「子供を起業家にするなら小遣いはあげないほうがいい」アントレプレナーに必要な精神と教育方法とは

Let's raise kids to be entrepreneurs

起業家の父と祖父のもとで育ち、自身も7才の頃からビジネスを始め、現在に至るまでアントレプレナーとして生きてきたCameron Herold (キャメロン・ヘラルド)氏。学校では子供に医者、弁護士、会計士、歯科医、教師、パイロットになるように教え、メディアではスポーツのスター選手やモデルや歌手になれと言っています。しかし、ヘラルド氏は「子供たちのアイデアを幼いころから擁護し、アントレプレナーとして育てていけば、この世界で問題になっていることをすべて解決することができる」と語ります。彼はスピーチの中で、子供をアントレプレナーとして育てるための方法や、幼い頃からのお金との向き合い方についてレクチャーしました。(TEDxEdmonton2010 より)

子供を起業家に育てるには

キャメロン・ヘラルド氏:自信を持って言いますが、ここにいる人の中で一番頭が悪いのは私です。勉強で苦労しましたし、学校もまともに出ていません。

しかし、かなり幼い頃から、お金、ビジネス、アントレプレナー的なことが大好きでした。また、アントレプレナーになるように育てられ、私が最も情熱を燃やしてきました。今まで誰にも話したことがありません。妻以外には。

と言っても、「あなた、何について話すの?」と聞かれたので、3日前に話したばかりですが、これを聞くのは、皆さんが初めてでしょう。

それは、アントレプレナー的な気質をもった子供を見つけて、その資質を育てたり、アントレプレナーがクールなんだと教えてあげる機会を失っているということです。それが悪いことではありませんし、中傷するつもりはありません。社会ではよくあることです。

子供たちは、私たちが大人になる過程でもそうでしたが、夢や情熱、ビジョンなどを持っていますが、何故かそれをつぶしてしまうのです。一生懸命に勉強して、もっと集中して、チューターを見つけなさいと言われます。両親は私にフランス語のチューターをつけましたが、今でもフランス語はだめです。

2年前、マサチューセッツ工科大学(MIT)のアントレプレナー修士課程の講師のランキング1位でした。小学校2年生のとき、市のスピーチコンテストで優勝しました。

ところが、「この子は話すのがうまいね。集中力はないけど、人にエネルギーを与えることが好きなんだよ」とか「スピーチのコーチにしなよ」と言ってくれた人は1人もいませんでした。言われたのは、苦手な科目にチューターをつけろということでした。

魚を与えるのではなく、魚の獲り方を教える

子供にアントレプレナーの気質を見出したら、また、子供にその気質を捜すことも必要ですが、弁護士になるように育てるのではなく、アントレプレナーになるように育てるべきです。

残念なことに、この世界の学校のシステムは、弁護士になれとか医者になれと薦めるばかりで、誰1人としてアントレプレナーになれと言わないのです。

お集まりの皆さんの中には大勢おられるでしょうが、アントレプレナー的人間は、アイデアや情熱があり、世界のニーズを理解して、それに向かって進んでいきます。

そして、持てるすべてを注いで、何かを興そうとする人です。問題があるところには、必ず(解決の)アイデアを持っている人がいるものです。

自分が愚かでそれに気づかないからといって、幼い子供に「できるはずはない」と言いきれないのです。

そういう人たちは、同じような資質を持った人たちを集めることができ、夢をかたちにできるのです。そして、子供たちのアイデアを幼いころから擁護し、アントレプレナーとして育てていけば、今日、この世界で問題になっていることをすべて解決することができると思っています。

私たちが親として、また社会として果たすべき義務は、魚を与えるのではなく、魚の獲り方を教えることだと思います。

こんな例え話があります。「人に魚をあげれば、彼を1日食べさせられる。彼に魚の獲りかたを教えれば一生食べさせられる」。

気質のある子供たちにアントレプレナーになることを教えることができれば、サイエンスの頭脳を持った子供が理系に進むように、アントレプレナーの道を進むように導くことができるのではないでしょうか。そうすれば、子供たちが政府からの援助を待つのではなく、ビジネスを展開していくようになるしょう。

