2024.12.10
“放置系”なのにサイバー攻撃を監視・検知、「統合ログ管理ツール」とは 最先端のログ管理体制を実現する方法
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小林雅(以下、小林):皆さんちょうど人生悩まれてる時期かなっていう、色々多感な時期ですね。そういったなかで、どういった自分の人生を歩んでいけばいいのかっていう。今回はヒューマンタッチな、生き方的なところをちょっと議論したいなと思っています。それでは、スピーカーの方をご紹介したいと思います。では、私の隣から。なんて紹介したらいいんですかね? カッチャマンですか?
勝屋久(以下、勝屋):カッチャマンでお願いします(笑)。
小林:じゃあ、カッチャマンです。
勝屋:ありがとうございます。
小林:プロフェッショナル・コネクターっていう、出会いを演出するというか。なんて言うんですかね。名付け親の佐藤さん、勝屋さんはどういう人ですか?
佐藤光紀(以下、佐藤):ラブ・アンド・ピースですね(笑)。
小林:ラブ・アンド・ピースな人っていうことですね。ということでカッチャマン。勝屋久さんです。質問する時は、「勝屋さんに質問したい」、じゃなくてカッチャマンでお願いしますということです。
勝屋:よろしくお願いします。
小林:そのお隣は、毎度おなじみって話になるんですけれども、セプテーニ・ホールディングスの佐藤さんです。よろしくお願いいたします。
佐藤:よろしくお願いします。
小林:容姿含めて、業界では「プリンス」とずっと言われ続けてですね。いじられてるって言うんですかね、分かんないですけど。
佐藤:「プリンス」ですけども、そろそろアラフォーなんで。いつまで言われるのかなっていう。ありがとうございます。
小林:呼ぶ時は「プリンス」と言っていただけますと。Teach For Japanって活動そのもの、ご存じの方っていらっしゃいます?
(客席から挙手)
小林:おー! 松田さん。大人気ですね。すごいですね。
松田悠介(以下、松田):ありがとうございます。
小林:ということで、Teach For Japanの松田さんです。よろしくお願いします。活動とか、のちほどってことですね。京都大学、卒業しなかったけど、代表的な京都大学出身の起業家ということで、ドリコムの内藤さんです。よろしくお願いいたします。最後にヒューマン・ライツ・ウォッチの吉岡さんです。ちなみにヒューマン・ライツ・ウォッチって知っていますか?
(客席から挙手)
小林:お、知っていますね。ちなみに僕、ヒューマン・ライツ・ウォッチ知ったの2年前なんで、別にたいして言えないんですけども(笑)。そういう活動があるっていうことを、皆さん理解を上げていただければと思います。今回女性で初登壇ということで、吉岡利代さんです。よろしくお願いします。
小林:さっそくなんですけども、何か聞きたいことってありますかね。
質問者:悩みっていうか、私も起業したくって、女性の方がいらっしゃるので質問なんですけど。「大切なこと」っていうテーマで、女性だと、結婚とか出産とかあるじゃないですか。こういう業界だと男性社会なので、そこら辺の釣り合いはどうやって取ろうとしていくのか。たとえばやりたいことを重視すると婚期とか逃すんじゃないかとか思ってるんです。なので、プランとか立ててたのかなとか、聞きたいです。
小林:はい、わかりました。完全にスペシフィックな質問なんですけども。じゃあ、吉岡さん、そういった点も含め、交えながら自己紹介いただければと。
吉岡利代(以下、吉岡):最初に大変恐縮です。ヒューマン・ライツ・ウォッチという国際NGOの吉岡と申します。私どもNGOなので、活動資金を寄付とかでいただいている団体ですけれども。何をやっているかと言いますと、世界約90ヵ国で、色々な人権問題を調査して、その問題がなくなるために活動してます。
人権問題って言うと難しそうな気がするんですけれども、本当に身近なもので、たとえば子供が学校に行ける権利だったりとか、女性が働ける権利だったりとか。あと難民の人が、もし自分の国で生きていけなかったら、他の国に逃げていける権利とか。そういう色んな問題があるんですけれども、それを調べる調査員っていう人たちが私たちの団体のなかにおりまして。
