児童相談所全国共通ダイヤル「189番」への危機感

三原じゅん子氏(以下、三原):皆さま、こんばんは。カフェスタ189@女性局の時間でございます。本日はゲストとして、私が教育問題で一番最も尊敬し、信頼をしている松居和先生にお越しいただきました。どうぞよろしくお願いいたします。

(会場拍手)

松居和氏(以下、松居):よろしくお願いします。

三原:いつも本当にありがとうございます。私たち女性局の全国大会とか、あるいはいろんな都道府県の講演に行っていただいて、本当にいつもお世話になっている松居和先生でございます。

松居和先生を紹介させていただこうと思います。作家であり、元埼玉県教育委員会の委員長でいらっしゃいました。ずらっとこれだけ多くの経歴をお持ちでいらっしゃいますし、著書も沢山、私も読まさせていただいております。

常に子供の教育のことをずっと考えて、そしていろいろなところでお母様たち、保育士さんたちを助けてくれようとしている松居先生でございます。どうぞよろしくお願いいたします。いつもすいません、先生。

松居:機会をいろいろなところでいただきましてありがとうございます。県連の女性局の方たちが非常に理解してくれて、地元でも頑張っていただけているのでとてもありがたいです。

三原:こちらこそ本当にいつもありがとうございます。先生、今日は189という全国共通ダイヤルができましたので、虐待かもと思ったらいち早くここにご連絡をください。そして通報してください。

あるいはご自身が、親御さんが虐待してしまいそうだなって悩んでいらっしゃたら、そういうお母さん、お父さんでもぜひご相談くださいというような、この番号の普及のための啓発番組という形で始めさせていただいているんですけども。先生からしたらどうですか、この番号に関しては。

松居:これはとっても大切なんですけど、こういうふうになったら日本も終わりだなと思ってましたよ。こういうことは欧米で20年、30年前に始まったことなんですよね。

アメリカで今から30年ぐらい前ですけども、毎年親による虐待で重傷を負う子供が毎年13万人ぐらいだったんですよ。それが7年間で一気に80万人にまで増えた時期があるんですよ。こういうのは一気に増えるんです。

1年間に80万人というのは、日本で毎年30万人の子供が親による虐待で重傷を負って病院に担ぎ込まれるっていうことですよ。そういうところまで、まだいっていないでしょう。

だから、日本は状況はすごくいいのに、せっかく良い状況なのに、何か施策自体が親子を引き離せ、みたいな感じになってきてるんで、しかもそれを経済論でね。保育士たちが本当に困ってますよ。

こういうところに報告する前に、幼稚園や保育園の園長先生たちや主任さんが「あれ、変だな?」と思うわけですよ。毎日親に会ってるわけですから。変だなと思ったら注意して、子供がおかしいなと思ったら親にひと言、ふた言、昔は言ったんですよ。

言ってみれば、保育園の先生たちなんていうのは、仮児童相談所みたいな役割を長くしていて、その人たちがしてた役割はものすごく大きかった。日本という国はそれに気が付いてなかった、当たり前だと思って。

だけど、こんな仕組みは他の国では無い。でもその先生たちが、この親になんか言いたいなと思って何か言うと、その親が役場へ文句を言いに行って、役場からとにかく親から文句が出ないようにしてくれ、みたいな指導が園長先生やなんかに来るようになっちゃった。

もう15年くらいになるかな、厚労省が「保育はサービスだ」って言っちゃったんですよ。だから、言ってみればお客さんから文句が出ないようにしてくれみたいなことで言っちゃったんですよ。

でも、ここで毎日子供たち、そして親たちを見ている先生たちが口を閉ざしちゃったということが、どれほどこの国にとって損失だったか。

三原:一番わかってらっしゃるはずですものね。

日本の保育士たちの苦しい現状について

松居:毎日ですよ。そういう人たちが今、土曜日、日曜日、48時間子供を親に返すのが心配だって言い始めてる。5日間せっかく良い保育やっても、月曜日また噛みつくようになって戻ってくる。

三原:土、日で。

松居:お尻がせっかくきれいになったのに、月曜日また真っ赤になって戻ってくる。

三原:おしめが汚れて……。

松居:48時間おむつを一度も変えないような親をつくり出しているのは、自分たちなんじゃないんだろうか。このジレンマの中で日本の保育士たちは、今ほんとにつらい思いをしてますよ。

そして、良い保育士から辞めていってる。今全国でどこの市町村行っても、保育士1人辞めたら、次見つけるの至難の技。これは悪い保育士をクビにできないということなの。悪い保育士をクビにできないと、良い保育士が辞めていっちゃう。

幼児というのは神様、仏様の目で我々を見ているんですよ。これほど我々を信じてくれる人、頼ってくれる人、そして、しかもそれに幸せを感じてくれる人、こんな人たちはいないですよ。

この人たちの目にさらされて、しかも、例えば仲間の保育士の中に子供を怒鳴ったり、引きずったり、叩いたりする人がいて、それを止めさせられないっていう仕組みの一部だと感じた時に、良い保育士はある日突然朝起き上がれなくなっちゃう。