私たちが今していることは、何をしてはいけないかを教えています。殴ってはいけない、噛みついてはいけない、悪態をついてはいけない、など。

それから、良い仕事に就けとか、学校のシステムは医者、弁護士、会計士、歯科医、教師、パイロットになるように教えています。

メディアはといえば、モデルや歌手、ルオンゴやクロスビー(カナダのプロホッケー選手)のようなスポーツのヒーローになれと言っています。

MBAはアントレプレナーになることを教えてくれない

MBAのプログラムはアントレプレナーになることを教えていません。私が、MBAに進まなかったのは、高校の成績の平均点が61%でMBAのプログラムには入れなかったからです。

カナダで唯一入学を許可してくれたのが、カールトン大学だったからだけではありません。MBAのプログラムがアントレプレナーになることを教えてくれないからです。MBAのプログラムは会社で働くために必要なことを教えているからです。

それでは、誰がその会社を興したのでしょう? それは、名もない少数の人々です。

人気のある本にしてもそうです。私が読むべき、また、みんなの読むべき本のリストにあるべきだと考える本、アントレプレナーを英雄化している本は『肩をすくめるアトラス』です。それ以外は、アントレプレナーは悪い人たちと見る傾向にあります。

私の家族はというと、父方、母方双方の祖父はアントレプレナーでした。父はアントレプレナーでした。兄妹、そして私の3人の子供たちは、みんな自分の会社を持っています。私たちは、全員アントレプレナーです。

何故なら、そこしか適応できる場所がないからです。私たちは、普通の仕事には向きません。私たちは、頑固すぎるし、ほかの独自性から、他の人のために働くことができません。

ところが、子供はアントレプレナーになることもできます。

私は、アントレプレナーズ・オーガニゼーションやヤング・プレジデンツ・オーガニゼーション(YPO)などの世界的な団体で重要な地位にあります。バルセロナで開催された、YPOのグローバルカンファレンスでスピーチをして帰ってきたばかりですが、そこで会った人たちは全員アントレプレナーで、学校(の勉強)で苦労した人たちでした。

ADD、躁鬱はCEO病

私は、ADD(注意欠陥障害)の19のチェックリストのうち18項目が当てはまります。ですから、ここにいると滅茶苦茶なことをしてしまいそうです。

(会場笑)

少しパニックしているのは、カフェインと砂糖のせいばかりではないでしょう。これ(ステージ)は、アントレプレナーにとっては、気持ち悪いです。

ADD、躁鬱病はCEO病というあだ名があるのをご存知ですか? テッド・ターナーやスティーブ・ジョブスが患っていました。ネットスケープの3人の創始者は全員。例を挙げればきりがありません。

子供たちに、こういう兆候が見られたら、リタリンを与えて言うでしょう。「アントレプレナーみたいになってはいけません。それ以外のシステムに適応して良い生徒になりなさい」

悪いけど、アントレプレナーは生徒ではありません。他人よりも速く進んでますし、ゲームを理解しています。

私は小論文を盗みましたし、テストでカンニングをしました。大学の会計学の授業では、子供を雇って、13本の連続した提出物をやらせました。アントレプレナーは会計なんかしません。会計士を雇うのです。私は、そのことを若いときからわかっていました。

(会場笑)

少なくとも、私は大学でズルをしたことを認めます。みなさんなら認めないでしょうが。私の談話が引用されたことがあるのですが、教科書の著者に言いました。

「それは、カナダの大学やカレッジすべてで使われている教科書です。私の談話の引用は管理会計学の教科書の8章にあります。予算についての章です」。そして、インタビューの後、その著者に言いました。

「この科目で不正をした」と。著者はあまりに可笑しいので、「それを削除するにしのびない」とのことでした。子供たちにこのような気質を見出すことができます。

一番最初に事業を始めたのは7才の頃

アントレプレナーの定義は、「組織を作り、運営し、ビジネス・事業上のリスクに責任を持つ人」のことです。MBAでなければいけないということではありません。学校を出ていなければいけないということでもありません。このいくつかのことを肝に銘じていることだという意味です。

「天性か育成されたものか」とよく言われていますね。前者か後者か? 何でしょう。どちらかひとつではないと思います。両方だと思っています。私は、アントレプレナーとして育てられました。

子供の頃、私には選択肢がありませんでした。父は、私が学校で教えられることに適応できないと気づいたときから、ビジネスを理解するよう教育しました。

とても、幼い頃からです。父は、私たち3人の子供たちに、職を得るという考えを憎み、他の人を雇うことができる会社を作ることを愛するように育てました。

私の最初の小さな事業始めたのは、7才のときです。当時ウィニペグに住んでいました。ベッドルームで横になって、延長コードを引き入れて、ウィニペグ中のクリーニング店に電話をしました。ハンガーをいくらで買ってくれるか調べていたのです。