日本では何をやっているかと言うと、世界中に散らばっている私たちと同様の調査員が集めてきた人権問題に関する情報を、日本の政府の人たち、外務省とか、国会議員の人たちに伝えるんですね。メディアの方たちの力もお借りしながら伝えて、日本政府として、あとは日本の国民として、そういう問題に関して、解決のために何ができるんだろうかっていうことも一緒に考えて、それぞれの政府の力とか、民間の力を使って、世界の人権問題がなくなるために活動しているのが、ヒューマン・ライツ・ウォッチになります。
女性の働き方というところなんですけれども、NGOという立場なので、もしかしたらお答えになっていなかったら、大変申し訳ないですが。私たちNGOの業界としては、とても女性が働きやすいんですね。結構、自分で自分のスケジュールを決められるところがあって、働くのも、世界中に同僚が散らばってることもあって、すべてインターネット・ベースというか、メールで、ほぼすべての仕事が終わっているので。
団体のなかでも半分以上が女性なんですけれども、みんなメールでコミュニケーション取りながら、子どもができたら家で働いたりとか。私の上司も今年(2013年)の4月に出産したばかりで、半年ほどお休みをいただいて、もう復帰して、今はちょっと時間を短くしながら残りの時間は家で働いたりとかしている。ということからも、自分のペースでライフとワークを一緒に混ぜていって、人生として一番自分の望んだ形に持っていくことができる職場かな、という風には思っています。
質問者:ありがとうございます。
松田:逆に起業されたいんであれば、だからこそ、ゼロから自分がどういう組織作りたいのかっていうのを考える特権があるんで。別に男社会じゃない会社を作ればいいんじゃないですかね。女性が働きやすい、そしてほんとに優秀な女性を生かせる会社を作っていけばいいと思うので。それが起業する特権というか、それがNPOとか、株式会社とか何も関係なくて。組織を作る、どういう組織作りたいのか。そのために、何をしなければいけないのか考えられるといいんじゃないかなと思います。
質問者:はい、ありがとうございます。あと、他の皆さんなんですけれど、大切なものに気づいたきっかけを教えていただけたら。
小林:おお、いいですね。いきなり深いですね。大切なものに気づいたきっかけ。じゃあ、隣の内藤さんから。
内藤裕紀(以下、内藤):何が大切なものかってところから話さなきゃいけないですよね。結局、今、自分の時間のほとんどを仕事……。まあ皆さんもそうなんですけど、結局仕事に費やしていて。ただその仕事をするモチベーションを大雑把に分けると、生活するためって場合と、自己実現っていう場合があると思うんですよ。
僕自身、生活するために働く必要がない状況にいても、ほとんど起きてる時間は全部仕事に費やしてるわけですよね。するとやっぱりここが僕のなかでは、仕事を通して何を成し遂げていくかっていうことが、一番大切な時間になっているのですけれども。会社始めて12年ぐらい経つんですが、そのなかでも、仕事に対する考え方が大きく変わったのは、2年前に、さっきもちょっと話したんですけど、病気になりまして。ギランバレー症候群という病気で、難病で10万人に1人くらいしかかからない病気にかかったんです。
死ぬかもしれない、みたいな病気で……。実際に治ったからここにいるんですけど。再発もしますし、亡くなっている方も多いんですが。そうすると70歳までの人生設計みたいな感覚じゃなくて、場合によっては再発して、その病気は体中が何も動かなくなる病気なので。自分の手がこうやってあっても、ちょっと手をこっちに置いてほしいんだけど、誰かに動かしてもらわなきゃいけないくらい、動かなくなるんです。
そうなると、残りの時間のなかで、やりたいことをどうするかって話になる訳ですよね。ただそれでもやっぱ僕自身仕事をしていて。その時にベッドの上で、体が何も動かずに、目と口しか動かない時に、自分は仕事を通して何をするか。世の中の生活がもっと変わるようなことをしたいとか、なくなったら困るようなものを作りたいとか。そういった感覚がすごく強くなりましたね。
