2024.10.21
お互い疑心暗鬼になりがちな、経営企画と事業部の壁 組織に「分断」が生まれる要因と打開策
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人生100年時代の到来とともに、多死社会を迎える中、令和2年度から滋賀県が立ち上げた「死生懇話会」。今回開催されたトークイベントには、『死ぬまで生きる日記』の著者である文筆家の土門蘭氏がゲスト登壇。幼い頃から死にたいという気持ちを抱えていたという土門氏が、「死ぬまで生きよう」と思ったきっかけや、我が子との向き合い方について語りました。
土門蘭氏(以下、土門):苦しいことや悲しいこと、自分にとってはすごくつらいことだったとしても、「私にとってはどういう意味があるんだろう?」「私は何ができるんだろう?」と考え続けて行動し続けること。その運動自体が生きているってことなんだろうなというのが、現時点での私の答えです。
カオスに対して、ロゴスで対抗する運動こそが「生きる」ことだというのは、自分の中で納得できた。「じゃあ、なんでそこまで生きないといけないんだろう?」という問いも、やはり浮かんでくるんですね。
「なんでそこまでして生きていかないといけないんだろう? どうせ死ぬじゃない。死んだら全部一緒じゃん。この苦労は全部が泡になる」という声も自分の中で聞こえてくる。その中で出会った小説が、梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』です。
まいちゃんという主人公の女の子は、学校に馴染めなくて不登校になったんですが、その子がおばあちゃんのところに行って、一定期間一緒に暮らす小説なんですね。その中で、おばあちゃんがこんなことを言います。「まいは魂と身体が合体して、まい自身なんですよ」。私はそれを読んだ時に、なるほどなと思ったんです。
私は毎日「死にたいな」と思いつつも、どこかで「絶対に死にたくない」と言っている自分もいたんですよ。だからこそ生きてこれたんだと思うし、「死にたいな。もう無理だな」と思いつつも、「いやいや、絶対に生きてやる」と、なんか生きたがっている自分がいたんですね。
「それっていったい誰なんだろう? こんなに私の中で生きたがっている私って誰なんだろう?」と、ずっと思ってたんです。この小説を読んだ時に、1つ言語化されたような気がしました。
「土門蘭という肉体、身体、思考、意識は、私という状態としてあるんだけど、たぶんその中に『魂』がいるのかもな。その魂は本質的に生きたがっているし、本質的に成長したがっているんだろうな」と思ったんですね。
土門:この言葉には続きがあって、おばあちゃんはまいにこんなふうに話します。「魂は身体を持つことによってしか物事を体験できないし、体験によってしか、魂は成長できないんですよ。ですから、この世に生を受けるというのは、魂にとっては願ってもないビッグチャンスというわけです。成長の機会が与えられたわけですから」。
私はこれを読んだ時に、生きる意味がここに書かれているなと感じました。きっと私の中にいる魂は、こうやって私がカオスに飲み込まれそうになりながら、それでもロジックや言葉で対抗していくという運動を通して、自分の中で成長してくれているんだろうなと思うんですね。
私はあんまり宗教について詳しくはないんですが、「輪廻転生」という言葉は知っていて。「『私』という身体がこの世からなくなった時に、もしかしたら成長した魂は違う身体に引っ越しをするのかもしれないな」と思って。
その時に魂が元気な状態というか、いい状態で次の身体に行って、またそこで1つの人生を楽しめたらいいなぁという感じでイメージが湧いたんですね。
そうすると、自分の中で“ちっちゃい子ども”を育てているような感じがして。もしつらいことがあったとしても、「これによって自分の中で魂が成長しているのかな」って思うとがんばれるし、「もし私が死んでも、この魂はきっと残っていく」と思えば、最期まで、それこそ「死ぬまで生きようかな」と思えるなと思いました。
土門:このお話は非常にメタファーなんですが、たぶんみなさんにとってもそういうものはあるんじゃないかなと思っていて。例えば行政のみなさんにとっては政治がそうかもしれないし、どこかに施設を作った人がもし亡くなったとしても、(建物自体は)ずっと残り続けるとか。
あるいは子どもを育てることもそうかもしれないし、誰かに何かを教える、それこそ戦争体験を教えることもそうかもしれない。自分自身がいなくなったとしても残り続けるものが魂なんじゃないかな、もしかしたらそれが生きる意味なんじゃないかなって、今の自分は思っています。
今の私にとっての「生きるって何?」「生きる意味って何?」というのは、これからも変化していくとは思うんですが、今日みなさんの前でしゃべりたいなと思ったのはそういうことです。今日は聞いてくださってありがとうございました。
(会場拍手)
司会者:土門さん、ありがとうございました。それではここからの進行は、ファシリテーターの上田さんにお願いしたいと思います。聴講者のみなさまにおかれましては、随時コメントをよろしくお願いいたします。