母が部屋に入ってきて言いました。「クリーニング店で売るためのハンガーはどこで仕入れるの?」私は言いました。「地下室で探してみよう」。

母と私は地下室に降りていきました。棚を開けると、私が集めた何千ものハンガーがありました。私が、母に近所の子供たちと遊びに行ってくるといって外出したとき、実は、近所を一軒一軒訪ねて、売るためのハンガーを集めて地下室に貯めておいたのです。

数週間前、母がハンガーを返して2セントもらっているのを見ていました。母は私がハンガーをもらいに行くのを嫌がるのはわかっていましたが、結局もらいに行きました。

(会場笑)

また、交渉することも学びました。3セント払おうとオファーしてきた人に、3.5セントで交渉しました。7才にして、まとめ買いをするので、1セントの数分の1で値段を決められることを理解していました。

7才で私は、それが解っていました。何千本のハンガーを3.5セントで売りました。

9才のときに車のナンバープレートフレームを訪問販売した

車のナンバープレートフレームを訪問販売したこともあります。父が、それにはフレームを売ってくれる卸売り店を見つけなさいと言いました。そして9才にしてサドベリーの街を歩き回り、訪問販売をしました。

あるお客さんのことはよく覚えています。私は、他のお客さんを相手に、いろいろと商売をしていました。新聞とか。この人は決して新聞を買ってくれないお客さんでした。でも、ナンバープレートフレームは絶対に買わせると心に決めていました。

彼が言いました。「そんなもの必要ないからね」。私は言いました。「でも、お宅には車2台あるでしょう」。

私は9才でした。そして、こんな風に言いました。「この車のナンバープレートはずいぶん痛んでいますね」。

彼が言いました。「そうだね。それは妻の車だ」。

そこで、私は言いました。「それでは、フレームをつけたほうが長持ちするかどうか、奥さんの車の前方のプレートでテストしてみましょうよ」。

要するに、2台の車にそれぞれ2つのナンバープレートがある、もし4つ全部売れなかったとしても、少なくとも1つは売れる。私はそれを幼いときに学びました。

貧乏な子供から漫画本を買って、金持ちの子供に売った

漫画本でアービトラージ(裁定取引)もしました。10才のときです。ジョージアン・ベイのコテージで漫画本の商売をしました。自転車に乗って、ビーチの端っこに行き、貧乏な子供たちがから漫画本を買い取りました。それを、反対側のビーチに持って行って、金持ちの子供たちに売りました。

私にしてみれば、一目瞭然じゃないですか? 安く買って、高く売る。需要のある側はお金を持っている。貧乏な子供たちに売ろうとしてはだめですよ。キャッシュを持っていませんからね。

金持ちはキャッシュを持っている。金持ちを狙うのですよ。だから、一目瞭然だと言っているんです。そうでしょう?

不況のようなものです。不況はありますが、それでもアメリカでは13兆ドルのお金の流れがあるのです。それを狙うんです。私は、それをとても幼いときに学びました。

さらに学んだことは、仕入先を教えるなということです。この商売を初めて4週間後、金持ちの子供の1人が、私がどこから漫画本を仕入れているか見つけ出しました。

そして、彼は実際の仕入れ値よりもはるかに高額を支払っていたことを知って、私をぼこぼこにしました。

10才のとき、新聞少年の道を行くことを強制されました。ぜんぜん気が進まなかったのですけど。

10才になると、父が言いました。「それが、おまえの次のビジネスだ」配達区域はひとつではなく、ふたつ受け持たなければいけない、さらに、配達の半分を受け持つ人を雇えと言われました。

そこで気づきました。お金になるのはチップだということに。私は、代金の集金をして、チップをもらうのです。私は、配達先全部の集金をしました。この時点で、私は絶対に人に雇われまいと決めました。

父は自動車と業務用の修理場のオーナーでしたので、古い車のパーツあちこちに散らばっていました。古い真鍮や銅もありました。父にこれをどうするのか尋ねると、捨ててしまうそうです。