なので、ここ最近で言うと、教育系のサービスとかに、すごい力を入れたりしているんです。それも自分の中でまだまだ教育現場に対しての課題がすごくあり、自分たちが何かできるんじゃないか、みたいな思いから、そういったサービスに対して、まだ全然売上として儲かってなくても、何億という投資をしているんです。
会社だと普通に儲けたい儲けたくないだけだと、「儲からないからやめようかな」っていう気持ちが途中でもちろん出ちゃう訳ですけど。経営っていう話でシビアに言えば。ただそこに対して情熱とお金、人も含めて投資をしているのは、やっぱりそういう残りの人生がどれくらいあるかわからないなかで、もし自分がいなくなったとしても、世の中が変わるとか、多くの生活が変わるとか、なくなったら困るようなものを残したいな、みたいな感覚になったので。その2年前の病気っていうのが、何か気づいたというか、再度考えさせられるきっかけにはなったなとは思います。
小林:素晴らしいですね。じゃあ松田さん、自己紹介も含めてお願いします。大切なものは何か。そして気づいたきっかけ。
松田:Teach For Japan、ご存じの方もいるかもしれませんけれども。全国で最も優秀で情熱のある人材に2年間学校現場の先生をしてもらうというプロジェクトをやっています。この学校もですね、ただ単にどこでもいい訳でもなくて、とくに教育困難校、学級崩壊であったりだとか、歴史的背景であったり、時には貧困であったり。そういった子供たちの割合が多い、荒れている学校に、我々が選抜をしてトレーニングをした人材を2年間、大学卒業後送っていくプロジェクトになります。
それを通して、子どもたちの学習環境を変えていく。学級のみならず、学校を変え、地域を変えていく。そして日本をよくしていこうといったプロジェクトをやっております。このプログラムはただ単に子どもたちの状況を変えるだけではなくて、参加する教師そのものがリーダーシップを身につけるんですね。ということは課題が山積みな修羅場に入ってく訳ですよ。
そこで一つひとつ課題を整理して、あるべき姿を描いて、課題解決していくんですよね。一人の大人でできることって限られてるので、親御さんとか、同僚とか、地域の方とかを巻き込みながら、これを進めていくので、巻き込む力とか、リーダーシップが身につくプロジェクトになっていて、2年間のプログラムを終えた人たちが、そのまま教育界の変革者になっていくとともに、投資銀行やコンサルティング会社であったり、政治の世界に転職をしていってもらいたいなと。
2年間、現場での当事者意識を持っているので、そういった人たちを巻き込みながら、社会全体を巻き込みながら、教育をよくしていこうというプロジェクトをやっています。自分は、今はこうやって日本をよくしたいとか、本当に教育を通して未来作りたいとか思ってるんですよ、本気で。そのために自分ができることは全力でやってこうとは思ってるんですけども……。
とは言え、最初からこんな思いを持っていた訳ではなくて。ここ2、3年ですね。日本とか教育システムについて考えるようになったのは。自分が教育の世界に入るきっかけになったのが、中学校時代にいじめられていた経験で、すごく身体的に。柔道部の同級生に柔道技をかけられるっていうのを毎休み時間耐えてたんですけども。
今、実は片目の視力がすごく弱かったりだとか、それも(そのときの)相手の指が目に入って。まあ、失明は免れたんですけれども。すごくきつかったんですよね。でもその経験で、もし何もヘルプがなければ、そのまま本当に自殺も考えましたし、当時は。辛かったんですけど。そんな時に自分と向き合ってくれた一人の恩師、体育の松野先生の存在が自分にとっては大きくて。
その先生が自分に「どうすれば強くなれるか一緒に考えていこうぜ」って、半歩先を照らしてくれたんですよね。このすごい小さなことなんですけれども、自分のことを気にかけてくれて、言葉をかけてくれて、自分の可能性信じてくれて、二人三脚で進んでくれる存在っていうのが、自分の今の教育に入ってく、大きな出来事にもなりました。
