1年間完全にインターネットから離れて気づいたこと

A year offline, what I have learned #1/2

生活の中心がインターネットにある自分がインターネット断ちをしたら一体どうなるのだろうか? ジャーナリストのポール・ミラー氏が1年間ネット断ちをして、TwitterやFacebook、InstagramといったSNSなども全く使わずに生活をしてみた体験と、そこから学んだことを語ります。(TEDxEutropolisより)。

12歳からネット漬けの男が1年のネット断ちに挑戦

ポール・ミラー氏:2012年5月1日から、一年間完全にインターネットから離れた生活を送ってみました。私が26歳の時でした。それをしたのには多くの理由がありますが、主な目的は、26歳でしたし人生の方向性に悩んでおり、すべてのことがもう手に負えないように感じていたからです。インターネットから常に情報が流れてくる、メールはひっきりなしに届く、Twitterでは常に何かについて議論されている。個人的にインターネットが手に負えなくなっているように感じ、インターネットに負かされている、抑圧されているように感じたのです。

もちろん私はそれまでインターネット中心の生活を送っていました。12歳のころからインターネットを使い始め、以来起きている時間のほとんどネット上にいるような状態でした。私は10代の頃からウェブデザインをしており、20歳からテクノロジーについて記事を書くジャーナリストとして活動をしていました。

つまり私はインターネット無しの生活がどんなものか、常に世界と繋がっていることなく、メールが届くこともない生活がどんなものであるか知らなかったのです。Twitterが誕生する前の時代の記憶はあまり鮮明ではありません。

私にはやるべきこと、例えば個人的に学びたいこと、読みたい本、執筆活動、後回しにしていたプロジェクト等に費やす時間を持ちたいという願望もありました。私の起きている時間すべてを占拠するインターネットをやめれば、その時間は自分の達成したいことに取り組むために自由に使えるのだ、と考えインターネットをやめた訳です。

こういった個人的理由以外に、インターネットがいかに私を消費していたか、私がどのようにインターネットを利用していたか、私の決断とゴールはどの時点で私のインターネット上での行動に影響を与えたのか、インターネットがいかに私自身の行動を変えたかを知ることにも興味がありました。

90年代中頃、「Wired Magazine」の創刊やMITメディアラボを創立したニコラス・ネグロポンテがウェブ時代初期に、Webサーフィンとは生きることとは別であり、Webをした後は生産性ある大人の生活に戻るのだ、子供は長時間Webサーフィンをすることができるかもしれないが、社会で生きる大人がそうであってはならない、というようなことを書いていましたが、彼はまったく間違っていました。

インターネットでウェブサーフィンをする、これは今の時代誰もがやっていることです。彼の言っていることはある一部の人には当てはまるのかもしれませんが、私自身はインターネットをしていると生産性が下がると感じていました。先ほど私は執筆をしたい、本が読みたいと言いましたが、長時間インターネット上にいてTwitterをやったりして、ものすごい量の情報を処理していると、達成したいと自分が願っていることができないのです。インターネットを長時間やることによってステップアップするのではなく、自分が本当にやりたいことからどんどん離れていきました。自分の生産性がどんどん下がっているように感じたのです。

両親のインターネットの利用法と自分のそれを比べてみると、彼らはインターネットを役に立つ方法としてとらえており、Amazonで買い物をしたり、「最近なぜ連絡をしてこない?」と私にメールを送ったり、母はTwitter、父はInstagramをやっていたりします。彼らにとってネットとは必要なことをするための人生の小さな一部でしかありません。

私はネットと共に育ったからか、オタクであるからか、自分をコントロールするのがヘタなのか、ネットなしには生きていけませんでした。人生の他のことがインターネットをする合間合間に入り込んでくるような感じです。スマートフォンに釘付けの目を少し上げるとそこには人がいて、あ、まだここに人がいると安心し、またスマホに目を戻し、私が属するインターネットの世界に戻るのです。