上田洋平氏(以下、上田):みなさん、あらためましてこんにちは。ファシリテーターの上田でございます。本日もよろしくお願いいたします。ちょっと鼻風邪をひきまして、鼻声でございますが失礼いたします。
ここからは私が進行をさせていただきますが、まず例によって、この死生懇話会ではいつもの慣例で、お互いを「さん付け」で呼びます。ついうっかり「知事」と言ってしまうこともあったりするんですが、さん付けで呼び合うということで進めさせていただきたいと思います。土門さん、本当にありがとうございました。
土門:ありがとうございました。
上田:私も著作を読ませていただいて勉強したんですが、またそれについて後ほど質問等をしていきたいなと思います。
上田:まずは今のご講演を聞いて、知事にもうかがっていきたいと思うんですけどね……あ、さっそく「知事」って言っちゃった(笑)。
私は土門さんのように、一生懸命「死にたい」と思ったようなことは、思い返すとそこまではなかったかと。知事は「死にたい」と思ったことはありますか? いきなり最初からそんなことを聞くんですが。
三日月大造氏(以下、三日月):僕も土門さんの本を読みながら、自分がそう思ったことってあったかな? とあらためて振り返っていたんですが、僕もないかもしれません。ただ、「『死にたい』と思う自分がいいのかなぁ」と思った土門さんのような問いかけの見つめ直しは、誰にもあるというか。
僕自身は、自分の生きてきたことや持っている力をどう活かすのかをずっと考えてきた20、30年だったし。(人によって)テーマはそれぞれで、見つめ直し・問い直しのテーマが、土門さんは「『死にたい』と思うことっていいのかな?」だった。
だから、そういうミラーリングと言うのかな。認知行動ってすごく大事なことなんだなというのが、今回の土門さんの本やお話で僕が感じたことかな。
上田:あらためて(講演を)聞いてみられて、どうですか?
三日月:一番最初の自己紹介で、「(仕事の内容を大きく分けると)自分自身で言葉を手繰り寄せることと、他人の言葉をつないだりすること」とおっしゃったけど、言葉の紡ぎ方がすごく丁寧だなと思って。
土門:ありがとうございます。
三日月:自分に対してもそうだし、単なる言葉じゃなくて言霊というか、最後に「魂」とおっしゃったけど、すごく力を持っている言葉のように感じました。相当いろんなことに悩まれたり、考えられたり、思索を積み重ねてこられたからこそ出てくる言葉なんだろうなという印象を持ったんです。
土門:ありがとうございます。
上田:(土門さんは)いかがですか?
土門:そうですね。この本に書いているんですが、私は母親が韓国の人なんですね。母が韓国から来たのが30歳を過ぎた時で、韓国語しかしゃべれなかったんですよ。日本人の父親と結婚して生まれたのが一人娘の私なんですが、母と会話ができなかった。
私が保育園や小学校ぐらいの時には、(母の)日本語能力を超しちゃったんですね。だから、お母さんと深い話ができないことが私の原体験だと思います。本当はお母さんにしゃべりたいことを、ずっとノートに書き続けていて。さっきも「言葉に救われてきた」という話をしましたが、本当に救われてきたんだろうなと思います。
上田:「死にたい」という衝動が生まれた時、とにかく書くことでそれを乗り越えるというか、そういうかたちでやり過ごすというか。
土門:はい、そうですね。
上田:そういうやり方は滋賀県だと……これはこじつけているようですが、「アール・ブリュット」というものがありましてね。
土門:アール・ブリュット。
上田:正規の芸術の教育を受けてない方々、例えば障害を持った方々の生の衝動が芸術となってほとばしってくることと、表裏一体のように感じたりするんですよね。急にそんなことを振りますが、どうですか?
三日月:今の上田さんの話と土門さんの話をつなぎ合わせると、「素」なんですよ。
土門:「素」。
三日月:素直の「素」。あと、よくアール・ブリュットのことを「生(き)の芸術」(と言います)。「生(なま)の芸術」というか。
「『私が生きている』というのはずっと線を書くこと」「私の生きる意味は、こうやって粘土をこねて、棘をいっぱい作って表現すること」とか、土門さんの言葉からはそういうふうに感じました。あとはカウンセラーさんとの対話の中で、そのことにあらためて気づいている自分をまた見てらっしゃる気がするというか。
土門:そうですね。
三日月:だから、「こういう弱音ってさらけ出していいんだ。いや、そもそも持っていいんだ」というメッセージが、すごく多くのみなさんに刺さっているんじゃないかなと思って。じゃけぇ、みんな読むんですよ。
土門:じゃけぇ(笑)。
三日月:じゃけぇ。
土門:広島弁。
三日月:僕も広島にいたので。
土門:ほんとですか。
三日月:この本に時々出てくる広島弁に「懐かしいな」と思って。
土門:そうなんですね。なるほど。
上田:一方で「健康な人は『死にたい』だなんて思いません」ってね。
土門:はい。心療内科の先生に言われました。
上田:「心療内科の先生がそんなことを言うんだな」と思って、まずびっくりしたんですが、その時はどう思いました?