今でもやっぱり教育の本質って何だろうかって考える際に、松野先生のひとつの像というか、ロールモデルが、常に心の中に入ってるので。こういったところから、自分でもずっとDNAとして残っていますね。
小林:じゃあ佐藤さん。
佐藤:セプテーニの佐藤と言います、よろしくお願いします。僕は今、会社の経営をしているんですけど、経営者になるなんて夢にも思わずですね。こういう人生を歩むとは、小さい頃とか、就職してからも全然思わなかった。というのは、16歳から24歳までずっと音楽をして、ミュージシャンとして生きていました。それがあるきっかけで、事業を志すっていう風になったんです。
そもそも、その音楽をしてたのはなぜかって言うと。自分が作ったもので世界中に影響与えたいとか。もっと言うと、自分が寿命を全うしたあとでも、世の中に残り続けるようなモノを作りたい。そうして死んでいきたい、そういう動機があって。じゃあ、それはなんで生まれたのか。わりと前の方々の話も似てたんで驚いたんですけど。
小さい頃ですね、やっぱりすごく重い病気をして、8歳から10歳ぐらいの時が一番きつかったですかね。ずっとベッドで天井を見て暮らしていたので、わりと重い時は悪夢も見たりする訳ですよ。ナチュラル・トリップしている状態で毎日を暮らしていて。毎日毎日大変な状況になった時に、生きることとか、死ぬことについて、もう真剣に考えた時期っていうのがあって。
その時がきっかけで、わりとどういう風に生きていきたいかっていうのが、定まってきたんですよね。だから小学校高学年ぐらいの時に、思想にふけり続けることで、なんとなく、どういう風に生きていきたいかっていうのが、先ほどの音楽する話につながるんですけど。わりと明確になってきて。それが実は次のコンプレックスのきっかけになって、今度は周りの人たちとうまく合わせられない、みたいな。
そんなことばっかり考えてる小学生ってあまりいないので、そもそも友達もできないし、やっぱりどうしても生き急ぐようになっていくので、どんどん前倒しで人生を生きていきたいと。寿命も決まってるし、自分の命の炎が燃えてるうちに、何かしていかないと。
小林:小学生の時ですよね。
佐藤:そうなんですよ。そんなこと考えている人はいないので、そうすると、ちょっとキモいんですよね、やっぱり。そうすると、とにかく周りと合わせられない状態で、学校の環境とか、小・中学生辺りが一番重たかったです。周りと同調しなきゃいけない圧力を過度に感じて、これはもうここのコミュニティにはいられないなと思ってドロップしちゃったんですよね。
それで結局学校もあまり行かなくなって、すさんだ状態だったんです。でもそのあとに、わりとポジティブに環境をとらえて、まあ、こんな環境だから今を受け入れて、前向きにしていこうっていう風に切り替わったのは、高校の先生との出会いで。それまでは「いや周りに合さなきゃダメだよ、お前は」という風にずっと言われ続けてきて、それがフラストレーションだったものが、その時初めて、高校生の時に「いや、いいんじゃないか。その生き方で」ということを、体育の女性の先生であり、担任の人だったんですけど、初めて「それでいい」っていう風に認めてもらったことがあって。
それですごく気持ちよくなって。やっぱり若いので、そんなことだけで自分が受け入れてもらえたっていう小さな満足だけで、わりとすべての物事をよい方向に使っていかないといけないな、「何くすぶってんだ、俺は」ってそういう風な思考に切り替わって、そこで音楽始めたんですよね、高校生の時に。
そこから自分が考えたモノを作って、それをたくさんの人たちに影響を与えてっていうものが、結果として25歳の時にインターネットと出会って、インターネットの事業を起こすことに。ミュージシャンから切り替えて、事業者とか経営者とか、こういう生き方で、自分の使命を全うしたいという思考に切り替わって、十数年経って今ここにいる。だからすごくきっかけという意味では、先ほどの皆さんの話にもすごく通ずることがあって、ちょっと刺激的でした。