ネット断ちをして良かったこと、悪かったこと

インターネットを生活から切り離してみると、素晴らしい自由を感じました。インターネットをやめると同時に携帯電話でメールを送ることもやめました。完全にネットの世界から自分を隔離すると、強い幸福感と高揚感がありました。香るものすべてがよい匂いに感じスキップしたくなるような感じです。例えるなら15歳の少年が「僕をコントロールすることなんて誰にもできないのさ! 僕の人生は僕だけのもの。自分で自分の道を決めるんだ!」というような感じです。

そして今までに感じたことのない大きな退屈を感じました。インターネットがあれば、少し退屈だな、と思ったらすぐにネットにアクセスして膨大な情報量の中で遊ぶことができます。私はそれまであのような退屈感を味わったことがありませんでした。クリエイティブな人たちがよく言っていますよね、退屈な時間は瞑想的でクリエイティブなことを考える隙間を与えると。私はそれに加えて、退屈な時間は自分が本当は何をやりたいのか考える時間であるとも思いました。

そしてネットをやめると、人との関わり方が変わりました。多くの場で語られていますよね、Facebookは果たして人々の繋がりを真の意味で深めたのか、簡単に「友達」と言うようになってしまったのか、と。私がネットをやめて分かったことは、実際に人と関わると、その関わりはネットよりもより直接的な強い関わりになり、人からも「なんだかすごく激しいあなたを見ました」と言われましたし、電話上でのやり取りですら人からキツい人だと怖がられたりしました。

今ここでチェックインするのを忘れたか、見落としたメールはないだろうかと頭の中で考えることがなくなったので、目の前にいる人と真に関係を築くことができるようになったと感じました。私の妹は私が心に余裕ができた、と言っていました。長く付き合っている友人たちともネットから離れたおかげで、それまでよりも深く関わることができるようになったのです。これを私は非常にありがたく思っています。

もちろんマイナスのこともあります。退屈な時間はそれを有効活用できれば最高の時間となります。しかし、退屈だからといってゲームをしてしまってはダメですよね(笑)。そう、まさに私はそれをしてしまったのです。退屈しのぎにゲームをすることに時間を費やしてしまいました。ネットをやめる前はそれほどゲームはしなかったのですが、退屈であるという恐怖に打ち勝つためにすぐそばにあるコントローラを手に取りゲームに夢中になってしまいました。皆さんにはお伝えできないほど膨大な時間を無駄にしてしまいました(笑)。

ネットから離れた1年の人々との関わりについてですが、彼らと実際に会って関わるとそこでのやり取りは非常に個人的な強い繋がりを感じるものであるのですが、外に出かける機会が減りました。社会的なつながりから離れてしまった、人々と連絡を取ることが難しくなったのです。家族も国内様々な場所に住んでいますから。

しかし同じ街に住む人々とすら、メールもしない、Facebookのイベント招待もチェックしない、あの話題の映画が今週末から公開だったことを忘れていた、という具合に始まり、情報がどんどん入ってこなくなる、人々からどんどん離れていくという状態になりました。

ネットから自分を離してすぐの時は、寂しさからどんどん外に出て人と会い、人に電話したりしていました。ところで多くの人は電話がかかってくるのを嫌いますね(笑)。メールにしてくれという人が多いです、特に何か集まりを計画しようという時には。

さておき、電話をかけてみる、今日は出かけたくないと断られる、時間が遅すぎる、ということが続くと寂しさが蓄積されていき、逆に1人で閉じこもっていたくなったものです。

1年後、インターネットと現実世界のバランス

しかしネットに再度戻った時が、また衝撃的でした。我々はいかにインターネットの利用に長けているか忘れているのではないでしょうか。あの1年間、私は本を読みましたが、1冊の本の中では1人の人物がテーマになっていました。しかしネットの世界となると10のブラウザタブが開かれ、20人からあのページをチェックすべきと言われる、スマホ、PCとタブレットを横に置いて膨大な情報を処理しようとしてネットに戻った初日は本当にパニックになりました。

戻ってからの1週間は情報を抱えてストレスだらけでした。戻ってすぐのある日、私はカフェでパソコンを開き20,000ほどの未読メールがあるメールボックスを開きました。自動返信システムをオンにしておくのを忘れていました(笑)。そこに私の妹がやってきて、今日あったことなどを話始めました。

