのことにあまり自覚的でない人はすごく多いですね。自覚的な人はそのことを利己的と感じて「美しくない」とみなすので、そういう振舞いにブレーキを掛けるようになります。

それはメタ認知ができているかできていないかの差なので、できればメタ認知ができてて抑制的な人とつきあいたい(笑)。

――まあ、そうですよね(笑)。

中野:SNSは、承認のマウンティングのしあいというか。「俺のほうが承認されている」「俺のほうがリツイートされている」という現象の重ね合わせでできているように見えます。

「俺はお前の価値を承認する側」ということで、上から目線の批評をすごく見かけます。エンタメとしてはおもしろいし、とくにそれを批判する気持ちはないのですが、あれは自分のほうがメタ側にいるという、自分の考え方のほうがより基準としてふさわしいということの殴り合いみたいな部分があります。

――たとえば、ログミーで孫正義さんとかのスピーチを読んで「そうそう、俺もずっとこう思ってたんだよね」ってコメント付きでシェアする人とかいるんですけど、「いやいや、そんなわけないでしょ!」って思ってしまいます(笑)。「あなたの考えていたことと似てるかもしれないけれど、たぶん違うよ」って。

中野:そうですね。そうしたコメントを拝見すると「ああ、この人はすごく自分をメタ側に持っていくことで承認を得たいタイプの人なんだな」というふうにやっぱり見えてしまいますけどね……。「俺は名前は出てないけど、本当は隠れた賢人なんだ」みたいに振舞う人は想像以上にたくさんいるのかもしれません。とくにネットで。

承認と性行為、どちらの快感が大きい?

中野:「自分の話を聞いてもらうという快感と、性的な行動をしてるときの快感、どっちが大きいでしょう?」という研究があって。ドーパミンが出る量。

――どっちなんですか?

中野:話を聞いてもらうということのほうが快感。

――えっ、そうなんですか? なんか信じられないですね。

中野:同じ自慢話を繰り返す先輩がもしいたら、その人を想像してみてください。出てますよね。それに、男性がお金払って風俗に行くのとキャバクラに行くのと、実はキャバクラのほうがお金使ってるぐらいですよね。つきあいというのもあるんでしょうけど。

そこでお金をバンバン使えることをみんなに見せつけて承認されたいから、ブラックカード持ってみたりとかするわけじゃないですか。風俗でブラックカードなんか使おうと思わないでしょう?(笑)。

――思わないですし、キャバクラは私、嫌いなんですよね。実利がないから。

中野:おもしろい(笑)。私、ログミーが好きなのは、そういうのを排したメディアだからですよね。独自の見解を混ぜたり、自分の意見を入れたりしないので、取材されるほうがマウンティングされたり、その材料にされることはない。そこはすごくフェアなメディアのように思っていて、好きなんですよね。

――サイコパスが作ったからですかね、じゃあ(笑)。

中野:(笑)。でも、合理性が高い人じゃないとできないのは確かですね。みんなが美しいと感じてしまうような、感動するメディアとか記事をシェアしてる人も、私は信用しない。

――それもわかりますね……。

中野:そう。「この人は集団のために自分を捨てさせることを強要する人かもしれない」と警戒します。社会性を過度に求めるタイプの人は、一般には正常とされるんですけれども、私は社会にいることをそんなに重要視しないタイプの人が好きです。

そういう意味では、私はサイコパスと呼ばれる人たちのことを、危険で怖いけれど、逸脱した存在としてはむしろ愛していて、おもしろいと思っています。

――殺人とかさえしなければ?

中野:うん。ちょっと友人としてつきあうというわけには、もしかしたらいかないかもしれないけれども。こういう人たちの存在も必要……だから人間は生き延びてきたんじゃないかと、考えたい気持ちはありますね。

サイコパス (文春新書)

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