スピーカー自己紹介

小林雅(以下、小林):皆さんちょうど人生悩まれてる時期かなっていう、色々多感な時期ですね。そういったなかで、どういった自分の人生を歩んでいけばいいのかっていう。今回はヒューマンタッチな、生き方的なところをちょっと議論したいなと思っています。それでは、スピーカーの方をご紹介したいと思います。では、私の隣から。なんて紹介したらいいんですかね? カッチャマンですか?

勝屋久(以下、勝屋):カッチャマンでお願いします(笑)。

小林:じゃあ、カッチャマンです。

勝屋:ありがとうございます。

小林:プロフェッショナル・コネクターっていう、出会いを演出するというか。なんて言うんですかね。名付け親の佐藤さん、勝屋さんはどういう人ですか?

佐藤光紀(以下、佐藤):ラブ・アンド・ピースですね(笑)。

小林:ラブ・アンド・ピースな人っていうことですね。ということでカッチャマン。勝屋久さんです。質問する時は、「勝屋さんに質問したい」、じゃなくてカッチャマンでお願いしますということです。

勝屋:よろしくお願いします。

小林:そのお隣は、毎度おなじみって話になるんですけれども、セプテーニ・ホールディングスの佐藤さんです。よろしくお願いいたします。

佐藤:よろしくお願いします。

小林:容姿含めて、業界では「プリンス」とずっと言われ続けてですね。いじられてるって言うんですかね、分かんないですけど。

佐藤:「プリンス」ですけども、そろそろアラフォーなんで。いつまで言われるのかなっていう。ありがとうございます。

小林:呼ぶ時は「プリンス」と言っていただけますと。Teach For Japanって活動そのもの、ご存じの方っていらっしゃいます?

(客席から挙手)

小林:おー! 松田さん。大人気ですね。すごいですね。

松田悠介(以下、松田):ありがとうございます。

小林:ということで、Teach For Japanの松田さんです。よろしくお願いします。活動とか、のちほどってことですね。京都大学、卒業しなかったけど、代表的な京都大学出身の起業家ということで、ドリコムの内藤さんです。よろしくお願いいたします。最後にヒューマン・ライツ・ウォッチの吉岡さんです。ちなみにヒューマン・ライツ・ウォッチって知っていますか?

(客席から挙手)

小林:お、知っていますね。ちなみに僕、ヒューマン・ライツ・ウォッチ知ったの2年前なんで、別にたいして言えないんですけども(笑)。そういう活動があるっていうことを、皆さん理解を上げていただければと思います。今回女性で初登壇ということで、吉岡利代さんです。よろしくお願いします。

女性にとって働きやすい環境・組織を自ら作りだす

小林:さっそくなんですけども、何か聞きたいことってありますかね。

質問者:悩みっていうか、私も起業したくって、女性の方がいらっしゃるので質問なんですけど。「大切なこと」っていうテーマで、女性だと、結婚とか出産とかあるじゃないですか。こういう業界だと男性社会なので、そこら辺の釣り合いはどうやって取ろうとしていくのか。たとえばやりたいことを重視すると婚期とか逃すんじゃないかとか思ってるんです。なので、プランとか立ててたのかなとか、聞きたいです。

小林:はい、わかりました。完全にスペシフィックな質問なんですけども。じゃあ、吉岡さん、そういった点も含め、交えながら自己紹介いただければと。

吉岡利代(以下、吉岡):最初に大変恐縮です。ヒューマン・ライツ・ウォッチという国際NGOの吉岡と申します。私どもNGOなので、活動資金を寄付とかでいただいている団体ですけれども。何をやっているかと言いますと、世界約90ヵ国で、色々な人権問題を調査して、その問題がなくなるために活動してます。

人権問題って言うと難しそうな気がするんですけれども、本当に身近なもので、たとえば子供が学校に行ける権利だったりとか、女性が働ける権利だったりとか。あと難民の人が、もし自分の国で生きていけなかったら、他の国に逃げていける権利とか。そういう色んな問題があるんですけれども、それを調べる調査員っていう人たちが私たちの団体のなかにおりまして。

