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The Nonsensical Art of Dada | Dadaism | LittleArtTalks(全1記事)

ウルトラ怪獣「ダダ」の元ネタを知ってる? 

「ダダ」という言葉を耳にしたことはありますか? もしあるという方は、ウルトラマンの怪獣のイメージが強いのではないでしょうか? 実は、ウルトラマンに登場した特徴的な怪獣「三面怪人ダダ」の名前の元ネタになっているのは、1910年代頃に誕生した芸術運動「ダダイズム」なんです。あの独特の縞模様の元になったダダイズムを、YouTubeのアート系チャンネル「Little Art Talks」が解説します。

ダダとは何か?

カリン・ユエン氏:ダダ、またはダダイズムと呼ばれる作品は、ノイズに関連するもの、髭を生やしたモナリザ、そしてボール紙の筒を着てちんぷんかんぷんな詩を暗唱するといった作品が含まれます。

ダダは誤解されるようにデザインされており、芸術に対して世界が持っている期待を覆し、困惑を促進させます。基本的に、ダダイズムは芸術が象徴してきたすべての全く逆のものを表現しています。ダダイズムの芸術家はこのような方法が好きなのです。芸術は伝統的な美意識が考慮されている場ですが、ダダイズムは完全にこれを無視します。もし芸術が感受性に訴えることだとすると、ダダイズムは怒りを煽ったり人を挑発しようとしてきました。

ダダイズムは理由や論理を排除し、無意味なこと、不合理、そして直感を重要視しています。実際、ダダイズムで最も重要なことは、偶然の考えです。彼らにとって、芸術は人生を映し出し、人生には偶然があります。

そして偶然はあなたがコントロールできない、またはすべきではない何かなのです。彼らは偶然が無意識な精神のはけ口だと信じていたので、新聞から単語を切りとり、紙袋に投げ入れ、それらを詩へばらまくといったトリスタン・ツァラの様な作品やパフォーマンスがあります。

おそらく、芸術家は子供時代の遊び心で彼ら自身が熱中している一方で、大人たちの世界は、第一次世界大戦中、様々なものを破壊するのにいそしんでいました。元祖ダダイストの1人である、ハンス・リッチャーが、「私たちの挑発は、ただブルジョワ階級を激怒させ、そして怒りを通して、つつましい自己認識をさせるという手段でしかなかった。ダダイズムは、戦争が国家に対して行ったように、芸術の世界を壊す嵐だった。それは芸術に対する芸術家の暴動だった。」と言いました。

ダダが生まれた地「キャバレー・ヴォルテール」

第一次世界大戦中、多くの芸術家たちは母国を離れ永世中立国のスイスへ行きました。そして1916年、詩人のヒューゴ・バールがチューリッヒのバーのオーナーと取引をしました。もしそのバーを彼が立てる、「キャバレー・ヴォルテール」という文学カフェに変えるなら、ビールとソーセージの販売を増やす、というものです。キャバレー・ヴォルテールには外国や地元の両方の芸術家が集まり、独立のコレクションを作り、そこがダダイズムが形成され始めた場所になりました。

「ダダ」という名前の由来ははっきりしていません。ダダと言う言葉が無意味だからと言う説を信じている人もいます。また、ルーマニアの芸術家トリスタン・ツァラとマルツェル・ヤンコが頻繁に使用していた、ルーマニア語で「はい、はい」を意味する「ダ、ダ」からきたものだと信じる人もいます。

または、ある巨匠がフランス・ドイツ語辞書をとり、それをナイフで突き刺し、ナイフが、フランス語で回転木馬を意味する「ダダ」というところを指したことに由来すると述べています。

1916年5月の最初の出版物で、バールは「キャバレー・ヴォルテールは、戦争とナショナリズムの運搬を超えて、他の理想のために生きているわずかな独立した精神の注意を引く、というたった1つの目的を持っている」と書きました。

他の理想とは、もちろん戦争反対の精神を意味します。この芸術運動は、ヴィジュアルアート、詩、文学、劇、アートマニフェスト、芸術論、グラフィックデザインといった広い範囲に及び、そして反芸術活動を通し、芸術における基準の普及を拒否すること通し、反戦政治に集中していました。

キャバレー・ヴォルテールは、ギャラリー、コンサートホール、そして詩の読み聞かせの舞台となりました。そして重要な人物は、ヒューゴ・バールはもちろん、トリスタン・ツァラ、マックス・エルンスト、ハンス・アルプ、後にマルセル・デュシャン、フランシス・ピカビア、アンドレ・ブルトン、マン・レイが加わりました。

未来派主義者の様に、彼らは従来の統語論と意味論からの言語の解放、騒音音楽と言った加工していないサウンド、しっちゃかめっちゃかなタイピングに興味がありました。未来派主義者には使命やメッセージがありましたが、ダダイズムの場合は使命を持たないという使命がありました。

ダダが残したもの

その時代、リッチャーの言葉によれば、「芸術運動にすべての方向へ展開する爆発力を与えたのはダダイズムだけだった」とあります。マルセル・ヤンコは、「私たちは私たちの文化に対する自身をなくしていました。すべてが崩壊されなければならなかったのです。私たちは白紙の状態からまた始めるつもりでした。キャバレー・ヴォルテールで、私たちは、常識、公共の意見、教育、組織、博物館、品位、つまりすべてに広がっている規則に対するショックから始まったのです。」と回想しています。

この運動は、一斉にニューヨーク、そしてパリ、バルセロナ、ベルリン、ケルン、そしてハノーヴァーへ広がりました。1920年代の始めまでに運動は燃え尽き、超現実主義や他の派に組み込まれましたが、その短い時間の活動は、世界中の放浪している芸術家や情熱的な芸術家のネットワークを通して目撃されました。

ダダイストのメンバーは若く、嘲笑されることで彼らが世界を変えることができると信じていて、おそらくナイーヴでした。しかし、戦争中、確実に彼らは世界は変化が必要だったということを知ったのです。彼らにとって芸術は古く、その価値やルールとともに陳腐なものになっており、商業化から芸術を自由にした買ったのです。

彼らの反芸術主義の姿勢にもかかわらず、彼らの芸術はまだ芸術でした。しかし、むしろ壁や台に立てかける芸術というよりは、挑発させる芸術だったのです。彼らの反芸術主義の妙な行動は、新鮮な空気を吸うことでした。つまり古く、新鮮味のないアイデアを払拭し、新しい方向へ道を開くということだったのです。

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