2024.12.19
システムの穴を運用でカバーしようとしてミス多発… バグが大量発生、決算が合わない状態から業務効率化を実現するまで
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二村ヒトシ氏(以下、二村):で、第2章に入るって感じですか?
河本ここの氏(以下、ここの):第2章ですね、そうだ。
二村:この時の晃さんの「隣にくっついてくれて嬉しい」って気持ちは、1行ではあんまりなので(笑)、もうちょっと言語化できます?
河本晃氏(以下、晃):そうですね。まだ、彼女は私に愛情をちょっと持ってくれていた時期なので。ほとんどいないんですけど、いる時は私を見てくれていたんですね。そういう感じがあったので、さっき言われたようなのが1つその事象ですけど、それはそれですごく幸せな時間ですし、いいなと思ってて。
でも逆に私がどこまで彼女のことを見てたのかというと、実はちゃんと見ていなかった。ただ、そのことを自分ではわかってなくて、当時は私を見てくれていること自体が嬉しいという、そんな単純なことでしたね。
二村:で、第2章、第2フェーズに入る。
ここの:ですね。(晃氏が)転勤になって、大阪だったんですね。夫が奈良出身で里帰りも含め関西には行き来していたので、関西圏は近いという意識もありました。ちょうどその時、私は在宅でできるやりがいある仕事を持っていたので、一緒についていったらその仕事を辞めなきゃいけないって。
二村:その時、下のお子さんはいくつですか?
ここの:転勤が始まったのはちょうど年長さんだから、5歳くらいですかね。自分にしてみたら専業主婦期間が終わってようやく社会との接点を取り戻して頑張れる、みたいな時だったので。
二村:そこに転勤の指令が。
ここの:ええ。当然、議論の余地なしで単身赴任だよね、みたいな感じになりました。
二村:第2章って晃さん空白なんですけど、その「当然、単身だよね」って奥さんとお子さんが思った時の自分の感情って覚えてます? 寂しかったとか、おいおい……とか。
晃:いや、それはあんまりなくて。週末ここに帰れば会えるし、逆に言うと大事な仕事に集中できるので。それまでも家にいる時間は限られていたので、アメフトやってた時とあまり変わらないな、くらいの認識でしたね。
二村:感情はそんなに入らなかった?
晃:はい。
二村:ここのさんは、お父さんが?
ここの:そうなんですよ。その当時育ち盛りで手のかかる子供と、PTAとか父母会ボランティアとかがいろいろあるわけで、結構大変だったんですね、当然ね。
プラス、ちょうど父が認知症になって、徘徊になって、寝たきりになって……みたいなことがあって。その介護をしていたのは主に私の母なので、私がすっごい大変だったということではないものの近くに住んでいたので、(徘徊している父を)近所に探しに行ったりだとか救急車で運ばれるのに付き添うとか、常に意識にありましたし。
「どうしようかな」、「次どうなるのかな」ということは、ずっと心にありましたよね。
そんな状態ですけども、全然(晃氏からは)連絡が来ないし、帰ってきたとしてもお客様気分って感じで幸せそうなんですけど、「こっちはそんな感じでもないんだけどね……」みたいな気持ちはありましたね。言ってもわからないだろうという諦めもありますけど、まさにそんな状況でした。
二村:お子さんって、週に1回晃さんが帰ってくると喜んでた?