小林:ありがとうございます。ではカッチャマン。
勝屋:私はプロフェッショナル・コネクターという、私がやりたい職業が総務省の職業分類表になくて。何か職業を作りたいと思っていたんですよね。それを佐藤さんが素敵な名前をつけてくださって。48歳の時に25年間勤めた会社を辞めて、今職業作りをやってます。
私は、できれば120歳まで生きたいと思っていて、今51歳なんですよね。私の息子が18歳の大学生で、多分皆さんとすごく近い世代で。今日は息子が普段どんな風に感じて考えてんのかなって、皆さんに投影しながら、感じたいっていうのもあってですね、楽しみにしていました。
人のつながりとか、つながりって深いんですけれども、私のする定義は。つながりで人が輝くお手伝いをしていきたいと。これが私がこの世に生まれた存在意義だなっていうことにハッと気づきまして、それを今全うしている日々です。私は先ほどのご質問で、この御三方のように幼少の頃に辛い体験とかなくて、比較的のほほんと、本当はちょっと辛い体験もあったんですけど、でもそういうのも見ずに、外の人と仲良くなったりして、のほほん、のほほんと。
大学4年の時に、どこの会社に入ろうかな~と思って、なんかカッコよさそうだし、給料もよさそうだし、女の子にモテそうだなと思って、IBMって会社に入ったんです。何も考えず。
それで、私の人生で大事なものは何かというと3つほどあるんですけれども、きっかけが。1つは37歳の時ですね。ずっと会社入ってから、3年ぐらい。皆さんも体験すると思うんですけど、自分のために働くと思うんです。自分が食べてくためとか、僕は25歳の時に結婚したんですけれども、家族のためとか、将来の貯蓄のためという風にやっていって、だんだん自分が機械のようになっていった記憶があるんですね。
僕が37歳の時に、ベンチャーの人たちのビジネスを作るお手伝いをするような、IBMで特別な部署に配属になって、ここにいる佐藤さんや小林さんたちのような、人生を覚悟決めて生きてる人たちと出会っちゃったんです。それまではIBMとか電通とか、所属のなかで、組織対組織でWin-Winと言いながら駆け引きしながら生きてたんですけれども。本当に覚悟決めて生きてる人たちと出会って、すごい衝撃を受けたんです。
なぜかと言うと、目の輝きが彼らはキラキラしてるんですよ。正直、その当時僕が見たのはIBMの社長とか役員よりもキラキラ輝いて見えた。それで、これ何なんだろうなと。最初のうちは楽しいですよ。小林さんや佐藤さんみたいな人たちと付き合って、エネルギーもらったみたいな。でもだんだん辛くなってくるんです。自分は何なんだろうと。僕、表に普段出してない話を今日しますけども、辛かったんですよね実は。
佐藤:初めて聞いた。
勝屋:その時初めて自分と向き合ったんですよ。自分とは何か。今まではただ働いて、自分が食べるために、家族が食べるために。僕はそれじゃ満足してないんだなってことに気づいちゃったんです。その先に何か成し遂げたいものがあるんだなと。でも残念ながら、そんなものって簡単に見つかんないんですよね。
結果を言うと、それから13年経って48歳の時に見つかって、今やってるんですけれども。IBMでベンチャーの事業が立ち上がって、すごく評価されるようになって、世界でも1番になったこともあるし、会社の中で。IBMでも兼業をやらせていただいたり、すごく順調にやらせてくれてたんですけども、急にですね、私の日本側の上長が競合他社から来て、「勝屋さん、1週間で辞めてください」って言われたんですよ、リストラです。
皆さんリストラって言われても全然わかんないと思うんですけれども、48歳で色んな家庭状況が厳しいなかで、リストラって結構エグいんですよ。ただ、実はそのリストラしてくださった人が、今は神の遣いだと思ってるんです。そのリストラがあったからこそ、僕は独立できたんですね。
