2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
The Worst Nobel Prize Ever Awarded(全1記事)
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マイケル・アランダ氏:科学って、なかなかややこしいですね。と言っても、複雑な数式とか、難しい専門用語のことじゃないですよ。同じ実験を10回やって、同じ結果がなかなか出てこないということでもありません。科学は、危険な要素含んでいるという意味でややこしいのです。
以前、化学者のフリッツ・ハーバーのことを話しましたね。彼の発明のおかげで、肥料ができるようになり、何百万人もの人が恩恵にあずかりました。でも、彼自身はその発明を肥料ではなくて、化学兵器の開発に利用したのです。現在の宇宙飛行に使われている技術の大半も、元をたどれば、ナチスの弾道ミサイルの開発から生まれたものなのです。
もちろん、科学自体に悪意があるわけではありません。科学自体は良いとも悪いとも言えないのです。しかし、科学の成果が、最終的に悪いことに利用されてしまうということはこれまで度々起きてきました。
ポルトガルの医師、アントニオ・エガス・モニスがやったことはまさにその典型と言えます。モニスは、いろんな精神疾患の治療に極めて有効な外科手術を開発し、仲間から絶賛されました。そして世界中、とくにアメリカの神経科学者、外科医、精神科医がそれを取り入れるようになりました。
しかし程なく、その手術は、患者に取り返しようのないダメージを与える、非人間的と非難されても致し方のないものだと判明したのです。それでも、モニスはその功績でノーベル医学賞を受賞しました。それは一番悔やまれるノーベル賞と言えるかもしれません。モニスの受賞理由はロボトミーの開発だったからです。
話は1935年にさかのぼります。イェール大学の神経科学者でジョン・フルトンという人がいました。彼はそれまで5年間にわたり、チンパンジーの脳の一部を切り取っては、行動にどんな変化が起こるか研究していました。
脳の大部分を占める大脳の表面部分を大脳皮質と言いますが、彼が研究していたのはこの部分です。大脳皮質は4つの葉と呼ばれる領域に分かれています。それぞれの葉は異なった認知機能を持っていて、例えば、側頭葉は、大脳の下部にあり、記憶や、音、言語と関わりがあります。
前頭葉は、大脳皮質の前の部分にあり人の人格が宿るところだと考えられています。高度な思考や感情、運動、注意力などを主につかさどるからです。
1935年は、フルトンやその他の科学者が4つの葉がどのような働きをするのかようやくわかり始めてきた時期です。しかし、前頭葉に関する研究は少なく、脳に外傷を負った事例などに頼っていました。フィネアス・ゲイジの事例がその代表例です。
ゲイジは、1848年鉄道敷設の仕事をしている時、爆発事故で鉄の棒が頭に刺さりました。その棒は彼の前頭葉を貫通しました。奇跡的に命を取り留め、記憶も元のままでしたが、人格がすっかり変わってしまったのです。意地悪で攻撃的な性格になったのです。それは、前頭葉の中でも眼窩前頭皮質という、感情をコントロールする部分が損傷したからです。
フルトンはチンパンジーの眼窩前頭皮質を切除すると同じような結果が起こることを発見しました。彼はベッキーとルーシーという2匹のチンパンジーを使って実験したのですが、2匹とも手術の後で、床に排便したり、かんしゃくを起こしたりして、自分を抑制できなくなりました。
ところが、前頭葉を全部切除すると、2匹のチンパンジーはおとなしくなり、リラックスして、落ち着きを取り戻しました。
フルトンは、1935年にロンドンで開かれた第2回国際神経会議でこの研究結果を発表しました。その場に居合わせたのが、アントニオ・エガス・モニスだったのです。
モニスはある意味、多才な教養人でした。第一次世界大戦中は、医者でありながら、スペイン大使を務めました。国会議員としても活躍しましたし、人間の性について本を出版し、人気を博しました。豪華なパーティーを度々開く社交界の名士でもありました。奥さんのためにイブニングドレスもデザインしたと言われています。要するに、エネルギッシュで、情熱的で、自信にあふれ、しかも知性も備えた人物だったわけです。