ここの:喜んでたと思いますね。というのは、私の両親が非常に不仲だったんですね。私を味方につけようというか、私の前で父の悪口を言ったりするものですから、だんだんそっちのほうに染められているわけですよ、私の気持ちも。
その経験があって、不在の父親を生かすも殺すも母親次第だなと。それと同じことを私がやるのは絶対避けたかったので、お父さんの悪口とか、「連絡するね」って言ってても連絡してこないことに対して「ひどいお父さんだよね」みたいなことはするまいと思っていたんです。
ここの:ですので、非常にその辺はディフェンスしていた感じですね。だから、子供たちは素直にお父さんリスペクトって感じだったと思います。
二村:「お父さんは外で大変なんだよ」と。
ここの:そうそう(笑)。結局、夫を甘やかしちゃったんですけど。
二村:「私たちを食べさせてくれるお金を持ってきてくれているんだよ」。
ここの:「大変だと思うよ」みたいな感じ。むしろ、帰ってくる時に楽しかったらいいじゃないって感じでしたね。
ちょっとかわいそうだったのが、息子よりも娘のほうがお父さんが大好きだったので。従兄弟が近所に住んでるんですけども、その子がお父さん、つまり私の兄とすごく仲良くしているのを見て、娘が「私にはお父さんが傍にいないんだよね」ってことに気付いて、目を伏せたりとか、寂しそうな表情をしたりとか。
あと街を歩いてて、お父さんがお嬢さんを肩車してたりするようなのを見ると、見ないようにするのが痛々しくて。(フォローするために)「生きているからいいんじゃない」みたいな究極の表現をしていましたね(笑)。
たまたま娘の同級生のお父さんが突然死されたということもありましたので、それを引き合いに出すわけじゃないんだけども、生きているっていうことだけでもすばらしいことなんじゃないだろうかっていうことを言って。苦肉の策って感じですよね。
二村:っていうふうに、ここのさんは自分の感情を整えながら、その整えてる感情の奥には諦めがあった、ってことですよね。
ここの:そうですね。
二村:言ってもわからないだろうと。
ここの:(実際)言ってもわからなかったし(笑)、わからないんだよね……って感じ。
二村:でもそれは、伝えれば幸せになるってことでもなく、「ここは諦めておくのが幸せ」だと思ってたってこと?
ここの:いや、そういうことではないんですけども。言っても言っても本当にわからないんですよねぇ……。いろいろなことはしたんですけど。
二村:ちょっと逆ギレしていいですか、僕が(笑)。わからないんだよ、それは! 男は!
(会場笑)
ここの:もうね、アカンやつやって感じなんですけど(笑)。
晃:また喉カラカラになってきた……。
(会場笑)
二村:あのね、なんで今、僕が逆ギレしたかというと、罪悪感がわいてくるんですよね、話を聞いていると。その感情の話って、時間をとって後ですると思うんですけど……。いや、あの、罪悪感がわいたので逆ギレしました(笑)。
二村:で、第3章が、ご自分の気持ちを整えて、言ってもわからないから諦めていた。そうしたら、ここのさんが諦めることによって平和に整っていたお二人に「上海に行け」と。(晃氏の)会社から、ということですよね。
ここの:5年単身赴任が続いたんですよ。私もさすがに疲れたので、「なんとかしてくれないか、なんなら私が社長に直談判に行く」くらいのことを言ったんですけど、(晃氏が)「それはちょっとやめてくれ」と言って、「やめてくれ、じゃないだろう!」みたいな。
二村:この方(晃氏)は、その時リクルートの営業のエースみたいな感じじゃないですか。
ここの:必要とされてた感じがしますよね。
二村:それまで(晃氏が)いらしたのは奈良でしたっけ? 奈良は生まれたところで、大阪にいらしたんでしたっけ?
ここの:大阪2年、名古屋2年、その後もう1回大阪に行ったんですよ。
二村:その間は、大阪に住んでようと名古屋に住んでようと、週に1回くらいは帰ってきてた?