私は言いました。「でも、買ってくれる人がいるのじゃない?」「多分ね」。

10才にして、34年前ですね。私は、こういう機会に気づいていました。お金がごみ箱の中にあるのですよ。自転車で近所の自動車修理場を回っては、回収しました。

父は土曜日に車で金属のリサイクル業者に連れて行ってくれて、私はそこでお金を受け取るのです。これは、クールなことだと思っていました。奇妙なことですが、それから30年後に、廃品のリサイクル会社を作り、お金を儲けています。

11才のとき、カブスカウトで母の日のプレゼント用に小さなピンクッションを作りました。木製の洗濯場ばさみで椅子の形に作るのです。それから、小さなクッションを縫い、針が刺せるようにします。

当時は手縫いをしていたので、ピンクッションが必要でした。そこで、私が気づいたのは、選択肢が必要だということです。スプレーペイントで茶色に塗りました。

「買いませんか?」ではなく「どっち色が好きですか?」と聞く

それを訪問販売するときは、「買いませんか?」とは言いません。「どっち色が好きですか?」と言うのです。10才の子供ですからね。

誰もノーとは言いません。特に茶色と無色の選択肢がある場合は。こういうことを、幼いときに学びました。

肉体労働は最悪だということも学びました。例えば、芝生を刈るのなんてひどいものですよ。でもね、夏の間中、お金をもらって近所の芝生を刈るのですから、経常収益はすごいのです。

1人のお客さんを掴めば、毎週お金がもらえます。1個のピンクッションを1人に売るよりはるかに良い。ピンクッションはひとつしか売れないですからね。幼い頃に学んだ経常収益のモデルが大好きです。

私はこのように育てられました。私は雇われることが許されませんでした。

ゴルフ場でキャディもしました。でも、そこで気づいたのは、13ホールに大きな丘があることでした。ゴルファーはバッグを持って登ることができません。

私は、椅子に座ってキャディのいないゴルファーを待ち、バッグを運んであげました。丘の上まで運び上げると、1ドルもらえました。

その間に友達は、5時間も他人のバッグを運んでやって10ドルもらっていたのです。私は思いました。

「5時間も働かなければいけないなんて、ばかげている。理解に苦しむな。より多くのお金を早く稼ぐ方法を見つけさえすれば良いのに」

毎週、近くの店に行って清涼飲料水を買って、ブリッジをする70才のご婦人たちに届けていました。彼女たちは、毎週注文をくれました。

私は、飲み物を届けるだけで、倍の値段を請求しました。市場を制覇しました。契約は不要です。ただ、需要と供給があって、お金を払ってくれるお客さんがいれば良いのです。

このご婦人たちは、他の子供には頼みません。私のことを気に入ってたからだろうと思います。

ゴルフ場の池に入ってボールを集めた

ゴルフ場でボールを拾い集めたりもしました。他の子供たちは、藪や溝の中を捜していました。ばかなことをしているなと思いました。ボールは池の中にいっぱいあるのに、誰も池に入らないのです。

私は、池に入って、四つん這いになって足でボールを拾い上げました。ステージの上で実演はできませんが。ボールを拾ったら、水着のトランクスに入れれば終わり。それで、百や二百のボールが拾えます。

そこで問題がありました。そんなに大量のボールを欲しがる人がいないことです。そこで、私は、仕分けしてパッケージにしました。当時12才でしたっけ。

3種類の仕分けをしました。ピナクルとかDDHなんかの当時人気のあったボールは、1個2ドルで売りました。痛んでいないボールは50セントで売り、痛んでいるものは50個単位で売りました。痛んでいるボールは練習用に使えますから。

ハイスクールの頃は、生徒にサングラスを売っていました。友達からお金を儲けようとすると、嫌われますね。でも、必要なお金は手に入りました。

サングラスはたくさん売りました。あるとき呼び出しがあり、「商売をしてはいけない」と言われ、学校から締め出されました。それで、大量のサングラスを持って、ガソリンスタンドに売りに行きました。

ガソリンスタンドは、それを自分の店のお客さんに売りました。売り先があるのは良いことです。その時は、14才だったと思います。

カールトン大学の最初の年の学費はワインの革袋を訪問販売して賄いました。この革袋には40オンス(約1リットル)のラムと2本のコーラが入ります。

「だから何?」ですね。知っていますか? これ、ショートパンツの中に隠せるのです。だから、フットボールの試合を観に行くとき、ただで酒を持込めるのです。みんな買いましたよ。需要と供給、ビッグチャンス。

自分の大学のロゴを入れて、ブランド化さえしました。それで、コストの5倍で売りました。

子供たちにゲームを買い与えていますね。でも、アントレプレナーの気質を持っている子供には、それを育てるゲームを与えてはどうでしょうか?  