去年、千葉で保育士が園児を虐待して警察に逮捕された。逮捕されるような悪い保育士は昔からいたと思いますよ。でも園長が警察の取り調べに、「保育士不足の折、辞められるのが怖くて注意できませんでした」と言ったんですよ。

ここですよ。園長が悪い保育士に注意できなくなったら、0、1、2歳児を預かるのは考えたほうがいいですよ。3、4、5歳児は家帰って「保育士に叩かれた」って親に言えばいいんだから。

でも0歳1歳2歳児はしゃべれないわけだし、主張できないわけですから、この人たちをしっかり守ることによって人間たちは社会をつくってきたし、モラル、秩序を生んできたし、心を1つにしてきたわけですよ。この人たちがいてくれなかったら人間社会なんて成り立たなかったんですよ。

0〜2歳の幼児との関わりから学ぶこと

0歳、1歳、2歳。これほど毎年違う連中はいないですよ。61歳、62歳、63歳とは違うんです。毎年これほど違う人たちには、その年のお役目があるに違いない。人類にとって。宇宙にとって。そう考えるのが普通ですよ。

0歳児とほとんどの人間が1年間、あのスピードで、男女問わず、ほとんどの人間たちがしっかりつき合っていれば、寝たきりのおじいちゃんにだって存在意義があって、双方に育てあっていて、こういう人がいなかったら、社会というパズルを組んでも、おもしろくもおかしくもないってことに人間は気づいたわけですよ。

しゃべれない、歩けない、1人でトイレに行けない、1人でご飯を食べられない。この人たちと1年間ほとんどの人間たちが、どこかでつき合ったわけですよ。それが人間社会。

1歳児、2歳児、この人たちは行動パターンから言えば発達障害プラス知的障害ですよ。発達してないんだ、まだ。

この人たちとほとんどの人類が2年間、あのスピードであれほどすばらしく素敵な時間を過ごさせていただくことによって、人間は認知症のおばあちゃんだって、障害を持ってる人にだってみんな役割があって、この人たちがいるから本当のパズルが組めるんだってことに気づいたわけですよ。

0歳1歳2歳、この不思議な連中としっかりほとんどのレベルで、小学5年生ぐらいから積極的につき合うことをやっていれば、人間は優しさを身につけるし、忍耐力を身につけるし、みんなお互いに必要なんだってことを理解するわけですよ。

2歳児なんか、あれほど非論理的で理不尽な連中はいないですよ。私は2歳児と8時間2人っきりで過ごせと言われたらぞっとしますよ。でもそこに「小学校1年生の女の子を加えるけど、どうか?」って言われたらOKなんですよ。私はその体験ある。

6歳の女の子がそこに加えると結構楽しい8時間になる。間の2時間はどうせ眠ってますし。しかもこの2歳児が、6歳の女の子を育てる風景。

人類にって幼児の存在はかけがえのないもの

三原:2歳が6歳を育てるのですね。

松居:2歳児が6歳の女の子から良い人間性を引き出す風景。これは見ていてうれしいですよ。安心しますよ。こういう風景を見ていないと、人類は自分自身に納得しない。2歳、6歳、61歳、こういう組み合わせが必要なんですよ。

6歳の女の子の代わりに、6歳の男の子加えるけど、どうかと言われたら、「ちょっと待ってよ」ってことになるわけですよ(笑)。5歳、6歳って、男の子と女の子って全然違いますよ。5歳の男の子なんか叱っても意味ないですよ。1分後には忘れていますよ。

男はだいたいどっか欠けてる。欠けてるところを可愛いと思ってもらえなかったら、男なんて生きていけない。まあ、だいたい。

「80歳のおばあちゃんを加えるけどどうか?」って言われたら、良いかもしれない。2歳、61歳、80歳、この組み合わせも独特なんですよ。全ての人間関係が独特で、双方向への育ちあいなんだと。そこを忘れたら大変なことになる。

しかも私、最近4歳児完成説って言って、4歳児が一番完成してる人間って、もう決めたんですよ。

三原:決めたんですね(笑)。

松居:頼り切って、信じ切って、幸せそう。これは宗教の求める人間の姿ですよ。4歳児ぐらいを拝んでれば、あの人たちを目標にしれば人類は大丈夫だったんですよ。あれほど幸せそうな連中はいないですよ。

集団で遊んでいる3歳児、4歳児、幼稚園とか保育園に行って2時間眺めてごらんなさい。あれほど幸せそうな連中はいないですよ。私がいくら成功して金持ちになってスポーツカーを乗りまわしても、砂場で遊んでいる3歳児、4歳児には負ける。

あれを見ていると人間たちは、幸せというものはつかみ取るものでも、勝ち取るものでもないんだと。モノサシの持ち方なんだって、わかるわけだよね。「モノサシさえ持てば、砂でさえ幸せになれるんだぜ」って、幼児が教えてくれるわけ。

宇宙は、我々全員が幸せになれる方法をちゃんと用意している。それを伝えてくるのが集団で遊んでる幼児たち。一番幸せそうな人達です。あの人たちを1日1回は眺めていないと、人類は間違うと思う。

三原:わかる気がするな、なんとなくですけど。