ここの:名古屋くらいから帰ってこなくなったんですよね(笑)。
二村:(笑)。
晃:週1回が2週間に1回になり、月1回になる。
二村:みたいになりますわね。
ここの:最後に上海ってなった時に、結構頑張ってた自分の気持ちがぷつんと切れたのを、今でもすごく覚えてるんですよ。「ああ、もう本当にちょっと無理だな」って気持ちになったのは、覚えてるんです。
二村:スカイプを無視された。
ここの:そうそう。そうは言ってもスカイプとかでなんとかなるんじゃないってことで、確か決めたんだよね? 時差がちょうど1時間あるので、うちが朝の6~7時にスカイプを立ち上げてると、こっち(晃氏)が7~8時でちょうどいい時間だから。
そこで何を話すわけじゃなくても、つけっぱなしにしてるだけで家族の雰囲気が伝わるんじゃない、ってことをしてたんですけども、応答しない状態ですね。こちらが立ち上げていても応答しないから、「お父さん、寝てるのかな?」、「仕事行っちゃったかな?」みたいなフォローを、私が何回もしなきゃならないような状態が増えたんですね。
二村:でも、その間も晃さんの心のなかには、なにも起きてなかったことですかね。年表は空白ですが……。
ここの:っぽいですよね。
全員:(笑)。
ここの:そうだったんだろうなと、今から考えると思いますよね。
二村:少なくとも、罪悪感なのか開き直りなのか、なんらかの感情があったのかもしれないけど、言語化はできない、思い出せないってことですよね。あの時期は。この表を書けって言われても。
晃:さっきも話しましたけど、ちゃんと私が彼女のことを見てなかったと思うんです。「大変だ」とか「こういうふうになってる」とか言われて、頭では理解しているのですが、ちゃんと実感していないというか、腹に落ちてないという感じなのか……。
ここの:(笑)。
二村:当事者性が。
晃:当事者性が(ない)。私は私で上海に行って、仕事がなかなかうまいこといかなかったんですね。それはそれで大変で、自分自身が仕事のことでいっぱいいっぱいになってたところもあり、余計に気が回ってなかったっていうのは……。半分言い訳ですけど(笑)、ありました。
二村:で、このままじゃダメだと思って、ここのさんはお一人で上海へ出かけて行った? お子さん連れて?
ここの:(子供を)連れて行ったこともありますし。
私もその当時いろいろと仕事を変わったりしていて、結構大変だったんですよ。ちゃぶ台ひっくり返すみたいな辞め方をした仕事もあって、結構疲れて(上海に)行ったんですが……。
私の仕事が大変な状況だったという情報も共有はしていたんですけど、腹に落ちていないので、上海に行っても放置されるというか、かなり無茶ぶりなプレイをされたというか(笑)。
二村:行ってもご飯は一緒に食べない?
ここの:ご飯一緒に食べないし、食べる時には会社のメンバーを連れてくるので、要は「夫がいつもお世話になってます」みたいなことをやらなきゃいけなかったりとかでしたね。
あの時は、どこに行っても心も身体も休まらないって感じになったんですよね。
二村:それが第3章。
ここの:そうですね。どこに行っても休まらないし、無理なんだな、この人って。
二村:無理?
ここの:今でもすごく覚えてるんですが、上海って、すごく欲望渦巻く街なんですよね。私は元気なタイプなので、元気な時に行ったら、あのなかで楽しく買い物したりとか。
二村:おいしいもの食べたりとか。
ここの:そうそう、できたと思うんですけど。心と体がボロボロになってる時は、あっちの空気感が逆にダイレクトに来るらしくって。上海のマンションっていうのかな、アパートっていうのかな? (その時は)部屋から1歩も外出られなくなっちゃったんですよ。出ると、あの街の勢いに殺されるっていう感じがあって。
この人(晃氏)も暇だったからだと思うんですけど、DVDがたくさん買ってあって。二村さんのはなかったんですけど(笑)。
二村:残念(笑)。
ここの:その中に『すべらない話』ってあるじゃないですか、ダウンタウンの。
二村:松本人志がやってる。
ここの:そう。私、実は見たことなかったんですけど、上海の部屋にボックスで揃っていて、あれにものすごい癒されたんですよね。
(会場笑)
ここの:本当に害のないすべらない話っていうの? あれを見ているときが1番楽しかった、上海では。買い物でもグルメでもなく、部屋で延々あのDVDを見て、しょうもないことで笑ってるってことでどれだけ癒されたかっていうのを思い出しましたね。
ここの:結局、どこに行っても私の救われる場所がないんだなっていうのがよーく分かって、とにかく帰ってきたっていうのが3章。
二村:被害者意識を持った。
ここの:あー、あったと思いますよ。頑張ってるのに、なんで報われないのかなって感じ。被害者意識はあったし、実際被害者だったと思っちゃってるんですよね、今でも(笑)。
二村:いや、被害者なんじゃないですか?