日本では何をやっているかと言うと、世界中に散らばっている私たちと同様の調査員が集めてきた人権問題に関する情報を、日本の政府の人たち、外務省とか、国会議員の人たちに伝えるんですね。メディアの方たちの力もお借りしながら伝えて、日本政府として、あとは日本の国民として、そういう問題に関して、解決のために何ができるんだろうかっていうことも一緒に考えて、それぞれの政府の力とか、民間の力を使って、世界の人権問題がなくなるために活動しているのが、ヒューマン・ライツ・ウォッチになります。

女性の働き方というところなんですけれども、NGOという立場なので、もしかしたらお答えになっていなかったら、大変申し訳ないですが。私たちNGOの業界としては、とても女性が働きやすいんですね。結構、自分で自分のスケジュールを決められるところがあって、働くのも、世界中に同僚が散らばってることもあって、すべてインターネット・ベースというか、メールで、ほぼすべての仕事が終わっているので。

団体のなかでも半分以上が女性なんですけれども、みんなメールでコミュニケーション取りながら、子どもができたら家で働いたりとか。私の上司も今年(2013年)の4月に出産したばかりで、半年ほどお休みをいただいて、もう復帰して、今はちょっと時間を短くしながら残りの時間は家で働いたりとかしている。ということからも、自分のペースでライフとワークを一緒に混ぜていって、人生として一番自分の望んだ形に持っていくことができる職場かな、という風には思っています。

質問者:ありがとうございます。

松田:逆に起業されたいんであれば、だからこそ、ゼロから自分がどういう組織作りたいのかっていうのを考える特権があるんで。別に男社会じゃない会社を作ればいいんじゃないですかね。女性が働きやすい、そしてほんとに優秀な女性を生かせる会社を作っていけばいいと思うので。それが起業する特権というか、それがNPOとか、株式会社とか何も関係なくて。組織を作る、どういう組織作りたいのか。そのために、何をしなければいけないのか考えられるといいんじゃないかなと思います。

難病にかかって気づいた、自分がやるべきこと

質問者:はい、ありがとうございます。あと、他の皆さんなんですけれど、大切なものに気づいたきっかけを教えていただけたら。

小林:おお、いいですね。いきなり深いですね。大切なものに気づいたきっかけ。じゃあ、隣の内藤さんから。

内藤裕紀(以下、内藤):何が大切なものかってところから話さなきゃいけないですよね。結局、今、自分の時間のほとんどを仕事……。まあ皆さんもそうなんですけど、結局仕事に費やしていて。ただその仕事をするモチベーションを大雑把に分けると、生活するためって場合と、自己実現っていう場合があると思うんですよ。

僕自身、生活するために働く必要がない状況にいても、ほとんど起きてる時間は全部仕事に費やしてるわけですよね。するとやっぱりここが僕のなかでは、仕事を通して何を成し遂げていくかっていうことが、一番大切な時間になっているのですけれども。会社始めて12年ぐらい経つんですが、そのなかでも、仕事に対する考え方が大きく変わったのは、2年前に、さっきもちょっと話したんですけど、病気になりまして。ギランバレー症候群という病気で、難病で10万人に1人くらいしかかからない病気にかかったんです。

死ぬかもしれない、みたいな病気で……。実際に治ったからここにいるんですけど。再発もしますし、亡くなっている方も多いんですが。そうすると70歳までの人生設計みたいな感覚じゃなくて、場合によっては再発して、その病気は体中が何も動かなくなる病気なので。自分の手がこうやってあっても、ちょっと手をこっちに置いてほしいんだけど、誰かに動かしてもらわなきゃいけないくらい、動かなくなるんです。

そうなると、残りの時間のなかで、やりたいことをどうするかって話になる訳ですよね。ただそれでもやっぱ僕自身仕事をしていて。その時にベッドの上で、体が何も動かずに、目と口しか動かない時に、自分は仕事を通して何をするか。世の中の生活がもっと変わるようなことをしたいとか、なくなったら困るようなものを作りたいとか。そういった感覚がすごく強くなりましたね。

