2024.12.19
システムの穴を運用でカバーしようとしてミス多発… バグが大量発生、決算が合わない状態から業務効率化を実現するまで
The Truth About 10 Famous Inventions(全1記事)
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ハンク・グリーン氏:発明家。それは髪もめちゃくちゃでガレージにこもった賢い人たち。トーマス・エジソンは電球を発明し、エリ・ホイットニーは綿繰り機械を発明しました。そうやって学校で教わりましたよね。なぜならそう言えば簡単で覚えやすいからです。
しかし実際はもっと複雑で、数多くの人の努力が関わっています。そして最後の人がその名声を総取りするわけですが、発明品にはコラボレーションの壮大な歴史という側面もあるのです。
これから紹介するのは、発明したにもかかわらずそれが知られていない10人の発明家です。何十年、何世紀もかかって日の目を見たプロセスの紹介です。
ガラスビジネスにとって1500年台後半はいい時代でした。ガラスやレンズがどんどん発達し、望遠鏡が発明されるのは時間の問題でした。誰というわけでもなく、大量のレンズを手にしてこういうのです。「あれ! 大きく見える」。
それを初めてやったのがオランダのハンス・リッペルスハイです。もちろん他にもこれに気付いた人はいたでしょうが。この話がオランダで有名になり、それを聞きつけたガリレオは自分も欲しくなりました。
大したことじゃありません。実物を見ずに自分で作ってしまったのです。そこにいくつか改善を施しました。ガリレオは賢い男です。何も取り除くことなく、科学装置として使い、太陽系を観察したのです。そういう使い方は誰もしていなかったみたいです。ガリレオは確かにリッペルスハイやガラス業界の恩恵を受けていたのです。
ジェームズ・ワットはほぼ蒸気エンジンの同義語ですが、それより60年ほど前に発明はされていました。イギリス人の発明家トーマス・セイヴァリが最初の蒸気エンジンを作りました。ある問題解決のために1679年に特許を取りました。炭鉱に溢れる水を止めるためには、バケツよりは有効な手段でした。
数年後、トーマス・ニューコメンが手を加えて気圧で動くようにし、気圧エンジンと名付けました。バケツより便利ということで50年ほど使われたものの、常に冷やしたり温めたりする必要があったので、すばらしいと言えるものではありませんでした。
そこにキーとなる発明が誕生します。1760~70年にジェームズ・ワットが発達させていたのは、蒸気用の分離したコンデンサーでした。これによりエネルギー効率が非常に良くなり、ジェームズ・ワットとマシュー・ボールトンは蒸気エンジンを商用化して世界を変えたのです。産業のね。
アメリカの高校生ならこう言うでしょう。「1793年にエリ・ホイットニーは綿繰り機械を発明した」これはちょっと誇張なのです。
綿は繊維の中に種があります。これが欲しいわけですが、それを取るのは手作業です。綿を分離させる、シンプルなくるくる回る機械もあったのですが、うまくいかないこともありでした。種を潰してしまうこともあり、長い繊維を持つ綿にしか使えませんでした。
ジョージアのほとんどの綿は奴隷に栽培され、短い繊維でした。ジョージアはより良い綿の分離機械の発明ができる人を求めていました。州にスポンサーされたエンジニアのプッシュもあり、ホイットニーは綿繰り機械の製作に着手し、発明に成功しました。
硬いローラーからワイヤーになりましたが、それは奴隷に負担がかかるものでした。その発明を進め、結果としてアメリカの歴史を変えることになります。おそらく悪い意味で。
人力により持ち上げる機械は古代ギリシャ・ローマに遡るわけですが、そうなると1853年のエリシャ・オーチスのエレベーターの発明は認め難いものになります。
産業革命で蒸気や電気のエレベーターが使えるようになり、アメリカの建物はどんどん高くなりました。建物が高くなるにつれて、人々は階段を上るのに疲れてしまいます。電気エレベーターはロープで支えられていたので、壊れることがありました。
そこでオーチスは重要な安全の発明をしました。セーフティブレーキです。それがなければエレベーターを支える物が落ち続けます。現代でも似たような安全装置が使われています。オーチスがいなければ、摩天楼は存在しなかったでしょう。多くの人がエレベーターのアイデアには関わりましたが、オーチスが実用的なものにしたのです。
トーマス・エジソンは光を与える電気器具を発明していません。というかフィラメントのある電球すら発明していません。ただし1880年に実用的な電球を販売し始めましたが。
最初のライトはアークランプと呼ばれ、ハンフリー・デービーによってその78年前に発明されましたが、長持ちせず明るすぎました。プラチナで作ろうとしたものの、プラチナは高すぎました。
1850年にジョセフ・スワンはフィラメントにはカーボン紙がいいと気づき、電球を作り始めます。長持ちと効率化は難しかったものの、1880年にセルロースのフィラメントにたどり着きます。ちょうどその頃、エジソンは竹炭が1,200時間持続することを発見します。