アントレプレナーは固定給を期待しない

子供たちにお金を無駄使いしないよう教えたらどうでしょう?

アルバータ州バンフでのことです。1セントのコインを落としてしまったとき、父に道の真ん中まで行って来いと言われたことを覚えています。

「拾ってきなさい」父は言いました。「苦労して手に入れたお金だ。1セントも無駄にしてはいけない」。これは、今でもよく覚えています。

お小遣いは、子供たちに悪い習慣を植え付けます。仕事をして給料をもらうことを教えているようなものです。

アントレプレナーは、固定給を期待しません。お小遣いは、幼いときから定収入を期待するようにしてしまいます。アントレプレナーを育てたいのなら、それは間違えだと思います。

私には、9才と7才の2人の子供がいますが、家や庭を回って、手入れが必要なところを捜して、それがどこかを報告させます。または、「ここ、手入れが要るな」と私が言うこともあります。それでどうすると思いますか? 交渉するのです。

子供たちは手入れが必要なものが何かを探しに行きます。それで、いくらで仕事をするか交渉します。

子供たちは決まった額を決まった時に受け取ることはありませんが、もっと仕事がないか探す機会があります。交渉のスキルを学び、チャンスを見つけるスキルも学ぶのです。このようなことを育てていくのです。

子供たちはそれぞれ、ふたつの貯金箱を持っています。自分が稼いだり、もらったりしたお金の50%は家の口座へ、残りの50%は自分のおもちゃの口座へ。おもちゃの口座にあるお金は何に遣ってもかまいません。家の口座へ入れた50%は半年ごとに銀行に預けます。

私は子供たちと一緒に銀行へ行きます。毎年、銀行に預けたお金はすべて株のブローカーに行きます。9才と7才の子供たちは、すでに自分のブローカーを持っています。これで、貯蓄の習慣を教えていきます。

30才の人が、「そろそろ、RSP(老後のための積立金)を始めようかな」と言っているのを聞くと気が狂いそうになります。25年も無駄にしてきているのですよ。お金の苦労を知る前に、幼いときから習慣として教えていくことができます。

子供たちに物語を語らせる

毎晩、寝る前に本を読み聞かせるのはやめましょう。1週間のうち、4回は読み聞かせ、3回は子供たちに物語を語らせるのが良いでしょう。

子供たちと一緒に座って、4つのお題を与えてはいかがでしょう。例えば、赤いシャツ・ブルーのネクタイ・カンガルーとラップトップ。それで、ストーリーを作らせるのです。

うちの子供たちはいつもそうしています。それで、自分を売り込む方法、創造すること、自分で考えることを教えることができます。それを楽しみながらするだけで良いのです。

子供たちに人前で話をするようにさせましょう。友達の前で劇を演じたり、スピーチをさせるだけでも良いのです。これが、アントレプレナーの資質を育てることになります。

悪い客と悪い従業員がどんなものか、見せてあげましょう。不機嫌な従業員を見せてあげましょう。不機嫌にお客さんの相手をしている様子を見たら、子供たちに指摘してあげましょう。

いいかい、あれがひどい従業員ってものだよ。

こちらが良い従業員。

(会場笑)

「30分待ったのに、オーダーも取りに来ない」。レストランに入ってサービスが悪かったら、悪いサービスがどういうものか見せてあげましょう。

(会場笑)

こんなに学習のチャンスがあるのに、その機会を活用していないのです。それで、子供たちには、チューターを見つけろなんて言うのです。

子供が大きくなって、2年前から使わなくなったがらくたが家の中にあるのなら、子供たちに言いましょう。「クレイグスリストかキジジで売ってみたら?」。

それで実際売ってみて、スキャムを見破る方法やいつeメールでオファーが入るかを学ぶのです。それは、自分のアカウントなのかサブアカウントか、などなど。

そして、値段を決める方法、値段のあたりのつけ方、ロゴや写真の載せ方などを教えてあげましょう。

それを教えながら、お金を儲ける方法を教えるのです。そして、儲けたお金の50パーセントは家の口座、50パーセントはおもちゃの口座に入れます。うちの子供たちは、こういうことが大好きです。