そういうことで、僕は3つの大きい転機があったんですけれども、必ず人が関わってるし、人生って素敵だなと。困難になるたびにエネルギーが上がってくんです。自分が素の自分になってくんですね。ちょっと重たい話が連続で続いちゃうんですけれども。僕は困難に出会うのが遅かったですね、結構。でも今すごい人生楽しくて、学生には戻りたくなくて、今が一番楽しいですね(笑)。そんな感じ、ちょっと長くなっちゃったんですけども。
小林:いやいや、うるうる来ちゃって。
勝屋:小林さん泣いてくれてんの。僕も泣いちゃうかもみたいな(笑)。
佐藤:不測の事態により、ここからは私が。続いてじゃあ、どんどん質問に行きましょうか。多分今の話でインスパイアされた方もいらっしゃるんじゃないかと。さっきから手を上げていただいてる最前列の方、お願いします。
小林:うるうる来ちゃった、大丈夫です。頑張ります。
質問者:カッチャマンにお聞きしたいんですけども。自分を辞めさせた人を「神の遣い」っておっしゃったんですけども、そういうポジティブにとらえることは、どういう風にしてできたんですかね。
勝屋:最初は「このヤロウ」と思ったよ、正直。でも僕って、いくつか困難があったんですけれども、その時に必ず自分にとって何か重要なメッセージが来てるなってとらえるように、私のパートナーが教えてくれたんです(笑)。そういうことで、これは俺にとって何の意味があるんだってことを考えたんですね。
きっと今辛い思いしてる人って、チャンスだと思いますよ、本当に。だって皆さん辛い時があったからこそ、原体験があったからこそ、これをやりたいなっていう反転のエネルギーになるんです。そこから逃げないほうがよくて、むしろ人のせいにもしないほうがよくて、そういうのが大事だなって、心から。
小林:どうぞ、松田さん。
松田:すごいわかりますね。何かこう、起業をし、色んな所でパネルとか講演でお話をさせていただくと、学生が終わったあと来るんですよね。「やりたいことわかんないんです」とか。起業家が登壇すると、未来描いてカッコいいビジョンがあって、そこに向かって全力でやってくみたいな姿に、どうしても学生には見えるみたいで。
とは言え、今までそれを描く訓練とかって、ほとんど現在の教育ではさせてないので、結構辛いし、描き方がわからないんです。それで、息苦しい、重苦しいんですよね。ただその時に、僕らって結構厳しい状態の子どもたち見てるんで、共通してるんですけど、未来は描けないけれども、過去とか、今は結構見ることができるんですね。
その時にただ単に楽しかったことのみならず、苦しかったこととか、辛かったこととか。そういったものを一つずつ向き合って考えてみていくと、自分がどこに向かって行きたいのかって見えてくるんですよ。なぜかと言うと苦しんでるのにも理由があるし、辛いのにも理由があるし、楽しいのにも理由があるし、怒っているのにも理由があるんですよね。
それが結構その人の価値観であり、アイデンティティなんですが、結構僕らってそれを流すんですよ、辛いから。流してなんとなく生きて、大学生なら4年間過ごしちゃうんですよね。飲みに行ったりして忘れちゃうんです。意外とそういった感情的な揺さぶりがある時に立ち止まって、「なんでこの感情抱いてるんだろうか」って考えみるといいんじゃないかな。大切にしてもらいたいですよね、その一つひとつの感情を。なんとなく流すんではなくて。
小林:吉岡さんとかどうですかね、辛いとか。
吉岡:辛かったです、はい。
小林:辛かった? じゃあカミングアウトしちゃいましょう。
吉岡:私もやっぱ中学校の時が一番辛かったなと思っていて。なんかルーズソックスとか流行っていて。みんなこう同じ格好をするのがスタンダードだったんですけども。それがどうしても耐えられなくって、多分そのストレスだったと思うんですけど、拒食症になってしまって。
小林:そんなにストレスが。
吉岡:やっぱり半年くらいですかね、学校に行けなかったことがあり、それが原体験となって、自分らしくいることとか、自由に生き方を選べることっていうのが、自分にとってすごい大切になったと思うんですよね。それをきっかけにして、高校の時に家族の都合で留学に行けたんですけども、アメリカに行って、本当に色んな生き方があっていいんだっていうこと、自分のやりたいことやっていいんだっていうことを初めて気づいて、ようやく、自分の人生は自分で作っていくものなんだっていう、自信がついて、今に至るっていう感じですね。