1883にスワンの会社はエジソンの会社と合併しました。あとはいわゆるマーケティングってやつですね。
1890年のラジオの発明はマルコニとニコラ・テスラの死闘でした。
テスラはラジオの多くの装置の特許をかき集めました。それに対しマルコニは、それを商業商品として発達させ、長距離シグナルを送っていました。
これらの偉業もある男なしでは達成できませんでした。この10年前に電磁放射を確立したのがドイツ人の科学者、ハインリヒ・ヘルツです。彼は自分の研究所で転送と受信に成功しました。しかしそれを実用する手法については無頓着でした。彼にとっては、純粋に科学だったのです。結果、エンジニア気質のテスラとマルコニがラジオを世に生み出すことになったのです。
1908年の生産開始時点では、T Fordモデルは最初の車とはかけ離れたものでした。ある意味では最初の車とも言えますが。
馬以外の乗り物の開発には多くの人が関わっていました。その分け前はカールベンツのものとなりました。1880年に初の内燃機関自動車を発明しました。
フォードがやったことというのは、みんなに車を行き届かせるということでした。車の生産に革命を起こし、超熟練の職人だけの仕事をアッセンブリーラインへと変換させたのです。たちまち車を進化させ、大量に安く売ったということです。
数百ドルあれば、と言っても20世紀ですが、とにかく車を手に入れることができたのです。そして工場の労働者には他の平均の2倍払っていました。フォードは車を発明はしていませんが、現代の通勤に大いに貢献したのです。
オービルとウィルバーライト以前に誰も飛行機について考えなかったわけではありません。ダビンチがノートにスケッチしていました。私たちはずっと空を飛びたがっているのです。その夢を手にしたのがライト兄弟なのです。
初期の飛行機のデザインは羽ばたき機でした。鳥にインスピレーションを得た羽ばたく機会だったのです。軽く強く、かつ動いて飛ぶものをデザインするというのは、とんでもないチャレンジでした。
イギリス人のジョージ・ケイリーが翼の固定された飛行機を初めてデザインし、19世紀の羽ばたくデザインを革新しました。数十年後にオットー・リリエンタールが実践してグラインダーを作りってデータを蓄積し、ライト兄弟がそのままそれを引き継ぎました。
ライト兄弟は航空のパイオニアに頼るだけではなく、当時すでにあったもう1つの発明も駆使しました。そう、自動車ですね。人々は軽く早い内燃機関をデザインしていました。他のエンジニアは電機製のものを試しましたが、重かったのです。ライト兄弟は、まさにちょうど良いタイミングで軽い動力へのアクセスがあったのです。
もちろん彼ら自身の発明も重要でした。3次元空間での操縦は難しく、人間には操縦不可能と思われていました。しかしバイクショップのオーナーだったオービルとウィルバーは、バイクと捉えることにしたのです。そして彼らの貢献が実際に飛べる飛行機を生み出したのです。
フィロ・ファーンズワースはテレビを発明したことで有名ですが、そこには数多くのステップがありました。
まずブラウン管を発明したのがフェルディナント・ブラウン。ブラウン管のテレビなどをあなたも見たことありますよね。まさにそれが、ファーンズワースがラジオ信号を光に変えることができた理由なのです。
ビームでイメージをスキャンする電気テレビと、ディスクを回すメカニカルテレビの2つがしのぎを削っていました。ファーンズワースはすでに高校生の時にブラウン管で動くイメージのとらえ方を考えていました。ブラウンの技術を使い、1929年に最初のテレビを作りました。
グラフィックユーザーインターフェース。スクリーンのマウスポインターやデスクトップアイコンなどです。コマンドを打つよりも視覚的にコンピューターとやり取りできます。マイクロソフトを考えがちですよね。マイクロソフトがウィンドウズをリリースしウィンドウズにメッセージなどが表示されるからです。
しかしその前に。グラフィックユーザーインターフェースの生みの親がいるとすれば、それはダグラス・エンゲルバートです。1945に書かれた、コンピューターはもっとインタラクティブであるべきだというエッセイに彼は感銘を受けました。そして1968年にマウスポインターのOSをデモンストレーションしました。
そのアイデアはゼロックスによってピックアップされました。そう、あのゼロックスです。グラフィックユーザーインターフェースを用いた最初の商業コンピュータです。アップルがそのアイデアを気に入り、マッキントッシュをリリースしました。メニューやアイコンのようなものがたくさんありました。
遅くて漫画っぽくて可愛すぎるからビジネスに向かないという人もいました。ウィンドウズ3.0、3.1、95が発表されるまでは、グラフィックユーザーインターフェースは普遍的ではなかったのです。
発明とは何年も、または何世代ものコラボレーションに及ぶものです。1人の天才が目立つことはありますが、1人だけでは絶対に実現できないことなのです。過去より偉大な発明も、巨人の肩の上ということなのです。
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