ここの:でも、ちょっと突き抜けた今になってから考えると、「あそこまで自分自身頑張る必要なかったのにね」とも思うんですよ。でもあの時はあれが自分のルートだったし、そうするもんだと思っていたし、それが幸せへの道って信じて疑ってなかったので、やってたんですけどね。
でも、それって全然自分のやりたいこととか、なりたい自分に忠実じゃないので、結局歪んでくるってことなんだなと思いますけどね。
二村:そして、帰国の辞令が。
ここの:で、帰国なんですよ。ここ結構きつかったんですよねー……。帰国するって聞いた瞬間に「マジか!」って思ったんです。あんなに転勤解除を願っていたのに、帰国が決まった瞬間に「ヤバ……」って思ったの。
二村:今更、一緒に暮らせないってことですか?
ここの:面倒くさそうだなって感じでしたね。
二村:夫が生活のなかに帰ってくる、と。家族のなかに帰ってくる。今までは遠くの家にいて、金だけ振り込まれている。
ここの:だんだん割り切るって感じになってきますからね、暖簾に腕押しというか。スカイプするとかして、帰ってくる余地を残しているのに、自らそれを切っていくわけですから、段々どうでもいいやって感じになってくるわけですよね。
最悪子供には言葉としてそういうのは見せないようにしてましたけど、自分のなかでは、いない方が楽だよねってなっていたので。
二村:「またイチからこの人とコミットしなおすのか」っていう感じ? コミットもなにも……。
ここの:一言で言うと、「面倒くさい!」。夫の存在自体が不愉快ってありますけど、帰って来てからも本当にそんな感じで。
二村:これ、晃さんビックリですよね。帰ってきたら居場所がなかったみたいな。
晃:そうなんです。雰囲気が前とは違うのは、さすがに鈍感な私でも感じまして、なんか違う、と。でも、なんでこうなってるのかがわからないんですよね。
二村:自分は悪いことしたつもりはないのに。
晃:ない、あんまりない。なので、さっきの二村さんじゃないですけど、逆ギレするんですよ。「なんやねん、お前」って感じで。
ここの:逆ギレてた、すごい。
晃:「お前のその態度はなんや」みたいなのが、1年くらいかなぁ。そりゃ、彼女も気分が悪い。その時に離婚を決意するって、言葉では言われてないけど、そういう夫婦関係になってたのはさすがに私も感じていて、私は私で「もうええわ」みたいな。
二村:そうしたことの1つとして、3.11がある。
ここの:そうですよね。いろいろありましたけど、もう終わったなって思ったのは3.11の時ですかね。私、実は3.11、日本で経験してないんですよ。というのは、ある大会に参加するためにサイパンに行っていて。サイパンはサイパンで、大騒ぎだったんですね。津波が来るって言って、ホテルのロビーに避難させられたりとか。
流れる映像は津波ばかりだし、コスモ石油かなにかのタンクが炎上していたのを見て、東京は大変なことになってるんだなっていう不安が押し寄せて。
二村:お子さんは東京に。
ここの:そうです。連絡取れないし、電話かけても繋がらないし、繋がった友人は「家のなかはめちゃくちゃらしい」ってことを言うし、不安ばっかりが募って。
翌日か翌々日に、渋滞とかもなく家に無事帰って来れたんですね。それで、娘と息子の顔を見てほっとして、「生きて会えてよかった」なんて話をしていて、「お父さんは?」って聞いたら、「ゴルフに行ってる」って話を聞いて。「ゴルフ!?」って。「どこに?」って聞いたら、「名古屋」って言っていて。
後々話を聞くと、地震があった翌日、翌々日っていうのは、東京のほうも案外穏やかだったらしいですよね。原発のこともなかったし。とはいうものの、私からしてみれば、いつ余震が来るかどうなるかわからないっていう時に、夜も子供2人だけで寝かせてるのかなっていうところで、本当に信頼度がゼロになるというか。
それにゴルフですからね。何回考えても、そこは解せないというか。ほかの理由ならまだしも、会社の方とのゴルフに行くために、未成年の幼い子供たちを置いて行ってしまう人の神経って、やっぱり想像つかないっていう感じで。「離婚しよう」とは言い出さなかったですけども、自分の心のなかでは決意しましたね。
二村:もうダメだと。
ここの:この先ないなって。
二村:離婚を決めた途端に、パーッと明るくなるっていう話を聞くじゃないですか。離婚という可能性を思いついた時に、スカーッと開けるっていう話を聞いたことがあるんですけど、ここのさんはそのことを自覚した途端に、逆に目の前が真っ暗になったんですか?