小林:辛いことを聞いていっていいですか、大丈夫ですか? 内藤さん、今もお辛いのかもしんないんですけど(笑)。一番辛かった過去って何ですか。
内藤:そうですね、一番かどうかはわからないですけども。ばあっと振り返って思いついたのは、2008年なんで5年前ぐらいですかね。会社が上場したあとに、上場してる会社の状況で、会社を買収する際にお金を銀行から20億円ぐらい借りて買収をしたんですけど。会社が赤字になって、銀行さん、最近某ドラマ(『半沢直樹』)であったと思うんですけれども、雨降ってきたら傘を取るという、そのまんまの状況になっていて、20億を返してほしいと。
上場企業なんですけど、個人に来る訳ですよね。当時28歳ぐらいかな。28歳で、個人に20億円を返せという話が、毎週来る一方で、会社のほうは赤字になってるので、立て直しをしなきゃいけない訳ですよ。立て直しをする際には、いろんな働いてる人たちがいるんですけど、まずアルバイトさんとか、非正社員の人たちの契約を解除し、その赤字を立て直さないといけなくて。
銀行って2回連続赤字になると、本当に貸し剥がしみたいな状況になるので。こっちでは毎日朝からスケジュールの予定を見ると、30分置きに辞めてもらわなきゃいけないアルバイトの人とか、派遣の人とかとのコミュニケーションがずっと続くっていうスケジュールが入っていて。
かたやこっちでは銀行に毎回呼び出されて、「持ってる資産を全部出せ」みたいな話をひたすらされるっていうことを、毎日やってたんですね。かつ、毎週金曜日は、全社員に会社の状況とか開けっぴろげに話して立て直さなきゃいけないっていう話をしたんですけど、やっぱり不満もある訳じゃないですか、みんな。
2006年ぐらいの上場した当時は、ライブドアショックの前後もあって、テレビとか雑誌に出まくってたので。そういう派手な、ガッと行ってる会社に入ったと思っている訳ですね。「話が違うじゃないか」ぐらいのトーンの話もあって。なので、毎週金曜日は僕が広い場所に行って、誰でも何でも質問していい、みたいな感じの会があったんですけど。やっぱり糾弾に近い感じになりますよね。
当時僕より年上の人もいっぱい社員として働いてたんで、三重苦的な。銀行からはすごい言われるし、毎日辞める方にお話しなきゃいけないし、これから頑張ってく社員とも毎週色んな話をされるっていう、精神的にはタフなほうだと思ってるんですけど、相当来ましたね、それは。
なのでその一緒にやってきた人たちからそういうの言われるってのもキツいですし、自分が不甲斐ないがために辞めてもらわなきゃいけない。その人には生活があって、場合によっては子どもがいて「これがなくなったらほんとに困るんです」みたいな話で、その30分のなかですごく泣かれるとかっていう時間も含め。自分の一回り上とか、二回り上の人に泣かれるって話もされながら、銀行さんともそういうコミュニケーションをするって、結構重なりすぎて(笑)。
小林:いや、タフですね。
内藤:そこが乗り越えられたんで、まあ大抵のことは大丈夫だなって思ってたとこに、さっきの病気になって、何が起きるかわかんないなって思いましたけどね、人生は。
勝屋:それ、どうやって乗り越えたんですか?
内藤:もう結局淡々と一個一個を全部こなすしかないんですよね。ウルトラCみたいなことはないので、本当に精神的にぎりぎりのところで耐えながら、一個一個着実に向き合うってことですかね、一番大事なのは。逃げちゃうと全部が終わるんで。さっきの全部に全部向き合ってやってくって感じでしたかね。個人の売れるもん会社に突っ込んでって、全部一個一個やって、立て直しをしたって感じですけどね。
小林:参加者の皆さん大丈夫ですか? 重いですか? ちょっと。
内藤:今日重い流れになってますけど。そういう話を求めて、学生の皆さん来てんですかね、今日(笑)。
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