「達成、セールス、失敗の処理、不屈の精神、自己反省、自立起業、リーダーシップ、ネットワーク、顧客サービス」アントレプレナーの気質を育てていくとしたら、次のようなものでしょう。

「達成、不屈の精神、リーダーシップ、自己反省、相互依存、価値判断」。これらすべては幼い子供の中に見出せます。みなさんはそれを育成する手助けをするのです。これらの資質を見つけるのです。

ADDの子供に薬を与えないでほしい

次のふたつの気質に関して、慎重にしていただきたいことがあります。ADD(注意欠陥障害)の子供を薬を与えないでください。非常に深刻な場合以外は。

(会場拍手)

躁、ストレス、鬱についても同様です。非常に病的な場合以外はね。

躁鬱病はCEO病というあだ名がついています。スティーブ・ジャーベットソン、ジム・クラーク、ジム・バークスデールは躁鬱のただ中でネットスケープを起ち上げました。

リタリンなんかを処方されていたら、どうなっていたと思いますか? ネットスケープは存在しなかったかもしれない。アル・ゴアがインターネットを発明しなければならなかったかもしれません。

(会場笑)

「問題解決、質問すること、クリエイティブであること、リーダーになろう、間違えから学ぶこと、節約の方法、お金を稼ぎたいと思うこと、売りこみの方法、手助けをお願いすること、人前で話すこと、あきらめない、解決方を見つけること」これらのスキルは学校やいろいろなところで教えるべきです。

子供たちに弁護士になるなといっているのではありません。アントレプレナーの地位が、他の職業と同じくらいだったらどうでしょう。そこには、壮大なチャンスがあるのですから。

最後に、ビデオをお見せします。私がメンターを勤めている、グラスホッパーという会社が制作したものです。

子供たちとアントレプレナーシップに関するビデオです。私がお話したことに触発されて、世界を変えることをしていただけますよう。

チャンスを捕まえて、自分がしたかった仕事を創りましょう

<映像開始>

子供の頃のことを覚えていますね。何でもできるんだ、と思っていませんでしたか。今でも何でもできますよ。あなたが、不可能だと思っている、いろいろなことは、簡単に可能にすることができます。

もしかしたら、気づいていないかもしれませんが、私たちが暮らしているところは、1人の人間が世界を変えることができるような場所です。

その証拠がほしいですか? この国を作った人たちのことを考えてみてください。両親、祖父母、叔母さんたち、伯父さんたち、みんな移民で、道をつけるつもりでいた人たちでした。この国に来た時、ほんの僅かなものしか持っていなかったかもしれません。

何も持っていなかったかもしれません。たったひとつのすごいアイデア以外は。イノベーターたち、アントレプレナーと呼ばれる前はそう呼ばれていました。

彼らは、可能であるもの意味を変えました。どうしたら、私たちみんなの人生がより良くなるのか、明確なビジョンを持っていました。たとえ、困難なときでも。

障害が多すぎると、物事が見えにくくなります。でも、波乱の時こそが、チャンスを創り出します。成功のチャンスや物事を達成するチャンス。新しい方法を発見することヘと駆り立てます。

それでは、どんなチャンスを追いかけますか。そして、それは何故ですか。あなたが、アントレプレナーなら、リスクを負うことがご褒美ではないのはご存知ですね。

ご褒美は、革新の先鋒になることです。生活を変化させることや仕事を創り出すこと。成長を助けることなど。

そして、この世界をより良くすることです。アントレプレナーはどこにでもいます。私たちの経済を支える小さなビジネスをしていたり、私たちを助けてくれるちょっとした道具をデザインしたり、友達や家族、同僚、そして、世界とつながっていられるようにしてくれたり、社会の最も古い問題を解決する新しい方法を見つけたり。

みなさんはアントレプレナーを知っていますか? アントレプレナーは誰でもなれます。

あなたでも。チャンスを捕まえて、自分がしたかった仕事を創りましょう。経済を立て直す手助けをしましょう。まわりを変えていきましょう。あなたのビジネスを高みに持っていきましょう。

でも、いちばん大切なのは、自分が子供だったことを覚えていることです。

すべてに手が届いた頃のことを。

そして、自分自身に小さな声で、でも、確信を持って言いましょう。

今だって、そうだと。

<映像終了>

ありがとう。

(会場拍手)

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