私は彼女の話を聞いてはいたのですが、聞きながらもメールの返信のことを考え始めパソコン画面を見ながら彼女の話に相槌を打っていました。彼女は言いました「あぁ、また壁が戻ってきちゃったのね」と。パソコンに釘付けで彼女が私に話したいことがあっても、私は100パーセント彼女に注目しない、という日々を彼女はずっと過ごしてきました。私はそこでパソコンを閉じました。もうあの頃の自分には戻りたくないと思ったからです。

私はテクノロジーの出版社の創設に関わり、そのローンチは私がネットを離れる6か月前でした。皮肉ですよね。ネットに戻ってからは、私の1年オフラインで過ごした体験をまとめる執筆作業に取り掛かろうとしていました。取り掛かった記事はオフラインから戻って1か月、Google Glassについて、でした。Google Glassについてネットで調べ、私はネットを使って生産性を上げるバランスを取り始めていました。

その頃、Skypeで兄と義姉と話をする約束をしていました。彼ら、そして彼らの子供たちの顔を見るのは半年ぶりでした。私はGoogle Glassについて学ぶことに夢中になっていて、私にとって大切な人々とSkypeをすることすら少し面倒だと思ってしまったのです。

しかし取り組んでいたプロジェクトを脇に置いて彼らとSkypeをしました。姪っ子はバイオリンでキラキラ星を弾いてくれました。甥っ子はクレヨンで紙に書いた作品を見せてくれました。とても大切な人生のひと時です。私はそんな風に彼らと繋がることが、あの1年間できませんでした。私はこのような瞬間を当たり前に考えることはもうしたくない、と思いました。

ネットの世界に戻ってから次にどんなことをしてみようか考え、あるアイディアが浮かびました。あの1年、私は自分のことだけに集中していました。自分を直し、改善し、もっとより良い自分になろうと。次は自分のことだけでなく、誰かのためのプロジェクトをやりたいと思ったのです。

私の兄が最近空軍配属になったので、私は今、義姉と彼らの子供たちとコロラドに住んでいます。インターネットから離れてみてわかったのは、ネットから離れるだけでは私の問題は解決しないということです。どこにいっても自分は自分です。ネットから離れようが離れまいが、私は私。そして私は人が大好きで、甥っ子姪っ子も大好きです。

ところでこの兄は、先ほどとはまた別の兄です、私には2人兄がいます。兄の子供たちと共に時間を過ごすのはとても有意義で、ここにきてついに、私はインターネットとの付き合い方を学んだ気がします。

インターネットに利用されず、自分でインターネットとの付き合い方をコントロールできるというのは素晴らしいです。ここでも私は自由を感じました。前はインターネットがあることによって自分のやるべきことから外れていましたが、今では私が私の人生をコントロールしています。

私がやるべきは甥っ子姪っ子の父である私の兄が空軍のミッションに行っている間、彼らと共に過ごすこと、そしてこれが本当に素晴らしい時間なのです。

甥っ子はスターウォーズをまったく理解していませんが、私にライトセーバーの機能を説明してくれました。敵に発射して、敵を倒すんだとめちゃくちゃな文で言っていましたが、もちろんライトセーバーは銃ではありません(笑)。

その話をTwitterに投稿したのですが、ある友人がそれに返信をくれました。彼はテクノロジーアナリストでネットと人生のバランスのとり方というテーマは理解しています。「もしも君がまだ100%オンラインの世界で生きていたら、甥っ子とのこんな時間は体験できなかっただろう。もしも君が100%オフラインだったとしたら、私たちはこんな楽しい話を知ることもなかった」と彼が言ったのです。

私はついにネットと人生のバランスを見つけました。リアルな人生で起きたことをネットで公開する。とても幸せな気分です。人生で何を優先すべきかを考えてみること、そしてネットにコントロールされないことが非常に大切だと思います。ありがとうございました。

<続きは近日公開>

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TED(テッド)

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