なので、ここ最近で言うと、教育系のサービスとかに、すごい力を入れたりしているんです。それも自分の中でまだまだ教育現場に対しての課題がすごくあり、自分たちが何かできるんじゃないか、みたいな思いから、そういったサービスに対して、まだ全然売上として儲かってなくても、何億という投資をしているんです。

会社だと普通に儲けたい儲けたくないだけだと、「儲からないからやめようかな」っていう気持ちが途中でもちろん出ちゃう訳ですけど。経営っていう話でシビアに言えば。ただそこに対して情熱とお金、人も含めて投資をしているのは、やっぱりそういう残りの人生がどれくらいあるかわからないなかで、もし自分がいなくなったとしても、世の中が変わるとか、多くの生活が変わるとか、なくなったら困るようなものを残したいな、みたいな感覚になったので。その2年前の病気っていうのが、何か気づいたというか、再度考えさせられるきっかけにはなったなとは思います。

いじめをきっかけに出会った恩師と、教育の世界

小林:素晴らしいですね。じゃあ松田さん、自己紹介も含めてお願いします。大切なものは何か。そして気づいたきっかけ。

松田:Teach For Japan、ご存じの方もいるかもしれませんけれども。全国で最も優秀で情熱のある人材に2年間学校現場の先生をしてもらうというプロジェクトをやっています。この学校もですね、ただ単にどこでもいい訳でもなくて、とくに教育困難校、学級崩壊であったりだとか、歴史的背景であったり、時には貧困であったり。そういった子供たちの割合が多い、荒れている学校に、我々が選抜をしてトレーニングをした人材を2年間、大学卒業後送っていくプロジェクトになります。

それを通して、子どもたちの学習環境を変えていく。学級のみならず、学校を変え、地域を変えていく。そして日本をよくしていこうといったプロジェクトをやっております。このプログラムはただ単に子どもたちの状況を変えるだけではなくて、参加する教師そのものがリーダーシップを身につけるんですね。ということは課題が山積みな修羅場に入ってく訳ですよ。

そこで一つひとつ課題を整理して、あるべき姿を描いて、課題解決していくんですよね。一人の大人でできることって限られてるので、親御さんとか、同僚とか、地域の方とかを巻き込みながら、これを進めていくので、巻き込む力とか、リーダーシップが身につくプロジェクトになっていて、2年間のプログラムを終えた人たちが、そのまま教育界の変革者になっていくとともに、投資銀行やコンサルティング会社であったり、政治の世界に転職をしていってもらいたいなと。

2年間、現場での当事者意識を持っているので、そういった人たちを巻き込みながら、社会全体を巻き込みながら、教育をよくしていこうというプロジェクトをやっています。自分は、今はこうやって日本をよくしたいとか、本当に教育を通して未来作りたいとか思ってるんですよ、本気で。そのために自分ができることは全力でやってこうとは思ってるんですけども……。

とは言え、最初からこんな思いを持っていた訳ではなくて。ここ2、3年ですね。日本とか教育システムについて考えるようになったのは。自分が教育の世界に入るきっかけになったのが、中学校時代にいじめられていた経験で、すごく身体的に。柔道部の同級生に柔道技をかけられるっていうのを毎休み時間耐えてたんですけども。

今、実は片目の視力がすごく弱かったりだとか、それも(そのときの)相手の指が目に入って。まあ、失明は免れたんですけれども。すごくきつかったんですよね。でもその経験で、もし何もヘルプがなければ、そのまま本当に自殺も考えましたし、当時は。辛かったんですけど。そんな時に自分と向き合ってくれた一人の恩師、体育の松野先生の存在が自分にとっては大きくて。

その先生が自分に「どうすれば強くなれるか一緒に考えていこうぜ」って、半歩先を照らしてくれたんですよね。このすごい小さなことなんですけれども、自分のことを気にかけてくれて、言葉をかけてくれて、自分の可能性信じてくれて、二人三脚で進んでくれる存在っていうのが、自分の今の教育に入ってく、大きな出来事にもなりました。