実際、ロンドンでフルトンに出会う前から、当時の神経外科の分野で、極めて重要な技術を開発しており、ノーベル賞を取る寸前のところまで行っていたのです。
その技術というのは、脳を傷つけずに、脳腫瘍を診断する方法です。彼は、以前からそういう方法はないかと考えていたのですが、1925年に脳血管造影法という方法を考案しました。ヨウ化ナトリウムの溶液を患者の頸動脈から注入すると、溶液は脳に流れ込んでいきます。ヨウ化ナトリウムは電磁波を通さないので、X線で見ると血管は不透明な影となって写し出されるのです。
それを見て、医者は患者の脳血管に腫瘍などの障害がないかどうか診断できるわけです。モニスが考案したこの技術は脳画像を得る方法として非常に画期的なものでした。現在でもそれが応用されて、動脈瘤の診断などに使われています。
この功績で、モニスは2度ノーベル賞の候補に選ばれましたが、2度とも落とされてしまいました。ノーベル委員会の会長の妬みのせいだという歴史家もいます。
しかし、モニスはフルトンのチンパンジーの研究発表を聞いて、また奮い立ちました。というは、脳画像の研究に加えて、モニスは何年もかけて、重度の鬱や統合失調の症状を持つ患者の研究もやっていたからです。
そして、経験的なデータには基づいていませんが、精神障害は前頭皮質における、シナプスつまり脳細胞の接合の不具合が原因で起こるのだという仮説を立てていました。脳細胞が接合しようとしても、うまく機能せず、それがなんども繰り返されることで、患者は強迫観念などににとりつかれるのだというのが彼の考えでした。
しかし、モニスにはどのシナプスが機能していないか特定するすべはありませんでした。そこで、彼はフルトンの研究をもとにある方法を思いつきました。前頭葉は、脳の深いところにある視床という部分とつながっています。視床は感覚信号を受け取ったり、中継したりする大切な場所です。両者をつないでいるのは、白質とも呼ばれる神経線維です。そこで、その神経線維を壊して両者の連絡を断ち切ればいいというのが彼の考えです。
つながりがなくなってしまえば、前頭葉と機能不全のシナプスは脳の他の部分から完全に切り離されて、無用のものになるだろうと彼は考えたのです。
ロンドンの会議の4ヶ月後に、モニスは初めて人にその手術を施しました。
と言っても、自分自身でやったのではありません。彼の手は痛風で変形してしまっていたので、助手にやらせたのです。助手は、精神病を患っていた、60歳のもと売春婦の患者の頭蓋骨に2つの穴を開けました。そして、アルコールを注射し前頭葉から伸びている神経線維を壊しました。
その手術は、患者の精神病の症状が治まったという意味ではうまくいったのですが、手術のせいで彼女は人格を失ってしまいました。思考の混乱状態はなくなったのですが、感情をすべて失い、人間とは言えなくなってしまったのです。
モニスは、数年かけて、さらに19人の患者に手術を行いました。最終的には、手術を改良し、ルーコトームという道具を使うようになりました。それはアイスピックのような形をしており、どの神経線維を切断するか選択することを可能にするものです。
しかし、やはり、神経線維をすべて切断しないと、望むような結果が得られないことがわかりました。そうしないと、不安神経症、うつ病、統合失調症などの症状を完全に抑えることはできなかったのです。
モニスは、この手術手法をルーコトミー(前頭葉切除術)と名付けました。ルーコというのはラテン語で「白質」を表し、トミーは「ナイフ」を意味します。彼はこれらの研究結果を1937年に発表しました。
モニスの技法はアメリカですぐに大人気となりました。アメリカでは、精神病院と精神病患者の数が1903年以来2倍に増えていたからです。
アメリカでの一番の支持者は、神経学教授のウォルター・フリーマンでした。彼もフルトンのチンパンジーの研究発表に出席しており、モニスとも連絡を取り合い、彼の実験を見守っていたのです。
フリーマンと助手のジェームズ・ワッツは、気分障害のあるカンザスの主婦に最初のルーコトミーを施しました。手術後、彼女の気分の変調は治りました。経過観察の結果、記憶も以前のままで、動作や人とのやりとりにも問題はありませんでした。しかし、彼女の個性は事実上なくなっていました。