土門:でもその時は、「みんな『死にたい』と思わないんだ」ってちょっとびっくりして聞いたんですよ。「え? 本当にみんな『死にたい』と思わないんですか?」って聞いたら、「健康な人は思いません。そう思うのは、脳の病気、脳が疲れているからですよ」と言われて。
その時は「薬を飲んだら健康になれるのかな?」って思ったんですね。それも1つの方法としてあったし、病気と捉えたら、もし薬を飲んでいたら2年もかけずに数ヶ月で寛解していたかもしれない。ただ、たぶん私の中で「これは病気なのかな?」という問いもあって、それも薬が飲めなかった理由の1つだと思いますね。
三日月:あと、お子さんが時々出てこられて。悩んだり、考えている本音を出した時に涙してしまうお母さんに対して、子どもたちからの言葉がけがすごくいいなというか。それも「素」だなと思って読んだんです。
土門:そうですね。
上田:(『死ぬまで生きる日記』を)お読みでない方もいらっしゃるかもしれないので、少し紹介いただけるエピソードがあれば。
土門:そうですね。私は今、小学6年生と1年生の男の子が2人いるんですが、どうして心療内科に行こうかと思ったかと言うと、やはり子どもたち(の影響)も大きかったんですね。精神的に不安定な親のもとで育つのは、子どもにも負担が大きいんじゃないかというのはすごく思っていて。やはり責任感があったんですよ。
そこで(病院へ)行ったんですが、カウンセリングというアプローチに変えようと思って。自分が一番最初に「死にたいな」と思ったのが小学校5年生だったので、ちょうど子どもがそれぐらいの年になった時に、「子どもは『死にたい』なんて思うんだろうか?」というのを聞いたことがありました。
そうしたら「『死にたい』なんて思ったことがない。生きているのがすごく楽しいよ」と言ってくれて。「ああ、良かった」と、すごくほっとすると同時に、「やっぱり私は違うんだな」という疎外感も覚えてしまった。それが正直なところだったんですね。
だけどその時に、息子が「僕は『死にたい』って思ったことはないけれど、お母さんの気持ちを想像することはできるよ」と言ってくれて。
私の生い立ちの話とかをすると、「すごく寂しかったんでしょ? 僕は体験したことがないけれど、そういう気持ちになるのは仕方のないことだと思う。僕も想像できる」と言ってくれた時に、まるっと全部を受け入れられたような気がして。
疎外感だなんて、「死にたいと思う人間」と「思わない人間」と自分の中で線を引いちゃっているところはあったけれども、想像力はそこをまるっと越えてくるし、こんなにほっとする、安心できるんだなというのは、逆に子どもに教わった瞬間でしたね。
上田:子ども、あるいは弱い存在や守るべき存在は救いでもあるし、でも責任を突きつけてくるというか。どうなんですか?
土門:そうですね。たまにイベントなどに登壇した時に、「どうしてお子さんを産もうと思われたんですか?」という質問をされることがあったんですね。「自分自身が死にたいと思いつつも、命を生み出すということは、土門さんにとってどういうことだったんですか?」って。
質問されて、「確かにそうか」とは思ったんですが(笑)、最初から「絶対に死なない」「絶対に自殺はしないぞ」と決めていたんですよ。それは自殺を否定するというよりは、自分はそれを選ばないでいく。なぜならば、書きたいから。
「死にたい」という気持ちを言葉にし続けることが、自分にとって「生きる」ことの運動というか。それによって出てくる文章を私も読みたいし、諦めないでおこうと思っていたので。
死にたいと思いつつも、「絶対に死なないぞ」という。「土門憲法」と呼んでますが、憲法みたいなものがあって、たぶんそれを信じてたんですね。プラス、「他人が自分を変えてくれる」というのも信じた。
だからこそ今回カウンセリングを受けて、きっと他人が私を変えてくれるだろうと。「この人との関係性が、きっと私に何か良いものを与えてくれるはず。変えてくれるはずだ」と、家族を救う時にも同じことを思っていたし、友人を作る時にも同じことを思っていたので。
だから私にとっては、「死にたい」と思いつつも命を生み出すことは矛盾してなかったんですね。それでも、それによって子どもがつらい思いをするのはとても嫌なので、やはり努力はし続けるべきだなって自分では思っていたんです。
子どもは、肉体的・物理的には守るべき存在だけれども、自分にとっては与えてもらえるもの(がある)。それは大人と同じというか、こうしてみなさんとお会いしてお話しするのと同じように、子どもからもたくさんのものをいただいているので、精神的には与えられているほうが大きいかなと思いますね。
三日月:僕は今回土門さんの本を読んで、これから悩んだ時にはカウンセリングも受けようと思った。1つ選択肢が増えた。
土門:それは大変うれしいです。
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