今でもやっぱり教育の本質って何だろうかって考える際に、松野先生のひとつの像というか、ロールモデルが、常に心の中に入ってるので。こういったところから、自分でもずっとDNAとして残っていますね。

自分を受け入れてくれた人との出会いが人生を変えた

小林:じゃあ佐藤さん。

佐藤:セプテーニの佐藤と言います、よろしくお願いします。僕は今、会社の経営をしているんですけど、経営者になるなんて夢にも思わずですね。こういう人生を歩むとは、小さい頃とか、就職してからも全然思わなかった。というのは、16歳から24歳までずっと音楽をして、ミュージシャンとして生きていました。それがあるきっかけで、事業を志すっていう風になったんです。

そもそも、その音楽をしてたのはなぜかって言うと。自分が作ったもので世界中に影響与えたいとか。もっと言うと、自分が寿命を全うしたあとでも、世の中に残り続けるようなモノを作りたい。そうして死んでいきたい、そういう動機があって。じゃあ、それはなんで生まれたのか。わりと前の方々の話も似てたんで驚いたんですけど。

小さい頃ですね、やっぱりすごく重い病気をして、8歳から10歳ぐらいの時が一番きつかったですかね。ずっとベッドで天井を見て暮らしていたので、わりと重い時は悪夢も見たりする訳ですよ。ナチュラル・トリップしている状態で毎日を暮らしていて。毎日毎日大変な状況になった時に、生きることとか、死ぬことについて、もう真剣に考えた時期っていうのがあって。

その時がきっかけで、わりとどういう風に生きていきたいかっていうのが、定まってきたんですよね。だから小学校高学年ぐらいの時に、思想にふけり続けることで、なんとなく、どういう風に生きていきたいかっていうのが、先ほどの音楽する話につながるんですけど。わりと明確になってきて。それが実は次のコンプレックスのきっかけになって、今度は周りの人たちとうまく合わせられない、みたいな。

そんなことばっかり考えてる小学生ってあまりいないので、そもそも友達もできないし、やっぱりどうしても生き急ぐようになっていくので、どんどん前倒しで人生を生きていきたいと。寿命も決まってるし、自分の命の炎が燃えてるうちに、何かしていかないと。

小林:小学生の時ですよね。

佐藤:そうなんですよ。そんなこと考えている人はいないので、そうすると、ちょっとキモいんですよね、やっぱり。そうすると、とにかく周りと合わせられない状態で、学校の環境とか、小・中学生辺りが一番重たかったです。周りと同調しなきゃいけない圧力を過度に感じて、これはもうここのコミュニティにはいられないなと思ってドロップしちゃったんですよね。

それで結局学校もあまり行かなくなって、すさんだ状態だったんです。でもそのあとに、わりとポジティブに環境をとらえて、まあ、こんな環境だから今を受け入れて、前向きにしていこうっていう風に切り替わったのは、高校の先生との出会いで。それまでは「いや周りに合さなきゃダメだよ、お前は」という風にずっと言われ続けてきて、それがフラストレーションだったものが、その時初めて、高校生の時に「いや、いいんじゃないか。その生き方で」ということを、体育の女性の先生であり、担任の人だったんですけど、初めて「それでいい」っていう風に認めてもらったことがあって。

それですごく気持ちよくなって。やっぱり若いので、そんなことだけで自分が受け入れてもらえたっていう小さな満足だけで、わりとすべての物事をよい方向に使っていかないといけないな、「何くすぶってんだ、俺は」ってそういう風な思考に切り替わって、そこで音楽始めたんですよね、高校生の時に。

そこから自分が考えたモノを作って、それをたくさんの人たちに影響を与えてっていうものが、結果として25歳の時にインターネットと出会って、インターネットの事業を起こすことに。ミュージシャンから切り替えて、事業者とか経営者とか、こういう生き方で、自分の使命を全うしたいという思考に切り替わって、十数年経って今ここにいる。だからすごくきっかけという意味では、先ほどの皆さんの話にもすごく通ずることがあって、ちょっと刺激的でした。