ここの:真っ暗になりましたよね。そのときの感情をリアルに思い出そうとすると、今でも言葉に詰まるくらい。今は、「あれも、あれも、終わったこと」と捉えているのでドライに話せるんですけど、あのときの真っ暗感っていうのは思い出したくないですね。
その感情が、少し話がズレますけど、Vision Questに繋がっているというか。どうしようって目の前が真っ暗になる感じは誰でもあるし、私もあったし、それでも何とかなったってことが今回に繋がってるんですけど、あの時は本当に……。
ちょっと両親の話に戻るんですけど、私の両親は不仲で私の目の前で夫婦ゲンカも絶えなかったし、家族旅行というのを体験したことがないんです。父と母が一緒に行動することがなかったんです。
そういう家庭で育って、私は絶対こんな結婚生活はしたくないって心の底から思って、幸せになりたいって願ってきて、頑張ってきたつもりの結果がこれか……っていうので。今までやってきた自分の努力とかすべてがこういうかたちで終わるのかっていうことが、真っ暗になった1番の原因だったと思いますね。
二村:こういう言い方するのもあれだけど……、一生懸命ご両親のようにはなるまいと、カタチを整えていたのに、結果はよりヤバいことになった。
ここの:そうですね。
二村:「それを選択するのか」って思った時に、分かりやすく旦那さんから虐げられる、例えば殴られるとか、お金を入れないとか、奥さんの名義で借金をするとか。いろいろあるわけですけど、そういう人が「離婚という手がある」ってパーッと明るくなるのとは真逆で、離婚という選択肢を思いついてしまったことで、逆にそれまでやってきたことを否定する感情がわいて、「私の人生はなんだったんだ」っていう気持ちになったっていう。
ここの:なりましたね。
ここの:私が思春期、高校生だった時に、母を厳しく問い詰めたんですよ。そんなに嫌なら離婚すればいいのに、と。父と別れて暮らしてよ、と。大体、夫婦ゲンカの内容も、私や兄の教育方針だったりするし、大きなお世話っていうのもあって。
離婚すればいいのにって言ったら、ああだこうだ母は言いわけしたんですよ。この時代、片親だとあなたの就職先も見つからない、結婚相手も見つからないでしょとか。
二村:子供に問い詰められた親って、全然関係ないこと言い出すよね(笑)。
ここの:その時は、そんな言い訳もうやめてくれって思ったんですが、最後には母が号泣したんですよ、私の前で。生活していくための仕事がないとか、いろいろあって結局母は離婚しないという選択をしただけなんですけども、泣かれちゃったらこっちの負けだよね、と(笑)。
そこで、私は母に対して悪いことをしてしまったなっていうトラウマを持ったんだと思うんですよね。
二村:罪悪感を持っちゃった。
ここの:非常に。ただ、「母に対してはこれ以上のことは問い詰めまい。だけど、こういうふうにはなるまい。母はやっぱり自分に手に職がなかったから、離婚ができなかったんだよね。彼女はそれを言わなかったけど」っていうのもあったので、絶対自分は仕事をして自立した生活をしようと思っていた。
にも関わらず、結局仕事か子供かっていうことを選ばなきゃならない時に、私はずっと子供を選んできたわけですけども。
やっと「こうしよう」と思った瞬間に、なんとなく仕事はしてきたものの、収入的にはパートレベルな仕事ばかりだったので、これじゃあ自分が死ぬまでの生計は立てられないなって思って、すごい計算して人生設計して。
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