気分障害は治ったものの、他の多くの面で、根本的な障害を受けてしまいました。ただ単に存在しているだけの状態になってしまったのです。
その後、フリーマンとワッツはルーコトミーの技法を標準化し、標準ロボトミーと改称しました。
1942年にはロボトミーについての本を出版し、ロボトミーがさらに広まりました。第二次世界大戦が終わると、心的外傷後ストレス障害を持つ兵士が何千人も帰国したため、年間のロボトミーの手術件数は100から5,000に激増しました。
次第に、ロボトミーはアメリカの精神病院で、万能の処置法のようになっていきました。見当障害、不眠症、不安神経症、恐怖症、幻覚症など、様々な症状を持つ患者にもロボトミーが行われるようになりました。
また、標準ロボトミーを改良した技法も開発されました。その1つは経眼窩式ロボトミーと呼ばれるもので、これは、まぶたの下から、細く改良されたルーコトームを木槌で叩いて前頭葉まで打ち込みます。それからルートコームを回すようにして、前頭葉を視床から切り離す技法です。
ロボトミーはどんどん普及していきましたが、まもなく、これを批判する声も上がってきました。
1937年の段階で、医者は、ロボトミーの結果、説明のつかない目の異様な動きが見られる場合があることに気づいていました。
シカゴでは、心理学者のメアリー・フランシス・ロビンソンが、ロボトミーを受けた患者90人を診断し、大半の人が、集中力に欠け、やる気がなく、人生に対する興味を失っていることを明らかにしています。彼らは創造性失ってしまっており、音楽家は演奏しなくなり、作家は執筆しなくなっていました。
しかし、精神科医は、このようなネガティブな症状より、行動が顕著に安定するという外見上の成果の方を高く評価したので、批判はその陰に隠れてしまいました。
ロボトミーの流行は1949年にピークに達しました。この年に、モニスはこの技術の生みの親として功績を認められ、ノーベル医学賞を受賞したのです。
ロボトミーは1949年まで普通の手法として使われていました。しかし、この年、フランスの製薬会社がクロルプロマジンを開発し、精神医学は大変革を遂げることになるのです。
クロルプロマジンという薬は、脳のドーパミン受容体の回路を遮断する薬です。ドーパミンというのは神経細胞から放出される神経伝達物質で、神経細胞から別の神経細胞へと情報を伝達する役目を果たしています。そのため気分や感情の制御にも大きく関与しています。
ドーパミンが過剰になると、感情が高ぶり、いろいろな精神病の症状が起こります。この薬は脳細胞のドーパミン受容体に作用し、ドーパミンを遮断してしまうので、脳細胞の活動が鎮静化されます。
この新たな薬の登場で、高価で危険を伴う手術の必要性はなくなりました。ロボトミーの使用は、その後急速に減っていきました。
今日では、ロボトミーは危険で時代遅れなものと考えられています。繊細な心の病を治療するにはあまりにも粗野なやり方でした。フルトン、フリーマン、モニスがやったことは、医学史上もっとも暗黒な1ページとして残るだろうとも言われています。
現在では、彼らの時代と比べて、メンタルヘルスに対する態度や対処の仕方はすっかり様変わりしています。
ジョン・フルトンがチンパンジーの実験を発表して以来、80年が経つわけですが、今日では、生物医学的観点に立ち、うつ病、不安神経症、気分障害、人格障害といったものはすべて薬で対処し、合わせて、認知療法や行動療法といった心理療法を行うのが常套手段となっています。
また、今日の精神療法は、精神障害の症状除去に焦点を当てるよりも、患者を支援して、できるだけ充実した日常生活が送れるようにすることに重点を置いています。
化学兵器や弾道ミサイルでもそうでしたが、悪い面だけでなく、いい面もあるわけで、アントニオ・エガス・モニスの場合も、他に素晴らしい業績があり、我々は今でもその恩恵を受けているのです。
でも、皮肉なことに、良い業績ではなく、悪い業績の方で、歴史に名を刻むことになってしまったのです。
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